辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

2019年11月

シタールは調律が安定しにくいという面がある Sitar has the aspect that tuning is difficult to stabilize 

シタールは調律が命、というような面がありますね。
どんなインド古典音楽の楽器やボーカルもそうでしょうが。

Sitar has the aspect that tuning is life.
Like any Indian classical musical instrument or vocal.


細い金属弦を張った棹が長い・・ということは
温度や湿度変化での影響を受けやすそう。

Long spears with thin metal strings.
It seems to be susceptible to changes in temperature and humidity.


また、ジャワリがついた音は、微妙に音程が揺れやすい気がします。

In addition, I feel that the sound with a Javari is not likely to be stable.


図1はシタールの音色の要素「ジャワリ」と弦が接触する部分の説明
Figure 1 illustrates the part where the string touches the element "jawari" of the sitar tone.

図2では音の減衰に連れて、弦長が少しづつ短くなる様子を図解しています
Figure 2 illustrates how the string length gradually decreases as the sound decays.

つまり、シタールの音は、音程が微妙に上がっていくわけです。
もっとも、音の減衰は、それだけ音量が落ちるのです。
結果、音色の魅力が音程の微妙なズレを上回っているのかも知れません。

In other words, the pitch of the sitar sound rises slightly.
However, the sound attenuation will decrease the volume accordingly.
As a result, the attractiveness of the tone may exceed the subtle shift in pitch.


図1 シタールの弦とジャワリの関係
Fig. 1 Relationship between sitar strings and jawari

シタール弦とジャワリの関係

シタール弦とジャワリの関係en




図2
Fig. 2

シタール弦とジャワリの関係2拡大


シタール弦とジャワリの関係2拡大en




また、シタールの奏法で、音程を滑らかに変える奏法があります。
日本音楽の「コブシ」と同じように旋律を装飾する「ガマック(ガマカ)」など、音程を微妙に揺らすことは、この楽器の魅力でもありますから、音程の揺らぎを効果的に使って演奏ができるのでは、と考えます。

In addition, there is a performance method that changes the pitch smoothly with the performance method of sitar.
Subtle variations in pitch, such as “Gamak”, which decorates the melody in the same way as “Kobushi” in Japanese music, is also an attraction of this instrument. I think so.


ただ、和音的な音を中心に演奏していくというような場合、
この揺らぎが、とても不快な響きになる場合もあるのですね。


However, if you play mainly on chordal sounds,
In some cases, this fluctuation can create a very unpleasant sound.


12平均律の関係もあると思います。

古典スタイルで、とても魅力的な響きで歌う歌手が
シンセサイザーなどのキーボードやバンドの伴奏が入ったとたん
響きの魅力が半減してしまうこともあるようです。

 I think there is a relationship of equal temperament.

A singer singing in a classic style with a very attractive sound.
However, a keyboard such as a synthesizer or a band accompaniment was entered
It seems that the charm of the sound may be halved.




アラープは彩り だたドレミファだけでも表情は多様

インド古典音楽はRagaに基づく音楽

Ragaはたくさんの数があるけれど
それでは、各Ragaの特徴をどう理解するか・・
これは、私にとっては、とても難しいことです。


Ragaは「音階」のようなものですけれど、
音階だけではありません。
主音、副主音、特徴ある音のつながりなど
そういうものをはっきりさせたほうが
そのRagaらしい表情がはっきりするようですね。



枯葉ライン



Ragaではないのですが、
調の分け方では、長調、短調という分類がありますよね。
自然的短音階・和声的短音階・旋律的短音階とか

長調は明るい、短調は暗い、だけでは、
それぞれの調が持つ音楽性の深さや豊かさは表現できないです。


ある特定の音階的な調、ジャズだとモードとか呼ぶみたいですが
それの旋律の魅力や可能性や、などを表現するのは
古典音楽Ragaの「アラープ」というパートで、
太鼓のリズムが入る前の曲の冒頭の部分です。
テンポがない「イントロ」みたいなものですね。

太鼓のリズムがないということは、
  • リズム周期の拘束をうけない
  • テンポに乗った「歌」になりにくい
という点があります。
旋律の魅力や可能性を十分に引き出すこともできます。

言わば、料理のはじめにしっかり「出汁」をとったり、
下味をつけたりして、素材の魅力を引き出す・・みたいな感覚でしょうか。

ドレミファの上がり下がりだけでも音楽になる可能性

例えば・・・
いわゆる普通の「ドレミファソラシド」
それをただ上下するだけの演奏でも
表情を作ることは出来ますよね。

私はシタール奏者なので
シタールを使えば、シタールらしい表現を使いながら
上行ドレミファソラシド・下行ドシラソファミレドを演奏できます。
(インドではサレガマハダニサですけれど^^)

枯葉ライン


例として
インド古典では中心的な音の響き「ド・ソ」の響きの中、
例えばドとレの関係をどのように表現するか。
ドは主音。
レは、ソの強い倍音。
だから、ドとレは、和音的には、たぶん響きは良くないのでしょうが
旋律としては、とても魅力ある音の流れです。

だから、
・・ド〜−・・ ド〜レ
(ドが現れて、その余韻を楽しむ その後、ほとんど聞こえないかすかなドからはっきりしたレの音が現れる
ここの部分は大事なので、けっこう色っぽくほわりと表現すると良いかも)

みたいにすると、ドとレの関係が綺麗に表現できるかな・・とか

・・こんなことを考えるのは、けっこう楽しいものです。


枯葉ライン




ましてRagaは、複雑な調であることも多く
それぞれの可能性は広いです。


そんなことから、アラープをとらえるのも良いのかな、と思います。



奥入瀬渓流渓流もみじ-11-10bkMOTO
「彩り」




障がいと楽器を奏でること 音楽はいつまでも出来る

障がい者であること


一般に言われる「障がい者」という枠組みは
その人が抱える障害ですが、とても広い範囲があると思います。

私は、腎臓障害があり身体障害者1級です。
腎臓がほとんど働いていない状態で、
放置すれば、数日〜数週間で死んでしまいます。
ありがたいことに、週3回通院して透析治療を受けているおかげで、
こうして生きていられます。

パタパタ


ショックでシタールの練習が出来なかった

最初、病院で医師から告げられた時は、かなりショックでした。

障がい者になることや、将来の暮らしの心配とか先立って、
頭がいっぱいになり、シタールの演奏などは、まず出来ないのだと、
思っていました。

透析する以前は、毒素が溜まっていたのか、体調がすぐれませんでした。
それでも、定期的な芸大での楽器メンテナンスの仕事などは
精一杯、頑張って続けさせていただきました。

44991a4f.jpg


障がい者になったことは、私にとってアメージンググレース


自分のことを見つめる時間が増えました

透析治療を開始して以降は、食事制限などの日常での管理もありますが、
治療をしていれば、体調はおおよそ普通に維持でき、
治療費の公的負担も整備されていて、医療にはとても感謝しています。

この公的負担は、言い換えれば、社会復帰を促してくれるものでもあるかも知れません。
どんなことでも、自分がひとりで出来ることは、とても限られているけれど、
こうして支えてくれる仕組みは、
自分が精一杯出来ることを後押ししてくれるようです。

障がい者になったことによって、自分のことを見つめる時間が増えました。
演奏活動とか、音楽活動は<外向きに活動すること>だと思って
頑張ってきたのですが、
今は、もっと自分の内面的なことを充実させたいと願うようになりました。

初心者であることを実感

これは、不思議なことです。
年をとり、体も若い頃のような無理がきかなくなってきました。
内臓に障がいがあるということは、死も身近なものではあります。
だからこそ、私は音楽の初心者だということを、とても切実に感じています。
謙虚さとか、そういったことではなく、本当に切実な思いです。

40年の様々なステージや舞台、素晴らしい共演者や観客との交流
それらは、確かなものではあるのですが
私は音楽について、どこまで内的に深めていけたのでしょう。

それを、考えると、未だ音楽のスタートラインにいるだけなのです。
だからこそ、ほんの少しでも前に進んでいきたいのです。

知識や技巧や技術は、大事ではありますが、それらは表面のことです。

どれだけ知識を得たか、技巧を体得したか、前に進んだか、
ということが目的ではなく、
前に進む「意思」こそが大事なのです。
知識や技巧というものは、結果としてついてくるだけで、
それはあればまあ役立つという程度で、必ず必要なものではないのです。

自分が倒れても、「意思」は続いていきます。
その連綿としたつながりが伝統を支えています。

種としての生存を本能的に願うのです

地上の生物からみれば、人間存在は、エゴや身勝手に溢れています。
自然界の調和からは、離れた存在で、
そうした生物の歴史は、やがて滅びゆくものなのでしょう。
それも人間と言う存在の宿業なのかも知れません。

けれども、やはり人間も生命あるものです。
個々に生きようと願うことと同時に、種としての生存も本能的に願うものでしょう。

多種多様な伝統の集合・・
それは人間という存在が生き続けていく力になるでしょう。

これが、障がいを持ったことにより、
死が身近になったことにより、
今まで以上にはっきりと感じられるのです。
これはアメージング・グレイス(大いなる恩寵)でしょうか。





マイペースを大事にして、これからも音楽を続けていきたいです。

楽器を弾くことだけが音楽をすることではないと思います。
心の中で音を組みたてたり、心震わせたり、
そこから生まれてくる言葉だったり、祈りだったり
それが音楽ではないでしょうか。




運動会AZ
10年以上前、ふと通りかかった小学校の運動会
何気なく見かけた風景でした。この絵が今、自分を励ましてくるのです。
想いは、巡るものですね。



続きを読む
RSS
Archives