辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2008年03月

目の前の命を大切にする、その豊かさを本当に育てあっていけるのは

悲しい事件の背後にあるもの

心痛むような事件の報道が続いています

豊かで淋しい時代

せっかくのBlogですから、楽しいことだけを書きたいなぁ・・と思いつつですが。

将来を担う若い世代の、心痛む事件が、あいついで報道されています。
もちろん、どんな世代でも、迷いながらでもきちんと暮らされている方々がほとんどでしょうし、また、いつの時代も、人間が引き起こす悲惨な出来事は、あるでしょう。

けれども、特に若い世代であればあるほど、時代の流れを受け止める感受性が豊かでしょうから、そこに事件がおこったりするのではないでしょうか。

そして、私は、この情報に溢れた今は、豊かさと孤独が複雑に交差する時代なんだろうな・・と考えたりするのです。


いきなり100ヶ国語をわかるようになっても

電源を切れば、関係が切れる

技術的なコミュニケーションの道具が、これほど日々変化する時代があったでしょうか。

例えが適切ではないかもしれませんが、いきなり100ヶ国の言葉がわかるようになったようなものです。
一見、技術の進歩に、圧倒される気がします・・が

でも、「会話が成り立つ」、というのと、「本当にお互いを理解する」いうのとでは、
根本的に、違いますよね。
電源を切ってしまえば、そこで基本的な関係は閉ざされてしまいます。
つまり、表面では華やかでも、本質は、とても脆弱な関係でもあるわけです。


本来、人との交流は、現実の暮らし、生活を通じての、お互いの小さな積み重ねから、花開いていくものではないかと思うわけです。


変化の激しい時代だから

仮想現実の世界に引きずられる

めまぐるしく変わる情報の世界ですから、いい情報があれば、飛びつく。
新しい情報があれば、さっと乗り換える。

私は、ビジネスの世界をほとんど知りませんが、部署の再配置、出向、リストラ・・
これは、時代の変化に乗って業務を作っていくビジネスの現場では、たぶんよくあることでしょう。
そういうシステムを徹底しなければ、何百、何千という従業員を抱える大企業はやっていけないのかも知れません。

今の通信の仕組みは、大手の企業が絶対的に優位な立場ですから、そういった事柄は、通信ネットワークの一面に、きっと反映されているのでしょうね。

そして、幼い頃から、そのような環境が周囲に当然のようにあるのが、これから育っていく大多数の子供たちなんでしょう。


大樹でも芽吹く若葉は初々しい

人は絶えず成長していく

でも、人の世というのは、ドライなビジネスの仕事の人間関係だけではなく、
もっと複雑で、ひとりひとりの人の情緒や感情から成り立っているように思います。

仕事ひとつとっても、計算ずくしの人間関係だけではなく、
地味かもしれない、あまり儲からないかもしれないけれど、
もっと情緒や心を大切にしないといけないものは、世の中、たくさんあるはず。


新品が一番良くて、使うほどに機能が壊れていくだけの家電製品と、人間は違うんです。

人は、いつだって成長していくのです。
それが、いのちある生き物の定め。

どれほど幼くても、未来に向けた命の力強さがあります。

どれほどの大樹であろうとも、芽吹く若葉は初々しいのです。

命を粗末にしないで

朴訥に命を大切にできる暮らしに憧れますよ

見ず知らずの方を、衝動的に殺害してしまうような事件、
他人であっても、自分であっても、命を粗末にすること。
その背景には、きっと、どこかに時代の影が映し出されているような気がします。

時代を築いていくのは、表面的には、一握りの力ある人たちや組織なのかも知れません。

シタールという民族楽器を弾いているということで、「何か非凡なものを持つ人間なのではないか」などと誤解されたりすることもありますが、残念ながら、私はきわめて俗人、凡人でしかありません。

音のこと、音楽のことは、大事に想うものはいろいろありますが、時代の風にいつも晒されながらも、家族とともに暮らす質素で平凡な日々を感謝して過ごしています。


けれども、一寸の虫にも五分の魂です


自然や暮らしに根付いた文化を

人のアイデンティティは暮らしの風土から

目の前の命を大切にする、その豊かさや強さを、本当に育てあっていけるのは、地位も名誉もお金も持たずとも、確かな今を、一生懸命生きている人たちではないか、と思っております。

それは、インドも日本も関係ありません。

「何」人というのは、上から決められた行政上の区分でしかなく、人は人なんです。
人を人として在らしめるのは、日々の暮らしから生まれた生きる知恵、それが豊かに蓄積された精神的な風土こそ、本来、人が暮らしていく姿なのではないでしょうか。

気候が生み出す各地それぞれの歴史や風土、土地の話し言葉というかけがえない資源や人の交流・・
日本「国」ではなく、日本「島」に暮らす私として、自分の在り方を考えてみたいものです。

ゴーギャンがタヒチ島に渡り、「私たちはどこから来たのか。私たちは何者か。私たちはどこへいくのか。」という問いかけの題名の絵を描いたように。

※下書きとして投稿した記事を加筆訂正したものです。
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(C) Motoyasu Tatsuno  http://sitar-player.com/

シタール一本、30分のストリート・ミュジックに挑戦

アジア交流音楽祭2008交流ステージ

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2008年4月19日


このところ、毎年出演させていただいている催しです。
川崎シンフォニーホールでは、大きなメインステージがあります。

他に、各所での小さなライブがあり、そちらのほうに出演いたします。

「ストリート・ミュジシャンなどによるライブ」となっています。

しかし、私はストリートの経験はほとんどないのですよね。
つまり、ストリート音楽に関してはビギナーです。
でも、ストリートミュジックにも興味ありますよ。

これは、インドを旅して、道ばたでたくさんの音楽に出会って、
それは、ホールで聴くのとはまた違った感動があったからなんですが。

もっとも、舞台を設営していただき、音響がつき、さらに司会の方までいて下さる・・
状況設定が出来ていますので、その面でストリートとしては贅沢です。

ただ、地下街の中、入場無料の催しですから、その状況にふさわしいプログラムを用意するべきなんですよね。

さてさて、どんな風に組み立てていきましょう・・
     
  1. エンターテイメント系(お客さんに手拍子なんかをいただくとか) 
  2. プログラム系(あくまでも鑑賞作品を発表するスタイル) 
  3. ライブ系(上のふたつを状況によって組み合わせる)

たぶん3.になるんでしょうか。
準備し過ぎないようにして、入念に準備する、といった感覚でしょうか。
手堅くまとめるなら、何となく見えています、が・・
それだけでは、毎年同じになってつまらない。
かと言って、過度に冒険しても、けっこう浮いてしまうんですよね・・

一本の楽器だけで、街頭の観客に聴かせる30分というのは、
短いようで長いのです。
しかも、地下街というのは、独自の空気感があります。
そういった意味合いでは、とても創造的な挑戦も可能です。

美術館での演奏も好きですが(特に現代美術)、地下街もなかなか面白いのです。

サウンドチェックの時間は限られるけれど、現場での音作りがポイントになるんでしょうかね。

物販も出来る(?)そうですから、手作りのCDを販売していただこうかな。
量産モノではないから、大丈夫でしょうか。



アジア交流音楽祭

出演:スタジオアゼリア広場(JR川崎駅東口地下)・4/19日 12:00〜12:30
入場無料


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(C) Motoyasu Tatsuno  http://sitar-player.com/

チベット、日本の共通する根っ子

チベットに平和を

3月10日から発生した「チベットの動乱」

チベットは、広大な土地です。
古くからの仏教が人々の暮らしに根付いているんでしょうね。

ペマ・ギャルポ氏が、今回の出来事について語られています。
挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ【産経ニュース】

北京オリンピックを控えて、中国政府としては、
大国としてのメンツにかけて、対外的なPRに懸命なんでしょうが、
少数民族の問題は、きわめてデリケートで難しいことですよね。


  ●  

ワタシには、中国人の友人が多数いて、まじめで、とても良い方ばかりですが、
「個人」とその国の政府のあり方は、イコールではない場合もありますよね。

大国になればなるほど、巨大な経済の動きが生まれ、
その枷で、にっちもさっちもいかなくなり、
その結果、強権を発動するしかなくなってしまうんでしょうか。
アメリカなんかも、同じ気がしますが・・

中国政府は、とても強硬な姿勢で、チベット側との対話を拒んでいる印象があります。
インターネットも閲覧が厳しいということですし、なかなかの強権国家ですね。
もっとも、歴史的にも、万里の長城のような、ケタ違いの国境線を作るという歴史があるんですから。

国家、組織の管理化にすべてを置かないと、社会が動かないというのは、
大きく見れば、国家や国策を越えて、「戦争の時代の病」なのかもしれません。


  ●  


漢文化という、圧倒的に巨大な文明の狭間で
その地、その地にふさわしい、独立した豊かな文化を培ってきた、という意味では、チベットも日本も、どこか共通する根っ子がある気がしています。


一日も早い平和的な解決策で、動乱が静まり、
チベットで暮らす方々にとって、真の平和が訪れることを願っています。


外部リンク

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
日本の皆さまへ

チベット式
【2008年チベット動乱】よく聞かれる質問集
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