2005年01月29日

アウシュビッツ解放60年

 最近のイギリスでの世論調査では、半数近くの人たちがアウシュビッツの存在を知らなかったとのこと、この人類最大の大量虐殺の歴史が記憶の中に埋没しかかっている。しかしわれわれ世代にとってアウシュビッツは広島、長崎と共に決して忘れることのできない名前である。

 

 このナチス強制収容所跡で1月27日に、ロシヤ、フランス、ドイツ各大統領など世界44カ国からの政府代表と、約1千人の生存者が参加して、解放60周年記念追悼式典が開催された。

 

私は1996年のポーランド旅行の時、この地を訪れたことがある。当時ナチスがヨーロッパに作コルベ神父記念館った各種収容所の半数以上はポーランドに置かれ、首都ワルシャワ近郊にもゲットー英雄記念碑があり、またアウシュビッツで気の毒な他人の身代わりとなって殺されたコルベ神父を称える記念館では、神父がかつて日本の教会に勤めていたこともあり、非常な感銘を受けた。(左の写真が記念館)

 

ワルシャワから、地平の彼方まで広がる大農業地帯を南下、オシビエンチムに着いた。このあたりはのどかな農村地帯で、あのアウシュビッツ強制収容所があった土地とはとても思えない。

 

1940年に建設されたこの収容所には、政治犯、ユダヤ人、ジプシーなどが次々に送り込まれ、殺された。そして戦況の悪化に伴い、収容所は大量殺人のための工場へ変わっていったのだ。毒ガス、銃殺、人体実験などで殺された人々の数は400万人ともいわれている。

 

現在ここは全域が博物館として公開されている。正面入り口を入ったすぐのところのサービスセンターでは、資料や記念品を売っており、日本語の案内書も用意されていた。

収容所の入り口だった鉄のゲートには、ドイツ語でARBEIT MACHT FREI(労働は自由をもたらす)と掲げられているが、皮肉にもこの門を潜った人たちの殆どは生きてここから出てくることはなかった。

 アウシェビッツ

 建物のうち幾つかには、ここで何が行われたかを物語る展示があったが、とくに犠牲者たちが残していったおびただしい量の衣服や、持ってきたトランクの山、犠牲者の遺体から取り出された義手や義足、眼鏡、髪の毛など、見ているととてもやりきれない気持で一杯だった。

 

 また210屬良屋に2000人の人が詰め込まれ、シャワーの代わりにチクロンBを浴びたガス室に入った時、そして2万人が銃殺されたという死の壁や、死体を焼却するために用いられた2台の焼却炉の現場を見た時には本当に慄然とした。

 

 今イラクでは毎日のように自爆テロなどが起き、中近東情勢も予断を許さない状況にある。今回の式典でポーランドのクワシニエフ大統領が「この悲劇を二度と繰り返してはならない。若者に語り継がなければならない」と強調したが、この言葉は最初にあげたイギリスでの世論調査に見られるような、若者を中心とした無関心層の増大に警鐘を鳴らしたものとして考えさせられる。

  



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この記事へのコメント
 熊谷さん 東欧に行かれたこと聞いてはいたが、世界遺産でもある、アウシュビッツに行かれたのですね。
 また、あらためて私の知らないことも このブログで知りました。有難うございます。多分、行く機会は無いと思うので、写真その他 勉強になりました。
 お説のように、「二度と繰り返してはいけない事」です。
このところ、こちらの事情でパソコンに少しばかり遠ざかっていたので、折角のblogを見る機会なくて、遅くなりました。
Posted by 市川孝二 at 2005年02月07日 12:59