新年の抱負

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コロナ禍の一年だったけれど、
基礎疾患もある中、ともあれ、新たな一年を迎えられた。



障がい者手帳を持って3年、
自分が障がい者として生きていくことが信じられなかったけれどね。

透析治療は、正月休みはない。
2日からスタートだ。

さて、障がい者になって、生きる中でハンディを持ったのだけれど、
そのことで、高尚な気付きのようなものなんて、ちっともなかったな。
相変わらず凡庸で愚鈍な自分がいるだけだ。
仔猫3-52すまん

それが、自分なのだから、認めないとね^^



優しい気持ち

多くの方の支えあって、生きていられるのだけれど、
それでも、
自分の存在など、家族以外の方にとっては、
ほとんど、無に近いのかな、と思えたりもしている。

成功者だけが、さらに成功をしていく、
ちょっとでもこぼれた人は、さらに、落ちこぼれていく・・
そういった、雪だるま式に膨れ上がるようなシステムは、
この世にあるし、そのシステムは、場所によっては加速していくように出来ている。

透析をしていることよりも
こちらのほうが、正直、精神的にきついときもあるね。



悪意・・人は弱い生き物だから


華やかで眩い場所、
でも、そこでは、ゆったりとした優しい気持ちにはなれないよ。
競い合い、主張しあい、勝ち抜くための場。
共生感があるようで、実は、その中に隠された悪意があったりする。
そこに居て、生き甲斐を感じることは出来ないし、
そこで、光を浴びたいなんても思わない。

そういった現実があることは、自然なことだろう。
世間は、そうした場所を求める。
人は弱いものだから。
もちろん、自分自身も弱いのだ。
飲み込まれてしまえば、自分もそうなる。

それをよくわかることも、大事なことだろうね。

若い頃は、体力もあったし、
そういう渦中に飛び込むことも出来た。
それが自分のためにもなると思っていた。
けれど、やっぱり自分には合わない所だ。



<危うきに近寄らず>
なるべく、離れていようと、思う。



家族としっかり向き合って暮らせているのだから、
その時間に、感謝して暮らしていければ良いなぁ。


ありがたいこと


世間一般にとっては、無に近い存在の私ではあるけれど、
そんな私を長い間、静かに見守って下さる方もいる。
とてもありがたい限りだし、
それを感じるだけで暖かく優しい気持ちになれる。
それは、本当に貴重なこと、
文字通り「有難い」ことなんだね。

絵も音楽もそうだけれど
上手で、巧みで褒められようなんて欲はない。
ただ、静かで暖かく優しい気持ちが
自分の拙い表現の中から、少しでも届いてくれたらと願っている。



情報発信

自分なりの情報発信は、出来るだけやっていきたい。
それは、自分が生きている証のようなものだ。

病気との付き合いのことは大事なことだ。
これは日々、生きていくためのことだから。


病気と付き合いながら、音楽をやること
大事なことだ。
体を労わりながら音楽をやること。
病気で失うものあるけれど、
それまで気付いてなかったことを、見つけ出せることもある。
命とは不思議なものだ。

絵を描くことは、実はあまり大事ではない。
でも、大事ではないことにしておくことが大事と、ややこしい(笑)

結局「落描き」しているだけなのだ。
絵画というのでもなくイラストでもなく漫画でもなく、ラクガキ。
表現として、そういう形があっても良いと思う。
例えば、最近注目のバンクシーもある意味、そういう表現もしているよね。

ただ、表現は自由だけれど、
他人の建物に、勝手に描かれたら、
表現そのものではなく、その手法が問題になることもあるね。




今年も気負わず、やっていこうと思います。

練習4-3