夢をみた。

私はよっさんが死んだことをわかってない。

普通に家の仕事をしてくれていて、よっさんは、フォークリフトを運転できるので、フォークリフトに乗って仕事をしてた。

仕事を終えて、家でテレビを一緒にみる。
横にいて、もっとそばにいたいと思う。

テレビで家の中で使えるフォークリフトがあるとしる。
買おう!
買った。

よっさんがテレビを見てゴロゴロしてる横で、フォークリフトに乗る私。
疲れて横になってるよっさんに
「よっさん、フォークリフト運転してみてよ!!」
と、早く来て!と促す。

よっさんが寝ながら(また面倒なことを!)と言う顔をして、私の話を聞いた。

ところで目が覚めた。

また2時。



眠くて体がだるいけど、こまめに目が覚める。
今日も仕事なので、面倒なので起きた。


半月ぶりくらいによっさんに会えた。
死んだことは夢の中では私は理解していない。
だから、わがままを、いった。
でも、そばにいたくて仕方無かった。
よっさん、よっさん
といつも以上によっさんの名前を呼んでいた。


起きて目が覚めて。
夢だと知って。
考えた。


夢を見た理由。
久しぶりにブログでちょっと吐き出した。
コメントをいただいて、よっさんとの暮らしを少し思い出した(ありがとうございます)。
お花は送っちゃいけないと義家族には言われてるけど、母の日に義母に母の日のプレゼントを送っており、父の日に送らない訳にはいかないのかなと思って母の日くらいに予約してキャンセルをしてなかった父の日のプレゼントの発送連絡がきて、改めて義家族のことを考えた。怖い、送らない方が良かったのでは?と。

ということで重なりあって無意識下にガンガンと反応があったのかと思う。

一番いいのは、よっさんが自らぴょこんと会いに来てくれたと思えたらいいのだが、なかなかそうもいかない。


仕事が繁忙期で連勤が続けていて、休めないし、朝早くから夜遅くまで。
その中で死にたい病と過食を発症しつつ、じんましんと生理不順でむくむくしてる。
ちょっと気を抜くと、企図してしまう。
どんな死に方をするのがいいのかと。
それでも、まだ企図の段階だから、発作的に実行まではいかず、企図するだけでちょっと安心してる。
まだ頭は働いてるなと。


話したり、吐き出す気力もなく、他人と関わることも面倒になってしまって、モンモンとして。
でも、発作的にブログを書いたりもする。

2年間、吐き出したきたことで、ギリギリを保ってきたのは、ブログのお陰で、多くのコメントや同志の方に救われてきた。
お会いさせていただいた方、心配してご連絡をくださった方にも本当に助けられて?きた。
?を書いたのは、本当にそれで良かったのだろうかと疑問がわくからだ。

生きてきて良かったのか。
助けられて良かったのか。
いつも疑問がある。
生きてきて良かったのか。
もっと前に自分を抹消したほうが良かったのではないか?

他人に心配と迷惑をかけ続けて生きてるなら、しんだほうがよかったのではなかったか。

答えは死ぬときにわかるのか。


もし、死んで臓器提供の意思を持って死んだら、生きたいと思う人の役に立つかもしれない。
ならば、その方がよっぽどいいのかもしれないけれど。

臓器提供をされたら、生きられると言う方にとっては、「じゃあ、あなたの臓器をくれよ!」と言われても仕方無いことだ。
でも、まだ死ぬ勇気がなく、しがみついてて、本当に申し訳ない。


死ぬ勇気?
勇気なのか、本能なのか。
申し訳無さなのか、生きて苦しまなきゃいけないという罪悪感なのか、親への義務感と、罪悪感なのか。
親には申し訳ない。色々な意味で。



の段階ではまだ覚悟も勇気も力もない。


また、次々にくる瞬間に変わるのか、どうなのか。


よっさんへの思いと
自分中心の考えと
スピリチュアルの考えと
生きるということへの考えと
家族への思いが
うまく昇華できるようになると
違うステージに進むのだろうと思う。



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