■40年前のカルカッタの音の思い出
シタールの安藤さんが、タブラの逆瀬川さんと、練習に訪ねてきました。
お互いマイペースで続けていられることには感謝ですよね。
お二人のそれぞれの音には、それぞれが昔から育ててこられた音の歴史が息づいていて、それが素晴らしく、また勉強にもなりました。
時間をかけて育ててきた音には人の心がこもり、そこに神様が宿るのだと信じています。
「神の月」に神様の音に包まれたひととき。
懐かしい思い出とともに、楽しい時を過ごしました。
安藤さん、逆瀬川さん、ありがとうございました!
また一年後再会して音を出せればうれしいですよね。
ただ私がその時まで生きていられるかなぁ・・あまり自信はないのですけれど。
でも、ともあれ健康に過ごしていきたいです。

■思い出のDuo
お二人と初めてお会いしたのは、40年以上前、インドのカルカッタ(現コルコタ)の街の中。
それぞれ、音楽を学びに来ていたのです。
今に比べて、インドの音楽を学ぶための情報は、とても少なかった時代です。
わからないことだらけの中で、学んでいく音楽をどのように理解していくか、それぞれが模索していました。
分離独立したときの混乱の傷跡もまだ各所で感じられた当時のカルカッタの街でした。
帰国後の40年ほど前、下北沢の「あしゅん」で安藤さんとシタールのDuoをしたことがありました。
ほとんど習ったことしか弾けなかったのでした。
だから、ちょっと弾いて、はい!と相手に渡し、弾き終わるのを待って、またちょっと弾く・・最後に一緒に盛り上がって終わる、というパターンです。
どちらかというと発表会のような演奏だったのかも知れません。
しかも、ときどきつっかえたり間違ったりしながらです。
それでも楽しかった。
お客さんたちも、一緒に喜んで下さいました。
そこにいる皆それぞれが、音楽を奏でることや音楽を聴く楽しさを、さらに自分なりの生き方を模索する空気感がありました。
■拙い演奏だけれども
思い返せば、長く続けてきたものです。
こんなに長くシタールを弾くとは少しも思いませんでした。
長く続けてきてわかったことは、長くやっているけれども、自分はまだ初心者ということです。
わからないことだらけだし、練習していれば「あ、そうだったんだ!」と初歩的なことへの気づきがたくさんあります。
才能とか技術とか非凡なものはなにも持っていない平凡な人間だから、それは自然なことなんですけれど。
でも、平凡な人間だって、音楽を楽しむことは出来ると思います。
拙い演奏であっても、心込めた音には祈りがあるのでしょう。
だから、自分で楽しめる音を探して、喜んだり、びっくりしたり、がっかりしたりしながら、歩んでいきたいです。
このことは大事にしたいです。
シタールの安藤さんが、タブラの逆瀬川さんと、練習に訪ねてきました。
お互いマイペースで続けていられることには感謝ですよね。
お二人のそれぞれの音には、それぞれが昔から育ててこられた音の歴史が息づいていて、それが素晴らしく、また勉強にもなりました。
時間をかけて育ててきた音には人の心がこもり、そこに神様が宿るのだと信じています。
「神の月」に神様の音に包まれたひととき。
懐かしい思い出とともに、楽しい時を過ごしました。
安藤さん、逆瀬川さん、ありがとうございました!
また一年後再会して音を出せればうれしいですよね。
ただ私がその時まで生きていられるかなぁ・・あまり自信はないのですけれど。
でも、ともあれ健康に過ごしていきたいです。

■思い出のDuo
お二人と初めてお会いしたのは、40年以上前、インドのカルカッタ(現コルコタ)の街の中。
それぞれ、音楽を学びに来ていたのです。
今に比べて、インドの音楽を学ぶための情報は、とても少なかった時代です。
わからないことだらけの中で、学んでいく音楽をどのように理解していくか、それぞれが模索していました。
分離独立したときの混乱の傷跡もまだ各所で感じられた当時のカルカッタの街でした。
帰国後の40年ほど前、下北沢の「あしゅん」で安藤さんとシタールのDuoをしたことがありました。
ほとんど習ったことしか弾けなかったのでした。
だから、ちょっと弾いて、はい!と相手に渡し、弾き終わるのを待って、またちょっと弾く・・最後に一緒に盛り上がって終わる、というパターンです。
どちらかというと発表会のような演奏だったのかも知れません。
しかも、ときどきつっかえたり間違ったりしながらです。
それでも楽しかった。
お客さんたちも、一緒に喜んで下さいました。
そこにいる皆それぞれが、音楽を奏でることや音楽を聴く楽しさを、さらに自分なりの生き方を模索する空気感がありました。
■拙い演奏だけれども
思い返せば、長く続けてきたものです。
こんなに長くシタールを弾くとは少しも思いませんでした。
長く続けてきてわかったことは、長くやっているけれども、自分はまだ初心者ということです。
わからないことだらけだし、練習していれば「あ、そうだったんだ!」と初歩的なことへの気づきがたくさんあります。
才能とか技術とか非凡なものはなにも持っていない平凡な人間だから、それは自然なことなんですけれど。
でも、平凡な人間だって、音楽を楽しむことは出来ると思います。
拙い演奏であっても、心込めた音には祈りがあるのでしょう。
だから、自分で楽しめる音を探して、喜んだり、びっくりしたり、がっかりしたりしながら、歩んでいきたいです。
このことは大事にしたいです。
