息子のテニスな日々

2008年からテニスを始めた1994年と2001年生まれの息子達。 彼らのテニスの日常をウィドウ・シングルママが綴る。

プランB


8歳の頃からプロを夢見、
10年経った今も矛先を
全く変えない向こう見ずなマサキ。

そして母の心配や諦め気分をよそに、
更に真っしぐらに突き進むべく
ケンタの強い意志も加わっている。

考えなしのマサキと真反対に、
リサーチや知識を増やす事が
大好きでそれが習慣のケンタ。

小学校三年生の時に、
建築家になりたいと夢を抱き、
建築科の5年という長い期間に、
周りが充分に認めるほど
能力を磨き上げたケンタ。

そんなケンタが集めまくった
膨大なテニスリソースの上に、
我が家の一大ブロジェクト、
マサキプロ計画を進めているのだ。

情けないマサキを見ては
ケンタに愚痴をこぼし、
何度も何度もこのプロジェクトを
中断させようと母は試みたが、
ケンタは考えを一切変えない。

ましてやそれは母だけではなく、
これまで出会ってきた多くの
コーチや他の選手の親達も
同じことを言うのだった。

「プランBがあった方がいい。」


プランBとは、
もし怪我や何かあった時のため、
将来の計画の中にテニス以外の
逃げ道を作っておいた方が良いと
言うことだ。


以下はケンタの言い分。

大学に入りプロになった
アメリカの有名選手は、
全体の数パーセントにしか満たない。
大学に入れば当然の如く、
勉強に費やす時間がいる。
それだけテニスをできない。

それに大学で実際に行われている
テニスの練習や試合などは、
プロになるためのものではない。
身近な実例を挙げる事もできる。
(ドナルドとクリス)

USTAはプランBに集中し過ぎて、
テニス選手を育てていない。
マサキの周りの良い選手たちは、
皆大学に入学してしまった。

何故テニスだけに集中して、
それを突き詰めてはいけないのか。
苦しく辛いところを通らない限り、
物事は何も達成できない。
1%でも可能性がある限り、
突き進むべきである。



もちろんケンタ自身、
経験があるわけでもないし、
まだ25歳の若造である。
多くの人は彼の考え方に
反対するであろう。

でもこれを言い切る二人の息子を、
母は止める訳にはいかないのである。
若造二人で言い争いをしながらも、
一つの事を信じ突き進む姿を、
母は見守るしかないのだ。

それだからマサキには、
プランBはないのである。


ただ高校を卒業しても、
脳の成長のためにも
コースを取って勉強し続ける
と言う計画を立てているらしい。


さて、
どうなる事やら・・・。





 


 

マサキ、とうとう18歳

今年7月頃から最近まで、
母の仕事は狂ったように忙しく、
昼時間も取らずに
毎日十時間以上働いた。

ここ数日は少し落ち着き、
そしてふと今日思ったのだ。
日々の楽しみであった、
テニスブログを読んでいない。

そして埃が積もりに積もり、
カビでも生えているような
自分のブログを久々に開いた母。
皆様はお元気でしょうか・・・。


すでに数日前になってしまったが、
ハロウィンの前日に
とうとうマサキは18歳になった。
毎年マサキの誕生日には、
ブログを書いていたのにね。



テニスを始めて12年。
試合に出始めて10年。
長い長い道のりだったが、
年を取った母にとっては
とても短く感じたりする。

今年目標にしていた試合は、
私達全員の落ち度により、
残念ながら出場できなかった。
たった二度しかないチャンスの
一度を失ってしまった。

しかし本当のところ、
マサキはまだ充分に準備は
できてないと思う。
だから来年間違えないようにと、
今年失敗をさせておくと言う
神様の仕業ではないかと、
勝手に思っている母。


さてマサキの近況は、
相変わらず同じテニスセンターに通う。
そこにサンチェスアカデミーはあれど、
打ち合える選手はいない。

マサキはいろいろな選手に
日々連絡を取りながら、
練習試合の相手を探す。
ドナルドが地元に帰ってきた時には、
彼が指定する場所へ打ちに行く。

そして来年の大きなジュニアの
最後の全国大会に出るためには、
USTAランキングの維持は必須。
だからジュニアの試合にも出る。

先月二つあったトーナメントでは、
どちらも何とか優勝した。
とりあえず大きな動きがない限り、
最後の大会へは出場可能である。

現在はITFの試合のため、
ケンタとフロリダへ遠征中。
メインドローに入れるかは、
その時の運によりけり。

今日のワイルドカードの
三回戦目でタイブレ敗退。
やはりまだメンタルが
相当お子様な分、
勝ち上がっていけない。

ただメンタルはお子様なのだが、
外見は随分おっさんになった。
ちょっと前まで可愛かったのに、
そのかけらも無くなった。

こんな歳になっても、
女の子と付き合った事もないし、
心配事が絶えない母なのだ。
早く一人前になってくれ!





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ついこの前までこんなだったのに、
   
   ⬇︎
   ⬇︎
   ⬇︎


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こんなおっさんに・・・。(;;)

 








 

頑張るテイラー



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USオープンで頑張っているテイラー。
残業続きの母だけど、
午後5時過ぎには仕事を
途中で止めて携帯電話にかじりついた。
仕事をできる状態ではなかったからだ。

それはあのハレプとの
激戦を観ていたからだ。
支店長が驚いて休憩室にやってきたほど、
母は超興奮していた。 

彼女に出会ったのは、
彼女がまだ12か13歳の頃。
ケンタとマサキが放課後に
通っていたテニスセンターでだった。

14歳のケンタは、
そのテニスセンターでは
ハイパフォーマンスのグループに入り、
テイラーの姉のシモーヌとテイラーと、
一緒に練習をしていた。

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その時も今も同じコーチだ。ケンタのコーチでもあった。


テイラーが14歳の時に、
彼女はUSTAのキャンプに入る。
それから殆ど彼女に会える事は
少なくなってしまった。

アポを取らないと会えないと、
コーチでもあり母のチームメイトでもあった、
テイラーの母親が悲しそうに言ってたのを
今でも覚えている。

16歳の時に全豪オープンジュニアで、
彼女は優勝してジュニアランキング1位に。
その後プロに転向して数年後、
WTAランキング100位以内にいたが、
最近は100位から少し落ちていた。

地元にいるときは、
マサキも呼ばれて打ちに行ったり、
この前のウインブルドン直前に
彼女からラケットを6本も貰ったりと、
とてもお世話になっている。

だから試合を観ていると、
母は感情移入してしまい、
抑えられなくなってしまうのだった。

ハレプに勝った時には、
母は休憩室でおいおい泣いてしまう始末。
同僚がやってきて背中をさすってくれた。

さて今日は今から、
あの「A Giant Killer」と戦う。
もう寝なきゃ明日がきついけど、
観ないわけにはいかない。


頑張れテイラー!



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❤️
 












 
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