気ぜわしい日々が過ぎて、ようやくのんびりしています。

■ 透析と人生

相変わらず、週3回、血液透析に通っています。

「血液透析をはじめると、一生透析しないといけない」と嘆く方がいらしたりします。
でも、逆に言えば、透析をしているので生きていられるのですよね。

受け止め方は、人それぞれでしょうし、第一、<透析をしている>といっても、患者の一人一人で疾患は異なるし、ひとりひとりの人生は違います。

私の場合は、一回の透析時間は4〜5時間、それを週3回、それを透析室で過ごします。
日本は医療保険制度が充実していて、透析医療は患者の医療費負担はありません。
通っている透析室は患者が快適に治療時間を過ごせるように気づかいされていて、TVはあるしスマホも使えます。
また、透析後の時間は普通に過ごせます。
だから、自分の時間は、家族との時間に使ったり、体に無理がかからない範囲の仕事をしたり、自分の心にとって本当に大切なこと、大事にしたいことに時間を使いたいと思うようになりました。

■ 音楽の時間

インドの古典音楽をやっていて良かったと思えるのは、自分の時間を、古典音楽の探求に使えることです。

若い頃は、難しい技術を身に着けたり、難しい曲を覚えたりすることに関心があったりしました。
それは外向けの姿勢だと思います。それもとても大事なことでしょう。

今は、その反対に素朴なものの関心が多いかな。
技巧よりも素朴な音を磨くことや、シンプルなRagaの中にある味わいの深さを見つけることとか、そちらのほうが、楽しいです。

良く芸事では「芸が枯れてきた」などと言ったりすることがありますけれど。
もっとも自分ではそうは思ってはいないのです。

いつも、輝くような光、活き活きとさせてくれるもの、そういったことを求めているわけで・・
要するに、<基本に戻っている>のです。

以前は基本を大事にしないで、どんどん前に進んでいこうと、背伸びをしていたのかも知れません。
それだって、華やかな演奏になすれば、聴かれる方々は喜んで下さります。
喜びを皆で共有できるのは、音楽の素晴らしさです。

でも、もう一度、基本に戻って、音楽の味わいや楽しさ、美しさを、自分なりの方法で表現したくなったのです。

■ 師から学んだこと

考えれば、ものすごい回り道をしてきたのですね。
もっとも今も回り道の途中なのかも知れません。
もっとも、道を楽しむと書けば「道楽」になりますが、自分では、ただ好きなことをしてきたとか、道楽をしてきたという感覚はないです。

拙く未熟ながらも仕事としてやってきたつもりですし、もしそれが道楽に見えるなら、それはひとえに私の力不足のせいで恐縮しています。

思い返せば、何だか未熟なことばかりを繰り返してきただけなので。

道を楽しむという道楽ではないし、道を苦しんで歩んでいるわけでもないし。
時に景色の良いところで一休みしたりもします。険しい道に苦労したりもします。
その道そのものが回り道や迷路だったりするのかも知れません。

けれど、それでも、自分なりに自分の足で歩んでいきます。

それが私の師から学んだことです。

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