2010年08月27日
評議室にて
先日裁判員裁判用の評議室を覗く機会があった。大阪地裁の裁判員法廷を利用して行う法廷技術の研修会があり、講師たちはお昼のお弁当を評議室で食べることになった。一緒にランチをした大阪の弁護士によると、第3刑事部(樋口裕晃裁判長)の評議室だということだ。
会議用の円卓に9つの椅子、ほかにソファやマガジンラックなどもあり、くつろいだ雰囲気で評議ができるように配慮されている。冷たい水のサーバーもある。広さは12、3坪ということころだろうか。
ひときわ目を引いたのは、A2サイズの紙10枚ぐらいに拡大印刷して掲示してある、裁判員向けの文章である。それは横2メートル・縦1.5メートルくらいのもので、ホワイトボードに張り付けられていた。裁判長から裁判員へ向けてのメッセージのようなものである。その不格好な貼り紙を見て、私は、口頭できちんと説明する自信がないのかと揶揄したい気持ちと、部屋に入るたびに繰り返し確認できるようにという配慮なのだという肯定的な気持ちと、相半ばしつつ文章を目で追った。
しかし、すぐに肯定的な気分は吹き飛んでしまった。
「刑事裁判のルール」という見出しでこう書かれている。
「被告人が有罪であることは、検察官に、証明する責任があります。
「被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断します。
「新聞やテレビなどで見たり聞いたりしたこと、検察官や弁護人による事件の見方等についての意見は、証拠ではありません。
「証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。」
裁判員法39条は、選任されたばかりの裁判員と補充裁判員に対して裁判長は「裁判員及び補充裁判員の権限、義務その他必要な事項」を説明するものとする」と定めている。そして、この規定を受けた裁判員規則36条は「裁判長は、裁判員及び補充裁判員に対し、その権限及び義務のほか、事実の認定は証拠によること、被告事件について犯罪の証明をすべき者及び事実の認定に必要な証明の程度について説明する。」と定めている。最高裁判所規則制定諮問委員会は、2007年5月、一つの参考資料として、この説明の文例(「39条の説明例」)を発表した。実際に行われている裁判員裁判で多くの裁判長はこの文例のっとって裁判員に説明していると多くの法律家は考えている。今回私が見た文章も明らかに「39条の説明例」を下敷きにしている。
しかし、よく読むと決定的に異なる部分がある。
「39条の説明例」には次のように書かれている。
「被告人が有罪であることは、検察官が証拠に基づいて明らかにすべきこと、つまり証明すべきことになっています。ですから、検察官が有罪であることを証明できない場合には、無罪の判断を行うことになります。
「被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければなりません。新聞やテレビなどで見たり聞いたりしことは、証拠ではありません。ですから、そうした情報に基づいて判断してはいけないのです。また、検察官や弁護人は、事実がどうであったか、証拠をどのようにみるべきかについて、意見を述べます。これも裁判員の皆さんと裁判官の判断の参考にするために述べられるのであって、証拠ではありません。
「裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されませんから、証拠を検討した結果、常識に基づいて判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。逆に、常識に従って判断し、有罪とすることについて疑問があるときは、無罪としなければなりません。」(強調は引用者)
両者の違いは明らかである。評議室に貼り出された「刑事裁判のルール」には、いま引用した文章のうち太字イタリックの部分が欠落している。これらは全て「無罪」に関する記述である。評議室の文章はどのような場合に有罪判決をするのかということは書かれているが、どのような場合に無罪判決を出すのかについての説明が全くない。そして、この刑事裁判の最も基本的なルールの存在理由についての簡潔な説明――「裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されません」――が消えている。
私は、愕然とした。ちょっと動揺した。そして憤った。ここまでやるのかよ!そう心の中で叫んだ。
評議室という密室の中で、裁判官はその気になれば、誰にも気づかれずに巧みな方法で裁判員を誘導することができる。これこそまさに、陪審制にはない、裁判員制度の宿命的な危険性である。私は評議室のなかの貼り紙の前でこの危険性が現実のものであることを実感した。

会議用の円卓に9つの椅子、ほかにソファやマガジンラックなどもあり、くつろいだ雰囲気で評議ができるように配慮されている。冷たい水のサーバーもある。広さは12、3坪ということころだろうか。
ひときわ目を引いたのは、A2サイズの紙10枚ぐらいに拡大印刷して掲示してある、裁判員向けの文章である。それは横2メートル・縦1.5メートルくらいのもので、ホワイトボードに張り付けられていた。裁判長から裁判員へ向けてのメッセージのようなものである。その不格好な貼り紙を見て、私は、口頭できちんと説明する自信がないのかと揶揄したい気持ちと、部屋に入るたびに繰り返し確認できるようにという配慮なのだという肯定的な気持ちと、相半ばしつつ文章を目で追った。
しかし、すぐに肯定的な気分は吹き飛んでしまった。
「刑事裁判のルール」という見出しでこう書かれている。
「被告人が有罪であることは、検察官に、証明する責任があります。
「被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断します。
「新聞やテレビなどで見たり聞いたりしたこと、検察官や弁護人による事件の見方等についての意見は、証拠ではありません。
「証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。」
裁判員法39条は、選任されたばかりの裁判員と補充裁判員に対して裁判長は「裁判員及び補充裁判員の権限、義務その他必要な事項」を説明するものとする」と定めている。そして、この規定を受けた裁判員規則36条は「裁判長は、裁判員及び補充裁判員に対し、その権限及び義務のほか、事実の認定は証拠によること、被告事件について犯罪の証明をすべき者及び事実の認定に必要な証明の程度について説明する。」と定めている。最高裁判所規則制定諮問委員会は、2007年5月、一つの参考資料として、この説明の文例(「39条の説明例」)を発表した。実際に行われている裁判員裁判で多くの裁判長はこの文例のっとって裁判員に説明していると多くの法律家は考えている。今回私が見た文章も明らかに「39条の説明例」を下敷きにしている。
しかし、よく読むと決定的に異なる部分がある。
「39条の説明例」には次のように書かれている。
「被告人が有罪であることは、検察官が証拠に基づいて明らかにすべきこと、つまり証明すべきことになっています。ですから、検察官が有罪であることを証明できない場合には、無罪の判断を行うことになります。
「被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければなりません。新聞やテレビなどで見たり聞いたりしことは、証拠ではありません。ですから、そうした情報に基づいて判断してはいけないのです。また、検察官や弁護人は、事実がどうであったか、証拠をどのようにみるべきかについて、意見を述べます。これも裁判員の皆さんと裁判官の判断の参考にするために述べられるのであって、証拠ではありません。
「裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されませんから、証拠を検討した結果、常識に基づいて判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。逆に、常識に従って判断し、有罪とすることについて疑問があるときは、無罪としなければなりません。」(強調は引用者)
両者の違いは明らかである。評議室に貼り出された「刑事裁判のルール」には、いま引用した文章のうち太字イタリックの部分が欠落している。これらは全て「無罪」に関する記述である。評議室の文章はどのような場合に有罪判決をするのかということは書かれているが、どのような場合に無罪判決を出すのかについての説明が全くない。そして、この刑事裁判の最も基本的なルールの存在理由についての簡潔な説明――「裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されません」――が消えている。
私は、愕然とした。ちょっと動揺した。そして憤った。ここまでやるのかよ!そう心の中で叫んだ。
評議室という密室の中で、裁判官はその気になれば、誰にも気づかれずに巧みな方法で裁判員を誘導することができる。これこそまさに、陪審制にはない、裁判員制度の宿命的な危険性である。私は評議室のなかの貼り紙の前でこの危険性が現実のものであることを実感した。

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コメント一覧
1. Posted by 岩田 清(株)イソップ取締役 2010年08月30日 04:33

2. Posted by 大山千恵子 2011年06月09日 18:42
「世界」2011年7月号。拝読しました。
266頁の写真、節電中の図書館では見えなかったのですが、ここに全文が載っているのですね。
裁判員制度の宿命的な危険性、こわいわ。
266頁の写真、節電中の図書館では見えなかったのですが、ここに全文が載っているのですね。
裁判員制度の宿命的な危険性、こわいわ。