辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2013年02月

指が痛くならないシタールの弾きかた・その2

日本の音楽について調べているのは、楽しいです。
というもの、自分では知っているつもりでいたことが、実は、よく知っていなかったり。

ただ・・シタールの話題も・・

シタールを弾くのは指が痛い



指が痛くならないシタールの弾き方
「これだけではわかりにくいので、もう少し具体的にないですか?」みたいな意見もあって
なるほどそうだなぁと思います。
改めて考えてみます。

ところが、改めて考え直してみたら、
本人も、けっこう指が痛いときがあるんです。

シタールは、弦を引っ張って装飾音を作ったり、早弾きをしたりと
いろいろ指に負担をかける奏法があります。

そのため
練習する⇒指が角質化する⇒出来なかったことが出来てうれしい⇒練習する
といった循環があるのかも知れません。
好きな音楽で充実した練習ができるということは、幸せなことでしょうね。

ただ、ひたすら指を強くしてもどうかなぁ・・と思ってみたりします

誰もが巨匠にならなくとも


どんな分野でもそうでしょうが、
インド音楽の場合も巨匠たちの作り出す音楽には、圧倒されますよね。
ただ、シタールで従来のインド古典音楽を弾く場合、古典は即興の部分が多いのです。
巨匠のように即興できることを目指し努力することも、それはそれで、価値はあると思います。
音楽って、心の表現ですから、
「我慢して耐えて巨匠を目指す」という表現のあり方もあるのでしょうが・・

でも、それでは、何だかなぁ、と、思ってしまいます。

だから、そうではなくて
演奏者本人の「体に合っている」演奏、ライフスタイルに合っている演奏
を作ってもいいのではないでしょうか?
人に褒められたり、立派ではなくともいいので
活き活きとしていたり
優雅であったり
静謐なときもあったり
愛らしかったり
チャーミングであったり
楽しかったり
 それが等身大の自分であれば、それでいいのでは?
その1-2-s

・・あくまでも、私の考えですけれど。

大好きな小説に、オーヘンリーの「最後の一葉」があります。
誰にも省みられない老いた絵描きが描いた、たった一人のために描いた傑作
のお話しです。
この話の絵描きのおじいさんの仕事も、とても実直で誠実で素晴らしい仕事なのだと思うのです。


そして、自分でも、実直で誠意に満ちた仕事を願っています。
実力不足でなかなか出来ません。
それでも、下手なりに、自分に合っている演奏を心がけています。
もっとも、それしか出来ないのですが。



調べていたら、
クラシックギターのフォーラム>という掲示板で
クラシックギターの場合ですが、左手の指のケアーのいろいろが話題になっています。




日本の音楽について・その5日本島の郷土の歌・台湾の先住民の歌

※日本の民族音楽について知識あまり無いシタール弾きの私ですが
自分の勉強自分自身のアイデンティティの問いかけもあって綴っています。


複雑な風土の日本島


「日本の音楽」について調べようとすると、
それでは、「日本とは、日本の文化とは何か?」と言う、考えれば当たり前の疑問が生まれます。

日本の歴史に疎い私だからでしょうか、
「日本の歴史」とか「日本の風土」とか言うと、ついつい、現在の日本地図を思い浮かべて
沖縄・八重山諸島の先から小笠原諸島
そして北海道の先の半島まで「これが日本です。ここまでは日本です」と1色の色で塗りたくなります。

外交的政治的にはそれでいいのかも知れませんし、
あるいは、近代の国際社会、戦争を含む競争が絶えず行われてきた社会では、
そうしないと生き延びてこられなかったのが私たち「日本列島の住民」なのかも知れません。
国の色分けをはっきりさせるのは、いずれの国も、そこを治める政治というものが持つ宿命なのでしょう。

しかし、島々が育んできた「文化」というものをを考えるなら、
琉球王朝やアイヌの文化など、
あるいは中央の朝廷や幕府に飲み込まれず伝えられてきた各土地の風習など、
四季の折々の自然の移ろい、山ひとつ島ひとつ隔てて異なる景観や気象
それらには、それぞれ独自の文化の風土があるように思います。
それらは、独自のものを持ちつつ、あるいは「国境」を越えた外来の文化に影響を受けたりしながら、そこに暮らす人間とともに息づいて「郷土の芸能」として花開くのでしょう。

例えば、下の動画ですが、浜辺での歌と踊りです。

その場にあるのは、<歌と踊り>だけではありません。
穏やかな波の音 潮の香り 鳥の声 風の音 
朝夕、漁に出る船を見送り、迎える人の笑顔
自然へ対しての祈りや願いが、込められているのでしょう。

那智勝浦町浜の宮 『 櫂踊り 』



近くの島の住民たち


琉球王国の先、台湾の島は、近代、大陸から渡ってきた人たちが暮らすようになる前は
たくさんの部族の先住民がいたのですよね。
日本では、戦前、大雑把に「高砂族」と言っていたようですが
実際は、下図のような分布で、ひとつの民族ではありません。

台湾の先住民族分布の地図を見てみますと、ふと江戸時代、日本の島々の「藩」のことを連想するのです。
もちろん「藩」は江戸幕府の管轄下にはありましたが、藩がある地方ごと、言葉がありました。
江戸幕府の日本で各藩ごとに民族、部族の分類は出来ないでしょうが、地方ごとに、それぞれ独自の文化があったはずですよね。


450px-Formosan_Distribution_01
wikipedia台湾原住民 より

日治時期台灣原住民紀錄影像

最後のほうに、お祭りが映されています。それは、日本の夏祭りともよく似ているように思うのです。

布農族百人八部合音表演


布農族の合唱です。最初は男女の二重唱ですが、後から大勢での合唱になります。
ひとりひとりの声は小さいようですが、声の広がりがすごいです。










日本の音楽について・その4明治時代の音楽教育導入

※日本の民族音楽について知識あまり無いシタール弾きの私ですが
自分の勉強自分自身のアイデンティティの問いかけもあって綴っています。


音楽取調掛のこと


さて、また、明治時代の<西洋音楽を導入した音楽教育について>文献などを調べました。
富国強兵のための軍隊の音楽として、西洋音楽を輸入したように思っていましたが
近代の音楽教育の背景には、複雑な経緯があり、また教育の想いもあったようです。


明治時代、音楽教育をどうするか、いろいろ検討されたようです。
ここで、この時期の音楽教育について重要な人物として、伊沢修二がいます。
日本の音楽教育導入を検討するため、文部省によりアメリカへ派遣留学。

1878(明治11)年4 月に上申書として目賀田種太郎と連名で、
「学校唱歌ニ用フベキ音楽取調ノ事業ニ着手スベキ見込書」を文部大輔に提出。

これは、なかなか興味深いのです。
まず、西洋で行われている音楽教育の意義を述べています。 
欧米の教育者たちは(学校)教育に音楽の授業を設けている。
音楽は、生徒たちの勉学の集中力を増す。
(歌うことで)肺が健康になり、発声が良くなり、聴力も鍛えられる。
思いやり深くなり、ユーモアに満ち、明るくなり、人柄がよくなる。
これらが学業での音楽教育がもたらすものである。
そうした教育を受けた生徒が社会に出ることで
世の中には善良な娯楽がうまれ、犯罪が減り、
礼儀を重んずる、平和で健全な社会が形成されることとなる。
注:辰野による現代語訳です
と、欧米での音楽教育の利点を指摘しています。しかしそこで、唱歌を学校授業のカリキュラムに加えるにあたり、従来の日本の音楽や外来の楽曲の輸入には、いろいろな困難があると指摘しています。
わが国にある音楽は「雅」と「俗」と2種類あって、雅は親しみにくい(雅楽や能楽などの古典芸能のこと?)、俗のほうは卑しく害が多いばかりで(「お座敷遊び」の戯れ歌とか?)学校の授業には向かない。それでは西洋の音楽をそのまま使えばいいかというと、それが本当に日本人にぴったりあう のかわからない。
・・と悩んでいるのです。
しかし、困難としながら、tori3
音楽や詩や歌は人の心より自然と生まれるものなのであるから
どこの音楽でも、それを日本の風土に合うように工夫すれば、良い教材として日本の学校教育に合うものが出来るのではないか。
と結論を言っているのです。つまり、和洋折衷の案です。


bar450


他にも、伊沢修二の資料を調べてみると、興味深いことが、いろいろわかります。


・「忠君愛国」心の育成は、教育の大きな柱であったので、唱歌の歌詞にも「忠君愛国」のものが満載です。

・音楽の最初の教科書では「君が代」は唱歌だったようです。
しかもこの唱歌のメロディは長調で、現在のものとまったく違うし、歌詞には2番があったりもするのです。



・初期の唱歌の歌詞は、低学年用のものでも、その歌詞は文語体、そして美しいです。
はるやまに たつかすみ (春 山に 立つ霞) 
あきやまに わたるきり (秋 山に 渡る霧) 
さくらにも もみじにも (桜にも 紅葉にも) 
きぬきする ここちにて (絹 着する 心地にて) 洋楽事始p164
詩には、山々にかかる春の霞や秋の霧、桜や紅葉の色彩、
春から秋へと続く時間軸もあり、この島の風土、「自然と人」との対話があり、自分では心に風景を描けます。
風景画2葉と木秋sono秋山に
ところが、そのメロディには起承転結もなく短いフレーズが繰り返されるだけで、
メロディが入って歌になると、まるで「ロボットが唄う歌」みたいに感じ私はがっかりしてしまうのです。
風景画2葉と木秋sonoロボット
この詩とメロディのギャップこそが、短期で西洋音楽を教育に取り入れようとした苦労の元だったのでしょうか。文語体の詩も、その後「子供に親しみにくい」と批判され鈴木三重吉たちの「赤い鳥」の童謡・童話を生みます。結局、急いで西洋音楽を取り入れたことは、その努力には敬意をはらいたいですが、かなり無理もあったのではないかと、私は感じます。


・タゴールソングの歌とほぼ同じメロディの唱歌がある
原曲が同じアイリッシュの歌があるのですね。


・音楽学校(音楽大学)では筝の演奏の学習も正規の必須科目になっていたようです。

44991a4f.jpg

枯葉ライン

ともあれ、明治時代から、試行錯誤して行われてきた音楽教育。
戦前・戦後と、日本の音楽は時代の波を乗り越えてきました。
音楽教育に育てられてきた先達たちが、また次の世代を育ててきました。
「官」の音楽の教育ばかりではなく、楽器メーカー、楽譜、レコード、CDなどの出版など
民間の音楽産業の活動もありました。
それらのすべての成果として、今の日本の商業音楽、つまり、演歌や日本のPOPsなどがあるのでしょうか。
あるいは、海外でも高い技術や内容を評価される、日本人の演奏家、作曲家たち。
邦楽も学校教育にも取り入れられるようになりましたし、現代邦楽のような新たなチャレンジもあります。

それらは、伊沢修二の提唱した
<善良な娯楽がうまれ、犯罪が減り、礼儀を重んずる、平和で健全な社会が形成される>
という趣旨に沿ったものかと、ふと思いました。

そうした、日本の今花開いている音楽文化がいつまでも続くことを願っています。
そして自分なりにも、「民族」や「風土」が息づくような音楽を作っていきたいものだと願っています。
音楽の未熟な自分ですので
自分の出来る中で、出来ることをやる・・ただ、それだけなのですけれども。





参照資料:

洋楽事始 音楽取調べ成績申報書 東洋文庫 (188) 伊沢修二著 山住正己校注 平凡社


石田陽子・唱歌教育と童謡復興運動にみる初等科音楽教育への提言についての一考察(pdf)
四天王寺国際仏教大学紀要 第44号(2007年3月)

平田公子・音楽取調掛の日本音楽観(pdf)
福島大学人間発達文化学類論集 人間発達38  第16号
『申報書』においては,音楽の沿革についても,エンゲルの説を根拠に,
欧州の音楽はギリシャより伝えられ,ギリシャはエジプトより,
エジプトはインドより伝えられ,
我国の音楽は支那より伝えられ,支那はインドより伝えられていることから,
欧州の音楽と我国の音楽の大本は同じ源であるとされている。
音楽取調掛の日本音楽観
 







RSS
Archives