メコン社から出版された「タゴール10の物語」大西正幸訳 西岡直樹挿絵
の出版記念講演会が、横浜市の大倉山記念館で11月16日に開催されました。
プログラムは、奥田由香さんのタゴール歌曲、西岡直樹さんの講義、大西正幸さんの講義
奥田さんから歌のマイクセッティングを頼まれました。
今回の歌はタンプーラと歌というシンプルな構成です。
奥田さんとは何度か、シタールで歌の伴奏をさせていただいているのですが、自分ではなかなかタゴールの歌のイメージが掴めず苦労していました。
タゴールの歌を理解するために、メロディを追いかけて歌詞の意味を理解していくだけでは、どうしても軽いものとなってしまいます。
またネットには、たくさん動画はあるのですが、様々なアレンジが加わっているものが多いのです。
それらは、ちょっと聴くと軽音楽のようにも聞こえたりします。
タゴールのメロディを「素材」として軽音楽としてのアレンジを加える・・
そういったものがあっても良いのかも知れませんし、タゴールもそう考え作った作品もあるでしょう。でもそれだけでタゴールの詩歌を理解して良いのかな・・という問いかけはいつも奥田さんの歌から感じていたのです。
娯楽のための音楽ではなく、心を耕し人生の内面を照らしてくれる、そういったものとしての詩と歌。
シャンティニケタンの先生方の歌曲のビデオを何度も聴くことで、少しずつ自分なりの理解が進んでくれたのかも知れません。
そうした結果、私なりの未熟な中での理解は、タゴールの歌曲は一見素朴だけれども、実は詩と歌が複雑に交差して、とても繊細で深い内容を含むというイメージです。
生涯をかけて深めていくべきものだとも思います。
詩人タゴールが自分の詩に旋律をつけて作った作品。
言葉のひとつひとつの抑揚やリズム感、言葉が生み出す感情はとても細やかで、それに旋律を重ねて作られた作品です。
多くの調べは古典音楽の伝統的な旋律体系Ragaに準じて作られています。
作者の心境に少しでも近づけるように表現していくことは大事。
言葉の壁はあるでしょうが、言葉の意味がわからなくても、伝えようとする気持ちは伝わるはずです。
それは、自分が体験してきたことなので、はっきりそう感じるのです。
シタールで歌の伴奏をしながら、少しでも芸術作品として作りたいと願っていました。
ただどうしてもシタール1本でタゴール歌曲の伴奏を支えるのは、自分の実力ではおぼつかないものでした。
今回は、音響装置やマイクのセッティングとミキサー卓での調整をしましたが、シタールで伴奏をしている時と同じように、歌声や調べの移り変わりをよく聞きながら音を調整しました。
ミキサー卓にいてわかったのですが、歌の独唱の音響の調整は楽器伴奏とほとんど同じ。
特に奥田さんは、本当に美しく歌われますが、自分自身の美声を聴かせようということではなく、歌を通してタゴールの詩と歌が描く世界を伝えていきたいという想いが強いようにいつも思うのです。
ですから。自分としてはベンガル語がわからないのが恐縮なのですが、訳詩を参考にしたり、少ない語彙から理解することにつとめながら、至らないかも知れないですが自分の音楽的な感性で、奥田さんの謙虚で真摯な想いを引き立てる努力をしました。
シャンティニケタンの木陰に集い柔らかい風に吹かれながら響く歌声、時に木の葉を揺する風のざわめきや遠くに聞こえる鳥の鳴き声・・そのようなイメージを含めながら音作りをしました。
ただしあくまで会場の自然な響きが一番大事で、作為的、意図的な音響は、タゴール歌曲の場合、不似合いです。
今回、大西さんが作ってきて下さった奥田さんのキーに合わせたボーカル用のタンブーラを使いました。
豊かな響きがあるので、奥田さんはタンプーラに歌声を乗せることにとても秀でていますので、この弦の響きと歌声が合わさった魅力はとても大きいのです。
このタンプーラの工房は、以前、私が大西さんに大きなボーカル用の駒(ジャワリ)を購入していただいた職人さんの工房です。
その時の手仕事がとても誠実な仕事のようだったそうで、その後、大西さんご自身のエスラージの修理と奥田さん用のタンプーラを購入されたそうです。
西岡さんと大西さんの講義も素晴らしいものでした。
そしてとても貴重なものでもありました。
そんな催しにお手伝いのスタッフとして参加出来たことは、ありがたく貴重な体験でもありました。
この短編集は途中まで読んだ段階なのですが、訳がとても素晴らしく注釈や解説も充実していて、楽しく、味わい深く読んでいます。
今の世の中、ネットの情報が氾濫して飛び交っている状況です。
多くの言葉が「情報」として乱用されて、言葉に疲れてしまうこともあるように思えたりします。
だからこそ、吟味された言葉を味わえる良書と出会うことは、人生の宝ものなのかも知れませんね。