暑い夏が過ぎて、ようやく涼しくなりました。
暑い季節の間、ほとんど積極的に動けず、透析施設と家との往復だけで、けっこう精一杯というところでした。
透析を始めてから体調自体は事前よりむしろ良くなったのですが、体力としてはだいぶ衰えて、老化が進んだように思います。
つまり、衰えた腎機能の中で、解毒などの部分はかなり補えたので体調が良くなった、その反面、腎臓がもつ複雑な働きの部分は補えず体力が落ちてその結果、老化が進んだ。ということでしょうか。
腎機能が停止しても透析で補えるのですが、透析治療していること自体どうしても体に負荷がかかるので、体全体が衰えることもあるようです。これにはもちろん個人ごとの病態の差があります。
おそらく腎不全の一因となった心臓関係のことも連動しているのでしょう。
夏に300人のホールで、まったく音響装置なしでシタールを弾けたことが、とても貴重な経験でした。
楽器全体の「鳴り」がちゃんと客席まで届く・・それは普通のことのように思いがちですが、いままでそうしたことをほとんどしてなかったのです。
多くの場合、音響を通したのです。楽器の一部の音だけをマイクで拾って、それをミキサーで加工して生音っぽくして出していました。
自分が出す音と向き合えるのは良いものです。
特別な才能もないのに、音楽について深く関わってこられたことは、幸せです。
最近、音楽の中には神様がいるのだと思えてきました。
というより、音を聴き、そこに音楽を感じる人の心持ちが神様の居場所なのだと。
つまり、感性を持つということは神とともにあるということなんでしょうか。
そして、音は他にも大事なことを伝えてくれます。
音は消えゆきます。
消えていく音、音が消えた時の余韻
そこにも神の姿を感じるのです。
「神」と言っても
もっと原始的というか原初的というか。
それも、感じられる時と感じられない時とがありますけれど。
それは、きっと自分の感性の鈍感さからなのでしょう。
それでも、消えゆく音を美しく感じます。
それは日本の島々に古くからある美意識なのでしょうか。
私は日本について考える時に「国家」という枠ではなく
島々という捉え方になってしまいますけれども。
