
息子の彼女を紹介されたとき第六感と言うのか、なにかありそうな子って気がした。それで悪いとは思った...
「鬼は外、福は内」 節分にはこの声があちらこちらから聞こえて来るようになります。 実は私はこの言葉に違和感を持っていました。 pic.twitter.com/o0KjNXAFFu
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というのも私の鬼に対するイメージには鹿野山朝光寺の鬼踊りがあるからです。 朝光寺の鬼踊りでは鬼は神仏の化身として厄や魔、そして煩悩を祓う存在であると言われ、恐ろしい姿なのもそれらに負けない為の方便であるとされています。 姿は鬼ですが不動明王の役割と通じるところもありますね。
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鬼はヒーローであり、追い出されるべき悪ではありません。 幼少の頃より朝光寺の鬼のイメージが有ったため、保育園や小学校等で節分の折に皆で「鬼は外、福は内」と言う時に酷く違和感を持っていた事を覚えています。
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ある節分の日に私は祖父に 「どうして神仏の化身であるはずの鬼が酷い目にあって追い出されなくてはならないのか」 と尋ねました。
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私の問に対して祖父は 「神仏は敢えて悪鬼という恐ろしい姿になり、家の中や皆の心の中に有る悪いものを全て自分の中に引き入れ、そして追い出されるふりをして残らず持ち去って下さって、その後には自ずと福が内に残るのだ」 と話してくれました。
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私はこの説明に子供ながらなる程と思い以来節分での違和感は和らぎました。
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今にしてみれば、朝光寺の鬼も祖父が話した節分の鬼も神仏の慈悲と方便だと分かります。 このように理解すれば、節分に言う「鬼は外、福は内」もより一層有り難いものだと思えますね。
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コメント一覧 (4)
pocketcamp
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お前らにはそういう加護は起きない
pocketcamp
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