
■才能がないことに気づいた
最初から、自分の音楽の才覚がないことは知っていたのではありますが、それでも、楽器の演奏を続けていたなら、もしかしたら多少は、良くなるのでは・・と思いたくなるのは、人情と言うものでしょう。
それでも、才覚が無いというのは、どうひっくり返しても無いんですよね。
今月24日千葉県館山で、他のジャンルの方とインド音楽との合奏があります。
インド音楽の合奏も楽しいですが、また違った分野の音楽家の方との合奏も、教示されること学ぶことがたくさんあり、とても楽しみで、練習していますが、果たして、どこまで良い合奏が出来るか、一抹の不安もあります。
(演奏の前は、どんなときもいつもそうなのですが)
曲の構成がしっかりしているので素敵なのですが、
自分自身が、その構成をちゃんと把握して、演奏できるか、というところが、実は問題なのです。
以前は、ただ、思いつきの即興のように合奏していたことが多くて、
まぁそれでも成立するのが、音楽の良いところではありますけれど。
■音楽は上手、下手ではなく、自分の心、合奏する人、聴かれる人の心に、どう響くか、ですよね
構成されている曲では、やはりそれに対して、何らかの構成された演奏があったほうが、いいなぁと、そう思うようになりました。
例えば、どんな旋律の動きがあるか、どんな和音がつけられているか、どんなリズムで構成されているかとか。
才覚がある人なら、それに対する応え(音)を作れることでしょう。
もちろん、和音に添った音でもいいし、リズムに乗った音でもいいですし、
事前に準備された音でもいいです。
さらに極論かもしれませんが、あえて言ってしまえば、
まったく和音と合っていなくとも、ぜんぜんリズムにあっていなくとも、
期待されているような「美しい音」ではなくとも・・・構わないのです。
それが、どれほど聴く人の心に残るものになるのか。
人は、喜びや悲しみ、賑わいや孤独、
生きていく中でいろいろな想いを抱えていきますよね。
その人生の場面の中で、出会い奏でられた音楽が、
聴かれる方の「生命」とどう共振していくか。
そのとこが大事に思うのです。
これは、もしかしたら、難しい曲、難曲を鮮やかに弾きこなすより
もっともっと、難しいことなのかも知れません。
もともとが下手な私なのに、さらにたいへんなことがあるわけです。
もう、自分には、絶望的なことです。
■愛から希望が生まれる、と願いたい
もっとも、音楽の才覚がなくても、ちゃんと出来ることはあります。それは、音楽を愛することだと思います。
愛することから希望が生まれるのでしょうね。
音楽は、奏でられては消えていきます。
演奏する時間は、二度と戻ってこない「時」です。
演奏の才覚があろうが、無かろうが、
「時」はゆっくり、でも確実に進んでいきます。
だから、世の中の流れに流されることなく、ゆっくりマイペースで、
自分の「時間」を大切にして、練習をやっていきます。



