急に
とても急激に
ギューと胸を掴まれるような感覚に陥る。

ふっと
なんの気もなく
よっさんのことを現実認識したとき。

ふっと
よっさんはいないのか。
とリアルに思ってしまうと
ぐるぐると悪いことばかりを考え始める。

昨日がそうだった。

車に乗ってて

「あー疲れたな」と思い
「あー、よっさんに話したいな」と思った。
その時
「よっさんはどうしたんだっけ?」
と思った。


あれ?
よっさんはどうしたんだっけ?
よっさんは死んじゃったんだっけ?
え?
なんでいないんだっけ?
死んじゃったんだっけ?
なんでだっけ?
いつからこうなんだ?
本当に???
本当に???
本当のことなのか?



現実がわからなくなる。
なんだか、どうしてこうしているのかも
どうやって今いるのかも

よっさんが何処にいるのかも
本当に別れたのかも
義家族とのことも
今のことも

自分が犯した罪も

全部がいきなりバーっとやってきて、自分を責め苦しめる。

どうしようもなくなる。
どうしようもなく、死にたくなる。
いや、死にたくなるというより、
自分の存在が許せなくなる。


ああ、もうダメだと。


ただ、私は泣けない。
悲鳴をあげて叫ぶことしか出来ない。
それも1人でいる車の中で。


言葉にはならない。
涙にもならない。
奇声をあげるおかしな人間になる。


自分の口から言霊があり、見えるとしたら
どす黒い大きなドロッとしたヘドロのようなもの。

それがある。


ジタバタしても解決にならない。


が。。。。。

毎日を送るなかで
仕事をするなかで
他人といるなかで

自分は
違うことに意識を向けて、
考えないことで
気を逸らして
嫌なことに
辛いことに
目を向けない術を取得して、習慣付けられている。


日々のなかで
発狂しそうになると
仕事の段取りを考えるようにしたり

未来や羨ましい姿を見ると
食べ物を食べたり

嫌なことにぶち当たると
関係ない買い物をしたり

変な逃避の仕方を覚えた。


買い物依存でもあるのはそのせいで、開けてない買ったものが沢山ある。

良くない。


帰り道に奇声をあげて家路についても
家人には見せられない、知らせたくない。

その時に、車の中で意識を飛ばし
大丈夫、大丈夫
と唱え
歯を食い縛る。


少しすると大丈夫になる。


職場では
黙って意識を飛ばし、少しの間黙る。


そういうのを身につけた。





裏の家のおじさんが亡くなった。
良くないのは知ってた。
よく知ってるおじさん。
よっさんも知ってる。
おじさんもよっさんを知ってた。

家でも勿論田舎なのもあるし、懇意にしてた。

だから、お通夜とかも父母はいく。
そんな話もでる。

ゾワゾワした感覚をしながらも、話を聞いた。

でも、意識はここにあらず。
意識を飛ばした。




でも、それで良いのかもしれない。
真っ正面に取り組む必要はないかもしれない。
受け入れることも出来なくても
現実だと思えず生きてても
それでも良いのかもしれない。


真っ黒なヘドロを抱えてても
ヘドロを吹き出して周囲に迷惑を掛けなければ、自分の中で腐ってヘドロ人間になっても
それで良いのかもしれない。


これ以上、誰かと深く関わったら
もっと人を不幸にしてしまう。


だから、なんとなく
気を逸らして
自分の深いところは見なくても
表面上、なんとかやれてれば良いのかもしれない。


ただ、
なんとなく腐って
腐臭がしている今日この頃。



それが目に現れてるのかな?


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