辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2007年12月

Happy X'mas

クリスマス おめでとう

大好きな 妻と娘たち へ

遠くで暮らす両親、姉妹 へ

家族を支えてくれる 仲間、友達 へ


  がんばって 今を生きている たくさんの友 へ


クリスマス おめでとう 

「ダウンロード違法化」論争についての私見

権利というのは、時に、自分や家族を守ってくれるものですが、
時にやっかいなものにもなるんですね。

ITメディアニュースより
反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ



ダウンロードの違法化について


悲しいことですが、ファイル関係は正規の販売品であっても、
盗んだもん勝ちみたいな風潮は、ネットの一部にはある気がしますし、
それを、かっこいいことだ、という感じで、煽られている方もいらっしゃるようです。

全体からみれば、とてもごく一部なんでしょうが、
きちんとお金を使えない、お金の使い方がわかっていない、
生活や仕事と遊びの区別がついていない幼児性、
本来みっともないことですよね。

ところが、それが、人目を引いて、一部からヒーローのように扱われるのも、
また、この世界独特のものなのでしょうか。

だからでしょうか?近くのパソコン関係の家電屋さんでは、出口に万引き防止の機械がついています。

これも悲しいことです。



著作権って


あらゆる著作物には、権利があります。
人権というのが、人間としての権利であるのと同じ。

人が心を込めて何かを作ったのであれば、
その「心」に対して、あるいはそこにある「人格」に
敬意を払うのは、当然のことです。

例え、子供のラクガキのようなものでも
人から見て「下手だなぁ」と思えるようなものでも
誰もが認めてくれないようなものであっても
もちろん、素晴らしいできばえのものであっても

その人の心の想いが込められたことに対しては、
対等に接するべきだと思いますよ。


技術というのは、熟練している、していないという点で優劣をつけられるかもしれませんが、
表現というのは、人としての、もうちょっと深い部分が関わってくるものでしょうから。




著作権とタヌキの皮算用



人権と違い、著作権は、お金儲けの手段ともなります。

利益を上げるための商品を作るような場合、
ましてヒットを狙う商品なんかであれば、著作者を離れて、
いろいろな立場の方が、関わってくるわけです。
それぞれに生活がかかっていますから、もちろん、必死です。

例えば、1000円の格安CDだって、10万枚売れれば、1億円です。
10万というとすごい数みたいだけれど、
人口1億人の日本だったら、1000人にひとり

プレスや印刷物、製作原価なんか、今の時代それほどかからないでしょうから、
販売手数料や管理費を差し引いても、コンスタントに完売していけたら、大勢の人が潤うよね。

・・と、タヌキの皮算用をしてみたり(笑)
ま、現実は、そんな単純じゃないですが。


それを、単純にしちゃうのが、違法コピーだったり、違法販売だったりするわけですね。

かっぱらって、コピーして、販売価値のないものにして、
製作、管理スタッフの、生活かけた努力を無意味なものにするんですから、
これは、もうルールを完全に無視の、ムシのいい話しですよね。

そりゃ、作った側は怒りますよ



ひとり勝ちしたい幼児性


もっとも、ある種のソフトや、媒体なんかは、えらく儲け過ぎているような気もするのだけれど。

本来、権利を用いて、そこから利益をあげようとする場合、
独占禁止法という、資本主義経済の大きな柱がありますので、
権利の濫用を防ぎ、社会性や公共性に十分留意しなければならないと思うのですが。

まぁ、この濫用も、ごく一部のことなんでしょう・・
やっぱり、ひとり勝ちしたい幼児性みたいなものを、感じたりします。
その風潮に、皆が引きずられてしまう。


結局、両端にある、ごく一部の幼児性に、たくさんの人が翻弄されているような、
気がします。



2007インド年といっても、私には縁が遠かったようです

遠ざかるインドと、魅了させられるインド

2007インド年・・と言っても、あんまり縁がなかった、
というか、縁が遠かったような気がします。

どこか、ずっと遠くの国の出来事のようでしたよ。

ところが、在日インド人あるいは来日のインド人の方々には、今年も、
いろいろとお会いしましたし、感謝できる出会いもあり、
また、とても尊敬できる方にもたくさんお会いしました。

もっとも、どこの国の人ということは関係なく、素晴らしい方は素晴らしいですよね。


ともあれ、どうも気持ちの中で、インドという国がますます遠くなっていくようです。

日本にとって、昔から、天竺は遥か彼方にある存在でした。
海を渡り、あるいはまた、大陸を越えて、
潮の香りをたっぷり含み、また、大陸の日差しをいっぱい浴びて運ばれ、
小さな島に育った、遠い空の彼方への憧れ・・
それが「天竺」なのでした。

きっとそのものずばりの、極彩色の鮮やかさや華やかさは、
一時の憧れとしてではなく、日々の暮らしに溶け込ませるには、
私にとって、あまりにも眩しすぎるのかもしれません。

それでも、あの風土で生まれ育った「人の心」のようなものは
私を魅了して止みません。

それが
インド国なのか、ネパール国なのか、バングラデシュ国なのか
スリランカ国なのか、パキスタン国 ・・ etc なのか・・
それすらわからないのですが。

そういう意味でも、私にとってインドはとても不思議なところのようです。


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