アジア夕日人物なし

美しい言葉の響きと歌声と


先日、タゴールソングの奥田由香さんが、
「藝大アーツ イン東京丸の内」の催し「岡倉天心とタゴール」でタゴールソングを
ご自身のタンブーラの伴奏で歌われました。
とても綺麗な歌声が高い天井のある空間に響いていました。
タゴールソングをはじめて聴かれた方々もきっと多かったことでしょう。
美しい歌声とベンガル語の響きに、魅了されたことでしょう。

タゴールの文学について、そこにあるメッセージや音楽的なことなど
それは過去のものではなくて
今後の精神的な文化へ対する宝庫のように思います。

これから、たくさんの研究がされることを期待しています。

奥田さんの歌の伴奏を
シタールのアレンジでさせていただくことのある私としては
ソロでのタゴールソングを、拝聴することは、とても貴重な勉強です。

日本語訳で知るしかすべがなかったタゴールの詩ですが
正確な発音で原語で歌われるのは、とてもありがたいことです。
日本語で注釈をしていただけるのも助かります。

奥田さん、お疲れさまでした。どうもありがとうございました。


シタールでの歌の伴奏について


さて、歌の伴奏をシタールのアレンジで行う場合、
いくつかの奏法的な工夫が要るようにも思います。
和声で作られた曲の場合、私の技量では、かなり伴奏アレンジが制限されます。
タゴールソングはインドの古典旋法Ragaがベースになっているものが
ほとんどですので、その点では、伴奏がしやすいのです。

ただ、タゴールの歌は、ベンガル語のきれいな響きを計算し尽された歌詞でしょうから
伴奏をして、原語の言葉の響きやリズムを、どうやって引き出すか、難しいです。


五線譜に書いての伴奏はしないので

1.メモしておく
まず自分なりのメモみたいなものを書いてみたりします。
五線ではない仮の譜面を作ってみたりして、伴奏の構成を考えます。
ところが、長い間このメモを見ていないと、自分の書いた時のルールを忘れてしまうんです。


2.体を作る(運指法を作る)
また、普段使わない技法があるときは
そのための運指法を考えて、練習をしてその技法に備えます。

これも、大変ではありますが、それゆえ充実感あるものでもあります。

歌をしっかりと前に出してあげることが伴奏の役割です。
問題は、時に、歌に対してシタールの音色の主張が強すぎたりします。
といってこの音色を抑えすぎると楽器特有の感じがなくなります。

●伴奏の出過ぎは当然NG
●でも、引き過ぎると、音楽に華がなくなり良くない

・・そこが悩みどころであると、同時に、楽器奏者としての、やりがいある工夫しどころでしょうか。
そうしたバランスの感覚が、伴奏者としての、音楽家のセンスでしょう・・

もっともこれらは、伴奏としては、すごく初歩のことでしょう。
そして、どんな楽器でも同じでしょう。

何ていうのかなぁ・・
例えば、絵画だったら
「背景があって、主題が浮かび上がる」という構図なのに
背景ばかりが強すぎると、絵にならない、というのか。


ちなみに
絵画をはじめ美術作品は、古今東西を問わず
たくさん残っていますので、それらを研究することで
音楽的に学ぶことは、多いです。
そして、実に多くの作者の感覚は、とても深いものがあります。

これを考えると、自分では、いつまでたっても、極めることには程遠く
発展途上の自分だなぁと、いつも感じています。


どうしようもない私が歩いている <種田山頭火>



主演奏と伴奏の大きな違いは
「聴く」ことの対象にあるのでしょうか
・自分の音を聴くこと
・相手の音を聴くこと

秋の空ネコ