ポエミケーション - 詩 ワークショップ ことば -

ポエムコンシェルジュ、山口勲が現在活躍されている方の作品を中心に、詩や詩として感じられたものを紹介していくブログです。

ソマリア系の英語の詩人、ワーサン・シャイアがビヨンセの新しいアルバムで引用されたことが話題になっています。

NY Times:Warsan Shire, the Woman Who Gave Poetry to Beyoncé’s ‘Lemonade’

ワーサン・シャイアは私の大好きな詩人。
1988年にケニアで生まれ、1歳でイギリスに移住。教育を英語でうけてきました。
イタリアやスペイン等様々な国で翻訳されています。

ソマリア紛争で故郷に帰れなかったこと、マイノリティであること、英語でかくこと、女性であること、若いこと、のような、自分にとって強みでない部分に足を置き、しっかりとしたわっとおもう言葉をなげかける詩人です。

もう少し早く紹介したかったのですが、一つ紹介します。

前に翻訳した、『』もごらんください
yourmothersfirstkiss_trans




あなたのお母さんのファーストキス ワーザン・シャイア  試訳 山口勲
  
   
 
あなたのお母さんが初めてキスした男の子は大人になってから女たちを犯した
戦の始まったときのこと。あなたのおじさんにそれを聞かされたときのことを彼女は
おぼえている。彼女はあなたの部屋まで行ってから床に
くずれおちたんだ。あなたが学校に行っている間のことだった。

あなたのお母さんが初めて彼とキスをしたのは十六のとき。
あまりに長く息をとめていたから彼女の意識は飛んでしまった。
我にかえってから気づいたのは服がぬれてぴったりと
おなかにくっついていたこと。二つの太ももに月の右と左がくいこんでいた。

その晩のうちに彼女は友達に会ったんだ、女の子で
違法なワインを部屋の中でつくっていた。
あんな風にさわられたことなかった、と彼女は告白した。
いままで、というと、友達は笑った、口をぶどうで真っ赤にしながら、
手をあなたのお母さんの足の間につっこんだ。

先週、彼女は十八番のバスを運転する彼を見た。
しもぶくれた頬、つたのような傷を一すじ
口の右から左まではしらせていた。あなたもいっしょにいたんだ、胸に
よそゆきの鞄をかかえたあなたは、彼女がためいきをもらすのを耳にはさんでいたけれど
あのとき彼女はあなたが彼にどれほど似ているかを確かめてしまったんだ。



信長が好きだ。
その中でも好きなのは若い頃の話。
織田信長のうつけぶりを止めるために、家老の平手政秀が腹を切った話だ。

信長は死んだ政秀にむかってこれを食えと言って捕まえた鳥を空に投げる。

たぶん投げた鳥はすぐ近くに落ちる。
たぶん信長はその落ちた鳥をそのままにして帰る。

その後信長は鳥の方を向くことはないだろうし、無駄なことをしたとも思わないだろう。
ただ、この話を聞いたとき、僕は信長が悲しかったのだろうと思った。
けれどもどうして共感しようと思ったのだろう。周りから見たら呆れられることに違いないのに。

二十年ぶりにこの話を思い出したのは、マリー・ハウの詩、『What the Living Do: Poems』を読んだからだ。
弟が若くしてエイズで亡くなった喪失感を書いた詩。
即席で訳すとこんなかんじだ


生きているからしちゃうこと マリー・ハウ 意訳:山口勲




ジョニー、流しが何日も詰まっているの、なにか道具を落としたみたいでね。
ドレイノも効き目がなかったしにおいもすごいし洗っていないお皿もが山のようになって

修理の人を待ってる、けど私まだ呼んでないんだ。このことは毎日話してはいるんだけどね。
冬はまた来た。空は深くてうんざりするほど青いし、オープンリビングの窓から

陽が射し込むのは暖房がここからは高いところにあってスイッチを切れないせい。
もう何週間も、マイバッグを放るか落としちゃうの、袋もやぶけていくのだけど、

そんなことしながら私は思うの、生きているからこんなことしちゃうんだって。昨日も敷石のぐらついた
ケンブリッジの歩道を駆けてたらコーヒーを手首と袖にこぼしたんだけど

その時も私思ったの、その後もまた思った。それはヘアブラシを買ったときで、これのことね、
それから駐車場で、寒いからドアをばたんと閉めた。こんなことにあなたはあこがれていたんだね。

こんなことをあなたはあきらめたんだね。私たちは待ち望んでたのは訪れる春や去り行く冬。
話したり話さなかったり、手紙でも、キスでも、できる誰かを私たちはもっともっとそのうえもっと欲しかったんだ。

歩いていると、ガラスに映る自分の視線を感じることがままあって、
そう、角のビデオ屋さんの窓ね、それからすごく大事にしていたものでなびいている髪や、

肌の荒れた顔やボタンを止めていないコートをつかまれて、こみあげてくる…
私は生きている。私はあなたを覚えてる。




訳註:ドレイノは流しのつまりを落とす洗剤のひとつ


弟にあてる手紙のかたちをとって書いたこの作品の冒頭から語り手は家のことをほとんどできなくなっている。

一日におこした他愛ないことを反省する。普段ならどうしてこんなことするんだろう、という言葉がでそうになるときに思うのはジョニーはこんなまちがいもできないのか、ということだ。

死によって「諦めたんだ」と弟に語りかけるとき、なにもしないこと自体が死者と比べたらなにかをしていることになるし、なにもしないで生きていることがそのまま肉親の死を考えることにつながっていく。

この詩を何回も読みながら泣きそうになった。
それは私は亡くなった祖父とひとりぐらしになった祖母を思い出したせいだ。
祖母はまだ納骨してない祖父を一人にしたくないからと言ってお正月の旅行の誘いを断った。

何もしていないということがそのまま一緒に生きていた人を思うことにつながるのなら、それは亡くなった人にとって一番の弔いだと思うと同時に、祖母がいつかつれさられてしまうのではないかと心配になってしまった。

今日も雲ひとつない青い空、そして明日は大寒波。
仕事でいけないけど、新宿で納骨と聞いた。
今週は電話をしよう。

参考記事
Poet Marie Howe On 'What The Living Do' After Loss
http://www.npr.org/2011/10/20/141502211/poet-marie-howe-on-what-the-living-do-after-loss


ブログネタ
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キラキラネームの発表を見ながら、自分が親になった時にどんな名前を付けるだろうかと考えこんでしまいました。


スマートフォン向けアプリ「赤ちゃん名づけ」を提供するリクルーティングスタジオは11月19日、「2015年キラキラネームランキング」を発表した。1位には「皇帝(しいざあなど)」、2位は「星凛(あかりなど)」、3位は「愛翔(らぶはなど)」が選ばれた。


名前が職にまで影響することを苦々しく思うかたわら、自分自身の子供に意外性のある名前をつけたい気持ちはないのです。
私の主張と私的な思いの間に広がるジレンマはアメリカの詩人、ジャクリーン・ウッドソンの一篇の詩を読むと、
矛盾でないことを教えてくれます。


ジャックと言う名の女の子 ジャクリーン・ウッドソン
訳・山口勲 原文は↓
http://www.poetryfoundation.org/poem/251080
 
 
 
 
ぴったりな名前だとおもうけど、と父は
私の生まれた日に言った。
不思議なのは
この子にあれがついてないことだよ。

けれども女たちは拒んだ。
初めに母が。
それからおばたちが、私のピンクの毛布をめくったり
ちぢれた髪をなでたり
まあたらしいかかとを引っぱったり
頬をつついたりして。

ジャックなんて名前の女の子にはさせない、と母は言った。

父の姉たちもこそこそ言ってたけれど、
ジャックなんて名前の男の子なんてまっぴら、
としか母には聞こえなかった。
ジャックにしよう、と父は言った。
この子には仕方のないことかもしれないけれど
強い子になるだろうし
正しく育つ、と父は言った。
ジャックにするんだ。
誰もが彼女に目をとめるから、と父は言った。

いくら御託を並べてもこの子の親は
狂ってると言われるだけよ、と母は言った。

堂々めぐりの末に私はジャッキーとなり
むすっとしたまま私の父は病院を出た。

私の母はおばに言った。
ペンをとって、そして書いたのは
ジャクリーン、ただただ
誰かが語尾を伸ばしてくれるに違いないから。

ジャクリーンというのは、私の場合、
成長と、少しでもジャックより長く
そして遠ざかるようにと願いを込められたの、あの
ジャックからの。





この詩で描いているのまさに名付けの現場。
こうであってほしかった子供の姿を追い求める父と女の子だとわかってほしい母親。
二人の対立の結果、名前はジャッキーへ、そしてジャクリーンへと変わります。

この詩に現れる問題は、まさにキラキラネームに込められているものです。
名付けるということそのものに願いが込められているということと、
子供に関わる人の共同作業であるということ、
そして、強い願いは得てして社会に反してしまうということ。

詩では生まれてきた子供の一番近くにいた母親の願いが強く出た形で、
女の子だと間違われることのない名前が付けられます。

この詩を呼んで思い出すのは、かつて目上の人だけが人の本名(諱)を呼んでいたことです。
本当の名前は知られるとその人を支配できるという呪いがあったということもあり、
たとえば、信長が公文書では弾正忠と呼ばれたように、日本では通常は通称、中国では字を読んだといいます。
今は通称と本名はひとつに合わさっていて、人は名前をひとつしか持つことができません。



この結果、人は生まれながらにして社会的な義務を負っているという思いが名を平凡にし、
人が独特なものであるという思いが名前をも独特なものにするのです。

キラキラネームは子供を支配したいという親の強い表れなのではないでしょうか。
そして、支配したいと欲が強く出ることが社会の中では好ましくないのではないでしょうか。
もしも、父の願いが通って名前が「ジャック」になっていたらどのように語るのでしょう。

職業も名前も選択が自由になってきたとしても、人が一人の人として扱われるための困難さは変わりません。
そのことについて思いを新たにするとともに、すべての人が生きやすい社会を形作るために、人を支配する金と家族の面で束縛の薄い社会になって欲しいと思いました。
マイナンバー制度導入を契機として、職業選択について名前を理由にすることをやめてほしいというと同時に、改名についてもっと柔軟に対応して欲しいと感じました。

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