6月10日の横浜<うっふ>での演奏はシタールソロ演奏
気ままな日記みたいに、演奏会までの日々を書いてみますね。
途中で、途切れたらごめんなさい。


音楽を歩む道
ところで、私は演奏の前、まったく自信がなくなります。
どうして今まで、演奏が普通に出来ていたのか不思議なくらい。
ところが、いざ演奏をはじめるとなると、
何故か気持ちは演奏モードになるから、これも不思議です。
インドの古典音楽を演奏すると言っても、
私は、古典を生み出し育んできた環境とは違うところ・・
つまりバックグラウンドが違うところで演奏活動をしています。
シタールの古典音楽の演奏は、即興がとても多いのですが
POPS、ロック、ジャズ、カラオケ音楽
そうした商業音楽が交差する街中でもよく演奏するわけです。
私の場合、自然と、
それらの音楽の要素が即興演奏の中に入ってくるような気がします。
それなので、
私の演奏は「純粋な古典音楽」ではないのかも知れません。
音楽の師の教えを守り続けることも、音楽演奏者の在り方のひとつでしょう。
あるいは
学んだ音楽に独自な解釈を加えることも、また音楽の在り方でしょう。
まったく離れて、独自の音楽を探っていくという方法も。
それぞれがそれぞれの歩みなんだろうと思います。

人の中に音楽がある

オリジナルの曲とか、スタンダード曲をシタールソロ用にアレンジしたり。
古典音楽だけでも、奥が深いのに
どうして、そうではないこともやるのか・・
それは、それだけをやっていける環境には生きていなかったということでしょうか。
自分の音を聴いてもらえる場所を求めていました。
今でもそうかも知れませんが、以前の私の古典音楽の演奏では特に、
力も知識も経験も不足していて
なかなか聴いていただく機会がなかったのですね。
で、いろいろな楽器との合奏をして
当時はやり出したエスニック料理のレストランで
セッションのような演奏をしたり。
楽器を触っていれば、それが練習になるものだと思いながら。
合奏の方々とジャンルを越えて楽しい時間を過ごせたのは貴重な体験でした。
もちろん、インド音楽やインド文化を通じての色々な方との交流
そして音楽をお聴き下さる方々、
それらは私の人生の貴重な体験です。
幼いころから今まで、
お会いした方々との交流があってこそ今自分があるのです。
家族、親族、近所の方、幼馴染、学友、師、仕事仲間
音楽仲間 演奏を聴いて下さる方
自分自身のことで言えば、人生も演奏も、ちっぽけなものですが
多くの人と出会い学んできたことは大きいです。
自分の音に、少しでも感謝の気持ちを込めたいものです。

また、
ちょっとしたオリジナルの歌も候補になっています。
歌は思い付きで作ったわけではなく
いろいろな舞台で、必要にせまられて
歌詞を書いたり、メロディを作ったり。
もっとも歌は上手ではないのです ^^;
それなのに人前で歌うのってどうなんだろうと悩んだりもしていますが
自分で作った歌を自分で歌うのって自然だものね。
歌う・・というよりも「詩を、シタールの伴奏でメロディをつけて読む」
そういった感じですね。
- 既存の詩
- 知人のオリジナル曲につけた詩
- 自分でメロディと詩を書いたもの
シタールを使った表現のひとつとして・・です
90分のソロですので
プログラムをいろいろ考えています。
