2008年08月14日

保釈面接室にて

私:「共犯者とされるAは私の依頼人に敵対する供述をしており、弁護人もいますから、彼に働きかけて自分に有利な供述をさせるというのはあり得ないでしょう。」
裁判官:「……」
私:「BとCにも弁護人がついています。しかも、彼らの供述と被告人の供述とは矛盾しません。」
裁判官:「……」
私:「ですから、被告人が関係者に働きかけて口裏を合わせるというのは非現実的な話です。」
裁判官:「……しかし、それ以外の誰かと口裏を合わせて有利な話を作出する可能性はあるんじゃないですか。」
私:「一体誰とどんな話をすると言うんですか?」
裁判官:「(保釈を却下するために)そこまでの具体性は要求されないでしょう。」
私:「空想は自由です。しかし、『罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由』があるというためには、単なる可能性ではなく、少なくとも具体的な事実の蓋然性が必要なんではないでしょうか?」
裁判官:「……」

何度も繰り返された不毛な対話である。保釈担当裁判官と面接していると、習い初めの外国語で会話しているようなもどかしさを感じる。同じ法律で飯を食っている同じ国の法曹同士の会話とはとうてい思えない。

わが国は、「無罪と推定される権利」を保障し、「裁判に付される者を抑留することが原則であってはならな[い]」と定めている国際人権規約を批准したはずである(自由権規約9条3項、14条2項)。日本国憲法は「正当な理由」がないかぎり何人も拘禁されないと宣言したはずである(憲法34条)。そして、刑事訴訟法は、刑事被告人に保釈の権利を与えたはずである(刑事訴訟法89条)。

しかし、多くの被告人が拘禁されたまま裁判を受けることを強いられている。勾留されたまま起訴された被告人のうち保釈が認められるのは15%ほどに過ぎない。しかもこれは、有罪を認めている被告人を含み、かつ、裁判が終わるまでの全過程のどこかで保釈が認められた場合を含む割合である。無罪を主張する被告人が保釈を認められることは非常に珍しいし、公判開始前にそれが認められることなど皆無に近い。公刊されている司法統計には保釈が認められた時期や否認・自白の種別に関する数字はない。しかし裁判所にはこれらに関する資料があるようである。内部の資料によったと思われる裁判官の論文によると、罪を否認する被告人が保釈される割合は12%である。そして、第1回公判前に保釈される割合は4.4%である(松本芳希「裁判員裁判と保釈の運用について」ジュリスト1312-128、140(2006))。

この現状は、要するに、保釈制度が自白強要の装置に他ならないことを示している。捜査官は被疑者に向かって「認めないといつまでも出られないぞ」と脅迫して自白を迫る。これは嘘でもはったりでもない。現実の保釈裁判の有り様を正確に述べているにすぎない。他人の犯罪行為を知りながらそれを容認し手助けする人は、たとえ自ら直接犯罪の実行行為を行わなくとも正犯と同じ責任を負う。この共謀共同正犯の理論に依れば、全ての保釈裁判官は自白強要の共犯者に他ならない。

30年くらい前には半分以上の被告人に保釈が認められていた。私が弁護士になって間がないころ、保釈にこんなに苦労したという記憶はない。弁護士会館の売店には、委任状の用紙などと並んで、50枚綴りの保釈申請用紙が売られていた。そこに被告人の名前と罪名を記入して出せば、保釈はたいてい認められた。司法統計に依れば、1970代初頭には約6割の被告人に保釈が認められていた。年を追うごとに保釈率は下がり2003年には13%を割った。最近ほんの少しだけ持ち直した。「保釈申請書用紙」はいつのまにか売店から姿を消した。

現代の裁判官が保釈を拒否する最大の拠り所は、保釈の権利を例外的に制限することをみとめた「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」という条文(刑事訴訟法89条4号)である。しかし、驚くべきことに、この条文はもともと保釈が緩やかに認められることを目指して提案されたものなのである。

1948年夏に政府が提出した刑事訴訟法改正案の89条4号は「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき」となっていた。これに対して衆議院で異論が出された。たとえば衆院司法委員会では次のようなやり取りがなされた。

「中村俊夫委員 ***私が最もおそれるのは、やはりこの『被告人が罪証を隠滅する虞あるとき。』という場合です。というのは、御承知の通りこの改正では被告人の黙秘権を強く認めております。從つて今より否認事件が続出してくるだろうということが想像されるのです。そうすると今までの取扱いは事件を否認するものは絶対に保釈を許してくれませんでした。それとこの第四号とは相結んで被告人が罪証を隠滅するおそれがあるということにして、許されないようになりはしないか。それから第四号は、そういう簡單な言葉になつておるのですが、保釈の取消しの場合に、九十六條の被告人が逃亡したとき、逃亡もしくは罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき取消すことができるいう意味の規定は、四号を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があると保釈を許さないという規定にする。ここにこういう規定がむしろ必要であつて、その方が取扱い方が丁寧じやないかと考えられるのですが、この点について重ねて政府の御意見を承りたいと思うのであります。***
野木新一政府委員 ***なるほど八十九條第四号におきまして、被告人が罪証を隠滅するおそれがあるときは必ずしも保釈を許さなくてもいいという建前になつておりまして、この運用のいかんによつては、保釈ということはほとんどなくなるだろうという御心配も一應ごもつとものように存じますが、刑事訴訟法の應急措置法の施行された後においては、格別八十九條のような規定がなかつたわけでありますけれども、すでに保釈に対する裁判官の考え方が大分違つておりまして、昔よりも保釈の数がずつと殖えている。從いまして、今度この案によりまして、八十九條のような規定がおかれまするならば、『罪証を隠滅する虞があるとき。』という解釈も、実際の適用面におきましては、ずつと今までと違つてきまして、現行刑事訴訟法当時のような運用には万々なることはないのではないかと思つておる次第であります。」(昭和23年6月21日第2回国会衆院司法委員会議事録37号)

「榊原千代委員 ***第八十九條の第四号『被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。』という規定でございますが、これは裁判官の主観的な判断によるものでございましようか。お伺いいたします。
野木政府委員 判断は主観的と申しましようか、裁判官が判断することになるわけでありますけれども、その判断は少くとも合理的でなければならない。その資料とするところのものは、だれが見てもその資料に基けば大体罪証を隠滅すると認められる場合というような場合でありまして、そういう場合においてはある意味で客観的と申せるかと思います。」(昭和23年6月24日第2回国会衆院司法委員会議事録40号)

このように、議員たちは「罪証を隠滅するおそれ」という表現では否認事件では保釈が認められないというような運用になってしまうことを恐れた。これに対して提案者である政府当局は、「罪証を隠滅するおそれ」というのは、「誰が見ても大体罪証を隠滅すると認められる」場合のことであって、心配はないと言ったのである。

しかし、議員たちは政府委員の答弁に満足せず、超党派の修正案を提出して89条4号を「***と疑うに足りる相当な理由があるとき」と改めた。提案者の一人である鍛治良作議員(弁護士)は提案理由をこう説明している。

「***この虞れありというだけでありますと、あらゆる場合が含まれますので、これを理由に保釈を拒絶せられることが多いと考えましたので、でき得るだけこれを嚴格に定むべきものだと考えまして、『隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき』と改めて、相当な理由を明示し得るとき、または明示するにあらざれば拒否できないということに改めたのであります。」(昭和23年6月30日衆院司法委員会議事録46号)

この修正案が可決採択されて、現行法の条文となった。それからちょうど60年を経て、裁判所の保釈面接室で弁護人と保釈裁判官との間で冒頭のような対話がなされているのである。

学者はよく「新刑事訴訟法は定着し運用は安定している」などと言う。

立案当局が「誰が見ても罪証を隠滅するとき」以外は保釈は認められるから大丈夫と言った条文をさらに厳しく修正して、「相当な理由を明示するにあらざれば拒否できない」ようにするべく定められた条文が、いつのまにか、誰がどんなことをするとは具体的には言えないが、とにかく証拠隠滅の可能性があると感じれば裁判官は保釈を拒否して良いという根拠になってしまった。これを「定着」と言い、「安定」というのならば、どんな法律でも定着し安定する以外にないであろう。


plltakano at 16:48コメント(3)身体拘束 | 保釈  このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント一覧

1. Posted by K.Koizumi   2008年08月21日 00:19
その裁判官を、そこまで、突き動かす(動かさない!?)ものが何なのかが気になります。
「圧力」なのでしょうか?それとも「良心」(=自白強要装置への貢献も含めて)なのでしょうか?
それとも、ただの思考停止なのか・・・。

昨日、無罪になった産婦人科医の方も、勾留され、接見禁止が付いたために、それまで1人で診ていた担当患者30人の病状について、他の医師に引継ぎができないまま、入院患者の方々は、他の病院に転院させられたとのこと。。
これが、裁判官の「良心」だとすれば、あまりに視野が狭く、彼らが判決で「公益」を語る資格はない。
また、「圧力」だとしたら、自白強要装置を正当化し、圧力をかけている自称「公益の代表者」たる検察官に、何が公益かを判断する能力が欠如しているとしかいいようがない。
しかし、「良心」や「圧力」さえ、希望的な推測なのかな、という気がしてきます・・・。

2. Posted by 高野隆   2008年08月21日 16:27
K.Koizumiさん、コメントありがとうございます。裁判官自身に、保釈を通じて自白強要に加担しているという認識があれば、まだましのような気がします。
3. Posted by 駿河の国に茶の香り   2019年03月07日 22:22
森下忠先生や正木亮先生は自ら望んで志願囚を体験しましたが、それと同じプログラムを司法修習で必須化したら、身柄を拘束されることの意味が法曹三者にも身に沁みて体得できるのではないでしょうか。

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