ポエミケーション - 詩 ワークショップ ことば -

ポエムコンシェルジュ、山口勲が現在活躍されている方の作品を中心に、詩や詩として感じられたものを紹介していくブログです。

結婚して、2月に子どもが生まれました。
子どもはあっという間に大きくなって、もうすぐ立てるようになります。
世間へ不義理をさまざましてきたのですが、
家族がいるおかげで生活をさせていただいてます。

そんななか、妻が来年初めにも仕事に戻るという話が現実化してきました。
仕事ができるようになって頑張れる半面、
24時間子どもと向き合えなくなることのさみしさを口に出す妻は、
見ていてとてもきれいだなと思いました。

そういう時にかけられる言葉があればいいなと思うのですが、
その一つになればいいなという詩を今日は訳していました。





起きるべきこと ネオミ・シーハブ・ナイ 訳:山口勲




あなたが小さかったころ、
わたしたちが見ていたあなたは、ねむっているところと、
いきづかいが胸じゅうを
たなびかせていくところ。
わたしたちはときどきあかちゃん部屋の壁や
あかちゃん用のやわらかなゆりかごのうらに
かくれたりもした。
自分のからだと世界の間で
あなたを抱きかかえるのが好きだった。

いまあなたは鉛筆をけずり
弁当箱や、小さな机の
森へわけいっていく。
わたしの会ったことのない人たちに
あなたの名前が呼ばれると、
あなたの手がたなびいていく。

わたしの心に穴があくのも
ふさぎこんでしまうのも
あなたのバラの園が
どんどんひろがっていくせいだ…。

わたしがいま解きあかしたのは歴史。
わたしがいま解きあかしたのはわたしの母の
いにしえのまなざし。

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ソマリア系の英語の詩人、ワーサン・シャイアがビヨンセの新しいアルバムで引用されたことが話題になっています。

NY Times:Warsan Shire, the Woman Who Gave Poetry to Beyoncé’s ‘Lemonade’

ワーサン・シャイアは私の大好きな詩人。
1988年にケニアで生まれ、1歳でイギリスに移住。教育を英語でうけてきました。
イタリアやスペイン等様々な国で翻訳されています。

ソマリア紛争で故郷に帰れなかったこと、マイノリティであること、英語でかくこと、女性であること、若いこと、のような、自分にとって強みでない部分に足を置き、しっかりとしたわっとおもう言葉をなげかける詩人です。

もう少し早く紹介したかったのですが、一つ紹介します。

前に翻訳した、『』もごらんください
yourmothersfirstkiss_trans




あなたのお母さんのファーストキス ワーザン・シャイア  試訳 山口勲
  
   
 
あなたのお母さんが初めてキスした男の子は大人になってから女たちを犯した
戦の始まったときのこと。あなたのおじさんにそれを聞かされたときのことを彼女は
おぼえている。彼女はあなたの部屋まで行ってから床に
くずれおちたんだ。あなたが学校に行っている間のことだった。

あなたのお母さんが初めて彼とキスをしたのは十六のとき。
あまりに長く息をとめていたから彼女の意識は飛んでしまった。
我にかえってから気づいたのは服がぬれてぴったりと
おなかにくっついていたこと。二つの太ももに月の右と左がくいこんでいた。

その晩のうちに彼女は友達に会ったんだ、女の子で
違法なワインを部屋の中でつくっていた。
あんな風にさわられたことなかった、と彼女は告白した。
いままで、というと、友達は笑った、口をぶどうで真っ赤にしながら、
手をあなたのお母さんの足の間につっこんだ。

先週、彼女は十八番のバスを運転する彼を見た。
しもぶくれた頬、つたのような傷を一すじ
口の右から左まではしらせていた。あなたもいっしょにいたんだ、胸に
よそゆきの鞄をかかえたあなたは、彼女がためいきをもらすのを耳にはさんでいたけれど
あのとき彼女はあなたが彼にどれほど似ているかを確かめてしまったんだ。



信長が好きだ。
その中でも好きなのは若い頃の話。
織田信長のうつけぶりを止めるために、家老の平手政秀が腹を切った話だ。

信長は死んだ政秀にむかってこれを食えと言って捕まえた鳥を空に投げる。

たぶん投げた鳥はすぐ近くに落ちる。
たぶん信長はその落ちた鳥をそのままにして帰る。

その後信長は鳥の方を向くことはないだろうし、無駄なことをしたとも思わないだろう。
ただ、この話を聞いたとき、僕は信長が悲しかったのだろうと思った。
けれどもどうして共感しようと思ったのだろう。周りから見たら呆れられることに違いないのに。

二十年ぶりにこの話を思い出したのは、マリー・ハウの詩、『What the Living Do: Poems』を読んだからだ。
弟が若くしてエイズで亡くなった喪失感を書いた詩。
即席で訳すとこんなかんじだ


生きているからしちゃうこと マリー・ハウ 意訳:山口勲




ジョニー、流しが何日も詰まっているの、なにか道具を落としたみたいでね。
ドレイノも効き目がなかったしにおいもすごいし洗っていないお皿もが山のようになって

修理の人を待ってる、けど私まだ呼んでないんだ。このことは毎日話してはいるんだけどね。
冬はまた来た。空は深くてうんざりするほど青いし、オープンリビングの窓から

陽が射し込むのは暖房がここからは高いところにあってスイッチを切れないせい。
もう何週間も、マイバッグを放るか落としちゃうの、袋もやぶけていくのだけど、

そんなことしながら私は思うの、生きているからこんなことしちゃうんだって。昨日も敷石のぐらついた
ケンブリッジの歩道を駆けてたらコーヒーを手首と袖にこぼしたんだけど

その時も私思ったの、その後もまた思った。それはヘアブラシを買ったときで、これのことね、
それから駐車場で、寒いからドアをばたんと閉めた。こんなことにあなたはあこがれていたんだね。

こんなことをあなたはあきらめたんだね。私たちは待ち望んでたのは訪れる春や去り行く冬。
話したり話さなかったり、手紙でも、キスでも、できる誰かを私たちはもっともっとそのうえもっと欲しかったんだ。

歩いていると、ガラスに映る自分の視線を感じることがままあって、
そう、角のビデオ屋さんの窓ね、それからすごく大事にしていたものでなびいている髪や、

肌の荒れた顔やボタンを止めていないコートをつかまれて、こみあげてくる…
私は生きている。私はあなたを覚えてる。




訳註:ドレイノは流しのつまりを落とす洗剤のひとつ


弟にあてる手紙のかたちをとって書いたこの作品の冒頭から語り手は家のことをほとんどできなくなっている。

一日におこした他愛ないことを反省する。普段ならどうしてこんなことするんだろう、という言葉がでそうになるときに思うのはジョニーはこんなまちがいもできないのか、ということだ。

死によって「諦めたんだ」と弟に語りかけるとき、なにもしないこと自体が死者と比べたらなにかをしていることになるし、なにもしないで生きていることがそのまま肉親の死を考えることにつながっていく。

この詩を何回も読みながら泣きそうになった。
それは私は亡くなった祖父とひとりぐらしになった祖母を思い出したせいだ。
祖母はまだ納骨してない祖父を一人にしたくないからと言ってお正月の旅行の誘いを断った。

何もしていないということがそのまま一緒に生きていた人を思うことにつながるのなら、それは亡くなった人にとって一番の弔いだと思うと同時に、祖母がいつかつれさられてしまうのではないかと心配になってしまった。

今日も雲ひとつない青い空、そして明日は大寒波。
仕事でいけないけど、新宿で納骨と聞いた。
今週は電話をしよう。

参考記事
Poet Marie Howe On 'What The Living Do' After Loss
http://www.npr.org/2011/10/20/141502211/poet-marie-howe-on-what-the-living-do-after-loss


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