前回、こちらでお知らせしましたが
9月15日(金)に野毛の「うっふ」で、柔軟芸のYUZUHOさんとのセッションです。
お店側から、セッションの相談を受けたのですが
サーカス小屋の雰囲気があるライブハウスなんて、めったにないし
そこで柔軟芸と合わせて合奏することには、興味があったから、
ぜひチャレンジしてみることに。

即興演奏の魅力は、何と言っても、音楽のアイデアですよね。
それが、自然と生み出されることの魅力について言葉でなかなか表せません。
しかしながら、超凡才バカボン(笑)の私は、
練習しているだけでは、素敵な即興演奏のアイデアが生まれなかったりします。
何をどうすれば即興の良いアイデアが生まれるかというのは、どうもよくわかりません。
そんな私にとって
パフォーマーとのセッションは、時にとてもインスパイアされるようです。
イメージというのは、「訪れる」ものみたいで、その「訪れ」の瞬間があるのです。
それは、原始的、原初的感覚なのかも知れませんけれど。
ただ、パフォーマンスを見ながらという受け身の姿勢だけでも、
インスピレーションは出てきにくいようで、
こっちが音で引っ張ったり、相手の動きにインスパイアーされたり、と。
そこらあたりのやりとりが、どうできるか。
難しいといえば、とっても難しい
簡単といえば、とっても簡単 です。
柔軟芸のYUZUHOさんは、これからいろいろなことにチャレンジしていく若手の方です。
ご一緒にセッションさせていただくことで、
彼女には、現場からいろいろなことを学んでいって欲しいと願っています。
もちろん、私も学ぶことは多いでしょう。
そして、一番大事なことは、
ご来場いただいたお客さんが、
<楽しい時間だった。有益な時を過ごせた>と感じていただけるように
出演者一同で、誠心誠意、努力していくことです。
人という生き物は、社会性を獲得したことで生き延びてきたのでしょうね。
祭礼が、そうした中から発生してきたのかも知れません。
そして、祭礼の中で、音楽や舞踊や詩や絵画などが生まれてきたのでしょうか。
呪術的なこと
祈り
それらは、単に個のものではなく
社会集団にとってのものであったような気もします。
例えば、岩戸開きの神話とか・・
そこで行われたパフォーマンス、音楽は、神に捧げるためのものだったのですよね。
人間はその「お下がり」として、感動や心地よさを受け取ったわけで。
今の時代、ライブハウスで、いきなり呪術はなかなかできないですが、
「芸事」の底辺には、こうした精神が脈々と流れている気がします。
野毛の「うっふ」は、そんな場所のような気がします。

さて、演奏に関してですが、
たぶん、古典音楽をそのまま演奏することはしないと思います。
おそらく、セミクラシックのThumuri風とかになるでしょう。
ソロの即興演奏ですが、純粋な古典曲ではなく
(純粋な古典曲が必要ならCDなどの音源を使えばいいのですから)
セッションの楽しさやダイナミズムを大事にして
場面によっては古典ではなく、かなり自由な演奏もするかも知れません。
音楽のハイブリッドです。
雑種音楽です。
でもね すべてサラブレッドじゃなくて良いですよね。
音楽でも純粋な古典以外ダメという方もいらっしゃるのでしょうし、
個々の好みは、本当に基本のことだと思います。
それは、大事になさって欲しいものなのです。
でも、すべてが、個人の好みに合うものじゃなくていいんですよね。
雑種なりの在り方で良いんです。

ところで、余計なことですが・・
最近、AI、つまり人工知能がよく話題になりますよね。
人工知能の優れた点とか、優秀さとか。
でも、純粋培養のシステムは、優れていても、
どこかに見過ごされた致命的な欠陥があったりした場合
最悪のシステムになってしまう ことがあるかも。
それは、福島の原発事故を考えるとわかるのですが。
むしろ、多少不便でも、アナログなシステムが混合しているほうが
実は、強固なシステムじゃないかと・・
妄想してみたりします。

シャガールの模写 青いサーカス
9月15日(金)に野毛の「うっふ」で、柔軟芸のYUZUHOさんとのセッションです。
お店側から、セッションの相談を受けたのですが
サーカス小屋の雰囲気があるライブハウスなんて、めったにないし
そこで柔軟芸と合わせて合奏することには、興味があったから、
ぜひチャレンジしてみることに。

パフォーマーとのセッションは即興アイデアの泉
即興演奏の魅力は、何と言っても、音楽のアイデアですよね。
それが、自然と生み出されることの魅力について言葉でなかなか表せません。
しかしながら、超凡才バカボン(笑)の私は、
練習しているだけでは、素敵な即興演奏のアイデアが生まれなかったりします。
何をどうすれば即興の良いアイデアが生まれるかというのは、どうもよくわかりません。
そんな私にとって
パフォーマーとのセッションは、時にとてもインスパイアされるようです。
イメージというのは、「訪れる」ものみたいで、その「訪れ」の瞬間があるのです。
それは、原始的、原初的感覚なのかも知れませんけれど。
ただ、パフォーマンスを見ながらという受け身の姿勢だけでも、
インスピレーションは出てきにくいようで、
こっちが音で引っ張ったり、相手の動きにインスパイアーされたり、と。
そこらあたりのやりとりが、どうできるか。
難しいといえば、とっても難しい
簡単といえば、とっても簡単 です。
柔軟芸のYUZUHOさんは、これからいろいろなことにチャレンジしていく若手の方です。
ご一緒にセッションさせていただくことで、
彼女には、現場からいろいろなことを学んでいって欲しいと願っています。
もちろん、私も学ぶことは多いでしょう。
そして、一番大事なことは、
ご来場いただいたお客さんが、
<楽しい時間だった。有益な時を過ごせた>と感じていただけるように
出演者一同で、誠心誠意、努力していくことです。
時間と場所を共有することで生み出されるダイナミズム
人という生き物は、社会性を獲得したことで生き延びてきたのでしょうね。
祭礼が、そうした中から発生してきたのかも知れません。
そして、祭礼の中で、音楽や舞踊や詩や絵画などが生まれてきたのでしょうか。
呪術的なこと
祈り
それらは、単に個のものではなく
社会集団にとってのものであったような気もします。
例えば、岩戸開きの神話とか・・
そこで行われたパフォーマンス、音楽は、神に捧げるためのものだったのですよね。
人間はその「お下がり」として、感動や心地よさを受け取ったわけで。
今の時代、ライブハウスで、いきなり呪術はなかなかできないですが、
「芸事」の底辺には、こうした精神が脈々と流れている気がします。
野毛の「うっふ」は、そんな場所のような気がします。

ハイブリッドは雑種ということなんだって
さて、演奏に関してですが、
たぶん、古典音楽をそのまま演奏することはしないと思います。
おそらく、セミクラシックのThumuri風とかになるでしょう。
ソロの即興演奏ですが、純粋な古典曲ではなく
(純粋な古典曲が必要ならCDなどの音源を使えばいいのですから)
セッションの楽しさやダイナミズムを大事にして
場面によっては古典ではなく、かなり自由な演奏もするかも知れません。
音楽のハイブリッドです。
雑種音楽です。
でもね すべてサラブレッドじゃなくて良いですよね。
音楽でも純粋な古典以外ダメという方もいらっしゃるのでしょうし、
個々の好みは、本当に基本のことだと思います。
それは、大事になさって欲しいものなのです。
でも、すべてが、個人の好みに合うものじゃなくていいんですよね。
雑種なりの在り方で良いんです。

ところで、余計なことですが・・
最近、AI、つまり人工知能がよく話題になりますよね。
人工知能の優れた点とか、優秀さとか。
でも、純粋培養のシステムは、優れていても、
どこかに見過ごされた致命的な欠陥があったりした場合
最悪のシステムになってしまう ことがあるかも。
それは、福島の原発事故を考えるとわかるのですが。
むしろ、多少不便でも、アナログなシステムが混合しているほうが
実は、強固なシステムじゃないかと・・
妄想してみたりします。

シャガールの模写 青いサーカス