大切な大切な同期の友人が天国へと旅立ちました。
彼女は病床にありながら、最後まで自分の大切な家族や周りの人たちに何が出来るか、
その人たちの為に生きたいと言っていたそうです。
彼女は責任感が半端なく強く、
同い年なのに 一緒にいるとなぜかこころがシャンとする
清らかでまるで神様のような女性でした。
そして、彼女と仕事を通じて、
【ひと】として生きる、
その試練と幸福を語り合い、分かち合った友人でした。
とかくに人の世は住みにくい。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。夏目漱石さんの草枕より
彼女は【ひと】の居場所をどれほどくつろげて、
また多くの【ひと】にとって、どれだけ居心地をよくするか、
考え行動する素晴らしい女性。
だから彼女の悲しいお知らせを聞いて、
何か行動しなくてはと
止まっていた何かの気持ちが動き始めました。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、
住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、
束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。夏目漱石さんの草枕より
彼女が友人に贈った
相田みつをさんの詩です☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
ひとりでもいい
「あなたにめぐり逢えて
ほんとうによかった
生きていてよかった
生かされてきてよかった
あなたにめぐり逢えたから
つまづいてもいい
ころんでもいい
これから先
どんなことがあってもいい
あなたにめぐり逢えたから
ひとりでもいい
こころから
そういって
くれる人が
あれば 」
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。
あるは音楽と彫刻である。
こまかに云(い)えば写さないでもよい。
ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。
着想を紙に落さぬとも鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。
丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は
自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。
ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、
霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を
清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。
この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、
無色(むしょく)の画家には尺(せっけん)なきも、
かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、
かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、
かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、
またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、
我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、
――千金(せんきん)の子よりも、
万乗(ばんじょう)の君よりも、
あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である
文豪夏目漱石さんの草枕より
彼女は若くして、真の幸福とは何であるのか
悟っていたのですね。
世渡り上手でなくていいよね。
不器用な生き方でもいいよね。
大切なひと、大切なことに感謝して、
一日一日を大切に丁寧に生きていくことを
真のやさしさと正直さに満ち溢れた彼女は
今でもそっと私のこころに教えてくれています。。。
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※スイミーエコプロジェクトと名付けられたことにも意味があります。
スイミーは、彼女と私の信念の接点であり、多くの願いが込められています。
そこでみんなで行っていたのが、
【ひとりでもいい。そのひとりひとりの心がけで生まれるものには大きな意味がある。】
という、スイミーの活動だったのです。
『スイミー』というと、ご存知の方も多いと思いますが、
BIB世界絵本原画展のゴールデン・アップル賞を受賞した傑作です。
小さな黒い魚スイミーは、赤い兄弟たちがマグロに呑み込まれて、
たった一人で海を冒険することになりました。
やがてスイミーは別の赤い魚の兄弟の群れに出会いましたが、
みんなマグロが怖くて遊びません。
そこでスイミーが一計を案じて、みんなが体を寄せ合って大きな魚になって
泳ぐ事を思いつきます。
スイミーはその真ん中で黒い目の役割をしました。
その甲斐あって大きな魚は逃げ出してしまったという物語です。
この物語は「みんなで渡ればこわくない」というお話ではありません。
「みんなで力を合わせよう」というだけではなく、
形態を認知する心…
すなわち、形をもったものたちが集まって、
それらがさらに別の形や大きな形をつくった時、
そこにはその大小の形をもつ有機的な意味がはたらくという
ゲシュタルト・オーガニズムという考えです。
私たちの生きている世界、社会、地域、家庭・・・
すべてに通ずると思っています。
…恭ちゃん、本当に本当にありがとう。
あなたに出逢えて本当によかった…。