辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2012年06月

どうやって音を作るか9 <ビギナーとして 学ぶこと・自分で考えること>

※バラバラに書くと、自分でもわからなくなるので
<続く>という形式でアップしようと思います。


ストイックな食生活

体を悪くしてから、まず、禁煙をしました。
これは、最初がたいへんだけれど、一年も過ぎると、もうタバコのことは、ほとんど忘れてしまします。

さらに・・食事療法があります。
専門知識ある、栄養士と医師とのアドバイスを受けながら、やっています。
大雑把に言うと、私の場合は「低たんぱく質の食事」がメインになります。
何年か経って、だいぶ慣れてきましたが、栄養バランスが大事なのです。
タンパク質は、体を作るモトでもあるので・・過不足なく適量を摂る、そこの判断が難しいです。

例えば、「幕の内弁当」を見れば、個々の食材の大雑把な栄養が
何となくわかるようになり、「ああ、これは食べないほうが無難」
「このから揚げは、一口なら、15g摂取だろう。それなら食べよう」などと判断をするのです。
(ちなみに15gというのは、とても小さいです。ミートボール1つで、おおよそ20gです)

この療法をスムーズに続けるには、自分にある合併症などのことも考慮にいれなければなりません。
けっこう高度な医療技術なのかも知れませんが、その割りに特別な機械とかを使わないのです。


それでも、運動不足で、コレステロールがたまったりします。
ところが心不全があってからは、激しい運動も、医師から止められているのです。
そこで「お散歩」や「庭の草むしり」に精を出すわけです ^^;
体調管理は、なかなか難しいですね。

ともあれ、駄目なこと、自分の能力のないところは
診察時に、正直に伝えて、アドバイスをもらうのです。

そんな私ですが、マイペースで音楽活動・演奏活動が続けられることは、ありがたいことです。


音楽のビギナーです

カエルくん2-2

さて、私は、30年以上もシタールを弾いていますが、
残念ながら未だにビギナーなのです。
わからないことが、たくさんあります。出来ないこともたくさんあります。
ありすぎです ^^

それでも、人前で弾き続けてきました。

お客様からお金をいただくステージでは
現状の中で、自分がわかること、出来ることを、誠実に演奏して
聴いていただける方に、少しでも、よかったなぁとの想いを持っていただくことが仕事です。
だから、弾き方を工夫してきました。

車の運転と同じで、無理は禁物です。
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「習いだす」と、そこで終わってしまいそうな私

才能のない自分のことを、悩んだり迷ったりすることもあります。
だいたい、何が「才能」であるのかもよくわからないのです。

だいたいが、頭の悪い私なので、おそらく「習いだす」と、
きっと、それにすっかり頼ってしまい、
自分のアタマで考えることがなくなってしまうのではないかと・・


長年やってきて、ようやく、何となくわかりはじめたことは
そのことくらいです。

せっかく、高い授業料を払って、高等教育を受けてきた(はず)なのに
それなりの知識も身に付けてきた(はず)なのに
<自分で考える>力が、育っていなかったように思います。
遅ればせながら、出来るだけ自力でがんばってみようと思っているわけです。

そんなわけですので
理解して自分のものにするには、人の何倍も時間がかかるようです。




先日の寄居「隠居窯」でのコンサートの様子を
隠居窯を主催なさっている小林さんが報告下さり
お葉書にしていただきました。

はがき

古民家にある陶芸窯、陶芸教室の中での演奏
こうしてみると雰囲気がありますよね。
写真でいえば、客席の左奥のほうにはいくつもの「ロクロ」があります。
自然に囲まれた素敵なスペースです。



さて、HPの「お知らせ」でも紹介しましたように
7月1日(日)は、藤沢市民会館小ホールで、
長唄の三味線の松田千鶴子さん・音パレオフィス主催の催し「音のパレット」です。
長唄の細棹三味線、トルコ音楽、太極拳の演舞などとのコラボレーションです。
どうぞ、お越しくださいね。

第9回音のパレット

松田千鶴子(三味線)
辰野基康(シタール) 藤井良行(サズ) 伊藤アツ志(パーカッション)
テデイ熊谷(サクセロ、フルート) 

13:30 開場 
14:00 開演

入場料 
前売り2,500円
当日 3,000円
学生 1,500円
神奈川県藤沢市民会館 小ホール
〒251-0026 神奈川県藤沢市鵠沼東8−1
音パレオフィス
0466-22-0123
  




先日は、寄居でのソロ演奏でした

先日の6月17日、寄居の陶芸教室のスペースでの、シタールソロの演奏でした。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
主催者、スタッフ、関係者の方、お疲れさまでした。

ソロ演奏は、楽しくもあるし、たいへんでもあるし・・
いろいろな側面があります。
共演者のいる合奏とは、少し違う気がします。

なんと言っても、ワンマンショーなのであります!
「咳をしても一人」
という、尾崎放哉の有名な俳句がありますが
ワンマンショーの舞台では
たとえば、舞台で大きなオナラをしてしまって
しかも運悪く、マイクに乗ってしまい、会場内に鳴り響いたとしても
誰にもフォローしてもらえません
「舞台でオナラをしても一人」
という状況で、乗り切っていくのであります。
ソロの舞台の厳しさがわかっていただけたでしょうか(笑)

これは、シャイな私としては、とっても画期的に!たいへんなことなのです。
仮に、お客様がひとりしかいないステージに立った場合でも、
私のようにいい年したおじさんになってすらも、
私の場合、ソロ演奏は恥ずかしいのですね ^^

もっとも、照れていたら、演奏会になりません。
何といっても、ソロです。
さぁ!ここが、がんばりどころ(笑)

そこで、曲を弾いたり、面白いことを言ったり、勉強になる(気がするような^^)ことを言ったり・・
そんなこんなで、プログラムを進めていくのです。



<All in One>
コンパクトに一セットまとまっているプログラムを目指します。
といっても、私は、基本的には、毎回、違ったプログラムを考えています。
同じタイトルの曲でも、だいたいアレンジを変えます。
即興演奏主体ですから、工夫があったほうが面白いです。

難しい理屈は抜きで、「楽しかった〜」と充実した気持ちになられて帰っていただけたら
これは、もうすごくありがたい限りです。

会場の陶芸教室・・
以前描いたこの絵のことを思い出しました。
駅夕焼け2


はじめて聴かれる方も、何度もお聴きいただいている方にも楽しんでいただける内容・・
となると、いろいろ難しいです。
でも、難しくしては楽しくないですので、
やっぱり、演奏会は親しみやすく楽しい会にしたいです。

そうやって、楽しんでいただく先に、
音楽を通じて、心暖まるもの、心豊かになれるもの
そうしたものを大事に育てていける文化の土壌が出来ればいいなぁと思ったりします。

至らない自分が出来るのは、ほんのささいなことでしょうけれど。

でも、そうした余計な力が入っていない、等身大のことって貴重ですよね。

技術が複雑になり、あらゆるところに技術が入り込み
目先の技術に、こころが流されてしまい
人の生き方、人と人とのかかわりが、見えにくくなっている時代

だからこそ
「自然」ということの大切さ
  • 自然な人と人とのつながり
  • 自然と人との関わり
など、意識して大事にしていくのが必要なようにも思うのです。



音楽に限らず、等身大でのつながりが、全国各地でうまれて
ゆっくりとこの島の自然と溶け合い、
健やかに、この島の文化風土を育てていくことを、願っています。


バー

どうやって音を作るか8 <多民族の音楽 インドの古典音楽について>

※バラバラに書くと、自分でもわからなくなるので
<続く>という形式でアップしようと思います。


自分が頭が悪いと、わかったら、気が楽になりました。
世知辛い世の中
「頭が悪いと思われたら、ダメ」と、いつも気を張っていないと暮らしていけません。

トルストイの晩年の短編で「イワンの馬鹿」というお話があります。
愚直の大切さを語っているような素敵なお話しです。
「馬鹿」であり続けることは、このお話しのように偉大なのであります。
また、懐かしいふるさとのようでもあります。
人に馬鹿にされても実直に生きていくって、素晴らしいなぁと、いつも思うのです

けれど、馬鹿に安住できないのも、また、人の世の常
凡人の私は、馬鹿になったり、コザトクなったり・・
です。


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さて・・音楽のことです

今度、ソロ演奏をするのですが
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6/17隠居窯コンサート)<来てネ^^>
インドの伝統の音楽も紹介しようと考えています。

そこで、自分の理解できていることを整理する意味で
インドの伝統の音楽のことを、大雑把に書き出してみました。

以下は、あくまで、私の拙い理解の範囲内の分析なのですが・・

インドの古典音楽は、即興演奏を重要視します。
「即興」といっても、気が向くままではなくて
この曲(ラーガ)には、こんな音使い・・というガイドラインがあります。

そのガイドラインに沿うように、即興演奏をするのですが
それだけで、とても充実した音楽になります。長い時代、人に愛されてきた音楽の形です。

あるいは、あえてガイドラインとは違う音使いを選ぶ、野心的な演奏もあるでしょう。
その中で、成功した演奏は、ガイドラインを書き直すことにつながるかもしれません。

古典の音楽は、色々な「壁」を越えていくものでもあります。

  • 言葉の壁がない

インドというところの特徴かも知れないですが、
多民族が同居してきた長い歴史がある社会です

そこで、作られてきた伝統の音楽だからでしょうか?
古典音楽は言葉の壁を越えるようなところがあります。

古典のボーカルでも、歌詞の意味をあまり重要にしないで
即興のメロディを階名で細かなリズムで歌ったりします。

もっとも、これは私の感想に過ぎません。

ペルシャ語やウルドゥー語の詩にメロディをつけたような
古い歌もあるらしいです・・


言葉に関しては
近代〜現代に生まれた音楽、または、詩から生まれたタゴールソング
地域に根ざした音楽、お祈り(の歌)・・などは、言葉をすごく大事にしているようです。

  • 宗教の壁がない

時々、インド音楽というと宗教音楽と勘違いされることでもあるのですが
インド古典音楽は、特定の宗教の音楽ではないのです。

もちろん演奏者のなかには、
ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シク教徒、クリスチャン、仏教徒・・など、
それぞれの信仰はあるでしょうし
自分の信仰を大事にする敬虔な教徒の方も多いことと思いますが
宗教が違うから、一緒に演奏しないということは、一般にないですよね。

むしろ、それぞれの信仰に違いがあっても、お互い尊重しあう、という姿勢があるみたいで、
それが特定の宗教に染まることなく、多くの人の心に届く音楽を生み出す力になる気がします。

  • 国家・民族の壁がない
色々な地方の歌などのメロディが、取り入れられてきました。
それを、違った民族たちが、代々に渡りアレンジを工夫した結果
民族の壁を越えているところもあるのでしょう。
  • 年齢の壁がない
世代を越えて、愛されている音楽です。
商業音楽の影響でしょうか、「音楽」というと、世代間の壁があったりして
ある特定の世代だけが共有する音楽もあるように感じます。
(というか、わざとそういう風に作られた音楽)

それと違って、いろいろな世代で感動を共有できるのも
古典音楽のいいところです。


こうやって、まとめてみると
インド古典音楽は、西洋の古典音楽とは、
普遍性という点では同じようなところがありますね。

だから、「インド音楽」という言葉が
国としてのインドの音楽を表しているように勘違いされているとしたら・・と
ちょっと戸惑ったりします。

私は、この音楽はナショナリズムのための音楽とは、考えていません。



即興演奏は、昔の西洋の古典音楽にはあったらしいですが
今は、あまりない?

でも、現代音楽では、独自の記譜法なんかもあるんですよねぇ・・




あ〜 また、話しがまとまらなくなりました(笑)
やっぱり私は、永遠のビギナー ^^

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