辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

 演奏会報告

7/5の聲明コンサートのこと

長い間準備していた聲明コンサートが終了しました。

共演の奥田さん、聲明の導師の方々、ともに最高に素晴らしい表現をしていただきました。
また素晴らしいスタッフ、そして主催の方々、同じステージに参加させていただいものとして最大の感謝してもあまりあります。

聲明との共演をさせていただきました。
未熟な私で、至らなかったことも多分にありましたが、
出来る中での精一杯のことをしました。

想いはいろいろありますが、知らなかったこと学んだことが多くて、改めて自分が音楽の初心者なのだと感じました。
でも、それを知ることが出来たことは、とても幸せなことですよね。

今まで、当たり前のこととして見過ごしていた事柄の見直し

・タンプーラの位置づけ
タンプーラ、あるのはごく普通のことで当たり前だと考えていました。
だから電気タンプーラがあれば、深く考えず簡単に代用していたのですが・・
生音の響きが活かせるホールで、人間が紡ぐ音としてのタンプーラの位置づけをしてみたかったのです。
タンプーラは、不思議な楽器です。
ただ持続音を背景で流す、それだけの役割なら、機械的に作る音で十分に間に合うのです。
人の手で紡ぎ出す音の魅力はかけがえのないものです。

シタールの演奏をタンプーラと共振させる位置づけ
そのアイデアを考えると、ワクワクします。


・生音の魅力
インドでは、大きなホールで、聴衆(おそらく生徒たち)を舞台に上げたコンサートを見ました。
これは<演奏者の演奏を間近で体験する>ことと<生の音を聴く最高の機会を与える>という意図もあるのでしょう。
ところが、音響設計されたホールでは生音の魅力が少し違います。
少し離れた場所の方が、楽器のいろいろな位置にある響きが壁にあたり反響して客席に響きます。

抱えて演奏する弦楽器は、演奏者が体感している弦の振動や余韻の音が、耳で聴く音と少し異なります。
それとは少し異なるのかも知れませんが、おそらく似たような効果が会場に伝わったと思えます。


・聲明とのコラボの方法論

聲明の音の動きは、日本の伝統音楽と似ているように感じます。
けれども、箏の平調子とは違うようです。
能、民謡、わらべ歌の音階、旋律
小泉文夫先生の著書では、日本の古典音楽は5音音階を基本としているように書かれていますね。
また、音の動きについてテトラルコードという法則性を指摘されているのですが、理解力の低い私には十分に理解できていません。
簡単に「日本音楽」と言ったりしますが、ところが、日本について、日本の文化の独自性について、どれだけ深めているのでしょう・・いつも考えています。
単に国籍があるということが、日本文化のアイデンティティだとは思いません。
日本島の成り立ち、地域ごとの特徴や独自の文化、先住民や移住民族の交流、実に複雑な多様性があり文化体系がある島です。美意識ひとつとっても、地方ごとに洗練されたものがありますよね。



聲明との合奏では、自分なりに感じたRagaの一部の音の動きを解析してみました。
自分の解釈をあまり強調して主張しすぎることで、音の調和が壊れてしまわないように注意しました。
もともとが、伝統的に継がれてきた唱法ですから、いくらコラボだからといっても、代々引き継がれてきた音楽の良さを壊してしまうのは、忍びなかったのです。

今回、この点に一番悩みました。
演奏の数日前まで、合せられる部分はほんの数分程度かとも思っていました。
でも落ち着いて、何度も解析して、少しづつ音を重ねられる部分を広げてきました。
やってみれば「コロンブスの卵」のようなことですが。
それでも、繊細な感覚で、見極めていく必要はありますね。

聲明の内容について
とても深いのです。
音として合わせることだけを考えて準備を進めていたのですが、振り返ってみると、歌われる内容、つまり歌詞を理解することがとても大切だと痛感しました。
合せたところは「唱禮」「百八讃」「般若心経」「総回向」
それぞれの経文についておおよその理解はしていましたが、特に般若心経は、良く知られていますが解釈は難しいです。
今でも、自分の解釈(演奏)で良かったのか、音の表面をなぞっただけで消化不足ではなかったのか・・思い返すことは多いです。

コラボは終わりましたが、自分では、天台声明で歌われた歌詞の内容を理解していこうと改めて思います。

今回の合奏が、完成した作品になったかどうか、自分でもわかりません。
さらに練り込まれたものにする必要があるのか、
けれども、こうした作品は「完全なものを完成」させることではなくて、過程を残した形が完成なのかも知れません。

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alulucan
ピカソ アルルカン姿のパウロ
描きかけのようだけれど、見方によれば、これで「完成」

松林図屏風
松林図屏風 長谷川等伯 安土桃山時代



4月19日西調布カフェ・デンでのシタールソロと朗読

4月19日西調布のカフェ・デンでのシタールのソロと朗読のこと

時間が過ぎてしまうと、演奏の内容をけっこう忘れてしまうもので、備忘録として書き留めておきます。

13:35〜13:50 Raga Brindabani Srang アラープ
昼のRagaです。出来るだけゆったりとした演奏を心がけました。
Tanpuraの音が時折自然と聞こえてくるように。
イメージとして、流れる薄雲の雲間から差し込む日の光
静かに流れる川の水面にきらきらと反射する日の光
という感じ
印象派風の音楽のようにしてみました。
音を厚くしていくときは重厚な感じも出しました。

13:55〜14:10 タゴール「少年時代」朗読
出版されたものは日本語訳なのですが、ベンガル語の響きを聞きたくて、奥田由香さんに飛び入り参加して詩の一部をベンガル語で朗読していただきました。
これは、とても良い朗読でした。
その後、日本語訳の詩を、節をつけて読みました(歌いました)
特にこだわったのが、日本の音階、それもわらべ歌の雰囲気で。
この「わらべ歌」は、小泉文夫先生の論文「日本伝統音楽の研究」を読み進めている中で触発されたものです。ただ、論文の理解は私の乏しい読解力では、なかなか読み進めることができていないのですけれど。
ともあれ、自分的には、チャレンジのひとつとして。

14:15〜14:25
Raga Bimpalasi のアラープ
人気のある午後のRagaです。
叙情性あるRagaですので、情緒を込めてシタールに歌わせました。
シタールに歌わせるのは楽しいです。
歌は楽しいけれど、頑張り過ぎると息切れしてしまったり、空回りするので、そこのバランスが大事ですね。
適度にリズムを刻んだり、リズムによって転換する、などいろいろ変化をつけてみるもの味わいがありますよね。

14:25〜14:30
短いメロディ
何となく親しみやすいメロディで


コンパクトにまとまったホームコンサートになったと思います。

お聴きにご来場いただいた皆様
ベンガル語の朗読の奥田由香さん
カフェ・デンのご夫婦
そしてタンプラーの伴奏を無理してお願いして弾いてくれた私の妻

皆様ありがとうございました。









タゴール10の物語 出版記念講演会

メコン社から出版された「タゴール10の物語」大西正幸訳 西岡直樹挿絵
の出版記念講演会が、横浜市の大倉山記念館で11月16日に開催されました。

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プログラムは、奥田由香さんのタゴール歌曲、西岡直樹さんの講義、大西正幸さんの講義

奥田さんから歌のマイクセッティングを頼まれました。
今回の歌はタンプーラと歌というシンプルな構成です。

奥田さんとは何度か、シタールで歌の伴奏をさせていただいているのですが、自分ではなかなかタゴールの歌のイメージが掴めず苦労していました。

タゴールの歌を理解するために、メロディを追いかけて歌詞の意味を理解していくだけでは、どうしても軽いものとなってしまいます。
またネットには、たくさん動画はあるのですが、様々なアレンジが加わっているものが多いのです。
それらは、ちょっと聴くと軽音楽のようにも聞こえたりします。
タゴールのメロディを「素材」として軽音楽としてのアレンジを加える・・
そういったものがあっても良いのかも知れませんし、タゴールもそう考え作った作品もあるでしょう。でもそれだけでタゴールの詩歌を理解して良いのかな・・という問いかけはいつも奥田さんの歌から感じていたのです。
娯楽のための音楽ではなく、心を耕し人生の内面を照らしてくれる、そういったものとしての詩と歌。

シャンティニケタンの先生方の歌曲のビデオを何度も聴くことで、少しずつ自分なりの理解が進んでくれたのかも知れません。

そうした結果、私なりの未熟な中での理解は、タゴールの歌曲は一見素朴だけれども、実は詩と歌が複雑に交差して、とても繊細で深い内容を含むというイメージです。
生涯をかけて深めていくべきものだとも思います。

詩人タゴールが自分の詩に旋律をつけて作った作品。
言葉のひとつひとつの抑揚やリズム感、言葉が生み出す感情はとても細やかで、それに旋律を重ねて作られた作品です。
多くの調べは古典音楽の伝統的な旋律体系Ragaに準じて作られています。

作者の心境に少しでも近づけるように表現していくことは大事。
言葉の壁はあるでしょうが、言葉の意味がわからなくても、伝えようとする気持ちは伝わるはずです。
それは、自分が体験してきたことなので、はっきりそう感じるのです。

シタールで歌の伴奏をしながら、少しでも芸術作品として作りたいと願っていました。
ただどうしてもシタール1本でタゴール歌曲の伴奏を支えるのは、自分の実力ではおぼつかないものでした。
今回は、音響装置やマイクのセッティングとミキサー卓での調整をしましたが、シタールで伴奏をしている時と同じように、歌声や調べの移り変わりをよく聞きながら音を調整しました。

ミキサー卓にいてわかったのですが、歌の独唱の音響の調整は楽器伴奏とほとんど同じ。
特に奥田さんは、本当に美しく歌われますが、自分自身の美声を聴かせようということではなく、歌を通してタゴールの詩と歌が描く世界を伝えていきたいという想いが強いようにいつも思うのです。
ですから。自分としてはベンガル語がわからないのが恐縮なのですが、訳詩を参考にしたり、少ない語彙から理解することにつとめながら、至らないかも知れないですが自分の音楽的な感性で、奥田さんの謙虚で真摯な想いを引き立てる努力をしました。

シャンティニケタンの木陰に集い柔らかい風に吹かれながら響く歌声、時に木の葉を揺する風のざわめきや遠くに聞こえる鳥の鳴き声・・そのようなイメージを含めながら音作りをしました。

ただしあくまで会場の自然な響きが一番大事で、作為的、意図的な音響は、タゴール歌曲の場合、不似合いです。

今回、大西さんが作ってきて下さった奥田さんのキーに合わせたボーカル用のタンブーラを使いました。
豊かな響きがあるので、奥田さんはタンプーラに歌声を乗せることにとても秀でていますので、この弦の響きと歌声が合わさった魅力はとても大きいのです。

このタンプーラの工房は、以前、私が大西さんに大きなボーカル用の駒(ジャワリ)を購入していただいた職人さんの工房です。
その時の手仕事がとても誠実な仕事のようだったそうで、その後、大西さんご自身のエスラージの修理と奥田さん用のタンプーラを購入されたそうです。

西岡さんと大西さんの講義も素晴らしいものでした。
そしてとても貴重なものでもありました。
そんな催しにお手伝いのスタッフとして参加出来たことは、ありがたく貴重な体験でもありました。

この短編集は途中まで読んだ段階なのですが、訳がとても素晴らしく注釈や解説も充実していて、楽しく、味わい深く読んでいます。

今の世の中、ネットの情報が氾濫して飛び交っている状況です。
多くの言葉が「情報」として乱用されて、言葉に疲れてしまうこともあるように思えたりします。

だからこそ、吟味された言葉を味わえる良書と出会うことは、人生の宝ものなのかも知れませんね。


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