辰野基康のブログ

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ラビンドラナート・タゴール「少年時代」


「良書とは何か」ということはよくわかりませんが
人生の中で、長い時間にわたって寄り添ってくれる本はあります。

岩波の新書や文庫の、林家辰三郎の「歌舞伎以前」や「枕草子」は、今も愛読書です。
半世紀以上、読んでいることになります。
その割に、内容を熟知しておらず、気分的な「読書子」ではあります。


インド音楽に出会い楽器そのを演奏しながらも、いつも日本やアジア全体の文化史など、自分が生きてきた暮らしの中に息づいている文化の土壌、根っ子をさらに知りたいと思っています。
そうした視点をもつことで、自分の根っ子にある文化的な大切なことを観ることができる。
また「外国の華やかな文化」への憧れというのも大事ではあるけれど、それだけのことだと、音楽の中にある大切なことを見失ってしまいそうで。



ラビンドラナート・タゴール「少年時代」


タゴール自身の幼年〜青年時代の回想録のような作品です。

ベンガル語がわからないのにタゴールソングを聴き慣れてきて、タゴールの詩のリズム感や抑揚、韻などが何だか面白いように感じてきたこの頃。

そんなタゴール自身の子供時代の想い出を中心に、子供に戻ったような瑞々しい文体で書かれています。
そして、その文体の中にあるリズム感が心地よいです。
土地に根差した土着的な調べや物語。
タゴール少年が眼を輝かせて、わくわくしていきたこと。
小鳥のさえずりのように語られます。

本編だけではなく「解説」がとても充実しています。
タゴール家の歴史やタゴールの祖父、両親、兄弟などが丁寧に説明されています。
こちらだけでも一読の価値があります。

久々の良書に出会えました。
美しい装丁です。
出版社. めこん ・ 発売日. 2022/10/16


タンブーラの修理で「駒」を買い届けていただいた大西正幸さんの訳です。

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シタール救済計画

先日、ボーカル用のタンブーラを修復し終えました。

完璧に修理が出来たかと言うと、そこまでの自信はありません。
それでも自分が出来る範囲のことをやって、楽器がその音を取り戻し、蘇るというのは、修復するものとしては、とても嬉しいものです。

さて、修理する楽器が手を離れてしまうと、ちょっと寂しいものです。
ふと見渡すと、何年も前から、引き取って弾いていないシタールがあります。
そんなに悪い楽器ではないと思うのですが、フレットのところにちょっと問題がありそうで、いつか診ておこうと思い、そのまま部屋の隅に放置しています。


楽器は触らず放置していれば、何年たってもそのままの状態です。
自宅にある小物の楽器などは、そんな憂き目にあっているものは多いのですけれど。

ちょっと手を入れてみようかな。

まずは、外観だけでも掃除しよう。

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11月3日、調布市の祇園寺の本堂内で、タゴールソングとシタール演奏の催し

すごく役得でした。
奥田由香さんのタゴールソングをとても自然な残響の空間で聴けたからです。


11月3日、調布市の祇園寺の本堂内で、タゴールソングとシタール演奏の催しがありました。

部屋の残響が自然で、歌、演奏には音響機材は使わず、生音での演奏
生音のチェックをしたのですが、残響がとても良かったのです。
響き過ぎもなく、ほんのりとわずかな響き。

リハーサルでは人がいないので、壁や床や天井からの反響が聴こえてくるようでした。
このナチュラルな感じは、スピーカーシステムではなかなか表せない気がします。

何故なら、スピーカーは音が出る「点」ですが、壁や床や天井は「面」
つまり、反響した音が上下前後左右から聴こえてくるのです。2Dと3Dの違いですね。

自分の演奏に関しては、普段練習している何十通りの中のひとつです。
もっとも本番では、思いがけないことがありますね。
普段のパターンが展開せず「あれ、これって進まないね」となってしまうことや
今まで同じラーガで何百時間と練習してきたのに出なかったものがふと出てきたりします。
<場の力>なのでしょうか。
朗読との共演では変則チューニングをしましたが、想定した響きが得られたので満足でした。

自分の演奏のことは、演奏が終わると頭がからっぽになります。
ですからそのくらいしか関心がありません。




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共演者の奥田由香さんの演目はタゴールソング。

私はタゴール研究の専門家でもないので、素人なりの理解力しかありませんが。
タゴールソングとは、ベンガル語の詩人、ラビンドラナート・タゴールの詩に、詩人自らがメロディーを付けて歌にした曲のことです。
詩人として著名な人です、その詩に作者自身がメロディを付けてくれたので、詩をそのまま歌えるというのは魅力的ですね。
歌はインドの古典旋法に即したものが多いです。

奥田さん歌うのタゴールソングは、タンブーラ一本で弾き歌うというのが基本のスタイル。
それだけタゴールの詩が持つベンガル語のリズムや抑揚がとてもよくあらわされると感じます。

ところがタゴールソングは、ベンガル語を母国語とする人達の中でも、楽曲編成されたりポップ風にアレンジされたり、多様に編曲されて歌われています。
まるで、円空仏のような存在感です。
タゴールの詩は多様性もあるようなので人それぞれの想いや取り組みがあって良いでしょう。
けれども、自分が書いた作品にメロディをつけて歌うように詠む、というタゴールの想いは、素朴な構成で演奏されてこそ、活かされるの気もします。

何度もご一緒させていただいたり、録音した音源の編集をさせていただいたりして、奥田さんの表現に触れてきました。
小さなプライベートスペースでの共演、タゴール自身が講演したという日本女子大の講堂での演奏、こちらもタゴールが滞在した横浜三渓園の庭園内での観月会など、いくつもの印象的な場所での共演でした。
自分ではベンガル語がわからないので、時間をかけてゆっくり消化していく中での理解でしたが、このタンブーラ一本の伴奏でのタゴールソングのスタイルの魅力に気付きはじめました。

(分野はまったく違いますが、ジョアンジルベルトの1999年のアルバム「声とギター」爪弾かれるギターと歌だけのシンプルな構成が美しい。詩の朗読を聴いているような、そんな感じ。)

もしシタールがあえてそこに入るなら、曲によって水彩画のような淡い色合いをつける程度で良いし、タンブーラの一種くらいの存在感が良さそうな気もします。



生の歌が一番良いのですが本当に響きの良い空間でなければ、なかなかその魅力を十分に味わうことが出来にくいのです。
タゴールソングに適した残響の空間はなかなかないのです。
そのため、マイクを使いエフェクトを少し加えてモニタースピーカーから音を出すことをアドバイスしたこともあります。
そうすると、確かに響きは良くなりますが、本来のタンブーラ+歌声の音色の魅力を十分引き出しているかどうか、そして、タゴールが詩を書き歌を作った時の、本来の響きにどこまで近づけるのか、

ナチュラルリバーヴがかかった音 室内の天井や壁や床に音がわずかに反響して柔らかく響いてくる歌声
本当に魅力的です。

歌詞とメロディの調和した響きのように思えます。


ベンガル語と言う馴染みない言葉で書かれた美しい文学作品を、日本語で説明し鑑賞していただくこと、そこには、とても高いハードルがあると感じます。

インドのタゴール大学で長年学ばれ帰国されてからも長年タゴールの音楽や世界観の普及に努められてきました。
外語大学の講師レベルの高くて正確な語学力も奥田さんのタゴールソングの魅力を支えているひとつでしょう。
だからこそ、私たち聴く側としても、芸術作品としてタゴールソング、そしてタゴールの世界観を身近に触れることが出来るのです。

タゴールは「アジア初のノーベル賞受賞者」ということで、作品を味わう以前にその偉業ばかりが独り歩きすることもあるのかも知れませんが、私個人の思いとしては、神格化されたタゴール像ではなく、人間として思い悩むことなどもありながらも、美しい詩や曲を作り、調和した世界観をその中に生み出してきたひとりの稀有な芸術家として、感謝と敬意の念をもって作品を鑑賞したいと願っているのです。

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