辰野基康のブログ

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2018年11月

情報豊かな時代・ひとつの音から(3)バイラヴィと醤油ラーメン

ベジタリアンの方には、ごめんなさい。
個人的なことですが、最近、醤油ラーメンがお気に入りです。

減塩などもしているので、外食は控え目ですが
それでも、思い出したように、近所の醤油ラーメンを食べ歩きます。

割と近所に、気に入ったラーメン屋を見つけました。
営業時間が短いし、品切れしたらその日は終わり、という店なのですが、
ファンにサポートされてマイペースでやっているところです。
枯葉ライン

そのラーメンの話ではなく、
前回に書いた、ラーガ・バイラヴィのこと

このラーガって、私にとって醤油ラーメンみたいだなぁと、ふと思ったのでした。

町の古い「中華料理屋」に必ずといっていいくらいある料理です。
以前は「中華そば」と呼ばれていました。
しかし中国にはない料理です。
(カレーパンが、インドではないのと同じ)

バー

RagaBhairaviも、とても人気あるラーガです。
そうえいば、かなり昔の話ですが、
お正月恒例企画テレビ番組で「かくし芸大会」という企画がありました。
一度、当時人気だったいかりや長介さんのバンド「ドリフターズ」が
シュスマ小俣さんの指導で、ラーガ・バイラヴィをシタールで2〜3分弾いていましたね。

bar450

チェーン店のラーメンがあるが如く
軽音楽風のバイラヴィもあります。これもなかなか良いです。

情感あふれる情緒的なバラードのような演奏も可能だし、
敬虔な祈りの感じの演奏、
アップテンポでPOPなダンサブルな演奏や
エキサイティングな演奏だって可能な気がします。

要するに、応用範囲が広いのです。
つまり、醤油ラーメンのようなものです。
麺やトッピングを変えるだけでも、全然印象が変わるのです。

また、ダシや作り方が違えば、また違った味わいになるところも
バイラヴィと醤油ラーメンの共通点でしょうか。

駅前食堂のラーメンというのも、
昭和感あふれる味が想像できますが、
「駅前食堂ラーメン風Bhairavi」というものもありそうな気がします。

全国のご当地ラーメンのように
インド各地のバイラヴィの音階での民謡がありそうな気がします。


「和風バイラヴィ」も面白いかも知れません。
・・というより、
これは、ぜひチャレンジしてみたいと思ったりします。

ここで問題になるのが
<何をもって 和風(日本音楽風)とするか>なんですよね。

音階はバイラヴィの音階ですので、日本の音階ではありません。

楽器?
例えば、「琵琶」でバイラヴィのフレーズを弾いてみたら、それで「和風」ですか??
それってただ、楽器を持ち替えただけですよね?

簡単には答えなんてでるはずもないことなのです。

つまりは
「日本音楽」とは何であるか、
さらに、「日本」とは何なのか
といった、根源的な問いかけにつながるからです。

けっこう今までも問いかけていたことのようです。

<日本の音楽について シリーズ>




情報豊かな時代・ひとつの音から(2)

魅了されるRagaバイラヴィ


シタールを始めてまだ、インド音楽に馴染んでいない最初の頃から、
Ragaバイラヴィ(Bhairavi)は、魅了された素敵なRagaでした。

朝のラガーだと言われて、それも何となくイメージ出来ました。
静かな朝焼け、ゆっくりと静かに陽が登ってくる風景、
きらきらと輝く朝の光
そんなイメージ

バイラヴィは、女性名詞ですよね
実際に、「Bhairaviさん」という名前の女性もいらっしゃることでしょう。

Ragaに対する、この自分のイメージをどれだけ演奏に反映できるか、
それは楽しみでもあります。

どのようなリズムで、テンポで、演奏するかも、
想像が膨らみます。

想像力は、たくさんの情報を与えられたれるより
芯になるものがあって、
そこに時や想いが積み重なることで、
軽やかに飛躍していくのではないかな・・とも思えてきます。

人間の心の不思議ですね。



Kaushiki Chakrabarty
A devotional bhajan in raga Bhairavi with Soumik Datta and Vijay Ghate


カワセミ2蓮3tatsu



《続く》

情報豊かな時代・ひとつの音から(1)

未だ初心者です

ひとつの楽器(シタール)を専門にして、弾き続け、関り続けてきたのですが、
40年過ぎても円熟の境地にはまるで程遠いです。

未だ、まったくの初心者だと気付きます。
でも、それが自分の持ち分だと、納得するようにしています。
初心者であることで、良いこともあるのですよ。
新しい発見があるたびに、うれしかったり、楽しかったり、ドキドキしたり。

そういったことをたくさん与えてくれる音楽に出会えたことは、
私にとって幸せだったのですよね。きっと。
そのために、生活はひどくなる一方です。

オスカーワイルドの「幸福の王子」の如く、
幸せな気持ちになるたびに、現実はボロボロになっていくのですね。
この寓話は、まったく芸術とか表現とかの一面を描いているような気もします。
でも、それが自分の人生なら、それを受け入れるしかないですね。

眼にて云ふ

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
 宮沢賢治


情報が豊かな時代ゆえの苦労も多い

今は、情報量が豊かになっているので、
「外国の音楽」でも調べたり勉強できるという点は、
どんな分野の音楽でも、学ぶ環境は、恵まれている時代になりましたね。
録音や再生、ビデオなどの機器類も手軽に使えるようになりました。

音がデジタルになったことも、ありがたいのです。
アナログのカセットテープとか、回転ムラがあるとけっこう辛かったので。
(これについては、またの機会に)

ただ、情報が豊かになったことが、すべて良いかどうか。
急激にメリットが増えれば、デメリットも同時に増えていくのが
ものの道理ではないかとも思えます。

大量の情報から、自分に必要な情報を、素早くピックアップすることにも
慣れていかないといけない時代なのでしょう。

ひとつの音から、どれだけの豊かな想像を得られるのか、
その音を種として、どれだけ豊かな想像を生産していくか・・
という点では、苦労する時代なのかも知れません。



《続く》

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