2010年01月23日
とある日帰り温泉
とある話題の日帰り温泉に行ってきた。私共も差別化のために絞り込んできた施設造りを体現しておりベンキョーになる。
風呂の規模をおさえてその他の複数の滞在スペースを確保している。
そしてそう大規模にはしない。
木造にして各棟の規模を小型化し、外部空間を多く取り入れるためそう小さいとは思わない。
平屋建てのため動線が長く敷地を大きく使う。
館内着もタオルも提供しスパ銭の2倍料金でやる。
都市部では建築基準法上、こういうのをやるのは結構難しいので同様のものが競合して困るというスパ銭のたどってきたようなことは無いかもしれない。
「鍵」はサービスの質の問題になっていくと思う。スパ銭には客もそれほど期待しない。料金も内容も差別化しているのだから人のこと、とくに清掃を重要視しないと動線が長いとそれだけ不満感が増す。
見て決定的にまずかったのは脱衣室の床のほこりと浴室洗い場まわり。
脱衣室は下段箱の鍵を渡され四苦八苦しながらコートや荷物を詰め込む作業のため床を見なければならないことになったのだが、細かいほこりが無数にただよい、所々にふんわりと動く毛虫状のほこりの塊が風にゆれる。見ると靴下の裏はさまざまのものがくっつきはたいても簡単には落ちない。
それより風呂上りはどのようにここで着衣して撤退するのか想像するのがつらかった。
空調や換気で風の流れが出来、脱衣箱のレイアウトにより吹きだまりのような場所が出来ることがある。しかし従業員は分かっていて重点的に清掃に回らなければならない。
あとで気づいたが清掃用具が用具入れではなく露出で置いてあるのだがついに係員は来なかった。
セルフサービスを強いるのか。こういうところで料金感を感じてしまうところである。
旅館など宿泊施設でこういうことがあると絶対利用しないと思うしあまり見かけもしない。旅館ホテルは清潔感が一番。もちろん温浴施設もそうだけど。
洗い場では木製の腰掛で風情があるのだが、上面をシャワーをかけて洗い、座り、すこし前にずらすため腰掛の座面を両手で持とうとすると裏面が手にぬるっと。
ワー気持ち悪。
前側に持ち替えようとしても同じ。もちろんすこしいやなにおいも感じる。
そうすると恐らく洗い場の桶の台の裏面はもっとすごいだろうなと恐る恐る指でさわるとこんもりとスライム状の異物が生息している。
だいぶん長期にたわし洗浄がかかっていないだろう。浴槽の中にあればレジオネラ菌の温床だがこの場所では臭いと不潔感だけなので保健所がとやかく言うところではない。
直接見えないところの洗浄に力を入れるかそうでないかが将来を決すると思う。
ホスピタリティに力を入れているように広告宣伝をされているだけに上っ面だけでやっていることを感じてしまう。
2010年01月16日
続上海事情
諸事情から工事現場が多い。養生の程度が悪く埃を撒き散らす。
道を歩いても目に細かい埃が入る。思わずマスクをしたくなるほど。
かなりの高層建物でも単管組みの足場を組んでいるし、歩み板は決まって竹の編んだようなものを単管にのせている。メッシュシートで囲んでいるから強風では細かい埃は舞い上がる。
話は変わるがこの地も道路は汚く騒々しい。
車両の右側通行も不安感に拍車をかける。横断歩道を青信号で安心して渡っていると直近を車が通っていく。
バイクも人のあいだを縫うように通る。人よりも車両のほうが多いと余計に危なっかしい。地元ではあたりまえのようで気にも留めていないように見える。
交通事情と現場の養生のことがどこか共通点がある。
思い返せば日本の数十年前に共通点を感じる。
しかし上海は超高層ビル群を郊外にまで建設を進めており、ある意味最先端なのでこのアンバランスが問題を起こすだろうという予感がある。
COP15コペンハーゲン会議で中国は新興途上国のスタンスでいるという。中国の都市部だけを見ているからなのかもしれないがどうも不満感はぬぐえない。
2010年01月09日
上海地下鉄
上海中心部は地下鉄と徒歩であちこち行ける。
駅名など中国語と英語の案内で声が小さく聞き取りにくい、携帯電話が通じるのかずっとしゃべってる人も居り、車内の騒音が大きいこともある。
幹線は2.5分ごとに電車がやってくるしそれぞれ混んでもいるし活気というか密度の濃さということを感じる。
しかしあのマナーの悪さはなんなのだろう。
喫煙マナーの悪さもさることながら、地下鉄のドア前で床に両脇へ乗車する人が待つように矢印で書いてあるのが意味を成さない。
ドアが開けばいきなり乗り込んで下りる人の権利を無視している。いつも大阪と東京で大いに乗車関連マナーレベルが違うことを思う。その大阪よりかなり悪い。
下りる人を先に下ろしてから乗車すると結果的に短時間で多くの人が乗降できるのだがそういう風には思わず、やはり自分が乗り込むことしか頭に無いのだろうか。
しかし思いめぐれば大阪市地下鉄でもドア付近に立って乗降の邪魔になっていても立ちつづけるような人もいるし程度の差ということか。
2010年01月07日
上海の休日
あけましておめでとうございます。
本年も変わりませずよろしくお願いいたします。
さて休日を上海に過ごした。
この地では正月は三が日は休業日だそうで、且つ雨天日も無かったのに計4日間滞在していて空気のきれいな日はなかった。
光化学スモッグというなら暑い日だろうし。黄砂というなら日本では少なくとも春のことだろうし納得のいかないことであった。
中国に世界中が市場性を期待している。
現に自動車の数も多いし人々が裕福そうに見える。
過去、列強が租界地とした地区の近くでこの春の万博へ向けて急ピッチで工事が行われ、慢性渋滞もおこり ここからも埃が立ち上る。
租界地は日米欧露がアジアの大国を蝕もうとした痕跡でもあり現状とのギャップというか時間の流れがこのような風景を生み、汚染された(正しいかどうかは分からない)空気を憂い思うのである。
郊外を車窓から見ていても小規模な煙突を持つ工場は散見するが大阪の湾岸地区のような巨大プラントのようなものは見当たらず、あの淀んだ空気の原因が分からない。
高速道路側に温泉という看板を何回か見たりするのですでに温浴施設が出来ていると思う。あまり事前に調べて行けてないのでほんのついでに過ぎないが、利用者はそこそこありそう。
日本や韓国とは事情が違うと思われるが、そういうレジャー消費への価値観はあると思われる。
あの空気がなんとかなれば、機会があればそういうプロジェクトに参加したいものではある。
2009年12月23日
エキスポランドの解体
吹田万博跡地の自然文化園がちょっと遠い徒歩圏にあり、この日もぐうたらして歩かずモノレールで訪問、昼食と少々のお酒を持参して。
駅から文化園にいく途中にエキスポランドのゲートがあり解体のための重機が据えられている。
もう観覧車もジェットコースターの「ダイダラザウルス」や「おろち」、かの風神雷神など遊具もほぼなくなっている。
考えてみれば70年万博当時に遊園地が始動したわけで、もう40年を経ている。学生時代にも、子供づれで来たことも、そのときどきに来たことをおもい返す。
エキスポランドはこの地域における数少ない「つぶれない遊園地」であった。あのジェットコースターの事故さえなければ廃業することは無かったろう。当初建築基準法違反ということであったのをおぼえている。これには違和感があったが結果的には大きな責任をとらされることになった。
事故は怖い。
ここでどれだけの人が働き、生活を支えていたろう。
営業施設経営はみな同じような危険があることを認識していなければならない。エキスポランドも事故後のいっとき営業再開したことがあったように思う。そのときやはり自然文化園にいったときに見ると、開園しているにもかかわらず客が入らず閑散としていたことを思い出す。大ニュースになり週刊誌の餌食にもなり結果がこういうことになる。
温浴施設でも似たようなことが起こりうる。或いは起こっている。
事故にあった人はもちろん災難であり未然に防がなくてはならない。
2009年12月02日
無煙コンロ
煙の出ない新型コンロによる焼肉店舗が近くに出来たというので訪問してみた。
店に入るとやはり焼肉屋のにおいがする。においが無いわけではない。店の中央にピアノがあり、煙はもちろんダクトやファン音でピアノどころではないのが普通かもしれない。
ピアノが焼肉店においてあって演奏されていることを見せたいのだろう。
基本的にテーブルは6人単位。店内20テーブルくらいか。
なるほどダクト等は無さそうだが排水タンクとか給水タンクがひざのところに出っ張る。スイッチONすると数分に1回の割合で反射板にノズルから水がスパイラル方向に噴出す。そこそこの音がする。
煙は肉や野菜を焼いても出ない においは出る 手をかざすとかなり熱い。
低温で焼くのだそうな。
おいしい肉はおいしいがまずいものはまずいままはしょうがない。
芋やパプリカなど肉厚野菜は均一に焼ける感じはする。焦げなくおいしい。
そもそもあまり焦げ目が無いから焼けてるように見えない 焼き加減も分かりにくい。
コンロは高価なものだから採用するのにも苦労があっただろうに。
あまり店がそういうコンロを採用していることを前面に出していない。
店員に聞くとそうなんですと答えてくれる程度。
開発した人の意思が伝わってない。
煙が出ないことで焼け焦げなく排気ダクト不要というのは圧倒的メリットである。
しかし逆に煙が出ないことでデメリットも多い。焼き鳥鰻蒲焼など臭い煙が看板のようなもの。
通り客を引き込む力がある。
2009年10月12日
美食家
私の周りにもうまいもん食わすところをよく知っておられる人がいる。メディアでもそういう紹介はたくさんあり、見るだけで食べきれなくなる。
食べることへの趣味のよいのは、そのままではないにせよ生きることの趣味のよいこととつながる。
趣味の良い生活ぶりとつながるからなのだろう。
おおむね金銭的余裕のある人でないとそういうたぐいの人にはなれないのだろうが、余裕のない人も質素ながら良い趣味の人もいるように思う。逆のことも言え、肥えすぎているということともつながる。
ほどほどということがどれほど重要かを思い知らされることが多い。
「ちょうど良い」と少し違いもあるが、ちょうど良いことを続けることが、ほどほどはちょうど良いにつながる。
よい塩梅(あんばい)という。
多すぎず少なすぎず、重すぎず軽すぎず、広すぎず狭すぎず、大きすぎず小さすぎず、いまのように価値観が大きく変わろうとしていくとちょうど良いということがころころ変わる。
去年の風呂施設づくりは今年だと少し違う。
CO2排出やエネルギー対策が出来なければ風呂作りは厳しくなるだろう。コストだけが先行してきたのと少し違うようになってきた。
このとき、ちょうど良いものづくりが大きくものを言う。
利用者があまりいない廃墟施設を運営するのに化石燃料を焚いているのを見ることもある。
やはり温暖化対策資源保護で過不足がないということを考えるのがいちばんの近道だと思う。
ちょうどよいものをよい塩梅でほどほどに食べるということと同じだが。
それでも食べすぎ飲みすぎをよくやらかし反省することもほどほどにしたい。
2009年07月13日
電車の中
立ち席者も多い私鉄特急電車の中で、若いのが隣の2人席に通路側に荷物を置いてひとり座って、ときおり空いてると見えるので客が来るが知らんふりしている。
荷物くらい網棚にでも上げればよいのにと思っていると、なにやらマンガ本を次から次へ読みふけっている。
網棚に上げると本人にとって不便なのか。
それなら足元に置いたらどうかと言いたくなる。
さあ何人くらいが空いてるかもしれない席を覗きに来ただろう。
そのうち、読書に熱中しながら鼻を穿り出した。
そのくらいは許そう。
しかしずっと左右交互にやっている。
そのあと自分のズボンにぬすくったところまでは
まあ仕方ないか
しかし周辺に指で飛ばしたり
シートにこすり付けたりし出す。ともう「うっ」となる。
あああんなことする。
あまり他の人に見えないということか。
鼻毛が伸びて鼻はさわりたくなるのが人情だろうがあれはあんまり。
ああいうときはどこまでの迷惑なら、あるいはどういうことが対外的に公共施設などで許されるのか境界を意識しなくてはいけない項目のひとつだろう
だけど あの若造は
1. まず荷物で人を座らせることを拒み
2. 人の見ているところで鼻をほじくり
3. それを飛ばしたりぬすくったり。
3つの多少性格の違う迷惑行為や恥ずかしい行為を合わせわざでやってるのが性質が悪い。
車内での化粧や飲食などマナーを取りざたされるが、迷惑の度合いの問題ではないかと思う。
こういう人は公衆浴場で掛湯もしない、タオルを湯船に浸ける、水風呂に潜るなど入浴マナーも同じかな。
親の顔が見たい。
2009年07月01日
新型温浴施設
神奈川の新型温浴施設で。
先ごろ鳴り物入りでオープンされた大型温浴施設を体験入浴した。
所詮風呂ではないかと思っているので感激するところもないのだが、女性利用者狙いで優遇されていると言う感じはあるにせよ、ご本人たちの居心地がよろしいかと言えばそうでも無いと思うのだが。
どうでしょう。
女性専用ゾーンをどう感じるかと言うことではないか。男性利用者諸君が紳士であれば良いのだが、長距離特急に女性専用席を設けて犯罪対策にしようというのに似ている。
結果、女性も男性も居辛くなり、快適とはいえないものに成り下がる。
本施設を運営プロデュースする会社の最初の施設との大きな変革点は在館時の館内着と岩盤浴衣を兼用にしてしまった新施設の割り切り方ではなかろうか。利用料金に岩盤浴利用料を組み込んでしまい全て同料金という設定。
そういうものを付加価値と思うか無駄と思うか。
高額の利用料金をいただくのだから相当のサービスが必要なのに決まっている。
風呂は取り立てて大きくもなく新機能が備わるでもない。温泉の魅力が強調されてもいない。スーパー銭湯並みといっていい。
だからその他のスペースとサービスの中身勝負になるのであり、さらに別料金の必要なサービスが充実していても、そのことがさらに居心地の良くない施設になるのだと思う。
健康ランドでなく、スーパー銭湯でなく、サウナでも、もちろん日帰り温泉ではない。スパといわれてもそういうカテゴリーの認識は一般にない。
多くすれ違う従業員さんたちのえがおと挨拶がきちっとしていることが悲しい。
首都圏のワンポイント山手線内側のあのあたりでしか成立しない代物なのではなかろうか。
2009年05月20日
食品のこと
怠慢でブログの長期休暇をしてしまった
その間、燃料費の高騰下落があり、関係者が右往左往していたところ。また今度は新型インフルエンザにより人が集まるところは忌避される傾向。温浴施設は耐久レースの山場、ある種の曲がり角に来ているようにも見られる。
温泉井戸など水源がしっかりしていて過不足が無いメンテナンスのしやすい施設が、結局長い目で見ればよいように思われる。
変わり、私事であるが食品に対することに興味を持ち始めている。人の体は当然ながら食品により血になり肉になり形成される。
あまり気にせず「何でも食べるというのが健全」と思い続けてきた結果が故障や肥満やさまざまな問題を引き起こしていると思う。
一般的には会社勤めなどの場合、外食をしなければならない。
外食産業大手により、手軽に食べられそこそこ安価なものが全国どこに行っても同様のものがあるということで、きちんとしたものを食べる習慣がなくなっていると思われる。外食大手はどんどん店舗数を増やし売り上げを増やしていく。不況でより売り上げを増すとも言っている。
地方都市で食事をすることがよくあり、勿論楽しみでもあるのだが、本当は長いあいだ人々に愛され続けているであろう食事どころが大手外食におされていく構図になっているように見える。「根菜の煮物や木の芽和え、茹で野菜などに焼き魚とごはん」というようななもののほうがマクドのハンバーガーとコーラよりずっとやさしいと思う。だけどそういう食事どころは競争に負けてしまう。
いったい日本人は何を食べてきたのだろうか
ほぼ米作の歴史と一致するだろうけど、副食物の時代的変遷がどのようなものか興味あるところ。近年急速に変化というか退化していると思う。
いずれにせよ、畑作米作や養殖などで薬品を投入する農漁業はごく最近に始まったことで肥溜めを肥料庫としてどこの畑にもあった時代はそう昔のことでもない。
このままいくと健全な生活を送れない人が増える社会になっていくだろう。勿論専門家がおられて、どうすべきか考えているのだろうが、こういうことは経済至上主義がもたらすものだろう。
食品のことを考えるひとはそうなってはいけない、倫理観が不可欠である。
実は風呂についても同様のことが言える。やはり生活にかかわることは基本的に共通している。
そして、このような生っちょろいことを考えている人は喰っていけないといわれる社会でもある。