ポエミケーション - 詩 ワークショップ ことば -

ポエムコンシェルジュ、山口勲が現在活躍されている方の作品を中心に、詩や詩として感じられたものを紹介していくブログです。


Warsan Shire『Teaching My Mother How to Give Birth (Mouthmark)』より
オールドスパイス ワーザン・シャイア 訳:山口勲
 
 
 
 
毎週日曜の昼過ぎに古い陸軍の制服に着替えた彼は
殺した男の名前を一人ずつ教えてくれる。
彼の拳は石のない墓地だ。

火曜日に行けば
守れなかった女の体を一人ずつ教えてくれるはず。
あなたのお母さんに似ていたと言われるたびに
嵐があなたのおなかのなかで吹きあれるだろう。

あなたのおじいさんは違う時代からやってきた――
ロシアの学位と校庭でのキューバ国歌、
共産主義と信条。いまは音楽だけが彼に涙を流させる。

はじめての恋で結婚した彼、その相手は長い巻き毛を
小さな背中まで垂らしていた。彼がたまに
彼女を引きよせると、その手を髪がおおって
縄を結ったようになった。

いまは一人で住んでいる彼。崩れやすい、一つの生きている記憶が
椅子に横たわり、部屋が彼のまわりを廻る。
あなたは訪れはするが彼に話すことがあったためしがない。
彼はあなたの歳には一人の男だった。
あなたは彼があなたの名前を口にするたびに後ずさる。

あなたのお母さんのお父さんは、
殉教者と呼んでもいい人で、
水の中でも四秒あれば
銃に弾丸をこめられる。

初夜すらも戦場になった。
アーミーナイフ、若い花嫁、
彼女の足のあいだのイタリアンリネンをつかみながらむせぶ彼の涙。

日にさらされた写真に写る彼の顔は、
赤茶けた顎髭と銀の眉
使い古しのハンカチとクフィ帽子そして杖。

あなたのおじいさんに死期が迫る。
「国に帰しておくれ、ヤケイ
最期に一目見たいだけなんだ」と彼がせがんでも
あなたに伝える術はない、それについては
彼がこれまでやってきたようにはいかないと。

原註:
ヤケイ・ソマリ語で会話中で感情を強くあらわすときに使われる表現。
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川島むーのお茶祭り日記より
http://d.hatena.ne.jp/ochamatsuri/20170117



センチメンタル じゃあに~ 川島むー




1948年、戦後復興期に
北陸を襲った大地の揺れを知る人は、少ない
その日 (1948年6月28日)
ある家では、長男が帰ってこなかった
死者・行方不明者3769名の一人
終戦で拾った命、わずか3年
もしも長男が戻っていたら
次男が家を継ぐことは無かったろう
その妻が雪深い地で暮らす事も無かったろう
その息子はどこで生まれどんな風に育ったろう

それは、私の夫となった人の家族の物語

ある日、舅に似た老人がふいに訪(おとな)う、それは夢物語

忘れない

1月17日と言う日
あの朝を

忘れない
 遠く地の底から、何者かがせり上がり迫ってくる気配
 地鳴り、地響き
カタカタと言う音
ずん!
 突き上げられ
 揺すられ、揺すぶられ
 動けない
 壁が柱が本棚が、きしむ、音
 暗闇の中、「止まって止まって」、心の中で叫び続けた

忘れない
 役立たずの私の備え
 転がって、手が届かなかった懐中電灯
忘れない
 冷静だった父母の身の処し方
忘れない
 公衆電話に並んだ近所の人たち
 震えていたのは寒さの所為だけじゃない
忘れない
 母の故郷、東灘
 無事だった、伯父一家の家
 倒壊したお隣さん
 焼け野原の商店街
 いとこと遊んだ公園に並ぶ、仮設住宅
忘れない
 妹が通う大学の街
 「999の駅みたいで格好ええやろ」
 建築科で学ぶ妹のお気に入りだった駅舎
忘れない
 「2月は、南京町の春節祭行こな」
 実行できなかったデートプラン
忘れない
 やっと電話が通じたお調子者のあいつの、震える声
 「今行ったる!」口走っとったら
 焼けぼっくいになっとったかな?
忘れない
 非常勤勤務先の高校
 私を囲み喋り続けた生徒達
 包帯を示しながら、それでも笑いを交える
 あっぱれ関西人のやんちゃくれ
 みんなで笑うたなぁ、
・・・徹マンしとったって、呑気な3年生やなぁ・・・
忘れない
 枕元で砕けたガラス細工
 神戸元町のガラス屋さん
 出かけるたびに買うとった
忘れない
 風景が、
  壊れると言うこと

あの日、何かが少し違っていたら

いとこが寝る場所を変えていなかったら
 倒れていた箪笥
時間が出勤時だったら
 通り一面のガラス片
図面書きの仕事中だったら
 作業机に落下していた図面引き出し
 ・・・直撃ですがな
恋人の伊丹出張が続いていたら
 ひしゃげた駅舎
妹が大学に行ってる時間だったら
 友達の下宿に遊びに行っていたら

身近に死んだ人がおらんかったんは
ほんの偶然
慰霊碑に刻まれた名前に涙しとったのは私かもしれん
刻まれたんが私やったかもしれん

知っている
 あの日をきっかけに人生をかえた人を
 しまっていた夢に光を当て
 我から厳しい道に踏み出した人を
私?
問われれば、私もやっぱり、この日があるから
時に決意が鈍り、甘え、だらしない日々が続いても
嫌でも毎年やって来る、この日
突きつける
ちゃんとやっとるか?悔いは無いか?
一年でたった一日
心の中であの日を、あれからの日々を、辿る
センチメンタル・ジャーニー

年がら年中センチメンタル、じゃあないの
たった一日、大切に、もの思い過ごす日
進むために振り返り、足元を見つめ大地を見つめ、立つ
立ち位置を確かめる

この日、私はゆるんだタガを締めなおす

そうして明日がやってくる

人々が、それでも新たな日を迎え
前に向かって進みだした日々に
私も顔を上げて

センチメンタルな気分に、じゃあね!

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昨年の後半は年を取られた方による車の事故のニュースがかけめぐりました
免許の年齢制限や固い話がいろいろあり、きついことをいうことが好きな人はきついことをいいました。
でも世間の大半をしめる声を上げない優しい人にとって気になったのは自分の家族の安全とご老人の健康だったとぼくは信じています。

The writer's almanacに掲載されたジェイソン・ジャガーの詩「遅番のあと(原題 After second shift)」で詩のなかの人は認知症とおもわしき老人が運転したセダンを降りて凍えているいるところにに大雪の中出会います

原文
http://writersalmanac.org/episodes/20170116/

自販機を電話だとおもって指差す彼を見て、彼女は警察に電話をかけます

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 「いらっしゃるときにライトと
 サイレンはやめてください」と911の
 指令員に彼女は頼む「怖がらせちゃうから」
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という時の彼女は人間全体を大切にする気持ちに満ちあふれています

私たちが本来持っているのは新聞記事の言葉ではなく、この短い詩のなかにでる言葉なのではないでしょうか。そしてその心くばりが効を奏したときに私たちはうれしいのではないでしょうか。

苦しさのなかで人間性を失わないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。それは悩むことではなく声をかけることではないでしょうか。

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