戸崎将宏の行政経営百夜百冊

戸崎@千葉県です。行政経営に関連する書籍をごく個人的な視点からセレクションして紹介します 。

■ 書籍情報

聞きたいことを聞き出す技術   【聞きたいことを聞き出す技術】(#2838)

  反町 理
  価格: ¥1,512 (税込)
  扶桑社(2018/3/8)

 本書は、2時間の生ニュース番組を週5日、9年間続けてきた著者が、「ゲストの話を聞きながら自分なりに培ってきた仕事のノウハウ」のうち、「聞きたいことを聞き出す技術」についてまとめたものです。
 第1章「相手の『本音』を引き出す」では、「匿名を条件にした情報提供」である「オフレコ」について、「たとえ名前が出なくても、政府なり、党なり、一個人なりの考えを、いわば、『バックグラウンド・ブリーフ』の形でメディアに示すことで、まだ表面化していない議論に、いち早く流れをつけたいという思惑や、ある事象に関する報道(例えば森友加計問題)に欠けている視点があると見た場合に、『実はこういう事情もあるんだ』と情報を提供してメディアの論調の変化を狙うこと」もあると述べています。
 また、「政治家はテレビで本音を言うことに関して、極めて慎重」だからこそ、「事前に本音を把握する事が必要」だと述べています。
 第2章「『また話したい』と思ってもらえるか」では、「ゲストはある意味、番組において歌舞伎役者を演じているようなものですから、その人達が美しく舞えるように、僕たちが合いの手を入れなければ」ならず、「合いの手のタイミングの打ち合わせをする」のが、CMの時間だとしています。
 そして、「相手がだめだと言った質問はしませんが、ちょっと踏み込んだ質問をすると、相手が乗ってきて、自分が引いたボーダーラインを自ら越えてくること」もあるが、「わざと失言を誘導しているわけでは」ないと述べています。
 また、「本音を引き出す方法としては、『ずれたたとえ話』というのも有効」だとして、「相手がなかなか本音を言えないときなど、多少誇張したたとえ話やずれたたとえ話をすると、『いやいや、そんな大げさなことではありません』とか、『いやいや、そういうことじゃないんです』と、向こうから修正をかけてくれる。それによって、発言が本音に近づく」と述べています。
 さらに、「いきなり深い内容の質問から入る場合もあれば、『入り口』の質問をするとき」もあり、「『前後・左右・上下』に質問の振れ幅が大きくなっている」中で、「今ここでどの質問をぶつけたら有効かということを、その場で考えるように」なったと述べています。
 第3章「質問の極意」では、「自分が相手と交渉をして煮詰まって停滞しそうになったときに、別の角度から意見を言ってくれる人が一人いると、すくなくとも雰囲気が変わって停滞を避けること」ができると述べています。
 第5章「自分のやり方で『心を掴む』」であ、「僕の聞きたいことというのは、政治家の場合、政治家としての『矜持』ということも含まれ」る理由として、「僕はそれを政治家に期待しているから」だと述べています。
 そして、「2時間、ゲストの話を聞いても、コアになる話はせいぜい1往復か2往復」だが、「それが少ないとは思いません」として、「さまざまな話題に触れながらも、『核心』の質問をじっと温め続け、相手が受け入れてくれそうな時を狙って、質問」すると述べています。
 本書は、百戦錬磨の政治家から、相手の本音をいかに引き出すかという戦い方を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 テレビのない生活をしているのでどんな番組家はわかりませんが、2時間じっくりインタビューする番組は面白そうです。こういうコンテンツこそネット向きなのかもしれないですが。


■ どんな人にオススメ?

・中身の詰まったニュースを見たい人。

■ 書籍情報

目に見えない世界を歩く: 「全盲」のフィールドワーク   【目に見えない世界を歩く: 「全盲」のフィールドワーク】(#2837)

  広瀬 浩二郎
  価格: ¥886 (税込)
  平凡社(2017/12/17)

 本書は、「『全盲』という現象をどのようにとらえればいいのか、真剣に模索した一人の研究者の試行錯誤の記録」です。
 序章「架空対談『目が見えない世界を生きる』」では、「点字は、視覚障害者が自力で、迅速かつ正確に読み書きできる文字として、大変優れて」いる一方で、「社会の多数派である晴眼者との互換性がない」ことを挙げ、「点字の弱点を克服し、視覚障害者と請願者の情報共有を可能としたのがパソコン」だと述べています。
 第1章「目が見えない人は、目に見えない世界を知っている」では、「『目が見えない』世界では『見えない』事実を軽視しようとしたのに対し、『目で見えない』世界では『見えない』を重視していたのかもしれません」と語っています。
 そして、「本書は、『目で見えない』世界を研究してきた僕が、『目に見えない』世界へと一歩前進する挑戦の記録」だと述べています。
 また、「映画を見る鑑賞と聴く鑑賞の違い』として、「見る時は外にいる、聴く時は内にいる」と述べ、「自分も映画のストーリーに参加しているような錯覚は、視覚では感じにくいもの」だとしています。
 さらに、「現実世界では『目が見えない者』が、神憑りを介して、『目に見えない物』(霊魂)をみることができる。このような逆説的な民間信仰が、日本独自の盲人文化、イタコという生業を育んだのです」と述べています。
 第2章「〈触常者〉という立場」では、著者が2009年に発表した「触常者宣言」について、「触常者とは、『触覚に依拠して生活する人』です。一方、『視覚に依拠して生活する人』のことを見常者と呼びます。『触常者』という新しい概念を定義するに当たって、僕は『考える』『交わる』『耕す』の三側面に注目しました」と語っています。
 そして、近年の視覚障害者を取り巻く環境の変化として、
(1)点字が読めない中途失明者の増加
(2)盲学校の児童・生徒数の減少と障害の重度・重複化
(3)残存視力の活用が強調される弱視教育
の3点を挙げています。
 第3章「盲人史研究から『さわる文化』論へ」では、「視覚障害者が長年にわたって維持・継承してきた琵琶法師・瞽女の文化が消えていく。専業のイタコもいなくなり、僕が恐山で話をうかがった方々もすべて死去しました。盲人文化の断絶に直面し、単に僕は歴史の証人として立ち会うのみでいいのだろうか。同じ視覚障害者、盲人史の研究者として、何かできることがあるはずだ。こんな焦りが僕の中にありました」と述べています。
 そして、「今日、レコード、CDとして残っている瞽女唄は、どちらかというと暗く、さびしいものが中心」だが、「今風の言い方をすると、瞽女はコンパニオンなので、宴会を盛り上げるさまざまな歌を繰り出していました。滑稽な物語、下ネタも登場します」と述べています。
 第4章「ある当事者団体の挑戦」では、「1961年7月、現役の視覚障害大学生や卒業生を中心に『日本盲人福祉研究会』(文月会)が結成」されたことについて、「文月会は大学進学した視覚障害者のセルフ・ヘルプ・グループ的な役割を果たしてきたといえます」と述べています。
 そして、「文月会の運動の成果として、各自治体の公務員試験や教員採用試験における点字受験の実現を挙げることができます」と述べ、「文月会の先輩方の粘り強い交渉によって、国家公務員試験の門戸が開放されるのは1991年。ほんの四半世紀前の話なのです」と述べています。
 第5章「触る感動、動く触感」では、「僕は〈触る感動、動く触感〉ワークショップを各地で実施し、その成果に基づいて21世紀の風土論を構築したいという壮大な野望を抱いています。目に見えるもの(土)と、目に見えないもの(風)の相互接触により文化が生まれる」として、「歴史学・文化人類学の研究の蓄積を踏まえ、ユニークな風土論を確立できるのは、視覚に依拠しない触常者なのだと僕は信じています」と述べています。
 第6章「『触識』のすすめ」では、「ややもするとユニバーサルデザイン、ユニバーサル・ミュージアムはバリアフリーよりも一歩進んでいると受け取られがちです。しかし本来、両者はまったく異なる思想に由来しています。博物館における障害者対応を検討する場合、バリアフリー(補う)、ユニバーサル(保つ)の両方が不可欠です。両概念の違いを認識した上で、うまく使い分けていくのがプロの学芸員の腕の見せ所でしょう」と述べています。
 そして、「近年、欧米の障害学(disability studies)などの研究成果に裏打ちされた『障害の社会モデル』という理論が、障害を定義する際の世界的な共通理解になっています。2016年4月に日本で施行された障害者差別解消法の底流にあるのも、『障害の社会モデル』の考えです。従来の個人モデル、医学モデルと一線を画する社会モデルでは、障害とは個人と社会の関わりから生まれるととらえます。それゆえ、人間社会全体の努力により、障害は解消できると規定するのが社会モデルの特徴です」と述べています。
 また、「僕は、目が見えない自身の境遇を客観的に説明する際、『無視覚は無資格だけど無死角なり』という語呂合わせをよく使います。無視覚とは目が見えないという厳然たる事実、障害学の『impairment』に相当するものです。無資格は、視覚障害に付随して、社会的不利益を被ること」であり、「無死角は『障害の宇宙モデル』のスローガンです。全盲者は前後・左右すべてが見えません。逆説的な言い方になりますが、死角がないのが全盲者なのです」と述べています。
 第7章「触覚人間になろう!」では、美術館における「さわる展示」の目的として、
(1)これまで美術館とあまり縁がなかった視覚障害者に美術鑑賞の機会を提供すること。
(2)視覚中心の従来の美術鑑賞の在り方を問い直すこと。
の2点を挙げています。
 そして、「誤解を恐れずに言えば、無視覚流鑑賞のルーツは性交にあります」とした上で、
(1)人間の性行為とは、さわるコミュニケーションのエッセンスを凝縮したものである。
(2)視覚優位の現代社会にあって、さわることは軽視され、その結果、人間のコミュニケーションは危機に瀕している。
(3)ミュージアムにおける触察(無視覚流)鑑賞は、人間のコミュニケーションのあり方を再考するきっかけとなる。
の3点を挙げています。
 終章「『ユニバーサル・ツーリズム』とは何か」では、「博物館との比較という観点で、僕たちが注目しているのが『観光のユニバーサル化』」だとした上で、「僕は『触文化』をキーワードとして、2009年以来、ユニバーサル・ミュージアムの具体像を探る共同研究を積み重ねてきました。一連の共同研究で培った知見を観光に応用することにより、UTを明確に定義できると確信しています」と述べています。
 そして、「一般に視覚障害者は資格情報を得にくいので、バスによる長距離移動を伴う視察が苦手です。可能な範囲でバスを降り、自分の足で現地を歩く。風や音、においを感じながら、触れるものは手で確かめる。これが視覚に頼らない観光の醍醐味でしょう」と述べる一方で、「車いす仕様車はリフト付きバスを利用してもバスの乗り降りに時間と労力を要します」、「視覚障害者の旅行ではガイドヘルパー(移動介助者)の手配が最重要で、それが確保できれば、ホテル、トイレなど、ハード面の心配はほとんどありません。車いす仕様車の場合は、移動経路のチェック、多目的トイレの位置確認など、事前準備が必要です」として、「同じ障害者といっても、視覚障害者と肢体不自由者の特性はまったく異なることに気づきます。視覚障害、車椅子の両方の要望に応えようとすれば、結果的に両者ともに中途半端な楽しみ方しかできないことになるでしょう」と述べています。
 本書は、目が見えないとはどういうことかを当事者の立場から語ってくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔、同じ職場の同僚がやはり全盲で、テキストリーダーと点字キーボードを駆使して書類も遜色なくつくっており、電話とメールでしか接触していない人は彼が目が見えないということを知ったら驚くだろうと思ったことを思い出しました。


■ どんな人にオススメ?

・目に見えない世界を知りたい人。

■ 書籍情報

植物園で樹に登る――育成管理人の生きもの日誌   【植物園で樹に登る――育成管理人の生きもの日誌】(#2836)

  二階堂 太郎
  価格: ¥1,728 (税込)
  築地書館(2017/11/18)

 本書は、一般社団法人日本森林学会の定期刊行物『森林科学』に連載された、著者の経歴である造園会社での仕事や、現在勤務する植物園での実務を通じて見える樹木や自然の事柄を綴ったコラムを書籍化したものです。
 「草の繁茂と戦う」では、「スギナが何度刈っても容易に前の状態に戻る理由は、根が地面から20センチ程度の深さに張り巡らされており、地表で見える各個体はつながっていたから」だと述べています。
 「緑の匂い」では、「5月前、草たちの成長がまさに爆発するその瞬間、目には見えなくとも蒸散によって放出されているものの質や密度に、大きな変化を感じ」、「それが除草の合図」だと述べた上で、「かつて、ある植栽地の除草をした結果、大変苦い思いをした」として、「土壌が乾きやすい性質」であった公園で、「そこでは雑草が、土壌の乾きを抑えるマルチング代わりになっていた」にもかかわらず除草してしまった結果、水不足によって「樹木が枯れ出した」という経験を語っています。
 「夏の強剪定」では、造園会社時代に、「真夏にこれほど強く剪定をしていいんですか?」と親方に質問したが、「いいから早く手を動かせ!」と怒鳴られた経験について、「返答はいつも庭師の本分について」であ ったとして、「家主が庭師へ支払うお金は決して安いものではなく、1年で剪定を依頼できるのは親戚が集まるお盆前の1回だけ。庭師はその機会に、1年分ギリギリ目いっぱいの剪定を間違いなく行うことが求められる」と述べています。
 「季節で変わる街路樹の姿」では、「樹木の剪定でやってはいけないとされることの一つが、次世代を担う枝がない箇所での『ブツ切り』」だとして、「見た目が自然樹形から程遠くなる上に、時にはその個体を死に至らしめ」るが、「街路樹がそのような姿に仕立て上げられてしまう原因はただ一つ、与えられた空間が狭いから」だと述べています。
 「かゆみを起こす虫や植物」では、「毛虫の中で最も恐れるべきはチャドクガの幼虫」で、「この虫の毒針毛は非常に強力で、被害にあった皮膚のかぶれ具合、かゆみのひどさ、治るまでの時間は他の毛虫と段違いです」とした上で、「この虫が恐れられている理由は、脱皮した抜け殻や繭や卵を取り巻く毛にも強力な毒があることです。生きた幼虫がいない枯れ葉であっても、大変危険なのです」と述べています。
 「修行」では、庭師の仕事で主たるものは2つあるとして、
(1)植栽する植物を地域や立地に合わせて選ぶ知識や扱い技術、それらの成長を織り込んだ設計が特殊な庭を作る仕事
(2)除草や剪定、病害虫防除などの後の管理仕事
の2つを挙げています。
 本書は、庭と植物を守る仕事の苦労と喜びを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書がもともと日本森林学会の定期刊行物に連載されていたコラムということで、こういうところに目をつけて書籍にしようと考える編集者はすごいものだと感じました。


■ どんな人にオススメ?

・植物を管理する仕事に関心がある人。

■ 書籍情報

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで   【ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで】(#2835)

  ダルトン・コンリー, ジェイソン・フレッチャー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥3,024 (税込)
  作品社(2018/1/25)

 本書は、「生物学者ではない社会科学者が遺伝学、あるいはゲノミクスを取り上げ、『社会ゲノミクス』を本格的に検討しよう」というもので、「この新たな研究分野が人間について何を明らかにするか、その知見がどう利用でき、人びとにどんな影響を与えるかを論じて」いるとして、
(1)ゲノムの全貌がわかってくることによって、これまで間接的にしかわからなかった遺伝子と結果として現れる形質や行動の関係、環境との関係が、細かいデータと共に直接的につ席、把握できる可能性が開けてきたことの評価。
(2)それでも遺伝と結果として現れる形質や行動の関係を追跡、把握するとはどういうことかという、方法や研究技術の検討、またそれがきちんと実施されているかの検討が必要になるということ。
(3)できるかどうかではなく、してよいかどうかの判断がますます重要になること。
の3点が要所として挙げられています。
 第1章「分子でできた私」では、「不平等の遺伝学がこの本の主なテーマだ」として、「分子遺伝学の情報を社会科学的探求に組み込むことが、不平等や社会経済的成果(個人でも国全体でも)についての議論にどう役立つかを考える」と述べ、その方法として、
(1)生得の、受け継がれた差異が社会的不平等の第一の駆動力であるという主張を正面から取り上げるといくつかの遺伝子マーカー〔遺伝的性質の目印となる、その個体に特徴的なDNA配列〕を取り入れることによって、なお残る社会的不平等が鮮明に浮かび上がる。
(2)遺伝子型がプリズムのように作用し、平均的作用という白色光を屈折させ、虹のように色を分けて、相異なる効果や結果としての表れの違いを明瞭に観察できるようにすることを示す。
(3)一般の人々が自身の(あるいは他人の)遺伝子データを把握するようになると、公共政策は前述のような新たな情報を取り上げなければならなくなると考える。
の3点を挙げています。
 そして、「データからは、有性生殖の仕掛けなどの遺伝学的な作用が、既存の不平等の社会的再生産を強化するのと同じくらい(以上ではなくても)、そうした不平等をひっくり返すことがわかる」と述べ、「この分子レベルでのまぜあわせ」を生じさせる2つの主要な力として、
(1)遺伝子の特徴は配偶者同士でいくらかの相関はあるものの、その相関は弱く、ある人の遺伝子が分布の一方の極にあっても、子を残すための交配相手を求める際に大きく薄められたりリセットされたりする。
(2)結果的表れが特定の対立遺伝子の組み合わせ(顕性〔従来の『優性』に代わって用いられる訳語〕あるいはエピスタシス〔非対立遺伝子間の相互作用〕と呼ばれる)に依存する分、交配は極端な遺伝子型をなくす。
の2点を挙げています。
 著者は、「本書は遺伝学の新しい発見が私たちの社会的不平等の理解にどう資するかを問う。私たちは文献を調べ(私たち自身の研究も含め)、知見を総合し、問題を浮かび上がらせ、新しい仮説を示し、多くの推測を巡らせる。新しい遺伝学の発見が、破壊的でもあり、形質転換的でもあることを明らかにする。実際、こうした発見はしばしば既存の社会的過程の認識をひっくり返す。それはまた、私たちの遺伝子の作用についての今の理解にどれほど限界があるか、私たちの遺伝と環境の影響を明瞭に区別しようとする試みがどれほどハードルが高いことかも明らかにする」と述べています。
 第2章「遺伝率の耐久性」では、社会学者のスーザン・メイヤーが「貧困研究会全体の前提に異を唱え」、「所得が子の一生の可能性に対して及ぼす影響の推定は、従来過大に言われたことを示した」ことについて、「親から子へ伝えられるものが、いわゆる素朴な統計モデルでのこうした過大な推定を生み出しているに違いない」とのべ、「メイヤーが正しければ、ありそうな説明」として、
(1)親から子への知識と習慣の文化的伝達が、経済の中での生産性を上げ、さらには従来型の経済的成功をもたらすのかもしれない。
(2)貧しい(あるいは裕福な)子は、世代ごとに、改めて家庭の外で環境の障害に出会うということ。
(3)貧困層にある親の生産性は、富裕層にある親よりも低く(だから貧困層は貧困なのだ)、さらに、この差は遺伝子に織り込まれていて、子に大いに伝えられるということだ。
の3点を挙げています。
 また、「双子に形質――身長など――の遺伝成分について語ってもらうためには、一卵性双生児と、それほど劇的ではない同性の二卵性双生児との両方を使って、一つの形質が3つの成分に分けられるACEモデルと呼ばれるものを推定する必要がある。Aは相加的(アディティブ)遺伝率(つまり遺伝の成分)、Cは共通(コモン)(共有)環境(つまり家庭環境とか近隣環境のようなきょうだいが共通にさらされるもの)、Eは独自の、あるいは共有されない環境(エンバイロンメント)(学校の担任が違う、出会う友人が違うなど)を表す。形質の変動=A+C+Eとなる」として、「一卵性双生児では遺伝子は100パーセント共通だが、二卵性双生児は、平均して半分だけが同じとなる。つまり、一卵性双生児が互いに似ている程度は二卵性双生児の場合よりも大きいことが、遺伝がどれだけ関わっているかを示し、その形質の遺伝率(あるはとくに相加的遺伝率)と呼ばれる」と述べています。
 第3章「遺伝率がそれほど高いなら、どうしてそれが見つからないのか」では、「後から見れば、性的指向やIQの遺伝子、あるいは遺伝子群を見つけようと科学者が思うのは馬鹿げていた。社会生活は眼の色(これには3つの遺伝子が作用している)よりも果てしなく複雑なのだ。身長(80~90パーセントは遺伝する)のような生物学的に決まることさえ小遺伝子集合的(ポリジェニック)だ――つまり個別には影響の小さい遺伝子が何千と合わさって影響する。そして身長でさえそれほど多くの遺伝子に影響されるなら、社会的行動ともなれば、人類に知られている遺伝子のほとんどすべてが関わっているに違いない」と述べています。
 そして、「何十万、何百万というマーカーを測定することの利点の一つは、研究者が集団層別化を抑制できることだ。祖先が共通であるせいで同じ違いを見せる傾向があるマーカーを抽出することによって、残りのマーカーが、箸使いの例にあったような共通の文化を反映しているだけというのではなく、注目する結果の表れに沿って違っていて、実際にその表現形をもたらしていることを確実にすることができる」と述べています。
 また、「最近では、獲得形質の遺伝というラマルクの考え方が、エピジェネティクスという新興分野で復活してきた。とくに言えば、DNAコードに加えて、第2のエピジェネティクなコードがあって、これによって細胞は組織タイプが異なれば、異なる時期に、異なる条件や刺激に応じて、遺伝子のスイッチを入れたり切ったりできる。これまで長い間、このエピゲノムは、一個の細胞が個体全体になれるようにするために、各世代できれいになくなる――新規巻き直しのようなもの――と考えられてきた。ところが今は、エピジェネティック・マークは遺伝されるのではないかと思う科学者がいる。もしそうなら、遺伝子の典型的な分子的尺度――塩基のみを見て、エピジェネティック・マークを見ない――は、この重要な遺伝形式を見落とし、欠けている遺伝率問題を生むことになる」と述べています。
 第4章「アメリカ社会での遺伝子選別と狂騒」では、「『ベルカーブ』を本格的に取り上げ、その中心にある3つの命題を経験的に検証する」として、
(1)命題1 遺伝子として与えられているものの作用は、能力主義的社会の台頭により時間とともに増している。
(2)同類交配の過程を通じて、認知面での遺伝子型による階層化が強くなっている。
(3)社会は知能に不利になるような淘汰をしている。能力が低い人の方が、認知能力が高い人びとよりもこの数が多くなる傾向がある。
の3つの命題を挙げています。
 第5章「人種は遺伝か?」では、「アフリカからの移住の際の『ボトルネック』は、今日の人口集団間の大陸系統に関する最も根本的な遺伝子的断絶を生んだ。アフリカ人と非アフリカ人の間の遺伝的多様性の量の違いだ。実効的交配人口が小さければ、一部の遺伝子多様体は『固定』によって消滅してしまう可能性が高い。つまり中立進化説は、淘汰圧がなければ、集団における遺伝子マーカーは偶然によって上昇したり下降したりすることを説く。集団が大きければ、しかじかのマーカーがある世代で偶然に消えるというのはありそうにない。しかし小規模な集団では、そうなる可能性はぐっと高まる」と述べています。
 そして、「政府による流布した人種の定義は、実際の遺伝子分析とは整合しない根拠薄弱な社会的構成物であることを論じてきた。しかし、明瞭な遺伝子的特徴のある大陸系統の概念が生物学的に実在することも認めている」として、「DNA判定で多くの白人が、自分もアフリカ系につながっていることを認識し、多くの黒人が自分のヨーロッパ系民族起源を発見すると、一滴ルールは崩れ、人種による二分割は和らいで、もっと複雑な細かい混合ということになりうるだろう」と述べています。
 第6章「諸国民の富」では、「国の繁栄と停滞についての制度論的説明と地球物理学的説明の違いは、豊かな国々、非営利的団体、状況を気づかう世界市民を困らせる。豊かな国々の多くは、人々が貧困から脱出するのを助けることを道徳的な義務だと思っている。豊かな国々はインフラを建設したり、現地の工業や農業を支援したり、教育を普及させたり、統治構造を築いたり、現金と食糧を送ったりしようとする。しかしこの努力は、成否半ばするところと経済発展を決める必須の因子に関する声高な異論によって、ひどく混乱している。実際、地理歴史と制度の役割が整理されるにつれて、経済発展、制度、地理の交差に関心を抱く経済学者は、こうした大きな理論を増補しそうな集団の別の面を調べるようになった。それが集団遺伝学だ」と述べています。
 そして、クヮムルル・アシュラフとオーデッド・ガローが、2013年に発表した論文で、「諸国内部の遺伝子の多様性が所得を高め、成長曲線を良くするような『ちょうどよい(ゴルディ・ロックス)』(高すぎも低すぎもしない)水準がある証拠を提示した」として、「遺伝的多様性が低い多くの国(今のボリビアのように先住民が主の国々)と、遺伝的多様性が高い集団(アフリカのサハラ以南各国など)の多くは経済成長率が低いが、遺伝的多様性が中間(つまり『ちょうどよい』――ヨーロッパやアジアの集団)の国々の多くは、植民地改善にも現代同様高い発展の水準にあったことを見てとった」と述べています。
 また、「集団遺伝学の役割とその歴史的時間を通じた環境資源との相互作用を考えるようになった経済学者は他にもいる。そうした研究者は、集団遺伝学の一定の面が各国の成長パターンの違いにどう作用するかに関心を抱くが、遺伝的多様性の『最適』水準を定めるのではなく、私たちのゲノムの具体的な配列を調べ、時間が経つうちにゲノムに明瞭な変化が生じ、その環境が別の集団に有利になったのかを問う」と述べています。
 第7章「環境の逆襲」では、「環境と遺伝的因子の相互作用について理解すればするほど、私たちは、ある遺伝子多様体を持っていたり、特定の環境にさらされたりすることの平均的効果だけに注目していると、話の多くを見逃すことがわかっている。遺伝的因子は、環境がどう私たちに影響するかをフィルターにかけて屈折させることができるので、赤の錠剤は遺伝子多様体Aを保有する人々には優れた効果を見せるが、遺伝子多様体Bを持った人には聞かないということもありうるだろう。しかし同時に、遺伝子多様体Bを持った人にとっては、赤の錠剤は青の錠剤よりも悪くなっているが、全体としての平均的治療効果は遺伝子型による差がゼロということになるかもしれない」と述べています。
 そして、「遺伝子-環境相互作用の領域では、研究者は所得――さらにはもっと一般的に物質的困難の減少――は、子どもの生物学的、遺伝的『資質』によって、影響が異なるかを考えるようになりつつある。確かにこの見方を支持する予備的な証拠が得られつつある」と述べています。
 結論「ジェノトクラシーはどこに?」では、「万人への政策(あるいは的を絞ったものでも)への応答が遺伝子的に差があるという実態は、個人の遺伝子型を測定してもしなくても存在する。しかしポリジェニック・スコア(ベトナム調査での教育スコアのような)を意図的に用いて人々をそれぞれの環境にうまく分類することは、まったく別のことだ。第一に、倫理的問題を別としても、そうしたスコアの根底にある因果的構造は理解されていない」と述べています。
 本書は、遺伝子学の研究の成果を社会科学としても無視することができなくなった時代の意欲的な一冊です。


■ 個人的な視点から

 過去の「優生学」の反省からか、遺伝の影響を過小に捉えがちな傾向もある反面、個々人の能力の大半は遺伝で決まってしまうかのように過大に考える人もいて、社会における遺伝の影響を正しく議論できるための仕組みなり何なりが必要なのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・遺伝と社会の関係を考えたい人。

■ 書籍情報

重力波 発見!: 新しい天文学の扉を開く黄金のカギ   【重力波 発見!: 新しい天文学の扉を開く黄金のカギ】(#2834)

  高橋 真理子
  価格: ¥1,404 (税込)
  新潮社(2017/9/22)

 本書は、「宇宙がニュートンの方程式ではなくアインシュタインの方程式で支配されていることを示す明快かつ直感的な証拠」である重力波について、「数式抜きに重力波の姿を浮かび上がらせ、観測成功までの苦闘を明らかにして」いこうとするものです。
 プロローグでは、重力波は、「電磁波」とは「仲間はずれの、まったく別の波」であるから、「電磁波が通れない場所も通り抜けられる」ため、「今まで『真っ暗』でしかなかったところが見えてくる可能性がある」と述べています。
 第1章「重力波とは何か」では、「歴史に最大級の影響を与えたのは、何といっても運動と重力の理論である。それは、天上世界と地上世界を統一し、数学の威力を見せつけ、そして空間と時間に対する人びとの認識を作り替えた。いや、作り上げたといったほうが正確かもしれない」とした上で、「1905年にスイス・ベルンの特許審査官アルバート・アインシュタインが発表した特殊相対性理論は、『ニュートンが確立した力学』と『マクスウェルが確立した電磁気学』を統一的に考えようとして生まれたものだった」と述べています。
 そして、「約60年前の物理学のベストアンサー」は、「重力波は検出できそうにないし、相当長い将来にわたって可能になるとも思えない」「重力波は実在するのかについて、現時点で合意された見解(コンセンサス)はない」というものであったとしています。
 第2章「宇宙とは何か」では、「連綿と引き継がれた『理性の力』は、幾多の困難を乗り越えて到達した重力波の初観測にもはっきり見ることができる。エピクロス、ルクレティウス、中世のブックハンター、ジョルダノ・ブルーノという流れの先にニュートンがいて、アインシュタインがいて、重力波検出のために奮闘した現代の何千人もの人々がいる」と述べています。
 第3章「時間とは何か」では、「古代ギリシャではきわめて早い時期から時間を数量としてとらえる発想があった」ことに注目すべきだと述べた上で、「その後の西欧では時間を数値化してとらえる発想が途絶えてしまった」としています。
 そして、「すべての人にとって共通な客観的な時間こそ『本当の時間』であり、それは運動論的な時間、つまり物理的時間だとおそらく誰もが思っているだろう。そして、もう一歩進めると、私たちのほとんどは物理的時間とはニュートンの言う絶対時間だと思いこんでいる」が、「重力波が現実に観測されたということは、その思い込みが間違っていたことを示す。『本当の時間』はニュートンの絶対時間ではなく、アインシュタインの相対性理論から導かれる時間なのである」と述べています。
 第4章「時空とは何か」では、「太陽の周りを回る地球は同じ速さで動いているが、方向はいつも変わってる」理由として、「ニュートンは太陽が地球を引っ張っていると考えたわけだが、アインシュタインは地球周辺の重力場の一番進みやすいルート(測地線)を地球が進んでいると考える」と述べ、「こうした重力場を導き出す方程式がアインシュタイン方程式である」としています。
 「そして、重力波の観測成功は、想像を絶する精密技術を人類が自家薬籠中の物にしたということを意味する。その超精密技術は、重力波観測以外のことにもこれから使われていく。それが人類の認識を、さらにいえば脳のOS(オペレーションシステム)を変えるのだろうか」と述べています。
 第5章「見つからなかった重力波」では、米国のLIGOのグレードアップ改造工事が完了し、2015年9月18日からのアドバンストLIGOの正式運転を前にした慣らし運転のさなかである9月14日に「理論予想にドンピシャリの信号が飛び込んできた」ことについて、「幸運」と捉える論調もあったが、アドバンストLIGOは、「十分に準備して、2016年1月までの最初の観測運転の間に1個見つかっても良い感度に設計してあった」からこその発見であったと述べています。
 第6章「追いかける日本」では、「あとから参入する人は先に進んでいる人に教えを請い、先に進んだ人はあとからくる人に快く教えるのが、『ふつうに考えたらとても検出できそうにない』重力波検出に挑む人びとの文化になっていたのだろう」と述べています。
 エピローグでは、「研究者たちが目指しているのは、重力波で天文学をやることだ。天文学の第一歩は、天空のどこで何が起きたかを知ること。重力波発生源の場所を知るには、3つ以上の干渉計による同時観測が必要だ」と述べるとともに、「もう一つの目標が、幅広い周波数帯を観測できるようにすることだ」と述べています。
 本書は、重力波というフロンティアに挑む科学者の姿を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 科学の世界の出来事を一般向けにわかりやすく解説するというのはやっぱり難しく、特に「重力波」という概念自体を解説することが難しいので、こういう場合は大変です。


■ どんな人にオススメ?

・世界で起きている科学の出来事を知りたい人。

■ 書籍情報

ニュータウンの社会史   【ニュータウンの社会史】(#2833)

  金子 淳
  価格: ¥1,728 (税込)
  青弓社(2017/11/28)

 本書は、「ニュータウンを構成する地域社会の側に軸足を」置き、「地域社会の立場にたって、地域の人々がどう考え、どう行動したのか、その具体的な様相をひもとき、記述して」いこうとするものです。
 第1章「病理と郊外」では「日本でニュータウンという存在が時代とともに変化を遂げてきた」として、「高度経済成長期にニュータウンが誕生し、新しいライフスタイルとして『あこがれ』の要素が付加されていた時期と、その後少子・高齢化が急速に進んで対応策に苦慮している時期とでは、当然その評価やイメージも大きく異なる。それだけ日本のニュータウンは、時代とともにその姿を劇的に変化させてきた」と述べ、「ニュータウンのイメージとしてすぐに想起されるような『人工都市』『オールドタウン』あるいは『病理』などのイメージは、いずれも現実のニュータウンという存在の一面を捉えているのは確かではあるが、それだけでは適切とはいえない」としています。
 そして、「ニュータウンという言葉には広義と狭義がある」として、広義のニュータウンとは、「規模や開発主体にかかわらず何の制限もなく自由に名付けられた、郊外に立地する新興住宅地全般を指す」が、狭義のニュータウンの条件として、
(1)都道府県や市町村、あるいは公団や住宅供給公社のような公的セクターが主体となって開発していること。
(2)新住宅市街地開発法や土地区画整理法のような何らかの法的根拠によって、計画的な開発手法が規定されていること。
(3)数―数十の住区によって構成され、ある程度の規模があること。
の3点を挙げています。
 また、「多摩ニュータウンは日本最大のニュータウンであり、しかも長期にわたって継続的に開発が続けられてきた国家的なプロジェクトでもあった。したがって、現代社会が直面する様々な課題が集約的かつ典型的に現れやすいという特徴をもつ」と述べています。
 第2章「開発と葛藤」では、多摩ニュータウン成立の出発点の一つとして、「1960年から始まった東京都による大規模宅地開発計画」を挙げ、「この計画の内容を検討してみると、のちに放棄されることになるにせよ住宅地と農地が共存するあり方が模索され、少なくとも純農村→住宅街という単線的な変化では捉えられない側面が多いことに気づく」と述べた上で、「東京都が進めていた多摩ニュータウンの前段階での計画案では、緑地が多い市街地を育成するだけでなく、農地も保全していくことが想定され、市街地化と農業経営を同時に実現させることが目指されていた。ところが、のちにこの計画が新住宅市街地開発法(新住法)という法律に飲み込まれることによって、農住一体の考え方は破綻をきたし、大きな転換を余儀なくされている」としています。
 そして、「新住法の最も大きな特徴は、強制力をもって開発用地を取得することができる点である。新住法では、強制力をもって開発用地を取得することができる点である。新住法では、土地所有者の意向を確認せずに開発区域の指定ができ、開発施行者には土地収用法の適用が認められるとともに、土地建物を売り主から優先的に買い受けられる権利(先買権)も付与された」と述べています。
 また、「多摩ニュータウンの開発は、まさに地元の農家が先行きを案じていたまさにそのさなかに降りかかってきたものであり、それが山林売却へと導くインセンティブにつながったのである」と述べています。
 さらに、「反対運動を沈静化させた施行者は、その後も用地買収を精力的に進め、比較的短期間のうちに用地を取得していく」として、その“成功”の要因として、
(1)先行買収が比較的順調に進展していったこと。
(2)途中で土地区画整理事業との併用方式へと計画が変更されたことが、農民の新住事業に対する反発の方向性を拡散させる役割を果たしたこと。
(3)買収交渉にあたって、税の優遇措置を強調する一方で、土地収用法の存在をちらつかせるという「アメとムチ」を巧みに使い分けていたこと。
の3点を挙げています。
 第3章「実験と抵抗」では、「交通難によって都心と隔絶され、住民が不便な生活を強いられる状況は、『陸の孤島』と揶揄的に形容された」とともに、「実験」という言葉によって表現されることも多かったと述べています。
 そして、この「実験の主体」について、「いくつかの立場に分けられる」として、
(1)都市計画に関する基本的な方針を立案し、マスタープランや都市施設の整備計画などを作成する開発事業者・施行者・都市計画者。
(2)ニュータウンを構成する住宅や後援など、より詳細に各都市施設の意匠・設計を担う建築家や建築デザイナー。
(3)街づくりの主体としての住民。
の3点を挙げています。
 そして、「一般に団地が建設されると人口が増加し、地元の商業も活性化し、財政が豊かになっていくという認識が生じやすいが、多摩ニュータウンに限らず、むしろ実態はその逆だった。開発が進むと、人口の流入が一時的かつ大量に行われるため、地元自治体では道路、学校などのインフラ整備に多額の支出を迫られた」として、「首都圏を中心に開発抑制に動く自治体も続出し、ついには団地建設中止を申し入れる自治体も現れるようになる」と述べています。
 また、「多くの都市機能が未整備の状態で入居が開始されたため、入居者は大変な不便を強いられた。こうした“初期不良”の状態を克服するために、住民たちが結束し、それらを補う、あるいは自分たちで解決するという営みが開始されていく」として、「自主運行バス」や、「なかよし文庫」などの活動を挙げています。
 第4章「移動と定住」では、「住宅双六」について、「社会階層と居住地移動の二面線を内包するものとして捉えられるが、この構造は人の移動そのものに対しても当てはまる」と述べています。
 そして、「1970年代の時点で、『流動性の高い』『根無し草』である地方出身者が、いったんは東京都心部もしくはその近郊に居を構え、その後、幾度かの抽選を経て多摩ニュータウンにやってくるという、まさしく『住宅双六』のプレイヤーとしての典型的な『新住民』の姿だった」と述べています。
 第5章「断絶と継承」では、「旧住民と新住民は、開発に伴って混住化していくことになるが、混住化の進展の過程では、双方の間でコンフリクト(対立・衝突)が生じることも多い。ところが皮肉なことに、このようなコンフリクトの存在があって、初めて開発前のことが新住民の中で意識化されるという側面もある」と述べています。
 そして、「落合白山神社の移転の事例を見てきてわかることは、開発を契機に歴史への関心が芽生え、既存の地域社会が再確認されていったことである」と述べています。
 著者は、「多摩ニュータウンは、決して『何もないところ』に忽然と姿を表したわけではない。これまで詳しく述べてきたように、開発前にも地域社会が確実に存在し、固有の歴史や伝統があった。とすれば、このような旧来の地域社会とニュータウンとの間で歴史を共有し、歴史を仲立ちにしたオープンなコミュニケーションの場を構築していくことこそ、これからの多摩ニュータウンには求められているといえるだろう」と述べています。
 本書は、日本最大のニュータウンがその背後に抱えている歴史に光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 多摩ニュータウンはその最大のものであろうとしても、それ以外にも東京近郊には様々にニュータウン的に華髪された住宅地がひしめいており、そうした土地でのこの数十年の大金社会の変化を記録していくことは重要だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・過去数十年の開発の歴史を振り返りたい人。

■ 書籍情報

ゼンリン 住宅地図と最新ネット地図の秘密   【ゼンリン 住宅地図と最新ネット地図の秘密】(#2832)

  内田 宗治
  価格: ¥1,728 (税込)
  実業之日本社(2014/5/29)

 本書は、「北は北海道最北端の稚内から南は沖縄県南端の波照間島まで、合計約2100冊(タイトル)が発行されている」ゼンリンの住宅地図について、その調査方法やネット時代の新しい地図の活用方法などを解説するものです。
 「はじめに」では、ゼンリンの住宅地図は、「すべてローラー作戦的に調査スタッフが現地を足で歩いて調べている。すべての家を訪ね、表札の調査や聞き込みをするといった『超アナログのやり方』で多なっている」と述べています。
 第1章「『住宅地図の不思議』解明編」では、調査する内容として、「表札や、ポストに書かれている居住者の氏名、家形、塀、店名・事業所名称、建物名、車道(一方通行のような情報)、歩道の有無、バス停名、駅や鉄道線路の状況など」を挙げた上で、「調査方法と道具」として、
・通常は、徒歩ですべての道を行く。住んでいる家があるところなら、山の中でもどこでもいって確認するため、山間部やその近くなどではクルマを使う。
・調査図面は、紙の地図のみ。
・筆記用具はボールペンと色鉛筆。
を挙げています。
 また、住宅地図の歴史として、昭和24年6月に、大分県別府市で華交観光協会から発行された小冊子『年刊別府』に付録としてつけられた「別府市街全図」が圧倒的に評判が高かったことから、華交観光協会は翌年、善隣出版社と社名変更し、『観光別府』を発行。創業者である大迫将冨氏が税務署の知人から「一軒一軒の店まですべて載った地図があれば、税務署としてもぜひ欲しい」という話を聞いたことから、昭和27年6月に、善隣出版社の住宅地図第1号である『別府市住宅案内図』が発行されたと述べています。
 そして、昭和30年代に住宅地図の需要が急増した社会変化として、
(1)農村から都市への人口の流入
(2)商店の商売方法の変化(配達の開始)
(3)「三種の神器」の出現で月賦の集金人という職業が登場
の3点を挙げています。
 さらに、「善隣出版社が同業他社より有利だった点は、いち早く住宅地図事業を始めているため、人材・ノウハウなどのスケールメリットがあったこと、それに住宅地図の欄外や巻末に広告を載せていること、自前の印刷工場をもっていることだった」と述べた上で、「昭和55年1月1日をもって、長年のライバル関係にあった日興商事の地図部門である日興出版を合併」し、「『国盗り物語』の全国統一が叶った」と述べています。
 昭和57年1月には、コンピュータ化の推進が決定。その理由は、「デジタル化によるデータベースの構築ではなく、いわば品質の安定を保つための自動作図システムの導入というのが興味深い」と述べています。
 また、東日本大震災時には、「災害発生直後から、被災地で住宅地図がどう使われ、またゼンリンが自治体や警察、消防、自衛隊などからどういう要請を受け、その後、復興に向け、どういう調査をして住宅地図を再び作っていったかを追ってみると、現代における住宅地図の役割、今後に向けての方向性が、さまざまな形で浮かび上がってくる」として、「東日本大震災が起きた時、現地で求められたものは、一軒一軒の情報が載った『紙の住宅地図』だった」としています。
 第2章「日本の面白住宅地図ネタ編」では、「一般に廃線跡は、山間部では築堤や切り通しの線路敷がそのまま残っている部分が多いが、田舎でも平地部分はアスファルトの一般道路やサイクリングロードなどになり、そうした場所は、廃線跡としての情緒も失われている」として、「都市近郊の場合も、徒歩散策路や、住宅地、工場などになり、廃線跡としての風情が残る場所は極めて稀である」と述べています。
 第3章「『カーナビ地図の進化を追う』編」では、「昭和61年、カーナビで使う地図の統一フォーマットの作成とカーナビの普及を目的に、三菱電機をゼンリンが中心となって、ナビゲーションシステム研究会(通称『ナビ研』現・『ITナビ研』)が発足した」として、「これを景気にゼンリンは、カーナビの事業に、本腰を入れて取り組むこととなった」と述べています。
 そして、「大手メーカーの方たちは、北九州の小さな地図会社と組むことに最初は不安を抱くようです。しかし、実際に当社に来られて地図制作の現場をご覧になると、『こんな細かい手間のかかる作業は、とても我が社にはできない』と納得され、安心して帰って行かれます」と述べています。
 また、道路ネットワークデータを取得するための調査車両の一つである「細道路計測車両」について、「計測に使うのは軽自動車で、現在全国に60台以上が可動している。ルーフの上に水平方向360度全方位カメラが乗っているのがまず目につく。横向き5面、上向き1面、計6つのレンズを備えがデジタルカメラで2.5メートル走るごとに撮影していく。GPS受信機やジャイロ、さらに走行距離を測る機器も搭載している」と述べています。
 第4章「クラウド、ビッグデータ時代の地図」では、「安全・安心の『交通事故ゼロ社会』、渋滞緩和で、快適なドライブと省エネの実現」のための地図の新しい役割として、
・人には見えない地図、クルマが読み取る地図づくり
・ナビゲーションするだけの地図から、クルマの制御もする地図づくり
を挙げています。
 本書は、すでに社会インフラとなった住宅地図をめぐる歴史と秘密を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 初めて住宅地図を見た時には、これどうやって作ってるんだろうということが想像できませんでしたが、まさか全部人間が回っているなんて驚きました。


■ どんな人にオススメ?

・住宅地図にお世話になった人。

■ 書籍情報

ダルク 回復する依存者たち――その実践と多様な回復支援   【ダルク 回復する依存者たち――その実践と多様な回復支援】(#2831)

  ダルク (編集)
  価格: ¥2,160 (税込)
  明石書店(2018/6/7)

 本書は、「1980年代、まだ日本の社会が薬物依存問題に不寛容だった頃、何人かの当事者が自分たちのために」作った「場」である「DARC(ダルク)」について、「作り上げてきた資産と負債をもう一度見直し、良いものは良いものとして再認識し、改めるべきは改めていく」ことをテーマとしたものです。
 第1章「これからの回復支援――ダルクの向かう未来」では、「やめた人間が回復者で、うまくやめ続けられない人間は怠惰だ」と決めつけるところには、「病んだ人に対する寛容さはないように」思うとして、「アディクション(依存症)とは病気である」と述べています。
 第2章「私たちの回復とは」では、「世間では、単純に薬物を使っていないことが成功であり、長期間の断薬で回復と考える人が多いが、長期間使っていなければ回復したというものではない。回復は一生続くものであり、今日だけ薬物を使わず依存と向き合いながら生きることがより重要なことであり、回復の過程での再使用は、単なる失敗というわけではなく、そこから学びさらなる回復のチャンスとなればよいのである。私たちには、少しずつ悪化した社会的、身体的、精神的、霊的(スピリチュアル)な部分の回復が必要なのだ」と述べています。
 そして、「ダルクの基本的なプログラムは、NAをモデルにしたミーティングを1日2回(午前、午後)とNA(夜)への参加である。ミーティング(60~90分)では『言いっぱなしの聞きっぱなし』で、討論はしない。司会は断薬期間の長い利用者やスタッフが交代で行い、司会者がテーマや話題を決める。参加者は車座にみんなの顔が見えるようなかたちで座り、話したい人や指名された人がテーマに沿って話をする」と述べています。
 第4章「回復の役割」では、「東京都に対しては『薬物依存の回復支援』の新たな枠組みを作ってもらうよう何度も働きかけをしてきた」が、実現することはなく、唯一横浜ダルクが横浜市から「障害者の福祉作業所」としての認定を受け助成を受けることができたことについて、「これは、ダルクにとって画期的なことでもあり、ダルクが全国に広がっていゆく一つのきっかけとなった出来事だった」と述べています。
 そして、2013年に、「障害者に対する法律が変わり、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存が障害として認められることにより、ダルクの在り方も大きく変わってきた」として、「2013年以降は、障害者総合支援法の下、ダルクは他の障害者施設と同様、条件を満たし基準をクリアすれば『障害者福祉施設事業所』として認可されるようになったのだ」として、「運営面において安心してダルクを続けられる状況が整ったことは喜ばしいこと」であるとともに、「薬物依存が障害と認められ、回復の支援を受ける権利を獲得することができたことで、今まで誰にも相談できずに苦しんでいた人たちも回復のチャンスを手に入れることができるようになった」と述べています。
 第5章「ダルクの独立性」では、ダルク創設者・近藤恒夫の流儀として、
(1)ダルクに来たいのであれば、どんな人でも受け入れる。
(2)回復する人が出てくるだけでいい。
(3)自分が生きて他人を生かせの精神。
(4)薬をやめる自由と使う自由がある。
(5)来るもの拒まず、去るもの追わず。
(6)世間に相手にされていなかったことが良かった。だからこそ自由に活動ができた。
の6点を挙げています。
 そして、「近藤はダルクを創った理由の一番として『薬物依存者の回復のためではなく、自分の回復のために仲間が必要だった』と言っている。また、仕事ではなく、あくまで自分の回復のために責任者やスタッフという『役割』が与えられているとも言う」としています。
 第6章「初期施設でのプログラム――藤岡モデル」では、「現在、ダルクの数は国内外含めて80を超えるが、各ダルクによって様々な特色を持っている」とした上で、藤岡ダルクについては、初期施設としての役割から、
(1)生活訓練(生活の安定および訓練、生活習慣全般の改善)
(2)プログラム(薬物及びアルコール依存症に対しての動機付けおよびプログラムへの取り組み)
(3)就労支援(就労前の準備支援及び就労支援)
の3点に重点を置いているとしています。
 また、「ダルクでの生活ではできるだけ十分な食事を提供している」理由として、「薬物依存の特徴としてHALTと言われるもの(Hungry=空腹、Angry=怒り、Lonely=孤独、Tired=疲れ)が薬物の再使用に大きく関わっていると知られている中で、日常的にお腹が減らないよう配慮している」と述べています。
 第7章「回復支援施設における階層式プログラムの実践」では、「栃木ダルクの大きな特徴として、米国の治療共同体を参考として回復に階層を取り入れたプログラムの運用がある」として、「プログラムは12Step(NA・AA等)を噛み砕いたものが3段階に分かれており、回復の度合いに合わせてステージ1~3へと進んでいく仕組みであり、全プログラムの基礎となるものである」と述べ、ステージ1は「導入期」として、
(1)依存症を認める。
(2)プログラムを信じる。
(3)プログラムに任せる。
という回復の動機づけをしていく段階。ステージ2は「回復期」として、
(4)過去の整理。
(5)問題の本質を探る。
(6)欠点を取り除く。
(7)処理できない問題を手放す。
(8)回復生活の準備。
という回復をより確かなものにしていくという段階。ステージ3は「社会復帰期」として、
(9)行動の変化。
(10)実行し続ける。
(11)他者への配慮。
(12)健康的な生活の継続。
という社会復帰後の回復継続という段階に分かれていると述べています。
 そして、「栃木ダルクの考える回復は一側面ではない。認知の歪みを変えていくという大きな目的に合わせ、依存症からの回復・社会性の獲得・生活力の向上という3本の柱のどれを失ってもバランスの悪いものになってしまう。これら3つが一体となって社会復帰に向けて回復支援を行っていくということが大切である」と述べています。
 第10章「医療との連携」では、「千葉ダルクは開設当初から下総精神医療センターと連携をとってきたわけであるが、センターでは最近は前述した条件反射制御法の入院治療がメインで、そこの第10病棟のクライアントも、条件反射制御法の対象となる、依存症以外の病的な性衝動をもつ者やストーカー、クレプトマニア、リストカット、摂食障害、そして一部PTSDをもつ者などの占める割合が大きくなっている」と述べています。
 第11章「地域福祉との連携――重複障害の視点から」では、「ダルクにおいては、薬物以外の障害を持つ人がそれを持たない人の中で劣等生として描かれてしまうことがないよう、十分な配慮が必要である。既存の回復概念(Dominant Story)から抜け出し、多様な回復の物語(Original Story)を認めることが必要である。薬物をやめることを基準に何かができるようになること(それは仕事であったり、ダルクを出ることであったり)が回復といった価値観が強いと、一部の人達を追い詰めることにもなる」と述べています。
 本書は、当事者たちが自分自身を救う場として試行錯誤を続けてきた30年余りの年月を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 薬物中毒の状態から立ち直ろうとするのは相当大変で、世間からの目も当然冷たく、それだけに自分たちの力で立ち直ろうと無理をせず取り組んできたことが評価されているのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・薬物から立ち直りたい人。

■ 書籍情報

現代1 日中戦争期から高度成長期(1937-72) (岩波講座 日本経済の歴史 第5巻)   【現代1 日中戦争期から高度成長期(1937-72) (岩波講座 日本経済の歴史 第5巻)】(#2830)

  深尾 京司, 中村 尚史 (編集), 中林 真幸 (その他)
  価格: ¥4,104 (税込)
  岩波書店(2018/1/27)

 本書は、「11世紀から21世紀にいたる長期的な経済発展の歴史を、統一的かつ数量的に捉えなお」すことで、「日本の経済社会はいつ頃に形成され、経済成長はいつ頃に加速し始めたのだろうか。経済成長の仕組みは、どのように変化してきたのであろうか」という問いに答えようとする講座のうち、日中戦争から高度経済成長期にかけての時期を取り扱ったものです。
 序章では、「戦時中に重化学工業(金属、機械器具、化学)の設備が大きく拡張される一方で、繊維をはじめ軽工業の設備は、戦時中の企業整理によって大幅に縮小された」ことについて、「戦時に拡張された重化学工業の設備は、戦後へと受け継がれていくことになる」と述べるとともに、「戦時中に導入された諸制度もまた、戦後に引き継がれた」として、「軍需会社と金融機関を結びつける『軍需会社指定金融機関制度』は、戦後の金融系列の源流となったし、政府と企業の関係もまた密接となったが、このときに政府が導入した『行政指導』の慣行は戦後にも存続した。さらに、健康保険制度は1938年にその対象が拡張され、41年には労働者年金保険法が成立するなど、戦後へとつながる社会保険制度が導入された。同じく41年に食糧管理局設置とともに導入された『食糧管理制度』は、地主の支配力を弱める効果を持ち、戦後の農地改革を準備することになった」と述べています。
 そして、戦後期について、「日本経済に影響を与える3つの大きな出来事が生じた」として、
(1)限られた資源を石炭と鉄鋼の生産に集中的に投入し、供給不足解消を図る傾斜生産方式の導入
(2)インフレの解消と日本経済の自立化を急速に進めるべく、超均衡予算を柱とするデフレ政策、すなわちドッジ・ラインの実施
(3)朝鮮戦争によって生じた特需による大きな恩恵を被る
の3点を挙げています。
 また、「高度成長期(1955-70年)における労働生産性上昇の最大の源泉は非第1次産業を中心とする各産業内でのTFP上昇、第2の厳選は労働者1人当り資本ストックの増加、第3の源泉は第1次産業における労働投入シェアの大幅下落を中心とする労働の産業間資源配分の効率化であり、この3つの要因がマクロ経済の労働生産性を、それぞれ80%、49%、16%上昇させた」と述べています。
 さらに、「高度成長期における日本の政府は、支出・収入両面で『小さな政府』としての性格が色濃く、しかも財政収支は黒字基調となっている」という特徴をもたらした要因として、
(1)GHQの経済顧問ジョセフ・ドッジの勧告によるドッジ・ラインによって均衡財政原則が打ち立てられたこと。
(2)租税負担率の抑制が政策的に目指された。
の2点を挙げた上で、「『小さな政府』による資源配分・所得移転という、やや矛盾するような政府の姿には、戦中・戦後期に形成された中央集権的な政府の仕組みが大きく影響している。さらに、高度成長期においては人口構成がかなり若く、社会保障給付が財政に大きな圧力をかけなかったことが、財政機能の硬直化を抑制する重要な要因となったことにも注意が必要である」と述べています。
 そして、戦後、平等化が進んだ要因として、
(1)農村の構造を大幅に変えた農地改革
(2)財閥解体
(3)財産税導入や所得税改正などの税制改正
(4)公職追放と市場の競争を促した法整備
(5)戦時補償(政府債務)の打ち切りの影響
(6)労働の民主化の影響
(7)民法改正:戸主の遺産相続が単独相続から均分相続に
の7点を挙げた上で、「日本の世界的に低いジニ係数は、基本的には戦中・終戦直後におけるインフレや制度的変化による劇的な低下に依存した」ものであり、「経済発展の結果でもあるが、より重要な要因は様々な制度的・外的要因の効果であることを示している」と述べています。
 第1章「労働と人口」では、「日本型人事管理の核心は、企業がホワイトカラーだけではなくブルーカラーの社員に対しても人的資本投資と雇用保障、および内部昇進の機会を約束し、それと引き換えに社員の企業特殊的な技能と熟練に裏打ちされた高い生産性を実現する点にある」と述べています。
 そして、「20世紀初頭の日米では、欧州とは異なり、解雇と辞職の自由の原則に基づく競争的な労働市場が成立していた」として、「工場の労務管理は職長に一任され、職長は好況期には外部から競争的賃金で経験工を雇い入れ、不況になると即座にこれを解雇した。熟練工も職場を渡り歩いて技能を磨き、より良い条件を求めて頻繁に転職したため、工場労働者の離職率は高く、雇用関係は極めて短命だった」と述べています。
 また、「1950年代に入ると、労働移動が堰を切ったように始まった。理由は、産業間での労働生産性の格差にある」として、「日本では全体の48.4%が第1次産業に従事している」が、「その労働生産性は製造業、商業のそれの約3分の1」に過ぎなかったと述べています。
 第2章「金融」では、「高度成長期の極めて強い規制に基づいた金融システムは戦時期に導入された諸規制が戦後復興と占領軍による改革の中で変質したものであること、特に敗戦に伴う経済的損失やその後の経済民主化改革によって戦前期に金融市場の主要プレイヤーとして活動していた既存の大株主層が没落し、規制当局の権限の拡大によって日本型金融システムが定着したことを論証する」としています。
 そして「戦後に導入された金融市場における広範な価格(金利)規制と信用割当のシステムの特質は、銀行を中心とする間接金融システムによる長期の直接金融の代替、具体的には市中銀行による長期資金の供給システムとみなすことができる」として、そのシステムは、
(1)事実上の課税と補助金のメカニズムであり、銀行の収益性への政府の介入
(2)日銀信用の受動的供給であり、銀行の流動性への政府介入
の「2つの互いに相互関係にあるメカニズムからなる」と述べています。
 また、「戦後に成立した金融市場での金利規制、特に公社債市場における信用割当の条件下で、低利の日銀信用が受動的に供給されたことが、銀行の収益を保証しただけでなくその期間変換能力・長期資金供給力を高め、このため本来の長期資金供給者であるべき株主の発言力が間接的ながらも決定的に低下した」と述べています。
 第3章「農業と土地用益」では、「近代日本の小作人が比較的強い残余制御権と完全な残余請求権をもち、それゆえに小作人が生産性向上に強い誘引をもったこと」は、「戦前期において自作・小作間で生産性格差が見られないという事実、並びに農地改革が元小作地の生産効率を高めた事実が観察できないということ」と整合的であり、「農地改革による所有権付与=『所有の魔法』が元小作地の生産性を飛躍的に高めたという通説を支持するのは難しい。農地改革後における農業生産力の飛躍的な伸びは、戦中に開発着手、戦後に花開く農業新技術(改良品種、保温折衷苗代、農薬など)の導入や肥料供給の回復、戦中から戦後への国家的な土地改良事業によるところが大きいと見なければならないであろう」と述べています。
 そして、「戦前の農業労働力の移動は、主として農家次三男の流出であった。戦前水準からの大幅な乖離は、労働力移動が、戦前にはなかったタイプの労働力流出、即ち、跡継ぎ(長男)、世帯主にまで及んだことを意味する」と述べています。
 また、「世帯員1人当りで見る」と、「1950年代後半には、勤労者世帯の70%程度しかなかった農家世帯の所得は、その後増加し、おおむね72年ころには、勤労者世帯を追い越した。農家は豊かになったのである」が、「農工間所得均衡といっても、その実態は、世帯員の多くが就業しているから可処分所得が1人当りで見ても多い、というだけだったのである」し、「その農工間所得均衡の主たる要因は、農外兼業の所得の伸びであった」と述べています。
 さらに、「1960年代における太平洋ベルト地帯への人口集中の主な理由は、3大都市圏における急速な工業集積に伴って、3大都市圏における混雑の問題が顕著になり、これに伴い上昇した地下によって新たな工業用地の取得が困難になったことがあげられる」と述べた上で、「1975年以降は、いったんは停滞した都市圏への人口流入が再開し、特に東京1極集中が急速に進んだ」としています。
 また、「三井不動産にとって大きな転機になったのは、1957年に千葉県と協定を結んで開始した市原地区での埋立事業であった」として、「『千葉方式』と呼ばれた浚渫埋立工事の一括受注によって、61年には埋立工事収入が建物賃貸収入を凌駕し、三井不動産における最大の収入源となった」と述べています。
 第4章「鉱工業」では、「1930年代から70年代初頭にいたる時期を観察するとき、日本の産業化の王者は機械器具産業だった。もちろん、この時期の初めにあっては繊維や金属の羽振りが勝っていたが、戦時を超えて高度成長期を経過する時期までを辿ると、機械産業と金属産業が全産出額中上位を占めることが多く(51年は様子が少し違ったが)、しかもその趨勢は時とともに増す勢いにあり、これら2者のリーダーシップを握ったのは機械産業だった」と述べています。
 第5章「産業とサービス」では、「高度成長期には国内経済規模も拡大したため、このような貿易規模の大幅な拡大にもかかわらず」、「日本経済の貿易依存度(輸出入の対GDP比)はおそよ1割強で推移し低位にとどまった」として、「我が国の奇跡的な高度成長が輸出に牽引されたという誤解は、天然資源に乏しい我が国は貿易立国で生きるしかないといったキャッチフレーズや、その後の貿易黒字蓄積によって生じたものと考えられる。事実としては、我が国の貿易依存度は他の欧州先進国に比べ低く、米国並みであった。そもそも、高度成長期には、輸出超過(純輸出)は持続的にプラスではなかった」と述べています。
 本書は、我が国の高度経済成長が、戦時中から続く制度的な変化の延長線上にあることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今も綿々と動いているせいであるせいか、現代史というのは制度の変化や出来事を中心に語られる傾向がありますが、制度の裏で動いている経済を学ぶことこそ歴史の本質なのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現代史をそのエンジンから見返したい人。

■ 書籍情報

経済史から考える 発展と停滞の論理   【経済史から考える 発展と停滞の論理】(#2829)

  岡崎 哲二
  価格: ¥2,376 (税込)
  日本経済新聞出版社(2017/11/17)

 本書は、「その時々で重要と思われるテーマを選択して、主に経済史の視点から論評を加えるというスタイルのコラム」をまとめたものです。
 序章「経済の歴史からどう学ぶことができるか」では、「経済学は、仮定や前提を明確にしたうえで、その下で一般的に成り立つ関係を理論的に示している。歴史的な知識をその仮定を前提を考慮しながら経済学・社会科学の諸理論と組み合わせて解釈することによって、現在にも有意味な論点を引き出すことができると考える」と述べています。
 そして、「経済ないし経済学研究において、歴史研究が大きなインパクトを与える場合がある」理由として、
(1)経済に関して、それほど頻繁に起こるわけではないが、重要な現象があるという事情
(2)関連する出来事が進行中の時期には秘密性が高く、研究者は利用できない内部資料の利用可能性
の2点を挙げています。
 第1章「『アベノミクス』をどう評価すべきか:1930年代との比較」では、「異次元緩和」について、「経済学の視点から新しい論点を提示することを試みたい」として、「近年のマクロ経済政策を1930年代の『高橋財政』と比較して、政策実施後のマクロ経済の動きをデータによって比較する」としています。
 そして、「1930年代の高橋財政と今日の異次元緩和を比較すると、後者は、マネタリーベース変化率を前者より多く引き上げたが、マネーストック、物価、輸出、鉱工業生産に対するインパクトは前者に比べて著しく小さなものとなっている」としたうえで、その理由として、「ゼロ金利の下でマネタリーベースを増加させても、プラス金利の場合を相違して、マネーストックの増加には直接つながらず、その効果は期待への働きかけという不確かなチャネルを通じてのものに限定される」ことを挙げたうえで、「すでに景気が良くなっている」として、「低いインフレ率と低い経済成長率にとらわれて異次元緩和に固執するのではなく、経済成長の趨勢を引き上げるための施策に政策に重点を移すべきであろう」と述べています。
 第2章「マクロ経済政策の是非」では、「国債の日銀引き受けという手法は、経済環境によっては、少なくともある期間、マクロ経済政策の有効な手段となる可能性がある。しかし問題は、財政政策が純粋なマクロ経済政策にとどまりえない点にある。財政支出は特定の使途に配分され、それぞれの使途が強い利害関係と結びついているからである」と述べています。
 そして、今日の日本について、「累積した国債は日銀のほか、大きな部分を民間金融機関が持っている。これは、1990年代以降の低い経済成長の下で、民間金融機関が企業への貸出を減らし、国債への運用を増やし続けてきたことの帰結である。景気が回復し、企業への貸出が増加に転じた場合、これまで日本の財政を支えてきた資金循環の構造が変化する可能性がある。その場合、財務省の国債管理政策は難しい局面を迎えることになろう」と述べています。
 第3章「根拠なき楽観の帰結」では、「戦前・戦中期に生じた1回目の政府債務の累積過程では、今日から見れば根拠に乏しい楽観論が、多額の公債発行を継続することの正当化に一役買った。今日においても、増税や財政支出削減が避けたいという政治的立場から、将来の経済成長や、(マイルドでむしろ望ましい)インフレが政府債務の問題を解決するという、有権者に耳障りが良い主張が提起されがちである。しかし、そのような希望的観測に基づいて財政再建を先送りし続ければ、前回の政府債務累積時の轍を踏むことになりかねない」と述べています。
 そして、「かつてのインフレ時には、人口に占める高齢者の比率が低く、国民の大部分が『働く能力』をもっていた。それまでの資産の蓄積を失っても、働くことによって、インフレに応じて上昇する賃金で暮らしを守ることができた」と述べています。
 第4章「政策形成の理念と現実」では、1960年6月に、貿易為替自由化促進閣僚会議が「貿易・為替自由化計画大綱」を決定し、これに基づいて、外貨割当制の撤廃が急速に進展したことについて、
(1)決定の基礎となる理念の明示
(2)周到な準備に基づいた「きめ細かい」対応
の2点を注目される点として挙げています。
 そして、「地域間で社会資本の生産性に大きな格差が認められる」点について、「相対的に1人当り県民所得が低い後者のグループの県には、人口1人当りで大きな社会資本が配分されている」として、「これらの結果は、『地域間の均衡ある発展』を目指した社会資本の地域的重点配分が、十分に地域の生産性上昇、ひいては日本全体の生産性上昇に結びついてこなかったことを示している」と述べています。
 第5章「経済成長のための戦略」では、「長期停滞への対策として、インフレ率の引き上げなどによってすでに低い水準になっている実質金利をさらに引き下げることは、サマーズ氏が米国について指摘しているように、バブルを引き起こすリスクがある。さらに極端に低い実質金利によって投資を促進することは、経済の効率性を損なう恐れがある」としたうえで、これを避けて「長期停滞」から抜け出す方途として、
(1)投資の期待収益率を引き上げること
(2)消費の経済成長への寄与拡大
の2点を挙げています。
 そして、「戦後の日本経済は、出発点において、技術の世界的フロンティアからの大きな距離と、相対的に生産性が低い大きな農業部門、という2つの潜在的な成長の源泉を有していた。戦時期に生じた制度変化がこれらの潜在的厳選と結びつくことによって」、「日本経済の急激な成長と先進国へのキャッチアップが実現した」と述べています。
 また、「日本経済は19世紀以来、1980年代まで100年以上にわたって、平均すると年率3~10%の速度で成長を続けてきた。その成長過程は同時に産業構造変化の過程であった」として、「産業の新陳代謝が経済成長の過程を特徴づけてきた」と述べています。
 第5章「経済成長のための戦略」では、「1990年代から2000年代にかけて、通産省と後継の経済産業省は、産業政策の重点を経済構造改革のための制度設計に移していった」として、「特定の産業・企業の育成や調整ではなく、規制改革や経済法制など制度的環境を整備することを通じて経済を活性化するという『水平的(horizontal)』ないし間接的な施策が、90年代後半以降、産業政策の中で重要な位置を占めるようになった」と述べています。
 第6章「歴史の視点から問い直すガバナンスと組織運営」では、「戦前の日本は、経済規模との相対的な関係でみると、戦後期より遥かに大きな資本市場を有していたと言える」として、「戦前の日本で株式市場がこれほど大きく発達した基礎的な条件として、所得分配の不平等の大きさ、いいかえれば富裕層の存在がある」と述べ、「こうした富裕層は、多額の資産を前提にリスクマネーを株式市場に供給することがでkただけでなく、大きな投資額を背景として企業統治(コーポレート・ガバナンス)にも積極的に関与した」としています。
 そして、「伝統的な見方によれば、財閥は閉鎖的な組織であり、その存在が資本市場の発達を阻害した。しかし実際には財閥は資本市場における活発なプレイヤーであり、グループ外の企業の買収を通じて、その企業価値を高める役割を果たしていた」とともに、「その機能は、その潜在的脅威によって実際には買収の対象とならなかった企業の経営者をも規律づける効果を持った」と述べています。
 第7章「危機対応への教訓」では、「統計学に『第一種の誤り』と『第二種の誤り』という用語がある。仮説を検定する際に、本来は正しい仮説を棄却してしまうのが第一種の誤り、逆に本来は誤っている仮説を受け入れてしまうのが第二種の誤りである。この考え方は、さまざまな分野に適用することができる」としたうえで、「銀行、さらには『銀行の銀行』である日本銀行は、常にこれら2つの誤りを避けることに注意を払っている」と述べています。
 そして、「ノースとワインガストは、名誉革命と、その成果である『権利の章典』、すなわち今日のイギリス憲法(不成文)の構成要素となっている基本的ルールが確立した結果、国家が国民に対してコミットすることが可能になったと論じた」とした上で、「大日本帝国憲法(明治憲法)、日本国憲法を含めて、近代国家の憲法は国家の権力を制約し、国民の権利を保障する条項をその本質的な部分として含んでいる。これらの条項が国家のコミットメントの手段であるとすれば、変更されにくいことに意味がある」と述べています。
 第8章「立憲主義の重み」では、「将来にわたって日本が国際社会で信頼を獲得し、自らの発言力・影響力を高めるためには、その前提として、現在の日本がどのような立場、価値観に立っているかを明らかにする必要がある。安倍晋三首相は、しばしば力による現状変更は受け入れられないという見解を表明している。この見解は、今日の世界の状況を見るとき、繰り返し強調するに値する」と述べています。
 第9章「歴史からの洞察」では、「ピケティ氏はこうした方法で主要国における上位所得層が、総所得にどの程度の割合を占めているのかを、100年以上にわたって比較可能な形で提示した。それによると、上位所得層のシェアの長期的な動きには、日本を含む主要国で共通のパターンが観察される」と述べています。
 補論1「政治システムと財政パフォーマンス:日本の歴史的経験」では、「戦前期の日本に焦点を当てて、政治システムと財政パフォーマンスの関係について検討する」として、「官僚・軍部・政党が自立化して予算に膨張圧力を加え、財政が硬直化する中で、さらに国債を増発してこれらの要求に応えるという選択肢が取られなかった」理由として、「少なくとも日露戦後まで、元老という憲法外機関が、自立化した軍部・内政諸省・政党の予算要求圧力を抑える最終的な防壁として機能していた」と述べた上で、「第一次世界大戦後軍部・官僚・政党の自立化が一層進展したことによって予算に対する膨張圧力が増大し、しかもこれら勢力を抑える元老の機能は大幅に低下していた。その結果、政党内閣制が定着した1920年代には特に政党の圧力によって内政諸省の予算が顕著に増加する一方、軍部の発言力が拡大した30年代には軍事費の著しい増加が生じた」と述べています。
 補論2「日本における経済発展と所得分配」では、「戦前期における所得上位グループへの所得集中度を府県別に推計する」とした上で、「所得集中度の府県別推計の意味は大きい。それが府県間、時点間で比較的大きな分散をもっているため、推計されたデータをもとに所得格差の経済・社会に対するさまざまな含意を検証することができる」と述べています。
 本書は、歴史に学ぶことで現在の経済情勢を理解することができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 現代の社会を見通す上で、歴史の視点というのは不可欠であるように、現在の経済を見通そうと思ったら経済史の視点というのは不可欠になるわけで、今も社会は経済が動かしているように歴史を動かしているのも経済なのだと実感できる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・歴史を前に進ませる仕組みを知りたい人。

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