● ● ●
「自分の表現」の根っ子にあるもの
思えば上の娘が産まれる少し前あたりから
シタールの演奏活動を続けてきたのです。
最初は、実生活のための仕事ではなくて
ただ、自分の成果を発表するだけの演奏活動でした。
収入を得るための仕事は
小さなソフト会社に勤務して、会社からの派遣で
システム開発のプログラミングに従事していました。
私の生き方としては
本来、こちらが向いていたのかもしれないなぁと
ぼんやり思います。
ただ、勤務先は、いくつか替わったのですが
なかなか長続きしませんでした。
どうしても、自分を通してみたい、
自分を表現したいという
ワガママが私の中にあったのかも知れません。
ソフトウェアー開発会社の社員
↓
自由契約の派遣社員
↓
フリーの音楽家
拘束はされないけれど、保障もない暮らし
気の向くままの暮らしぶりでした。
● ● ●
今、冷静に見れば、計画性もない無謀な選択だったのでしょうか。
ひたすら無我夢中でやってきただけのことだったのでしょうか。
自分では何も言えませんが
ともあれ、レールのない道、イバラの道を
生活という荷物を担いで、時に引きずりながら
歩んできたように思えます。
生活をしていくための仕事と、自分の心のための仕事。
それを切り分けていくことが、なかなか出来ませんでした。
「夢があっていい仕事ですね」時々、言われることもあり、
『そうですよね、夢って大事ですよね・・』
などと、お答えすることもありましたが、
人間、夢見ながらだけでは生きていけないものであります。

● ● ●
私は、もしかしたら
心のどこかに、見えない傷のようなものを
持っているのかもしれません。
「傷」と呼ぶのが不適切なら、心の陰影
もちろん、心には光りの部分もあるでしょうが。
そしてそれは、時に、いろいろな形で
ふと出てきます。

それは
どんな人と同じようなもののように思えることもあり
それとも人とは違うものなのかも知れないと思うことがあったり。
それを、「表現」と呼んで
音楽演奏に託して、生活の糧にするまでのこともしてきました。
けれど、今
改めて自分の心の中にあるものと
自分が正面向かいあう気持ちを持たないと・・
そう思いはじめています。
「砂漠が美しいのは、水を隠しているから」
サン・テグジュペリは「星の王子様」の物語の中で
何度も繰り返し、見えないものの中に
真実が潜んでいることを語っています。
自分の心の中にある、表面には見えないもの・・
それはいったい何なのでしょう。
<私の心の傷のようなもの>に
一番しっかり向き合ってくれたのは
私が幼いころからのともに生きてきた両親、妹たち、
そして、ともに暮らし子育てをしてきた妻や
子供たちなのかも知れません。
● ● ●
人は、表面に見えるだけではないもの を
(例えそれがどうしようもないようなものであっても)
抱えながら生きていく。
ひとりひとりのそのことが、
社会の中で、補完しあって、積み重なり、
歴史というものが生まれていくのかも
知れません。

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「自分の表現」の根っ子にあるもの
思えば上の娘が産まれる少し前あたりから
シタールの演奏活動を続けてきたのです。
最初は、実生活のための仕事ではなくて
ただ、自分の成果を発表するだけの演奏活動でした。
収入を得るための仕事は
小さなソフト会社に勤務して、会社からの派遣で
システム開発のプログラミングに従事していました。
私の生き方としては
本来、こちらが向いていたのかもしれないなぁと
ぼんやり思います。
ただ、勤務先は、いくつか替わったのですが
なかなか長続きしませんでした。
どうしても、自分を通してみたい、
自分を表現したいという
ワガママが私の中にあったのかも知れません。
ソフトウェアー開発会社の社員
↓
自由契約の派遣社員
↓
フリーの音楽家
拘束はされないけれど、保障もない暮らし
気の向くままの暮らしぶりでした。
● ● ●
今、冷静に見れば、計画性もない無謀な選択だったのでしょうか。
ひたすら無我夢中でやってきただけのことだったのでしょうか。
自分では何も言えませんが
ともあれ、レールのない道、イバラの道を
生活という荷物を担いで、時に引きずりながら
歩んできたように思えます。
生活をしていくための仕事と、自分の心のための仕事。
それを切り分けていくことが、なかなか出来ませんでした。
「夢があっていい仕事ですね」時々、言われることもあり、
『そうですよね、夢って大事ですよね・・』
などと、お答えすることもありましたが、
人間、夢見ながらだけでは生きていけないものであります。

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私は、もしかしたら
心のどこかに、見えない傷のようなものを
持っているのかもしれません。
「傷」と呼ぶのが不適切なら、心の陰影
もちろん、心には光りの部分もあるでしょうが。
そしてそれは、時に、いろいろな形で
ふと出てきます。

それは
どんな人と同じようなもののように思えることもあり
それとも人とは違うものなのかも知れないと思うことがあったり。
それを、「表現」と呼んで
音楽演奏に託して、生活の糧にするまでのこともしてきました。
けれど、今
改めて自分の心の中にあるものと
自分が正面向かいあう気持ちを持たないと・・
そう思いはじめています。
「砂漠が美しいのは、水を隠しているから」
サン・テグジュペリは「星の王子様」の物語の中で
何度も繰り返し、見えないものの中に
真実が潜んでいることを語っています。
自分の心の中にある、表面には見えないもの・・
それはいったい何なのでしょう。
<私の心の傷のようなもの>に
一番しっかり向き合ってくれたのは
私が幼いころからのともに生きてきた両親、妹たち、
そして、ともに暮らし子育てをしてきた妻や
子供たちなのかも知れません。
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人は、表面に見えるだけではないもの を
(例えそれがどうしようもないようなものであっても)
抱えながら生きていく。
ひとりひとりのそのことが、
社会の中で、補完しあって、積み重なり、
歴史というものが生まれていくのかも
知れません。

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