辰野基康のブログ

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2025年06月

響き 音楽ホールの響きとHimangshu Roy氏の教え

トッパンホールの会場の下見に行ってきました。
都会の中のホールですが、静かな雰囲気があります。

音響性能を徹底的に追求したクラシック音楽中心に音響設計をされているホールとのこと。
下見として確認した範囲ですが、音響設計の技術が素晴らしいです。

ステージは木でふんわりと包まれている感じ。
木も、檜など音響に適した木材を使った作りで、壁から背面まで柔らかく緩やかな襞の曲線です。
ステージの音は、木の壁に反射して、客席の上、およそ天井のあたりでしょうか、そこに集まっているように聞こえます。それに加えてステージの音も自然にブレンドされています。
それは例えばトンネルとか体育館とかそれらの響きとは全く違います。
ほど良くここちよい残響・・
残念ながら、ステージでは、その素晴らしい残響は聞こえません。遠くで鳴っている感じ。
でもそれだけ自分の音に繊細に集中できるので、それがとても良いのです。

ステージ上で残響豊かな音になると、自分で自分の出す音に酔ってしまうわけです。
それでは他人に聞いていただく演奏にはなりません。
と言ってまったく残響のない音では、音を出している本人は味気ないのです。

自分での音に対して、細かい気配りをしつつ、客席に響いている音も想像する、というイメージでしょうか。
そのイメージを作ることだけでもワクワクします。


普段、楽器の振動そのものに鳴りを感じ、その響きに一喜一憂したりするのですが、そうした鳴りがマイクを通しスピーカーを通してではなく、「空間」を通して客席にしっかり伝わることは、とても魅力があります。
もともとが生楽器、弦楽器ですので、弦と爪があたる音、フレットに指が当たる音、楽器をちょっと持ち替えたりしてガサガサする・・とか、実はそうした「雑音」もたくさん出ています。
でもそれは人間が何かを弾いたり擦ったり叩いたり声を出したり、上手くいくこともあれば失敗したりもする、いろいろなことをしながらも、心地よい音を作ろうとしている証しです。
そしてそれは心地よい音が生み出す世界、調和に満ちた世界を願い求めることに他なりません。
これはなかなか創造的なことだと考えるのです。


用意して作った曲の一音一音の響きを吟味して、何度も練習して、そして演奏するという形にとてもふさわしいホールのようにも思えます。
そうした演奏にしようかとも考えたりしたのですが、やはり普段の自分らしく、やっぱり即興演奏主体にします。
即興演奏と言っても、身近い部分部分は繰り返し練習して高めていきます。
また、このホールに応じた響きになるように、楽器も試行錯誤して調整していきましょう。


自分では客席では聞けないですが、タゴールソングや天台声明の声の響きもきっと素晴らしいことでしょう。
それらの美しい響きにつながるように、至らない自分ながら、シタールの音に願いを込めたいです。
昔、シタールメーカーのHimangshu Roy氏とのさりげない会話の中で学んだたくさんのこと。
弦1本1本の役割や響きへの意識、気遣うことの大切さ。


ここまで音響が素晴らしいホールで演奏させていただいた体験はないし、これほど音響の豊かな空間を意識したこと自体なかったので、本当に貴重な機会です。

西洋クラシック音楽の中心のホールですが、こうした専用のホールを作りそれを維持していくのは、相応の努力や尽力が必要なのでしょう。






等身大の音楽 透明な音 天へ供え物を

週3回、透析治療に通っています。
週1回の血液検査、月1回の胸部レントゲンや心電図検査、数か月に一度、手術室で血管の拡張処置を受けます。身体障碍者1級。
現在の日本には保険制度があり治療費の多くを保険で負担してもらえます。
治療を行わなければ、高カリウム血症からの心停止や尿毒症など、直接的に死につながります。
治療は、回復するためのことではなく、生を維持するためだけの医療です。
個体差もあるでしょうけれど、今とりあえず標準の医療で生きられているだけです。
医療の進歩によって、透析患者でも仕事をされたり、数十年元気に過ごされている方も多いのも事実です。
けれども、不意に亡くなる方も、あるいは透析を受けるのにも体力負担がありそれに耐えきれなくて亡くなる方もいらっしゃいます。

生きるために重要な臓器が動いていないから死が当たり前の状態です。

これらのすべてのことが今の自分の音楽の底辺にあり、あるいは心の支えになってくれています。
人目を惹く素晴らしい演奏が出来るわけはないけれど、自分の分相応の、等身大の演奏をする努力は続けていきたいです。
気負いや衒いなく、自分を卑下するのではなく、そのままの自分を認めて演奏をする。
等身大の音楽が奏でられれば、そこに<透明な音>が生まれてくるように思うのです。
<透明な音>とは・・自分でも上手く説明が出来ないのです。
天へ供え物をする心持ちです。
そこから生まれる<透明な音>です。

難しい技術を追及することには興味ないのですが、自分の心持ちを大切にすることを大事にしたい。
自分が出来ることの中で誠実に精一杯のことをする大切さです。
心の芯がぶれないように注意深く。

本当にそうした音楽が演奏できれば、聴かれる人の心の琴線とどこかで響きあえるのではないかな。
そんなことを願っています。


吾唯知足2

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