辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

 演奏会情報

7月5日 声明コンサート

◆TOPPANホール
TOPPANホールは西洋クラシック音楽の専用ホールで木の響きが良いところだそうです。
音響設計されたホールで音を出せるというのは貴重な機会ですので、出来れば生音で演奏したいのですが楽器の音量が十分だろうか気になるところではあります。
自分の中では、横浜の三渓園での観月祭の延長として位置付けです。
観月会、秋の虫の音が聴こえる室町時代の古刹の庭先での音楽でした。
今回は、日本の仏教の声明です。声明はお経の中でも音楽的ですね。
日本の仏教はインドから伝わりましたが、長い時間をかけ人達の暮らしに寄り添い育まれてきました。
インド音楽の響きとどこか共鳴するものがあるのでしょうか。
一応使う楽器の調整などでは半年ほどかけて準備しました。タンプーラの音色もシタールに合うようにして弦の響きを活かせるように工夫しました。
もっとも音色とか奏法は試行錯誤しているものなのですけれど。
日本文化を愛したタゴールの歌も声明と、気持ちの中でつながっているようにも思います。


◆ホールの残響時間

音楽専用ホール、残響時間が設計がされていることはうれしいです。
おおよそ石作りの空間で鳴っている楽器ですから。

自分の弾く楽器の生音について、とても良い音色かどうか、あまり自信はありませんが、まあそこそこの心地よさはあるようには調整しています。

そうしたホールで音を出せるということで、生音への期待感がけっこう高まっています。
以前、音響で有名な神奈川県立音楽堂で音を出したことがありました。
ものすごく期待していましたが、自然な響きはあったけれど、まあこんなものかという感じ。
でもそれは、自分の出す音を追及してきたというよりは、会場の響きに委ねようということ、つまり他人任せの考えがあったのかも知れません。
それと、それまでがイベントとかライブハイスとか音量をしっかり上げての演奏が多く、そうなると音響装置頼みが癖のようになってしまっていたのですよね。
エフェクトに頼って音作りをするようになったりします。
それはそれで、そういった音楽になるのでしょうけれど、室内楽の優雅さ、音の余韻を楽しむこととは少し離れるのでしょう。


そんなことで、今回、古典曲の演奏の時には、「光」をテーマに考えました。
「光」の表現は、印象派の絵、特にモネのイメージが。
あるいは・・例えばゴッホの跳ね橋。
音楽では、ドビッシーの月の光の透明感
西洋美術や音楽ばかりではなく、日本美術なら、円空菩薩のほほえみにも「光」を感じます。
龍安寺の石庭、苔寺の木漏れ日

イメージは広がりますが、それに対してどれだけしっかり弾けるでしょうか。
けれども、少なくともチューニングはちゃんとしておきましょう。

チューニングは演奏中にずれてくることがよくあるし、シタールはそういったものでもあります。
その日の気候、温度湿度の変化、体調などによって、変化することがあります。
チューニングがずれてしまうと、音の透明度が落ちるようです。
ずれないための幾つかの対策を考えます。




□音の饗宴 声明

2025年7月5日(土)
開演16:00

TOPPANホール
2500円(税込) 全席自由 一般
TOPPANホールチケットセンター
https://www.toppanhall.com/

主催
(公財)日本テレビ小鳩文化事業団



チラシ表チラシ裏




演奏会のお知らせ 4月19日(土)ブックカフェデン

演奏会のお知らせ
4月19日(土)13:30〜14:30
ブックカフェデン 調布市上石原2−22−3
古典曲の演奏の他、ちょっとだけ朗読もします。
これは一年前に、朗読カフェKeiで試みてみたのですけれど、まあ「試み」としてはありかな、という感じでした。出版社からも紹介されたりして、気を良くして改めてバージョンアップ版の準備をしていますが、どうなるかなと気にもなっています。黙々と演奏している方が、何だか自分の性分にはあっているのでしょうか。
古典曲は、シタールとタンプーラという弦だけの響きです。
打楽器が入ったラーガとターラの世界も豪華で素敵ですが、
弦だけの響きもなかなか良いものだと思っています。


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11月3日、調布市の祇園寺の本堂内で、タゴールソングとシタール演奏の催し

すごく役得でした。
奥田由香さんのタゴールソングをとても自然な残響の空間で聴けたからです。


11月3日、調布市の祇園寺の本堂内で、タゴールソングとシタール演奏の催しがありました。

部屋の残響が自然で、歌、演奏には音響機材は使わず、生音での演奏
生音のチェックをしたのですが、残響がとても良かったのです。
響き過ぎもなく、ほんのりとわずかな響き。

リハーサルでは人がいないので、壁や床や天井からの反響が聴こえてくるようでした。
このナチュラルな感じは、スピーカーシステムではなかなか表せない気がします。

何故なら、スピーカーは音が出る「点」ですが、壁や床や天井は「面」
つまり、反響した音が上下前後左右から聴こえてくるのです。2Dと3Dの違いですね。

自分の演奏に関しては、普段練習している何十通りの中のひとつです。
もっとも本番では、思いがけないことがありますね。
普段のパターンが展開せず「あれ、これって進まないね」となってしまうことや
今まで同じラーガで何百時間と練習してきたのに出なかったものがふと出てきたりします。
<場の力>なのでしょうか。
朗読との共演では変則チューニングをしましたが、想定した響きが得られたので満足でした。

自分の演奏のことは、演奏が終わると頭がからっぽになります。
ですからそのくらいしか関心がありません。




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共演者の奥田由香さんの演目はタゴールソング。

私はタゴール研究の専門家でもないので、素人なりの理解力しかありませんが。
タゴールソングとは、ベンガル語の詩人、ラビンドラナート・タゴールの詩に、詩人自らがメロディーを付けて歌にした曲のことです。
詩人として著名な人です、その詩に作者自身がメロディを付けてくれたので、詩をそのまま歌えるというのは魅力的ですね。
歌はインドの古典旋法に即したものが多いです。

奥田さん歌うのタゴールソングは、タンブーラ一本で弾き歌うというのが基本のスタイル。
それだけタゴールの詩が持つベンガル語のリズムや抑揚がとてもよくあらわされると感じます。

ところがタゴールソングは、ベンガル語を母国語とする人達の中でも、楽曲編成されたりポップ風にアレンジされたり、多様に編曲されて歌われています。
まるで、円空仏のような存在感です。
タゴールの詩は多様性もあるようなので人それぞれの想いや取り組みがあって良いでしょう。
けれども、自分が書いた作品にメロディをつけて歌うように詠む、というタゴールの想いは、素朴な構成で演奏されてこそ、活かされるの気もします。

何度もご一緒させていただいたり、録音した音源の編集をさせていただいたりして、奥田さんの表現に触れてきました。
小さなプライベートスペースでの共演、タゴール自身が講演したという日本女子大の講堂での演奏、こちらもタゴールが滞在した横浜三渓園の庭園内での観月会など、いくつもの印象的な場所での共演でした。
自分ではベンガル語がわからないので、時間をかけてゆっくり消化していく中での理解でしたが、このタンブーラ一本の伴奏でのタゴールソングのスタイルの魅力に気付きはじめました。

(分野はまったく違いますが、ジョアンジルベルトの1999年のアルバム「声とギター」爪弾かれるギターと歌だけのシンプルな構成が美しい。詩の朗読を聴いているような、そんな感じ。)

もしシタールがあえてそこに入るなら、曲によって水彩画のような淡い色合いをつける程度で良いし、タンブーラの一種くらいの存在感が良さそうな気もします。



生の歌が一番良いのですが本当に響きの良い空間でなければ、なかなかその魅力を十分に味わうことが出来にくいのです。
タゴールソングに適した残響の空間はなかなかないのです。
そのため、マイクを使いエフェクトを少し加えてモニタースピーカーから音を出すことをアドバイスしたこともあります。
そうすると、確かに響きは良くなりますが、本来のタンブーラ+歌声の音色の魅力を十分引き出しているかどうか、そして、タゴールが詩を書き歌を作った時の、本来の響きにどこまで近づけるのか、

ナチュラルリバーヴがかかった音 室内の天井や壁や床に音がわずかに反響して柔らかく響いてくる歌声
本当に魅力的です。

歌詞とメロディの調和した響きのように思えます。


ベンガル語と言う馴染みない言葉で書かれた美しい文学作品を、日本語で説明し鑑賞していただくこと、そこには、とても高いハードルがあると感じます。

インドのタゴール大学で長年学ばれ帰国されてからも長年タゴールの音楽や世界観の普及に努められてきました。
外語大学の講師レベルの高くて正確な語学力も奥田さんのタゴールソングの魅力を支えているひとつでしょう。
だからこそ、私たち聴く側としても、芸術作品としてタゴールソング、そしてタゴールの世界観を身近に触れることが出来るのです。

タゴールは「アジア初のノーベル賞受賞者」ということで、作品を味わう以前にその偉業ばかりが独り歩きすることもあるのかも知れませんが、私個人の思いとしては、神格化されたタゴール像ではなく、人間として思い悩むことなどもありながらも、美しい詩や曲を作り、調和した世界観をその中に生み出してきたひとりの稀有な芸術家として、感謝と敬意の念をもって作品を鑑賞したいと願っているのです。

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