辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2010年01月

愛する人へ そして自分への想い(2)



「自分の表現」の根っ子にあるもの


思えば上の娘が産まれる少し前あたりから
シタールの演奏活動を続けてきたのです。

最初は、実生活のための仕事ではなくて
ただ、自分の成果を発表するだけの演奏活動でした。

収入を得るための仕事は
小さなソフト会社に勤務して、会社からの派遣で
システム開発のプログラミングに従事していました。

私の生き方としては
本来、こちらが向いていたのかもしれないなぁと
ぼんやり思います。

ただ、勤務先は、いくつか替わったのですが
なかなか長続きしませんでした。

どうしても、自分を通してみたい、
自分を表現したいという
ワガママが私の中にあったのかも知れません。


ソフトウェアー開発会社の社員

自由契約の派遣社員

フリーの音楽家

拘束はされないけれど、保障もない暮らし
気の向くままの暮らしぶりでした。





今、冷静に見れば、計画性もない無謀な選択だったのでしょうか。
ひたすら無我夢中でやってきただけのことだったのでしょうか。

自分では何も言えませんが
ともあれ、レールのない道、イバラの道を
生活という荷物を担いで、時に引きずりながら
歩んできたように思えます。

生活をしていくための仕事と、自分の心のための仕事。
それを切り分けていくことが、なかなか出来ませんでした。


「夢があっていい仕事ですね」時々、言われることもあり、
『そうですよね、夢って大事ですよね・・』
などと、お答えすることもありましたが、
人間、夢見ながらだけでは生きていけないものであります。


トキ4-180




私は、もしかしたら
心のどこかに、見えない傷のようなもの
持っているのかもしれません。
」と呼ぶのが不適切なら、心の陰影
もちろん、心には光りの部分もあるでしょうが。

そしてそれは、時に、いろいろな形で
ふと出てきます。

赤とんぼ3-s

それは
どんな人と同じようなもののように思えることもあり
それとも人とは違うものなのかも知れないと思うことがあったり。

それを、「表現」と呼んで
音楽演奏に託して、生活の糧にするまでのこともしてきました。


けれど、今
改めて自分の心の中にあるものと
自分が正面向かいあう気持ちを持たないと・・
そう思いはじめています。


「砂漠が美しいのは、水を隠しているから」
サン・テグジュペリは「星の王子様」の物語の中で
何度も繰り返し、見えないものの中に
真実が潜んでいることを語っています。

自分の心の中にある、表面には見えないもの・・
それはいったい何なのでしょう。

<私の心の傷のようなもの>
一番しっかり向き合ってくれたのは
私が幼いころからのともに生きてきた両親、妹たち、
そして、ともに暮らし子育てをしてきた妻や
子供たちなのかも知れません。




人は、表面に見えるだけではないもの
(例えそれがどうしようもないようなものであっても)
抱えながら生きていく。

ひとりひとりのそのことが、
社会の中で、補完しあって、積み重なり、
歴史というものが生まれていくのかも
知れません。




鶴川マルエツの前って





迎春・・愛する人へ そして自分への想い

明けまして おめでとうございます

昨年はお世話になりました
今年もよろしくお願いいたします




前回の日記に書いたように、
病気になってはじめて、大切なことに気付くのですね。

一昨年に父が亡くなり、昨年は自分が急病で入院して
私にとって、自分の家族がどれほど大切なものであったか
改めて、切々と感じています。
母子像



さて、私の病気なんですが、
きちんとした心がけで病気に向き合うべきものです。

そのために、禁煙。
そして、病状に応じた食事療法に取り組まなければならないものなんです。

この食事療法が、不慣れな私にとっては、
今、ひどく難しいです。

同じ病状を抱える多くの方々が
どのようにそれに向かい、日々を送られているか・・
Blogを検索してみました。

ブログ村
腎臓・尿・膀胱の病気

慢性腎臓病1300万人
透析患者20万人
と言われている割には、
Blogで記事を書かれて公表されていらっしゃる方は
ごく一部なんでしょうか。

けれども、多くの方が、ご自分の病気とつきあいながら
日々を明るく前向きに暮らされているのですね。

そして、自分の体のことや愛する人への想いが、切々と綴られています。
そのことに、生きる意味の深さをとても感じさせられています。
もし同じ病気がなければ、目の前の日々に流されるだけで
通り過ぎていったかもしれません。



愛する人へ そして自分への想い

ここ数年、「情報化」とともに
愉快で楽しいもの、便利なもの、の情報が
まるで洪水のように、私の暮らしのまわりに押し寄せてきました。

そして、私は、情報化社会にどっぷり浸かり
自分のするべき本来のことがらも、
成長していく子供の姿も見失っていました。

パソコンも携帯もメールも利用しない妻が
情報化社会の荒波を、身を挺すように防いで
子育てをしたのだと思います。

その間、私は家庭に背中を向けるようにして
パソコンに向かい、楽器を弾いていたのではないだろうか・・


9月に退院をしてから、演奏活動や地域の暮らし
家庭での役割など、改めて見直すようになっていました。



<続く(予定?)>



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