過食のコントロールが出来ない

昨日、忙しかった。
トイレにも行く暇がなくて、朝からずっと動いてて。
ちょっかいを出してきた上司に
「黙っててください」
とぶちギレて、上司はちょー不機嫌になった!
ああ、やっちゃったよ。。。
だって、忙しいのに面倒なんだもの。。。

まだまだ大人じゃないなーと反省しながら、帰ってきた。

母親は大丈夫だった。
(ご心配をおかけしました、ありがとうございます)


1週間のバタバタから解放されたのと、なんとなく上司との関係の不穏から、過食に走った。

ここのところ、忙しかったし、夜はあまり食べないようにしてたが、夜中までボリボリ。
休みの前は眠れないので、ずーっと食べ続けた。

別にお腹が空いてるのではないのに。




朝起きてもずーっと過食が続く。

あ、たががはずれる、ってこういうことか!
と思う。

妖怪食べ過ぎジャー!
食べ過ぎのレベルじゃない。
妖怪バキュームカー!
だ。

家にあったものを食べ尽くす。


何千キロカロリーだろう。
異常だ。
お腹が減っていないのに、食べたくて食べたくて仕方無い。

多分1日で同じ年代の女性の3~5日分は食べた。
腹が重すぎて動けなくなって、胃の皮が痛くなったから。

比喩じゃなくて。。。


久しぶりにとんでもない過食をした。
病的レベルだ。

食べ過ぎた!とかじゃないレベルだ。


なんか制御できないこれを制御できるようにしないと、狂ってしまう。

いや、もう狂ってる。




仕事の日の方が食事はまともだ。
休みの前日と当日はもうダメだ。


食事だけでも、3年たつまでにはコントロールできるようにしよう。それがひとつの目標。





ちょっとだけ、本を読むことが出来た。
アドラー心理学。
いろいろ考えることが出来そうな気がした。






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※母親のこと等ありがとうございました。
また、心がダメになってて、なんか傷つけるようなこと書いてたりしたら、本当にすみません!!!

昨日の夜から朝までのこと。限界家族だよ。。。

昨日の帰りに、流れ星をみた。
瞬間的だったので願い事3回は無理で

「よっさん、よっさん、よっさん」
と3回唱えた。

夜、夢でいいから会えると良いなと思った。




家に帰ると、祖母が痰を絡ませてゼーゼーと呼吸している。
母親と父親が痰の吸引をする。
祖母が「苦しい」と顔を向けるが、父親が「我慢我慢」と言う(のが聞こえた)。
そのあとに父親が「死んだら治るぞ!」という。
祖母が「当たり前だ」と言う。
父親と母親が、ちゃんとボケてなくて受け答えをした祖母に笑う。

「死んだら治る」か。
過敏に反応をしてはならないけど、意識が勝手に向いてしまい、なんか妙な複雑な気持ちになってしまった。。。

普通にそういうことが言えるのだよね。
祖母は遠くない未来に死ぬこともあるだろうし。
でも、その未来は私にも誰にもいつ来るかわからないし、死んだら治るのが良いのかどうなのか。

過敏に過剰に反応をしすぎなのだよな。
冗談でも、死ぬって言葉に過剰に反応をしてしまうし。
それを反応をしないようにするにはまだまだ時間は掛かるのだろうなと思う。




その後、寝るときに夢を見た。

よっさんの、ではない。
よっさんと話したい、話したいと思っていたのでか、父と(なぜ父と?)ミディアムシップを受けに東京へ行った。

住んでた場所近辺にいき、ちょっと観光をさせる。

そのあと、ミディアムシップ。

父が最初に受けて
「おい、当たってたぞ!」
と言ってきて、
訝しげな顔で私は父を見た。
父は単純なのだ、どうせ反応を見ながら、誰にでも当てはまることをうまく言われたのだろうと。

私はミディアムシップ自体をあまり受けなくて、ただ覚えているのは、新しい出会いがある。
と言われた。
それも、太っちょな人と。

意味わからない。
そんなもの、望んでないわ!
ミディアムシップ自体もよっさんと話すことを望んでて、太っちょな人との出会いなんて要らないわ。太っちょは自分だけで十分だ!
と思う。

そのあと、地元に戻らなきゃいけないのに、終電になる。
父は終電の新幹線に乗れたけど、私は乗れなかった。
明日仕事なのに、ヤバイと思いながら、池袋へいき、とりあえずホテルを探そうとしたら、ネカフェみたいなところを紹介される。

明日は外の人と会わなきゃいけないのに、同じ服かー!ちゃんとした格好じゃないけど、大丈夫か!

と思ったところで目が覚めた。


仕事は今日の仕事のことを思いやんでいたし、そのことが顕著に出た夢。
太っちょな人との出会いは太っちょな同僚にちょっとイライラしてたから。
出会いは…うーん、求めてないよ。
でも、よっさんが誰かと出会え!と教えてくれたのかもしれないけど、残念ながらその気はないのですよ。。。




3時半頃に目が覚めてコロコロして5時に起きる。
支度して、5時45分。
台所にいき、ご飯の支度をしようとする。
いつも起きている母がいない。

支度していると、母がフラフラしながら部屋から出てくる。
「大丈夫か?」
と尋ねると、目眩がして動けないと言う。
今日は夢にも出てくるくらい仕事が立て込んでいるので、「休めない、ごめん」と言う。
座り込む母親。

母親が死んだら私は死ぬ。と決めている。
母親にもそれは伝えてある。
母親を看取ることが出来れば私の役割は終わりだと思ってる。
でも、母親の辛そうな姿を見て、よくなってほしいと思う。

祖母が夜中に咳き込んだり、助けて!といったりして、母親はその度に起きたりして、睡眠もしっかり取れていない。
仕事も家事もしながら、見えない目で。

もう、祖母のことは死んでもいいから、母親自身の体調をなんとかして!と思う。

母親は気丈なので大丈夫だから、と言うが。

幸いにも今日は姉が休みなので、起きてきた姉に母親を託し、「なにかあれば連絡を」と言って仕事へ向かった。


なんというか。。。
なんだろう。。。


なんか、無力で何もやっていなくて、ダメだなと思う。
ここでよっさんがいたら!
と思ってしまうし、
でもいないんだから、自分が母親のこともカバーしなきゃいけないのに。
仕事に追われ、自分の感情を優先させ、なにやってんだか。


今週は土曜のみお休み。
せめて、明日くらいは母親のカバーができるような行動をせねばいけないなと思う。


駅に向かう際に、久しぶりによっさんナンバーの車に出会う。
よっさんに、頼む。
よっさん、母親の辛さをなんとかしてあげてくれと。



家族も限界。
父親も毎日、腰が痛い、辛いと言う。
朝4時から入院したりした時以外は力仕事をしてるのだ。
母親は言わずもがな。
姉もたまには出掛けてたりするけど、出勤前に祖母のオムツを代えたりし、休みも家の仕事を手伝うのがデフォになっている。
姉の旦那はよくわからないけど。

貧乏暇なし。
介護と老齢と父母の病気。
限界家族。

まともなのが義兄だけど、よくわからないし、私はコミュ障と精神不安定。

最悪だなぁ。。。





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変わっていくもの、変わらないもの

箱根の小涌園ホテルが閉館ということを少し前にニュースでみた。

小涌園。
よっさんと泊まりはしなかったけど、ユネッサンには行った。
ユネッサンで、バレンタイン前の時期に行って、チョコ風呂とか入って、ワシワシと遊んだ。
なかなか、休みが取れない私は、かなり無邪気に、楽しく。

よっさんといろんなプールやお風呂、サウナに入り、楽しくて。
楽しくて楽しくて時間が経つのを忘れたけど。

今回、ホテルは閉館するけれど、ユネッサンはそのままらしい。
良かった。


といっても、よっさんと行ったところでも、無くなってしまったところや、変わってしまったところもある。

時間が経つというのは、変わるということでもあって、諸行無常とはこのことなのだなと思う。

一人に慣れて、仕事場以外で会話が無いのもそう。
人間関係も変わった。
食べられないものも、心身も、睡眠とかも変わったし、体型も(撃沈)変わった。
自信や未来への希望も変わった。
車の運転も変わった。
家も変わった。


でも、変わらないものもある。
よっさんへの気持ち。
ずーっとずっと好きだ。
確信をもって言える。

でも、その気持ちもここまでに変遷はあったと思う。

ショックもあり、怒りもあった。

罪悪感は相変わらず変わらずだけど。

それでも、きっと変わったものの方が多い。
変わらざるを得なかったから。

本当は変わりたくない。
できれば、38歳のまま。
よっさんと一緒にいたときのまま。
何も変えたくない、変わりたくない。


そんな思いに縛られていたし、今もそう思う。

けれど、時は無情で過ぎていき、変わったものが多いと思う。


その変化になかなか気持ちが追い付いていかなくて、凹んだりする。

変わっていくものに悲しかったり、ムカついたり、辛くなったり。

でも、変わるのだ。
けど、変わりたくないのだ。


よっさんへの気持ちだって、そうで。
よっさんの全てが好きだと思ったか?といったら、一緒にいたとき、不満もあったから喧嘩もした。

でも、だんだんと悪いところより良いところばかりがピックアップされてる。

いや、よっさん結構悪いとこもいっぱいあったんだよ!!!
知ってるよ。
ダラダラしてたし、そこまで責任感がある方ではなかったと思うし、嘘もつくし。

それでも大好きで、他人に何を言われようと擁護したいし、全世界が敵でもそれこそ、よっさんの味方でいるし。


でも、良いところばっかりピックアップしてしまう。

変わったのだ。


それでも、よっさんへの想いは変わらない。
よっさんに会いたい気持ちも
よっさんと手を繋ぎたい気持ちも
よっさんと話したい気持ちも。


ずっと変わらない。


変わっていくことを怖れたら駄目なんだろう。


でも
記憶は薄れて上書きされていくし、よっさんの声とかだってきっと記憶と現実は違うだろう。


それが時間だもの。



幸せ
とかを考えたときに、
よっさんがいないでも幸せになる
ってことを考えなきゃいけない。

よっさんを排除するのではなく、よっさんを内包したまま、幸せになるには?って。


別れ方。の問題ではないのかもしれないけれど、私とよっさんの別れは本当になんの予兆もなく突然で、お別れの時間も言葉もなく。
だから、自分の心を何処に持っていけばいいのかわからなくて、納得させるのも難しくて、困惑して。

帰るよ。
って言葉をハチ公みたいに信じて待って。
でも、帰ってこなくて。

息を引き取るときにもいなくて。

なんだか訳がわからないまんまに、ここまできて。
やっと、少し受け入れるようになった。

昨日は阪神淡路大震災の日で、東北他、震災や事故で予兆もなく、大切な人がなくなった人はやっぱり受け入れるのに時間が掛かったと思うし、まだ受け入れられない人もいるだろう。

それでも毎日の生活が
いない生活
に変わり、薄皮をめくるように、少しずつでも受け入れるという変わる作業をして、いつか少しだけかもしれないけど受け入れる準備をして、受け入れていく。

悲しいと思う時点で受け入れは始まってるんだろうし。


(決して、病気で闘病された方がどうとかではないです。私はその方の心の変容がわからないので。誤解を招いたらすみません。。。)


結局、変わらざるを得ないのだ。
望むにしろ、望まないにしろ。


でも、根幹はきっと皆、変わらない。

最愛の人を大切に思うこと。

ちゃんとそれは変わらなくて。



それは変わらないから。



例え、違う形でプラスの幸せを見つけたとしても良いと思う。
趣味、人間関係、再婚、恋愛とか。
根幹は変わらなくてプラスのことが増えるってことは良いことじゃないかな?と思う。


私は執着しすぎてて、全てが空回りだし、ドンドン自分の嫌な面が出てきて、それにアップアップだけど。



根幹は変わらない。
でも、色々なことが変わっていく。


それを心からなっとくして受け入れられるように少しずつ、ならないとな、と思いながら、今日も自分の嫌な面と対峙する。






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