辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

健康

消えゆく音のなかにあるもの

暑い夏が過ぎて、ようやく涼しくなりました。

暑い季節の間、ほとんど積極的に動けず、透析施設と家との往復だけで、けっこう精一杯というところでした。
透析を始めてから体調自体は事前よりむしろ良くなったのですが、体力としてはだいぶ衰えて、老化が進んだように思います。
つまり、衰えた腎機能の中で、解毒などの部分はかなり補えたので体調が良くなった、その反面、腎臓がもつ複雑な働きの部分は補えず体力が落ちてその結果、老化が進んだ。ということでしょうか。

腎機能が停止しても透析で補えるのですが、透析治療していること自体どうしても体に負荷がかかるので、体全体が衰えることもあるようです。これにはもちろん個人ごとの病態の差があります。
おそらく腎不全の一因となった心臓関係のことも連動しているのでしょう。

夏に300人のホールで、まったく音響装置なしでシタールを弾けたことが、とても貴重な経験でした。
楽器全体の「鳴り」がちゃんと客席まで届く・・それは普通のことのように思いがちですが、いままでそうしたことをほとんどしてなかったのです。
多くの場合、音響を通したのです。楽器の一部の音だけをマイクで拾って、それをミキサーで加工して生音っぽくして出していました。
自分が出す音と向き合えるのは良いものです。


特別な才能もないのに、音楽について深く関わってこられたことは、幸せです。
最近、音楽の中には神様がいるのだと思えてきました。
というより、音を聴き、そこに音楽を感じる人の心持ちが神様の居場所なのだと。
つまり、感性を持つということは神とともにあるということなんでしょうか。

そして、音は他にも大事なことを伝えてくれます。
音は消えゆきます。
消えていく音、音が消えた時の余韻
そこにも神の姿を感じるのです。

「神」と言っても
もっと原始的というか原初的というか。
それも、感じられる時と感じられない時とがありますけれど。
それは、きっと自分の感性の鈍感さからなのでしょう。

それでも、消えゆく音を美しく感じます。

それは日本の島々に古くからある美意識なのでしょうか。

私は日本について考える時に「国家」という枠ではなく
島々という捉え方になってしまいますけれども。


■ 透析と人生 ■ 音楽の時間 ■ 師から学んだこと

気ぜわしい日々が過ぎて、ようやくのんびりしています。

■ 透析と人生

相変わらず、週3回、血液透析に通っています。

「血液透析をはじめると、一生透析しないといけない」と嘆く方がいらしたりします。
でも、逆に言えば、透析をしているので生きていられるのですよね。

受け止め方は、人それぞれでしょうし、第一、<透析をしている>といっても、患者の一人一人で疾患は異なるし、ひとりひとりの人生は違います。

私の場合は、一回の透析時間は4〜5時間、それを週3回、それを透析室で過ごします。
日本は医療保険制度が充実していて、透析医療は患者の医療費負担はありません。
通っている透析室は患者が快適に治療時間を過ごせるように気づかいされていて、TVはあるしスマホも使えます。
また、透析後の時間は普通に過ごせます。
だから、自分の時間は、家族との時間に使ったり、体に無理がかからない範囲の仕事をしたり、自分の心にとって本当に大切なこと、大事にしたいことに時間を使いたいと思うようになりました。

■ 音楽の時間

インドの古典音楽をやっていて良かったと思えるのは、自分の時間を、古典音楽の探求に使えることです。

若い頃は、難しい技術を身に着けたり、難しい曲を覚えたりすることに関心があったりしました。
それは外向けの姿勢だと思います。それもとても大事なことでしょう。

今は、その反対に素朴なものの関心が多いかな。
技巧よりも素朴な音を磨くことや、シンプルなRagaの中にある味わいの深さを見つけることとか、そちらのほうが、楽しいです。

良く芸事では「芸が枯れてきた」などと言ったりすることがありますけれど。
もっとも自分ではそうは思ってはいないのです。

いつも、輝くような光、活き活きとさせてくれるもの、そういったことを求めているわけで・・
要するに、<基本に戻っている>のです。

以前は基本を大事にしないで、どんどん前に進んでいこうと、背伸びをしていたのかも知れません。
それだって、華やかな演奏になすれば、聴かれる方々は喜んで下さります。
喜びを皆で共有できるのは、音楽の素晴らしさです。

でも、もう一度、基本に戻って、音楽の味わいや楽しさ、美しさを、自分なりの方法で表現したくなったのです。

■ 師から学んだこと

考えれば、ものすごい回り道をしてきたのですね。
もっとも今も回り道の途中なのかも知れません。
もっとも、道を楽しむと書けば「道楽」になりますが、自分では、ただ好きなことをしてきたとか、道楽をしてきたという感覚はないです。

拙く未熟ながらも仕事としてやってきたつもりですし、もしそれが道楽に見えるなら、それはひとえに私の力不足のせいで恐縮しています。

思い返せば、何だか未熟なことばかりを繰り返してきただけなので。

道を楽しむという道楽ではないし、道を苦しんで歩んでいるわけでもないし。
時に景色の良いところで一休みしたりもします。険しい道に苦労したりもします。
その道そのものが回り道や迷路だったりするのかも知れません。

けれど、それでも、自分なりに自分の足で歩んでいきます。

それが私の師から学んだことです。

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治療、闘病  facebookより

近況報告です。

■治療、闘病
2017年の末の血液透析の導入から4年になります。
糖尿病ではないのですが、
原因は不明で病院で分かった時は、腎臓はかなり機能しなくなっていました。

現在、腎機能はおよそ5パーセント程度です。
なにもしないと、毒素が体内に溜まり死んでしまうのですが、現代の医療は透析という腎臓代替療法が確立されていて、長期間の生存も可能にはなっています。


多少の食事の管理、制限などはありますが、それでも日常生活には大きな差し障りはありません。
ただ、透析はあくまでも人工のものですので、腎臓の代役を完全にはカバー出来ていません。

現在、予後は良いのですけれども、医療の過信も出来ないから、なるように任せています。
人間いずれは死んでいくもので、後は自然の成り行きに任せていいかなと、思ったりしています。
週3日、4時間の透析のために近所のクリニックに通院しています。


最初の頃は、この4時間がとても長いと感じていましたが、今は、リラックできる時間のような感じでのんびりと過ごしています。

TVをみたり映画を観たり、音楽を聴いたり、読書したり、ベッドでストレッチをする方もいるようです。
透析日、休息、透析日という繰り返しで、あっという間に日が過ぎてしまいます。



次回は、日々の音楽、音作りのことなどを書きます。
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