詩と惑星Web

蛇口×ミキ×チン・リーによる無職透明系せきららマガジン「詩と惑星」のデイリー版。
問い合わせ mikiman1973@gmail.com








koke









FIN












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はじめは、自分に価値ないと思って
どんどんして
今も
人に優しくされると
いつも体かモノをあげて返そうとするんです
申し訳ない気がするから
男女問わず
そしたら
200人くらい性交していた


ミキ「あほか
価値はあるよ」

 

信じません


ミキ「そうか
じゃあ俺はしんじよう
けれど体にも価値はあるから
あんまり分別しないことだな」


女の子の若さというのは
それだけでプレゼントのようなものだ
プレゼントはどんどん小さくなる
なにか貰っても
あげるものはなくなる
悪いね
だから
今度会ったら
お酒をおごってあげる
煙草を買ってあげる
ひとつ
ふたつ
たくさん
わかんないけど
自分が貰ったと
思うぶんだけ


ミキさんとのラインを振り返ると



げんきかー?
(ハムスターのスタンプ)
うん
自信もて
新曲きけ
げんきか?
きみはすばらしい
わかった
きみをひとりぼっちには
しない
ハロー
きみを絶対にひとりぼっちにはしない
ぜったい
えらいぞ
どうしてる?
わんわん
にゃおーん
自信もって
おはよう
げんきか?
おう
にこ
にこ
……




ミキさん蛇口さん、自分みたいな人を仲間に入れてくれてありがとう

昨夜はことばーかの打ち上げの沖縄料理屋さんで
ある人物の話題になってあまりにも感情が高ぶりすぎて投げ捨てる言葉が止まらなくなり
飲食中のテーブルに唾を吐きかけてしまった
実に野蛮な行動だった
でもやってみるとさわやかで気持ちがよかった
店の高いところにカウンターがあり店のオーナーの女の人がいて
その後に少し世間話をしたがそのことに目をつぶってくれて大人の対応をしてくれた
ありがとう
すみませんでした
打ち上げのみんなにも見苦しいところを見せてしまった

店の外に男性用のトイレがあり
入口にトイレの鍵があり
オーナーがカギをお持ちくださいと言うのでトイレの鍵を手に外に出た
外でミキ君が煙草を吸っていたのでそのままトイレに行くのを辞めて
早稲田通りからそのまま環状線に向かって走る
数メートルで漏らしそうになって
路上に放置された扉が開いた空っぽの冷蔵庫に放尿して
感情の駄々漏れを見つめた
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ことばーか10~ザ・ファイナル、無事終了いたしました!
ご来場くださったみなさま、気にかけてくださったみなさま、共演者のみなさま、受付のかほりちゃん、そして会場である早稲田キャッツクレイドルのオーナー夫妻、全ての方に感謝申し上げます!
本当にありがとうございました!












2017061219400000

朗読用の白いフレーム、通常用の黒いフレームを買った
昨日、お披露目できた





詩と惑星、ありがとうございました!
ミキ君、チン・リー本当にありがとう!

みなさん、ありがとう

また会いましょう



2017年6月12日21時20分 蛇口



















声を掛けてもらった時に、詩の朗読イベントの受付やそれに関連することのお手伝いをしている。

2005年に蛇口さんの主催していたイベントを見に行って、初めて詩の朗読を知った。
あまりに全私が喜んで、イベントが終わって、この、朗読の世界とはもう関わらなくて良い、と帰ろうとしたところで声を掛けてくれたのが、主催の蛇口さんと来客していた桑原滝弥さんだった。
後日、ウエノポエトリカンジャムのプレイベントに誘ってもらい、見に行った先にミキさんがいた。

私の中での詩人とは、この3人のことになっている。

スタッフをやりだした始めは、人の話す声が好きで、朗読のイベントが好きというだけで手伝っていた。
10年以上過ぎて、今、日常はより日常となり、些細な葛藤が増え、社会の中の個人として話すことも話を聞くことも、とても疲れたりする中で、詩の朗読が行われる時、世界が守られている、と感じる。




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かほり

主に受付スタッフ
絵と鼠












いつも不思議に思っていたんだけど、
どうして「詩と惑星」っていうタイトルなんだろう。

「音楽と人」って雑誌、あるじゃないですか。
なぜか「詩と惑星」っていうタイトルを見るたびに、
ぼくの頭の中で、その対義語のように
「音楽と人」っていう雑誌のタイトルが浮かんでいたんだよね。
でも、きっとその二つには
全然何の関連性もないんだろうな。


それはそうと、「詩と惑星」が終わる。
一日に何度もアクセスしたり、再読み込みしたりする
そんなウェブサイトは、たぶんFacedbookとtwitterと、
この「詩と惑星Web」ぐらいだった。
3分の1が消えてなくなってしまう。

さびしい。

ぼくがこれまで「詩と惑星Web」を
読むのに費やしていた時間を、
これからは何に使うのだろうか。

詩でも書こうか。









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大覚アキラ
(たぶんまだ)詩人、コピーライター


 泉由良というものです。こんにちは。
 私は、馬野ミキさんの処女詩集「子供の晩年」の復刊や、小倉拓也くんの第一詩集「火は綺麗」の出版などを手掛けた、「白昼社」という出版社をひとりでやっています。独りでしているので「出版社」というより、「出版者」です。本業は、自分の本の出版です。
 というわけで、【私は何故出版をするのか】というテーマで馬野さんにブログ記事を書かないかと振っていただいたのですが、ぼんやり考えて、結局【アートの収益は誰に支払われるべきか】ということしか自分が考えていないことを思い、上のようなタイトルにしました。

 現実の話。
 出版社から本を出すと、印税は良いところ10%です。
 1000円の単行本が1冊売れたとして、自分へ支払われるのは100円、税金のようなものが咬めば、90円ほどかも知れません。
 商業出版は、全国規模の駄菓子屋さんです。
 そのうえ詩歌の世界は、自費出版が多い、これでは駄菓子屋さんほどの価格もありません。
 私はそれが、凄く、厭でした。
 芸術をおこなった人間に、いちばんお金が入るようにと願ってはいけないのでしょうか?
 私は世間知らずです。本当は、取次業者や流通の仕組みを考えたら、このような考えでいてはいけないのかも知れません。
 でも、思います。詩を考えたのは詩人です。それなら、詩人がいちばん、対価を得る存在である世界であって欲しい。
 理想論でしょうか。理想論でしょう。
 でも、私ひとりの作業なら、理想論でも実行したかったんです。

 詩人の小倉拓也くんに「第一詩集を出したい」と云われたとき、「出版社を作って、印税率は40%にしよう」と云いました。これが、印刷費などを抜いて払える支払いでした。以来、白昼社の印税は40%にしています。

 うちの会社は(会社ではありませんが)凄いんだぞ、と云いたいのでもなく、みんなこうするべきなんだぞ、と云いたいのでもなく、ただ、私は詩を書いた人が、小説を書いた人が、写真を撮った人が、画を描いた人が、いちばん多く対価を得る仕組みを作りたいです。
 私のせかいでは、そうしたいです。
 就職することの出来なかった私の、もしも頑張って商業誌で文学賞を穫っていたとしても全国展開の駄菓子屋さん規模だっただろう私の、小さなせかいの小さな理想論が白昼社です。つまり私自身だって、小説や詩を書いた分だけ、対価を得たい。元々、そういうとても自己中心的な発想から始めたのが白昼社です。
 
 そういうことばかり考えていて、特に「私と出版」というような感じにはならなかったのですが、ただ「詩を書いた人間が支払いを受けてはいけないのか」という文章になりました。私はその為に、独り出版者をしています。

 可能ならば。
 これは私の勝手な願いですが。
 詩を読んで感動したら、その詩集の著者にお金を払ってください。その詩集の著者の人生の日毎の糧の一部を払われたら、それが私が願っていることです。
 詩を書いたひとは出来れば「お金を払うから読んでください」と他人に云わないでください。あなたの作ったものは、あなたの人生の糧の足しになる対価に値するものだと知ってください。又は、値するものをつくってください。

 アートは衣食住ではないので、支払う相手がクリアに見えにくいのだと思います。でも、創ったものは、育てたお野菜や料理した食事と同じものだと、私は思います。

 最後に少しだけ広告をします:泉由良の近著は『ウソツキムスメ』と『soyogui,その関連』といいます。小説や詩や絵で本を、つくっています。
 白昼社の名前を見掛けたら、馬野ミキさんの詩集を復刊した奴だな、と思い出してくださったら嬉しいです。

 ではでは。



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泉由良
白昼社 http://www.necotoco.com/F7/












小舟でゆく


雲母のみずうみを
小舟で進みゆく
ゆっくりと艪を漕ぎながら
遠いアクアマリンの空の色に
季節を知る

舳先に旗を立てている
白い旗と黒い旗
トパァズに薫る風にはためいて
白と黒とが交互になびく

白い旗は真実の象徴
黒い旗は虚偽の代償

行きたいところへゆこう

疲れたならば小舟のふちに倚り
静かに目を閉じて
水面のさざめきに耳を澄ます
光が飛ぶ如くうつろう現世も
今は遠い
なにもかも遠い

白い旗は冷ややかな視線
黒い旗はあたたかな血液

行きたいところへゆこう

小刀で彫って作った笛を
ほうう ほうう と吹くと
音は細かな石英の粒になって
水面に落ちる転がる水は震える揺れる
ほうう ほうう

白い旗の白い眼
黒い旗の黒い血

潔白な身ではないけれど
誰かに導かれるわけでもなく
こうして小舟で進みゆく

潔白な身ではないけれど

さあまた艪を漕ごう
虚実ひるがえして先へ進もう


 *

 生きるしかなかった。死なずに存在する為に。
 これからも。最後まで。



死んでも、詩や言葉は残る。
そんなことはない。

私が死んだあと、人類は滅亡する。
惑星は崩壊する。宇宙は終焉する。

無だ。
だから詩が存在している。
他のすべてのものと同じように。

×

「詩と惑星」が終わるというので、あわてて書いている。

はじめ「ミツコの詩」という漫画について書くつもりだったが、
作品での詩の扱われ方があまりにぞんざいなのでやめた。
「ミツコの詩」は詩のボクシングがテーマの漫画だ。

さまざまな背景を持つ選手が詩の朗読でどつき合うような、
青春バトル漫画を期待したがそうでもなかった。
現代詩や同人誌の世界をわざわざ醜悪に描き、
相対的に朗読の魅力を表現するという方法はかなり乱暴だ。

旧弊で閉鎖的な現代詩と、
自由で開かれた詩のボクシングあるいは朗読、
という対比にはそもそも無理がある。
どちらもそれなりに開かれ、それなりに閉鎖的であって大した差はない。
ネットで書かれている詩だって似たようなものだ。

自分の居場所が、幾分ましに感じられるだけだ。

×

詩を読んだり、書いたりするとき、
人は「詩とは何か」について考えている。
たとえそう意識していなくても、
「詩とは何か」を考えずに詩を読んだり、
書いたりすることはできない。

×

現代詩手帖という雑誌に、この一年ほど詩作品を投稿をしていた。
いくつかが選外佳作となり、いくつかが入選した。
そして投稿者に与えられる年間賞は「該当者なし」だった。

桑原滝弥さんの、
「かるがるしく詩人となのりなさい」
という言葉がずっと好きだ。
私は一度として軽々しく詩人と名乗ったことはない。

二十年ほど前、
どうすれば詩人になれるのか、と平居謙さんに言ったら、
検定試験で詩人になれたら面白い、ということになり、
朗読イベントで「詩人検定」みたいな企画をやった。
そうとうひどいものだったから、すぐにやめた。

賞でもとっていたら私は詩人を名乗れただろうか。
たぶんそういうことではない気がする。
私にとって、
詩人は生まれついてそうある属性のようなものだ。

おそらく私は詩人ではない。

×

「詩と惑星」へ載せる原稿には条件がひとつだけあって、
それは「せきらら」であることだったが、
本当に赤裸々なものを私はけっきょく書けなかった。

赤裸々な言葉は、自分を傷つけたり、他人を傷つけたりする。
自分を傷つけることには、もうあまり躊躇もないが、
他人を傷つけることは好まない。
そして言葉は、自分だけを傷つけるようにはできていない。

ここで書きつづけていた三人は、
それでも赤裸々に書きつづけていた。
他人を傷つけるより以上に、
たしかに自分が傷ついているように見えた。












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古溝真一郎
2ちゃんねる詩・ポエム板発 同時多発朗読会 大阪幹事
都内「書肆逆光」にて、詩の合評会を主催。
ツイッター  @gekikara


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