辰野基康のブログ

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2012年10月

朝のラーガのシタールのソロ演奏です。横浜山下公園にて

朝の山下公園の風景


風景画2葉と木秋の朝ディワリ


先日の横浜ディワリのステージから見た会場風景(みたいな)絵です。
客席からステージを見る画像は多いですが
「ステージから見た風景」というのは少ないですよね。
もちろん、ステージから風景を詳しく観察してスケッチしているヒマなんてないので
頭に残っている風景の残像を思い出して、後で、絵にするんですけれど。

いつまでもビギナーの気持ちを大事に


ところで、ディワリインYOKOHAMA
2日目(10月14日)の私の演奏を記録してくださった方が、
動画をUPして下さったようです。ありがとうございました。

その1 ソロ 



その2 日本叙情歌・紅葉



その3 



人間というのは、面白いもので、他人のは演奏は安心して聴くのに
さて、自分の演奏を聴いたり見るというのは、大いに気になるところでもあります。
ここのところはもっとこうしたほうが・・とか、いろいろ考えてしまいますしね。

もっとも、ざっと音チェックをして、リハなしですから、
私の実力では、まぁこんなくらいでしょうか。
しかも最後には、緊張してか、曲名まで、舌がもつれてかんでしまい、言い間違えていますね。
アヒル・バイラヴィじゃなくって、アヒル・バイラヴなんです。訂正させてくださいね。

慣れてくれば、気になるということは、すくなくなるのかも知れませんが、
できれば、いつも、初々しい気持ちのままで。
いつまでもビギナーの気持ちを大事にしていたいものです。

素敵な舞台で、素敵な音響を作っていただき、弾かせていただいて、
ただ感謝あるばかりです。
ところが、自分の演奏は、至らないところばかりで、
いつもながら、はらはらどきどきとしている次第です。

________

自分では、もちろん、どんな時も、
今の自分が出来るBestの演奏を心がけています。

こうやって、撮影されたものを改めて見ると
自分では、ただ道の途中にいるんだなぁ、と改めて思います。

音楽って、何かが出来たからとか、何かになったから、とかで
ゴールではないんですよね。

<出来る中で、出来ることをする> 
それしかないのですよね。
それが大事なのですよね。

________

ただ、
「ここのところは、もう少し育ててあげたいなぁ」とか
「ここのアイデアは、どんな風に広げていけるかなぁ」とか
そうした、想像が広がる部分もあります。

音楽は、例えそれが一秒後であっても
未来を夢見るものなのでしょうか。


ニュースだけじゃなく「Olds」もあって成長したいです

Newsの氾濫


私がパソコンやインターネットに接したのは2000年あたりからです。
その当初は、まだ素朴な情報交換といったものでしたけれど
年々、本当に急速に、とても多くの情報が行きかうようになってきました。

それは、情報の氾濫の時代の幕開けだったのでしょうか。

情報量に目を回してしまう私です


ニュースは、Newsの言葉通り、新しい情報、新しいものごと

この情報だけでも、ものすごい量です。

それを伝える媒体も、従来の新聞雑誌の印刷物、ラジオ放送に加えて
パソコン、携帯端末、デジタル放送などなどのデジタルの媒体
世界中の出来事が、文章や写真、動画など、溢れています。
溢れすぎている気がします。

もちろん大事な情報も、その中にあるのでしょうが
そうではない情報が多すぎるのかも知れません。

そうした、多量の情報量を、きちんと整理して受け入れることは
「頭の回転の良さ」なんでしょう。
やっぱり、悲しいかな、私は頭が良くない、というのがわかるようです。

44991a4f.jpg

頭が悪いのでゆっくり理解するしか出来ないようなのです


この、めまぐるしい情報の時代、
多大な情報量が、けっこうきついです。

生活には、ニュースは必要です。
でも、Newsだけではなく、Oldsも大事にしたいです。

振り返ったり
思い返したり

鳥が卵を温めるように、心の中でゆっくり温めるものがあることも
いいなぁと思います。

秋の田3

枯葉ライン

私にとってのWEBの「Old's」は


私としては、このWEBの世界での「Old’s」のひとつは
ラクガキみたいに描いてきたイラストです

この、ラクガキの絵は
けっこう年季が入っています(笑)

にんぎょうたち
 ↑この人形の「顔」が原点?でしょうか

情報の過多というより歪みではないかと思う

だいたい、動く生命(動物とか昆虫)を観察してみればわかりますが
進行方向へ、目や耳や触角がついて、情報収集しています。

必要な情報は、自分が動く分、あとは子孫を残すための分くらいです。
むしろ、不必要な情報は、生きていくのには、障害があるくらいでしょう。

蟻に例えてみると

例えば一匹の蟻が、
いろいろな場所に落ちているエサの数々の情報を、
一度に知ってしまったとしたら・・混乱すると思います。

情報過多のアリ





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