辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

梅雨明けのシタールのメンテナンス

梅雨明けのシタールのメンテナンス

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季節が移るとき、環境が変化しますから、楽器の具合も変化します。
Sitarは木工の繊細な弦楽器で、何本もの繊細な金属弦を張っているので、湿度、温度の変化には敏感です。

梅雨の長雨が続いて、晴れ間がのぞいてきて、だんだん本格的な夏の訪れですが、楽器の鳴りが大きく変化したことに気が付きました。

はっきりした原因がわからなかったので、とりあえず、楽器を拭きました。

楽器を拭くことは、メンテナンスとして重要だと思っています。
普通は、楽器は演奏する、つまり音を出すもの、「弾く」ものなのです。
が、あえてそこから離れ客観的に観察するために、拭く、つまり汚れや埃を掃除をしながら状態を観察することは大事だと思います。

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タンプーラを弾く気持ち

タンプーラ、特にボーカル用のものは、素晴らしいです。
自分としては、インド楽器の中でも、古い時代から長い歴史をかけて伝えられてきた、
完成度が高い最高の楽器ではないかとさえ思っています。

とてもシンプルな作りですし、演奏もシンプルではあります。
音だけなら機械でも出せるのでしょうが、やはり生楽器の魅力はもっと別なところにある気もします。

ボーカルは、人間の生の声から生まれます。
それを底辺で支えるのがタンプーラの響きです。
大きなボディ全体に響く緩やかな音色
それは歌い手のすぐそばで静かに穏やかに響いています。

華やかさはなく、そっと添えられているような音
けれども、とても大事な音・・
タンプーラの音に支えられて、旋律は自由に舞うことができます。すべての旋律のインスピレーションの源です。それは梵我一如に至るための道しるべでもあります。
タンプーラの弾くとき、どんなことを気持ちの中で大事にするものなのか・・といつも考えていました。

ふと気が付いたことがあります。
私はクリスチャンではないのですが、有名な「コリント人への手紙」の「愛」について一節はよく聞き及びます。
その「愛」という言葉を「タンプーラの音」に置き換えると、タンプーラの存在を見事に言い表しているように思えました。



タンプーラの音は寛容であり親切です。
また人をねたみません。
タンプーラの音は、自慢しません。高慢になりません。
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
タンプーラの音は決して絶えることがありません。

2006-7-7-10-222










練習用シタール


■練習用の楽器
練習用のシタールを、もう50年近く使っています。

演奏用の楽器ではないのかもしれません。
大雑把に言うなら、中学生が練習用に買ってもらった安価な楽器といったところでしょうか。
けれど手入れを重ねながら使い込むうちに、いつしか常用するようになりました。


私なりの考えですが、シタールには手作りの部分が多く、安価なものほど、優秀な工具を使わず手作業で作られた部品が使われているように感じます。

インドの「チャイ用の素焼きのコップ」を思いおこします。
街角のお茶屋さんで、低温で焼いた素朴な素焼きのコップでチャイを出してくれることがあります。
職人さんが丁寧に作った素朴な器で、飲んだあとに足元へ捨てると、やがて土に戻り大地に還っていく——そんな循環をもつ日常の器です。
日本の茶道ではとても高価で貴重な茶器を長年使っていくこともあります。
けれども、永遠への憧憬への気持ちというところでは通じ合う精神性を感じることがあります。
私の楽器も、どこかその素焼きのコップを思い起こさせるような、そんな素朴な作りです。
音色は立派なシタールには及ばないのかもしれませんが、朴訥さが自分らしく、愛用しているのです。
手仕事で作られた日常づかいの雑器に美を見出す、柳宗悦が提案した「民藝」のような美意識の感覚なのかも知れません。

練習用という気楽さもあって、私はこの楽器に自分であれこれ手を入れています。
日本にいるとシタール職人さんに楽器管理をお願いすることができないので、自分で考えてメンテナンスするしかありません。
チャレンジした作業は、失敗することも多いのですが、それでも続けられてきたのは、この楽器を通してたくさんの「失敗する体験」をさせてくれたおかげです。



■教材用楽器メンテナンス

そんな楽器ですが、これまでにずいぶん役立ってもくれました。
芸大では、20台ほどのシタールを、足かけ25年にわたりメンテナンスしてきました。
古いものでは、小泉文夫先生のコレクションのようなものもあります。
作りも個性もまちまちで、「シタール」と言ってもこんなにも違うのかと驚くほどです。
それでも、すべての楽器を学習用として学生が等しく使えるように手入れするのです。
立派な楽器に仕上げる必要はありません。シタール演奏を学ぶなかで、インド音楽の理解の入口となってくれれば十分なのです。

このメンテナンスの仕事で、私の素朴な練習用シタールを使ってきた経験は大いに役立ってくれました。
立派な楽器では問題にならない部分でも、素朴な作りの楽器では丁寧なケアをしないとうまく働かないことがあります。
自分の楽器でそうしたトラブルを経験していたので、むしろ順調に作業が進むことも多かったのです。


手のかかる楽器はメンテナンスに苦労しますが、なぜか愛着も生まれるものです。
するとその楽器の中に、他にはない良さを探してみたくなります。
そして、それを見つけることができたときには、とても誇らしい気持ちになるのです。

楽器のメンテナンスは長年頼まれて続けてきたことですが、正直なところ私は素人だと思っています。技術や知識は至らないことばかりです。それでも何とかやってこられたのは、それぞれ個性の違う楽器たちへの愛情と誇りがあったからでしょうね。それぞれの楽器に込められた楽器職人さんたちの手仕事に対しての感謝と敬意の念が、心の支えになってくれました。


今日もまた、素朴な練習用シタールで、素朴な練習を続けています。


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