2005年08月
2005年08月31日
飼い犬のこと
うちの老犬「さんた」は落雷の閃光と音で気が狂ったようになり何をするか分らない。自分の犬小屋に入ればよいものを、まず家の中に飛び込もうとする。運悪く掃出し窓を網戸にして通風してようものなら破って飛び込む。どれだけ張替えをしなければならないか。薮蚊の多いところなので、破れたまま放っておこうものなら蚊だらけになる。
次に、閉めきられて家に入れないとなると、うちの敷地から出て行こうとする。
周囲は出られる所が無いように網をつけたり格子を取り付けたりとしているが、どこからとなく出て行方不明になる。先日も拾得物になって管轄署のケージでお世話になったところ。警察の御世話になったのは一回きりであるが家出の回数はかなりあり、その都度近くで見つけている。雷が止めば落ち着くのだろう、どこまで行ってふらりと戻ってくるのか。よその犬は「かみなりのとき」などどのようになり、あるいはなんともないのかなあ。
2005年08月30日
洗い場のこと
温浴施設にとって、洗い場の快、不快は利用者の評価上、大きな違いとなる。
これには大きく二つの問題がある。
ひとつは桶の台になる部分の高さや蛇口の位置、シャワーの座って洗ってみれば分かる洗い場の高さ寸法、照明の位置など。
もうひとつは隣の人との距離や反対側の人との距離。
桶を置く台の高さは腰掛けの高さとの関係に基いて考えられる。弱者などにとっては腰掛は高いほうが座ったり立ったりが楽にできる。勿論、座っているときもそこそこ楽に利用出来る。ところが頭や体にシャワーを浴びたり、カランに湯水を汲んで利用する、或いは鏡を使ってひげを剃るなどの行為からソファのような背もたれのあるような座り姿勢では使いづらい。そこそこ低く前のめりに頭髪を洗いやすいものでなければならない。しかも桶置き台に向う脛をうつような配置、高さ関係にならないように考慮したい。
後述する隣、対側との距離との関係でシャワーが掛かり、トラブルとなる。シャワーの位置高さひとつでもこの問題に影響する。
次に洗い場の距離間隔の問題は、相対的にいくつの洗い場を設けるかと言うことと切り離せない。ということは施設の利用料金イメージが重なり、高級感の演出に影響の出るところ。また水しぶきの飛散防止の間仕切りもすべての洗い場に設けてしまうと、親子がいっしょに利用したり、年寄りの背中を流すような光景がなくなりさびしい。
2005年08月26日
2005年08月25日
半自動扉のこと
風呂の出入口には半自動扉という片引き戸を使用することが多い。
ヒンジの開き戸は危険が多いため引き戸を多用することになる。半自動とは言っても手動で開けて自動的に閉じるというもの。一般的には病院の病室用のもの、特別養護老人ホームの個室などで使用されているものが知られている。
温浴施設のものは結構古く(昭和30年代と思われる)から銭湯の浴室への出入口に利用されてきている。今のようなかたちではないが機能的にはほぼ変わらない。それが露天風呂への出入などにも利用され一般的になっている。
我々としても床に埋め込んだステンレス製の勾配をつけたレールで閉じる方法とか上吊のレールを勾配をつけたりして現在のドアクローザーのような閉鎖機能を持ったものに行き着いた。
ある特定のメーカーと長期にわたり苦労してきたものである。
温浴施設づくりに於いてこのようなことは数多くある。そして後発の人たちはメーカーがもっている製品を使うだけで一定の性能を確保できる。こういうことはお互いにそうゆうことがある(はず)わけなのでしようがないが。
それにしてもこの半自動扉はかなりのところまで普及している。
それだけに経験不足の設計者や施工者によるものは、機能耐久性に問題が発生するような使い方になっていることがあるため、結果的に「運営者が苦労」するだろうなという施設もかなりある。
2005年08月24日
見てしまったもの
職場を若い人が多い地区と言えるこの地に引っ越してきて4年目になっているが、ひとの行動について何も驚かなくなっていることに不安感が芽生えている。
しかし今日見たのはすごかった。歩行喫煙の下着風タンクトップのきれいな女性が、そのたばこを地下鉄駅の入口で捨てるところまではまあよくある事で驚かなかったが、その直後、痰のかたまりを上手にポンと道に吐き捨てたのだ。
まるでそこら中が舗装していない時代のたばこ呑みの時代に遡ったように錯覚し、また同時にふっと気がとおくなりそうになった。
こういうことは「あんたに直接迷惑をかけてもおらんのに言われる筋合いではない」と言われるのは明白だが、いかにも汚い。汚いものは迷惑ともいえるが、それならこぎれいなお嬢さんは迷惑でなく、小きたないおっさんは存在が迷惑という論理もあるだろう。
だけど小きれいなお嬢さんと吐き捨てられた汚い痰の、このとりあいの新鮮なこと。おそらく小きれいなお嬢さんはこういう行動や行為を嫌悪する(はず)と考えているから、驚き、新鮮に思うのだろう。だけど道行くひとの喫煙行動のことなど全く男女差別が無くなっているし、この価値観はこれからあたりまえになっていくと考えられる。
温浴施設の喫煙スペースの作り方が難しい。健康イメージで清潔さが重要な要素となる施設での喫煙行動の制限のしかたを考えなくてはならない。数年単位でこのことは変化してきている。館内完全禁煙にすることが常識になる日は訪れると思うが、それまでのあいだ喫煙スペース縮小隔離の変遷の過程をふむ事になるだろう。
2005年08月23日
温浴の今後の方向を考える
言わずと知れた多様化である。
いまもすでにかなり多様化しているのであるが、これはスーパー銭湯というカテゴリーに分類してしまわないと我慢ならない人たちがそうしているだけだと思う。現にこの国のどこを見てもスーパー銭湯になってきた。
健康センター(ランド)の類も廃業するところと盛業(比較的)のところが出来ているし、スーパー銭湯でも同じことが言える。基本的に当たればそれと同じものをやるという開発方式なので、スタートして1年半もかかれば時期をかなり逸している。個々のものであれば他人がやっているよいものを取り入れればよい(よそでやっているものを真似をするという意味)ということも言えるが。施設全体にかかわることで真似をすることは無理。それよりもっと地域に根ざしためずらしい要素(ここにしかないもの)とかを見つけ出してそれを中心に据えるべきである。要は差別化の方法なのである。
もうひとつの重要なポイントは、温浴利用客層が広がり、全世代を狙ったものから一定の世代層を狙ったりして、絞込みをしても良いようになってきたと思われる。それほど利用者層が幅広く成熟したと見られる。たとえば子供入場禁止の施設という考え方の成功例もある。
それにしても利用料金と滞在時間、集客数、平日休日格差の関係をおさえることが基本に違いはない。
別料金付帯サービス業務を増やし、それぞれが売上げれば面積規模が拡大しても問題ない。
しかし、差別化のための大型化は利用料金に含まれるエリアを増やすことで初期費用がかかり、集客数を増大するか入館単価を上げるしかなくなるのでリスクがともなう。やはり個性化が必要であると思われる。
2005年08月22日
霧島連峰
昨夏、身内の結婚披露宴出席にあわせて、霧島連峰の縦走にいったとき連泊した旅館が、満足度の高いものであった。
勿論美しい自然や広大な敷地、ロケーションが生かされていることが先決であるが、新しいとはいえない建物や風呂がそれほど不快ではなくむしろ生かされているように思われる。フロントをはじめホスピタリティも程度の高いものであった。
なかなか快適といえるところが無いのが昨今の宿泊事情であるが、都合が合えばまたいきたいと思う数少ない宿である。
なかでもお風呂がすごい。宿泊室数からすると、大浴場(男女別入替え制)は小ぶりであるが、しっかりとした露天風呂が付いており、十分な湯量が常に溢れている。掛け流しとはこのことを言うのです。
高温泉を地下水でうめて吐出口から溢れ、誰も入っていないときでも浴槽全体を撹拌し、そして浴槽の外へ溢れ出て行き、さらに地元産の大きな石で出来た床を流していって、排水溝までいく。温泉の臭いを感じて、さらにからだにまとわりつくような湯が、溶けるような感覚を持ってしまう。しかもここからシラス台地越しに何十キロ先までの雄大な薩摩島津の風景が自分のものになったような錯覚をする。ここに打たせ湯もジェットバスも要らなければサウナ、岩盤浴などまったく不要である。
ほかに遊歩道の先にいくつかの貸切風呂があり林間にある開放的で尚且つプライベートな空間で先述の温泉が楽しめる。
靴のこと
日本人にとって靴との関係は意外に浅いものではないか。京都伏見寺田屋の坂本竜馬の肖像写真に見る、はかま姿に皮靴のような履物という、ほぼ初期の洋靴履きの人物かと思える。このことについて軍隊の西洋化と関係が大きいと想像できる。甲冑姿に洋靴は無理であったろうし、どのあたりが軍靴普及の変換機だろう。いくさをするのに靴履きのほうがわらじ履きより有利に決まっているのではないか。長州奇兵隊の履物はどうだったろう。
飛ぶが、夏場になるとミュールとかいう、いわゆるサンダルのヒールの硬いものが、階段を下るごとにその響きが頭のてっぺんに抜けていく。他人(この場合おっさん)がなんと思おうが自分が可愛ければよいということか。なぜ階段を固い床でつくってしまったのか、カーペット張りならそれほど響かなかったのに。ミュールを開発した人はカスタネットのように固い床を叩くことを意識したのだろうか。せめて足の裏からあまりはなれず、そこまで迷惑にならない工夫は出来なかったのだろうか。やはり履く方の人が一考してもらうほうが普通でしょう。ミュールやサンダルに相当する草履雪駄も昔からあるが、脚の裏に固定するわらじが旅行靴に相当するのだろう。
2005年08月20日
サウナマットのこと
発汗を促す熱気浴類にマットやバスタオルはつきものである。冷水浴槽との交互入浴によるサウナへ持ち込む水分もある。これらを一括して吸い取るのがどちらも敷いているサウナマットで、木製の床、腰掛けが熱く歩けないこともあって必要不可欠である。しかしこれが濡れていると、避けて通りたくなるような心理が働く。なぜならそれはひとの汗と思えるから。水かもしれないがしっかり濡れていたりすると評価を落としてしまう。従業員としてはこの交換作業が大変、費用も掛かる。サウナだから乾くのではと思うかも知れないが床に置いてあるため乾かない。
結局変える頻度の問題。誰の汗も染みていない交換直後のマットは気持ちよい。
本来、サウナ利用者は自分の発汗を他人様の迷惑にならないように、バスタオルを利用すべきものであるはずなのだが、スーパー銭湯の普及とともにこれらの入浴マナーが浸透させられなかった。「金を払って利用しているのだから勝手でしょう」という正に勝手な理屈とともにマナーはどこかへいってしまったかに見える。仕方なくそのような利用方法が前提の施設内容やサービスにならざるを得ないのがつらい。
バスタオルをサービスしている施設でも、あまりサウナでは利用されず、脱衣ロッカーに入ったままで湯上りのタオルとしてしか使われないのを見るにつけ残念。
2005年08月19日
温泉旅館
ある高級温泉旅館に体験宿泊した。著名な建築家による名建築で受賞もかずかず。僅かな部屋数でサービスが行き届き、そこそこの料金で営業するというもの。人気を呼んでいついつまで満室などと言われるも、どうも納得できていない。利用者のこちらのこころが貧困であるため良さが分らない。
仕事上、お風呂に目が行く。風景を開口部で切り取り、入浴している浴槽からながめながら過ごすことが出来る。ところがこの窓の方向を向いて入ろうとすると背中が入口の段に当たり居心地が悪く反対を向いて足をその段に置くか横を向いてしまうしか落ち着きどころがない。
また今、はやり言葉になっている掛け流しの温泉の「温度と量がない」のだろう、僅かな量を掛け流していて、確かに捨てているには間違いないが、「濾過循環して清澄に保ってはダメなのですか」と聞きたくなるほど。泉質はヌルヌル感があり、無色透明で人気のあるタイプなのだから、もっと魅力的になると思う。
旅館経営の厳しい状況のなか、思い切って建築をやられた施主に敬意を表した上で、従来のように鉄筋ビル旅館を建ててもダメ、単なる和風旅館でもうまくいかない。幸い今は価値観が多様になりターゲットを絞り込んでも人気を掴めば満室を保つことは可能だろう。しかし、満室でも売上げは想像の域を出ないし、経費仕入れ、人件費等も想像できる。そこで、将来「お風呂がもうひとつで満室が保てないような」ことがあれば決定的に厳しくなるのではないだろうか。
2005年08月12日
風呂あれこれ
浴槽かまちの高さのこと
そもそも自然に出来た河原の露天風呂に框は無い。川の源流の湧き出す泉に岩積みの框があろう筈も無い。見た目の自然な感じからは框は不必要といえる。
しかし機能上はそうはいかない。
公衆浴場法という法律の設備基準の条例で浴槽框の高さの規定があるところがある。浴槽に隣接して洗い場があり、その洗い場の水が飛んで框を超えて入るので不衛生になるということを防止することらしい。実際に全く框がないと土間の汚水が逆流することも考えられる。それなら水上(みずかみ)に框があれば良いのではないかという意見もある。運用上浴槽水を抜かずに土間の洗浄を行なうことが考えられるので、そのとき、その飛沫が進入しないようにはしたいところ。
もうひとつの観点は、浴槽に入っている人とそのぐるりを歩いている人との関係が、多少とも高さ的に近い関係であればよいのだが、框を低くすればするほど浴槽側からは見上げるようなところを人が歩いていることになるという、あまり同性としては気持ちよくない状況が出来上がる。要はケースバイケースなのだが。