辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2009年07月

ほおずきと夏の日差しと夏のイベント

今日は青空が見えて、夏の日差しがすこし戻ってきたようです。
7月のはじめ頃、夏の風物詩として、ほおずき市があったりします。

きっと縁起物なのかもしれませんが、漢字で書くと「鬼灯」
確かに形は提灯のようですけれど、ちょっと怖い?字ですよね。
次々と成る実、そして実を囲む皮の色と形が、独特だからでしょうか。

 人知を越えたもの、人間を超越した力に対して、
「鬼」という存在を認める古来からの感覚は、興味深いものです。

ただ、夏の日をあびて健気に咲いている実を見ていると、
ひらがなで「ほおずき」というのが、何だか似合いそうな気もします。

数年前、植えた苗が育ち、ほおずきの実がなっています。

 

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8月7日、8日、9日の山梨県道志村の音楽祭のタイムスケジュール作りをお手伝いしています。この催しは20年も続いているんですね。
記録を見たら、タブラの荒井俊也さんと一緒に、1回目に出演させていただいたんです。

さて、今年は・・
7日 クラシック、弦楽四重奏・管弦楽アンサンブル
8日 地元の和太鼓と民俗芸能、民族音楽、JAZZ、サンバ、ベリーダンスなど
9日 自由出演

今回のお手伝いは、8日の分の、サウンドチェック〜プログラムの進行です。
全体の流れをイメージして、順調にプログラムが進んでいく段取りを作るんです。
実際の現場では、ベテランの裏方の方々のお力があって、大体はスムーズに進んでいくものですが、
屋外イベントですので、天候のこととか気がかりになったりしますけれどもね。

私も演奏させていただくのですが、
裏方さんの仕事をすると、自分の出演のことより、
他に出演される方々が、気持ちよく参加していただけるだろうか、
至らないことはなかっただろうか、と
自分が関わった段取りのほうが気になったりするものです。

大きな商業イベントに出演させていただくときは、役割分担がはっきりしていますから、
自分に割り当てられたワクの中で、精一杯やることだけですが、
手作り的な要素が強い催しで、企画段階からちょっと関わると、
どうしても、全体の流れとか進行とか、多少なりとも気になるわけです。
もちろん、最終的な判断は、主催者に委ねられるのですが。

お客さんの立場で、イベントにいくのは、当たり前のことで、
普通に出かけて、観て、帰ってくるだけですが、
現場に携わる立場では、安全の確認と確保が、何と言っても一番大事です。

イベントでは派手なアトラクションも華のひとつでしょうが
見ていて、事故がないだろうか・・と

夏から秋と、いろいろな催しがありますけれど、
どれも事故なく無事に終わることを!

フリーハンドの円のように輪になって

さて・・
下書きみたいにして書いている記事はあるのですが、
なんとも、とりとめもないことばかりで。
しかし、ここは恥を忍んで(?)アップいたしましょう。

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フリーハンドの円のように輪になって

久々に本を読もうと思って、先日買った岩波新書の「ワークショップ」を読んでいます。
読むというより、眺めるといったほうがいいかも知れないんですが。
こういう読書も最近好きになってきました。
読みながら絵を描いたりとかもします。


丸を描いてみる

さて、ワークショップって、たぶん
キャンプファイアーをみんなでぐるっと取り囲むみたいな、そんなときの気持ちの感じのことらしいです。

(実際にそれをしないでも)

なるほど、火を囲んで車座になることって、人間としては、原始の時代から長い間やってきたことでしょうしね。
人が集ってのコミュニケーションって、そんな風になるのが一番自然っぽい。

春のお花見 夏の盆踊り 秋のお月見 冬の囲炉裏を囲んで昔話し、
ぜんぶ、輪になって楽しむのが、なんだか自然だし。

もっとも、それが強制されたものだと、すごく不自然を感じてしまいます。


野球やサッカーなんかの応援で、観客が集団になってなんかやるのは、きっと相手を威嚇する集団的な動物としての行動なんでしょうね。

だから熱狂する。

まあ、スポーツだけならいいんですが・・

 

中央処理装置で、歴然と制御されるのは、
コンピュータの中だけでとどめておいて欲しいですよ ^^


はらついて自然



で、今日のひとこと

適当にばらついているのが、自然



へたも絵のうち 飾らない生き方

すっかりBlogの更新をしていませんでした。
下書きはたくさんしているのですが、
今ひとつ、発表するには、何故かためらいがあったり。

さて、演奏会ですが、
景気が悪いけいか?春からあまり演奏会の仕事がありませんでした。
もっとも、これには、悲しいことに馴れっこになっていますが。

けれども、地道でも、小さなアットホームな会では、
いろいろと演奏をさせていただいています。
いわゆる「不特定多数」の方に音を聴いていただく催しとは違うけれど、
とてもありがたい限りで、あるいはそういった会だからこそという
密度のある演奏も出来て、気持ちは充実しています。

自分


ヨーガのインストラクターの萩原さん(萩原瑞枝オフィシャルサイト)が、
Blogが更新されていないようですね、とご心配いただき、
ご連絡を下さいました。ありがとうございます。
元気で頑張っていますよ。

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音楽のことではないので恐縮ですが・・

以前は、ピカソの天分が溢れた絵を見ては、
圧倒されて、感心していたものです。
どういう風に描いても絵にしてしまうのですから。

ところが、最近、熊谷守一さんの絵が気になっています。
熊谷守一さんの描く絵、
例えば「あり」とか「かまきり」とか「ねこ」とか。

この10年来
毎年、秋に神奈川県の高校に国際理解の講座で、
呼んでいただいているのですが、
そこに、熊谷さんの木版画があるんです。
年に一度の、絵との逢瀬です。

最初見たときは、何にも感じなかった。
その後、下手だなぁ(失礼)と思った。
さらにその後、あれ?これは?と思った。
そして、最近、活き活きとした迫力を感ずるようになりました。

つまり、10年かけて絵を鑑賞したわけです。
今後、どう感じるかはわかりませんが。


ところで熊谷守一さんは、著書でこんなことをおっしゃっています。

下品な人は下品な絵をかきなさい
馬鹿な人は馬鹿な絵をかきなさい
下手な人は下手な絵をかきなさい」

「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。」

「自分にないものを無理に何とかしようとしても、
ロクなことにはなりません。」

なるほど、確かにそのように思えます。


転じて、じゃあ、自分のやるべき音楽は ・・
下品で、馬鹿で、下手な音楽 しかないなぁ。
それが一番自分に添っているのかも知れないのですから。

でも、せっかくの時間を楽しみに来て下さる方には、それでは失礼です。
同じ時を過ごすのなら、少しでも心地よくリラックスできる時間がいいですものね。

変な飾りはいらないけれど、拙い自分が出来る中で、
精一杯がんばっていきたいです。

・・と、思考は、そこで止まってしまいます。

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それで、せめて絵だけは、ありのままの自分らしく、
飾らないで描いてみようと、
ヒマを見つけてはラクガキばかりしています。
ところが、はっきり言って、下手です。

いや・・音楽だってそうかも知れません。

けれど、いずれにしても誠意を持って向かっていきたいですよ。
きっといつかは、熊谷守一さんの絵のように人の心に届くことを願いつつ。
(万分の一でも)


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