悲しい事件の背後にあるもの
心痛むような事件の報道が続いています
豊かで淋しい時代
せっかくのBlogですから、楽しいことだけを書きたいなぁ・・と思いつつですが。将来を担う若い世代の、心痛む事件が、あいついで報道されています。
もちろん、どんな世代でも、迷いながらでもきちんと暮らされている方々がほとんどでしょうし、また、いつの時代も、人間が引き起こす悲惨な出来事は、あるでしょう。
けれども、特に若い世代であればあるほど、時代の流れを受け止める感受性が豊かでしょうから、そこに事件がおこったりするのではないでしょうか。
そして、私は、この情報に溢れた今は、豊かさと孤独が複雑に交差する時代なんだろうな・・と考えたりするのです。
いきなり100ヶ国語をわかるようになっても
電源を切れば、関係が切れる
技術的なコミュニケーションの道具が、これほど日々変化する時代があったでしょうか。例えが適切ではないかもしれませんが、いきなり100ヶ国の言葉がわかるようになったようなものです。
一見、技術の進歩に、圧倒される気がします・・が
でも、「会話が成り立つ」、というのと、「本当にお互いを理解する」いうのとでは、
根本的に、違いますよね。
電源を切ってしまえば、そこで基本的な関係は閉ざされてしまいます。
つまり、表面では華やかでも、本質は、とても脆弱な関係でもあるわけです。
本来、人との交流は、現実の暮らし、生活を通じての、お互いの小さな積み重ねから、花開いていくものではないかと思うわけです。
変化の激しい時代だから
仮想現実の世界に引きずられる
めまぐるしく変わる情報の世界ですから、いい情報があれば、飛びつく。新しい情報があれば、さっと乗り換える。
私は、ビジネスの世界をほとんど知りませんが、部署の再配置、出向、リストラ・・
これは、時代の変化に乗って業務を作っていくビジネスの現場では、たぶんよくあることでしょう。
そういうシステムを徹底しなければ、何百、何千という従業員を抱える大企業はやっていけないのかも知れません。
今の通信の仕組みは、大手の企業が絶対的に優位な立場ですから、そういった事柄は、通信ネットワークの一面に、きっと反映されているのでしょうね。
そして、幼い頃から、そのような環境が周囲に当然のようにあるのが、これから育っていく大多数の子供たちなんでしょう。
大樹でも芽吹く若葉は初々しい
人は絶えず成長していく
でも、人の世というのは、ドライなビジネスの仕事の人間関係だけではなく、もっと複雑で、ひとりひとりの人の情緒や感情から成り立っているように思います。
仕事ひとつとっても、計算ずくしの人間関係だけではなく、
地味かもしれない、あまり儲からないかもしれないけれど、
もっと情緒や心を大切にしないといけないものは、世の中、たくさんあるはず。
新品が一番良くて、使うほどに機能が壊れていくだけの家電製品と、人間は違うんです。
人は、いつだって成長していくのです。
それが、いのちある生き物の定め。
どれほど幼くても、未来に向けた命の力強さがあります。
どれほどの大樹であろうとも、芽吹く若葉は初々しいのです。
命を粗末にしないで
朴訥に命を大切にできる暮らしに憧れますよ
見ず知らずの方を、衝動的に殺害してしまうような事件、他人であっても、自分であっても、命を粗末にすること。
その背景には、きっと、どこかに時代の影が映し出されているような気がします。
時代を築いていくのは、表面的には、一握りの力ある人たちや組織なのかも知れません。
シタールという民族楽器を弾いているということで、「何か非凡なものを持つ人間なのではないか」などと誤解されたりすることもありますが、残念ながら、私はきわめて俗人、凡人でしかありません。
音のこと、音楽のことは、大事に想うものはいろいろありますが、時代の風にいつも晒されながらも、家族とともに暮らす質素で平凡な日々を感謝して過ごしています。
けれども、一寸の虫にも五分の魂です
自然や暮らしに根付いた文化を
人のアイデンティティは暮らしの風土から
目の前の命を大切にする、その豊かさや強さを、本当に育てあっていけるのは、地位も名誉もお金も持たずとも、確かな今を、一生懸命生きている人たちではないか、と思っております。それは、インドも日本も関係ありません。
「何」人というのは、上から決められた行政上の区分でしかなく、人は人なんです。
人を人として在らしめるのは、日々の暮らしから生まれた生きる知恵、それが豊かに蓄積された精神的な風土こそ、本来、人が暮らしていく姿なのではないでしょうか。
気候が生み出す各地それぞれの歴史や風土、土地の話し言葉というかけがえない資源や人の交流・・
日本「国」ではなく、日本「島」に暮らす私として、自分の在り方を考えてみたいものです。
ゴーギャンがタヒチ島に渡り、「私たちはどこから来たのか。私たちは何者か。私たちはどこへいくのか。」という問いかけの題名の絵を描いたように。
※下書きとして投稿した記事を加筆訂正したものです。
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