辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2014年01月

自分ではシタールを教えることがあまりない

お正月の挨拶を書いてから、また、更新していませんでした。

これはいけない・・と
ともあれ、音楽日記を書かないね(笑)
bar450

練習をしていて、ふと、思ったのです。
そういえば、私はあまり教えた経験がないなぁ。
まぁ、教えられるほどのことは、ないのかも。
でも、30年もあいかわらずシタールを弾いて、
楽器を抱えては、電車に乗って、人様の前で演奏してきているのだから
初心者の方に何か参考になるようなものって、きっとあるのでは・・
反面教師みたいなことであってもですが・・


でも、音楽家でも、教えることをあまりしない演奏家もいるでしょうし。

そんなことを考えていたら
カナダのピアニスト、グレン・グールドのことをふと思い出しました。
詳しいことは、あまり知りませんが。(検索してみたら、いろいろ出ています)
ともあれ、音楽家といっても、私ごときと比べることなんかナンセンスですが^^;
とてもすぐれたピアニストなんです。ちょっと変わった方みたいですけれど。

そして、夏目漱石の「草枕」が愛読書だったのですよね。
知に働けば、角が立つ 情に棹差せば、流される 意地を通せば、窮屈だ
とかく人の世は住みにくい
という出だしですね。
こちらも、青空文庫で読めます。


歌いながら弾いちゃったり、テンポなんかも、けっこう大胆にかえちゃったり。
例えば下の動画なんか、モーツァルトの有名な曲ですが
鼻歌みたいに歌いながらピアノを弾いちゃっています。これも有名な彼のスタイルですね。
もう何だかやりたい放題に感じます ^^;
でも、創作的な演奏姿勢、とも見ることも出来ますよね。
「ハリウッド風なら、こう弾ける」「でも、それじゃつまらない」
「だから、自分ならこう弾きたい」という感覚は、いいなぁ、と思ったりします。

 


「どうして、こう演奏するの?」と訊ねられて
「こう演奏しろと教わったから」というのは、何だかなぁ・・
「自分は、こうでありたい」 それが、大事な気がします。
それが高まれば漱石の「則天去私」みたいな境地になるんでしょうか。

こんなことばかり考えているから、教えることができないのかなぁ・・

でも、そういえば毎年、高校でも教えているのだけれど、
「弾き方」とか、あまり教えていないみたい(笑)
「はじめての楽器に触れるときの、心構え」みたいなことを
お伝えしているだけです。

だから、やっぱり教えていないのかな。
「教える」と「伝える」って、どこか違うのですよね。


なんだか、まとまりがなくなりました。


まぁ、ともあれ、書いたから、今日はこれで良しとしておきます。


おまけに、絵を一枚(笑)

こねこの物語・・
「子猫の物語」

明けましておめでとうございます

2014年 明けましておめでとうございます。

昨年はBlogの更新がすっかり遅れていました。

演奏するたびに、いろいろ学ぶこと気付くこともあって
書きたいことは、いろいろあったのですが
さて、記事にUPしようとすると、どうまとめて良いものか、と
なかなか書けない状態でした。

例えば、
あるところで演奏したとして
「どうであったか」ではなくて
「演奏をしたことで、自分の心が、何を感じたか」みたいなことが大事と言うか・・

う〜ん 上手く言えませんね(笑


私にとって、音楽はずっと続けていくことですから
あわてて書いて記事にUPしなくても良いのでしょうけれど。


ともあれ、改めて、
音楽に関して、自分の能力、才能のなさを、感じるこの頃です。
でも、そうであっても
「続ける」ことで、気がつくものもあるようにも思うのです。



音楽は、人を魅了させ、人の集いの「場」を作ったりする力があるのでしょう。
そして「音」にもそういった力はあるのでしょう。

だからこそ、人は、せせらぎの音に癒され、鳥の声に耳を傾けたり、
自然のいろいろな音に、心躍らせたり、時に、心震えさせたりしながら
長い人類史を築いてきたのですよね。

その音の世界の中で、人間が生み出す音は
自然の大きさに比べれば、とてもささいなものであったのでしょう。
それでも、人は、心を合わせて、音を紡ぎ続けてきたのですよね。
それが、「音楽」というものなのでしょうか。



雪景色凧揚げ


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