前の記事でちょっと書いたのですが、
今月26日、武順子さんの朗読「身毒丸」(折口信夫作) の伴奏をするスペース
「そら庵」・・
どんなところかなぁと、調べていました。
住所は、東京都江東区の一角
なんですが、ここは、松尾芭蕉が住んでいた地域らしいです。
いわゆる、芭蕉庵です。
月日の過ぎ去る時の流れそのものを「旅」とした芭蕉。
そして、すぐそばは隅田川なんですが、
ここにも昔は、「あたけの大橋」がかかっていたのですね。
夕立の風景は、広重の浮世絵で有名。
それを、ゴッホが模写したことでも知られています。
1945年3月9日の東京大空襲では、
この深川の地域は、焼夷弾による攻撃目標となり
多大な犠牲者とともに、江戸時代の町並みは、跡形もなく燃え尽きました。
ですから、その地域はほとんど、江戸時代の面影は残っていないのでしょうね。
「そら庵」は、戦後建てられた小さな印刷所の跡を利用したところです。
芭蕉の言う「草庵」の現代版でしょうか?
そら庵 東京都江東区常盤1-1-1

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今月26日、武順子さんの朗読「身毒丸」(折口信夫作) の伴奏をするスペース
「そら庵」・・
どんなところかなぁと、調べていました。
住所は、東京都江東区の一角
なんですが、ここは、松尾芭蕉が住んでいた地域らしいです。
いわゆる、芭蕉庵です。
月日の過ぎ去る時の流れそのものを「旅」とした芭蕉。
そして、すぐそばは隅田川なんですが、
ここにも昔は、「あたけの大橋」がかかっていたのですね。
夕立の風景は、広重の浮世絵で有名。
それを、ゴッホが模写したことでも知られています。
1945年3月9日の東京大空襲では、
この深川の地域は、焼夷弾による攻撃目標となり
多大な犠牲者とともに、江戸時代の町並みは、跡形もなく燃え尽きました。
ですから、その地域はほとんど、江戸時代の面影は残っていないのでしょうね。
「そら庵」は、戦後建てられた小さな印刷所の跡を利用したところです。
芭蕉の言う「草庵」の現代版でしょうか?
そら庵 東京都江東区常盤1-1-1

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