辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2017年08月

柔軟芸(コントショーン)とのセッション ハイブリッド化する音楽

前回、こちらでお知らせしましたが
9月15日(金)に野毛の「うっふ」で、柔軟芸のYUZUHOさんとのセッションです。

お店側から、セッションの相談を受けたのですが
サーカス小屋の雰囲気があるライブハウスなんて、めったにないし
そこで柔軟芸と合わせて合奏することには、興味があったから、
ぜひチャレンジしてみることに。


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パフォーマーとのセッションは即興アイデアの泉


即興演奏の魅力は、何と言っても、音楽のアイデアですよね。
それが、自然と生み出されることの魅力について言葉でなかなか表せません。

しかしながら、超凡才バカボン(笑)の私は、
練習しているだけでは、素敵な即興演奏のアイデアが生まれなかったりします。
何をどうすれば即興の良いアイデアが生まれるかというのは、どうもよくわかりません。

そんな私にとって
パフォーマーとのセッションは、時にとてもインスパイアされるようです。
イメージというのは、「訪れる」ものみたいで、その「訪れ」の瞬間があるのです。
それは、原始的、原初的感覚なのかも知れませんけれど。

ただ、パフォーマンスを見ながらという受け身の姿勢だけでも、
インスピレーションは出てきにくいようで、
こっちが音で引っ張ったり、相手の動きにインスパイアーされたり、と。

そこらあたりのやりとりが、どうできるか。

難しいといえば、とっても難しい
簡単といえば、とっても簡単 です。

柔軟芸のYUZUHOさんは、これからいろいろなことにチャレンジしていく若手の方です。
ご一緒にセッションさせていただくことで、
彼女には、現場からいろいろなことを学んでいって欲しいと願っています。
もちろん、私も学ぶことは多いでしょう。


そして、一番大事なことは、
ご来場いただいたお客さんが、
<楽しい時間だった。有益な時を過ごせた>と感じていただけるように
出演者一同で、誠心誠意、努力していくことです。

時間と場所を共有することで生み出されるダイナミズム


人という生き物は、社会性を獲得したことで生き延びてきたのでしょうね。

祭礼が、そうした中から発生してきたのかも知れません。
そして、祭礼の中で、音楽や舞踊や詩や絵画などが生まれてきたのでしょうか。

呪術的なこと 
祈り

それらは、単に個のものではなく
社会集団にとってのものであったような気もします。

例えば、岩戸開きの神話とか・・

そこで行われたパフォーマンス、音楽は、神に捧げるためのものだったのですよね。
人間はその「お下がり」として、感動や心地よさを受け取ったわけで。

今の時代、ライブハウスで、いきなり呪術はなかなかできないですが、
「芸事」の底辺には、こうした精神が脈々と流れている気がします。

野毛の「うっふ」は、そんな場所のような気がします。




258ラスコー3


ハイブリッドは雑種ということなんだって


さて、演奏に関してですが、
たぶん、古典音楽をそのまま演奏することはしないと思います。

おそらく、セミクラシックのThumuri風とかになるでしょう。
ソロの即興演奏ですが、純粋な古典曲ではなく
(純粋な古典曲が必要ならCDなどの音源を使えばいいのですから)
セッションの楽しさやダイナミズムを大事にして
場面によっては古典ではなく、かなり自由な演奏もするかも知れません。

音楽のハイブリッドです。
雑種音楽です。

でもね すべてサラブレッドじゃなくて良いですよね。

音楽でも純粋な古典以外ダメという方もいらっしゃるのでしょうし、
個々の好みは、本当に基本のことだと思います。
それは、大事になさって欲しいものなのです。

でも、すべてが、個人の好みに合うものじゃなくていいんですよね。

雑種なりの在り方で良いんです。


子犬8-2s




ところで、余計なことですが・・
最近、AI、つまり人工知能がよく話題になりますよね。

人工知能の優れた点とか、優秀さとか。

でも、純粋培養のシステムは、優れていても、
どこかに見過ごされた致命的な欠陥があったりした場合
最悪のシステムになってしまう ことがあるかも。
それは、福島の原発事故を考えるとわかるのですが。

むしろ、多少不便でも、アナログなシステムが混合しているほうが
実は、強固なシステムじゃないかと・・
妄想してみたりします。



シャガールの模写
シャガールの模写 青いサーカス



ソロライブの感想と、9月の「うっふ」ライブのお知らせ

昨日は、横浜、野毛「うっふ」での<インドナイト>
シタールソロライブでした。
古典曲以外にも、いろいろアレンジした曲を演奏しました。

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
6月のライブのお礼も書き忘れていました。申し訳ありませんでした。
野毛「うっふ」の皆様もありがとうございました。

私の「うっふ」での出演は、不定期ですが、
インドナイト自体は、毎月第2土曜日開催です。
ボリウッドダンスや音楽演奏など、インドの魅力をお伝えする催しです。
ぜひお越しください。

ところで「うっふ」には9月も出演します。
2週目土曜日のインドナイトではなく、
9月15日(金)に
YUZUHOさん(コントーショニスト)とのジョイントライブです。
コントーションは、体の柔軟性を活かしたパフォマンスです。
どんなものになるか、私自身、今から楽しみです。
シタールは、古典曲、あるいは古典を基調としたアレンジを予定しています。

ところで、今回の演奏風景
写真は、撮り忘れました・・

そこでとりあえず、今朝のミニトマトの写真を載せておこう^^
IMG_3069


スマホは持っていない
自分では演奏中に撮れない

文章だけのブログ
今の時代に合わないかなぁ
そんなことを考えると、このブログを書くのも何だかなぁ ^^

でも、マイペースで、綴っていこう。うんうん


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課題の 野毛山節も、チャレンジしてみました。
ちょっと不思議な音階になっていましたが、まぁ、それはそれでよかったでしょうか。

オリジナルアレンジと言っても、やっぱり古典曲がベースになるようです。

そういえば、これも密かに(?)研究中だった 
即興詩で、メロディを歌う ・・ 新曲・・というか
ライブのたびに新曲になるわけです。

即興のメロディ で 即興的に 歌うわけですね。

即興詩で即興歌を歌う
なかなか気が抜けません。
油断すると、某議員の車内ミュージカルのようになってしまいます。

言葉は生き物だとつくづく感じます。
本来、詩というものは、シャマニズムのようなものだったのかも知れません。

以前も引用したかもしれないのですが

古今和歌集の仮名序

やまと歌は

人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける

世の中にある人 
事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの 
いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり


野毛山節考、その2 野毛山節変奏曲の可能性

野毛山節、再考

IMG_1481


開港したばかりの横浜で野毛の高台から、外国兵舎などの
様子を歌った歌だと前回書いたのですが。

作られた時代、文久の頃と言われているのだけれど・・
その頃、東海道の街道で今の鶴見付近で薩摩藩士によるイギリス人貿易商の殺傷事件がおこったのですね。生麦事件です。攘夷運動も盛んで、横浜も閉港させようとしたり、外国人居住区への威嚇もあったり、とか。
それで、イギリス、フランスは、居留地の外国人たちの防衛として横浜に軍隊の駐屯地を作ったわけで。

野毛の山からノーエ
野毛の山からノーエ
野毛のサイサイ
山から異人館を見れば
鉄砲かついでノーエ
鉄砲かついでノーエ
お鉄砲 サイサイ
かついで 小隊進め
駐屯地の様子をレポートしているのですね。
調べてみる前は、呑気なお座敷歌のように感じていた、「野毛の山からノーエ」

歌詞の中の鉄砲は、世界を圧倒した英国軍の当時の最新式の戦闘用のものなのでしょうね。 
横浜の開港には軍事的な緊張感があったのでしょう。


Felice Beato (British, born Italy - (Group Portrait of the Royal Marine Battalion) - Google Art Project.jpg
By Felice Beato (British, born Italy, 1832 - 1909) (1832 - 1909) – photographer (British) Details of artist on Google Art Project - 6AH-Tft17fqEFQ at Google Cultural Institute maximum zoom level, パブリック・ドメイン, Link


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野毛山節を、ぐちゃぐちゃに変形させたら・・



このメロディ、本来は音階が違っていたのではないかと思ってみたりします。
それがいつの間にか、12平均律に沿う形に変えられて、現在に至ったのでは と 勝手に憶測したり。
ノーエ節とか野毛節とかで
音声動画はいろいろアップされているようですね・・

もっとも作者不詳で、原曲は譜面にはなっていなくて
口伝で伝わってきている伝承曲です。
だから、どんなアレンジでもOKなわけです。

そこで、思い切り、ほとんど伝えられているメロディをほとんど変えてみたら
何とか、おぼろげにですがシタールアレンジが出来そうです。
でも、もう「野毛山節」の面影はすっかりなくなってしまいそうです。

まだ、検討中の部分も多いのですが・・

大幅にメロディを変えて、古典音楽風にして、
でもその中に、即興演奏で原曲のメロディを隠し入れるというアイデアです。

これは、面白いです。
なかなか、ワクワクします。
こういうチャレンジはうまくいったら、自分的にはすごくうれしいのです。
うけようがうけまいが です ^^
失敗したら、がっかりします(笑)
同じく、うけようがうけまいがです ^^v


当日まであれこれ検討してみて、
やっぱりアレンジが決まらないならば、他の曲を弾こうと思っています。


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