辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

 どうやって音を作るか

音作りとAIの話

自分の少ない経験からの話なんで恐縮です。
演奏で打楽器(特にタブラー)が入ると、シタールの音にコンプレッサーがかかる気がするんです。
ダイナミックスレンジが下がり、シタール特有の音色が強調される感じ・・かなぁ。
しかも奏者によって、コンプレッサーの利き方には、違いがあるように感じるのですね。
これは、演奏のテクニック云々ということはなくその個人個人の音の指向性と言うか、音楽性でしょうか??
とても興味深いものだし、音楽の不思議さなのかも知れません。
考えれば、これは打楽器だけに限りませんが、特に打楽器は、リズムやビートが明瞭ですし、インド楽器だとチューニングがしっかりあるので「コンプ感」が強いのでしょうか?
何と言っても、私はこうした機材のことは、ほとんど知らないのですすけれどね。

ですから、まずは「コンプをかける」前に、自分が奏でる弦だけの音を豊かにしておいたほうが、楽器同士の会話がよく出来て、より合奏が楽しめるかな、と思ったりもします。

こうした「それぞれの個人による音の癖」みたいなものは、AIには難しいでしょうね。
AIは模範的な優等生の音だったり、ちょい悪の魅力ある音を演出したり、まあそうした価値観なら作れるでしょう。
でも、人ひとりひとりの異なったあり方が込められた音、それは紛れもなく、ひとりひとりの生き方をあらわすものです。
それを、ひとそれぞれがもつ「真心」と言えるのかも知れないですね。
それがあるゆえに、人は時に不器用だったり、愚かだったりするけど、それって自然なことですよね。
それがあるゆえに、音に魅力があり、人にも魅力があるのです。
AIは、いくら巧みで博識で完璧なようであっても、それがないのです。
AIはもっと愚かになるべきです。
人の行いをすべてAIに代用させること自体、愚かなことだと私は思います。

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シタール救済計画

先日、ボーカル用のタンブーラを修復し終えました。

完璧に修理が出来たかと言うと、そこまでの自信はありません。
それでも自分が出来る範囲のことをやって、楽器がその音を取り戻し、蘇るというのは、修復するものとしては、とても嬉しいものです。

さて、修理する楽器が手を離れてしまうと、ちょっと寂しいものです。
ふと見渡すと、何年も前から、引き取って弾いていないシタールがあります。
そんなに悪い楽器ではないと思うのですが、フレットのところにちょっと問題がありそうで、いつか診ておこうと思い、そのまま部屋の隅に放置しています。


楽器は触らず放置していれば、何年たってもそのままの状態です。
自宅にある小物の楽器などは、そんな憂き目にあっているものは多いのですけれど。

ちょっと手を入れてみようかな。

まずは、外観だけでも掃除しよう。

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献身の楽器タンブーラの弾き方

週末、シタールの練習のために帰国中の安藤さんが楽器を持って自宅に来てくれました。逆瀬川さんが仕事の合間の2時間ほどタブラ伴奏をしてくれました。

もう40年も前になるけれど、安藤さんと一緒に練習したりデュオでライブしたりしていたので、とても懐かしいかった。安藤さんのシタール演奏はとても素敵です。一緒に練習していると、いろいろなアイデアが豊かな演奏に、こちらまでワクワクします。即興音楽の楽しさもあります。即興演奏がたくさんある古典音楽の魅力です。そうだ、40年前も同じワクワクがあったな、と思い返していました。

こうした音楽は、商業化されず愛好者たちで、掌の中に包むようにして大事に育てていくのが最適のようにも思えてきます。消費されていくようなものにはしたくないです。


シタールのデュオは、一緒に練習するには、楽しいし面白いし勉強になると良いことが沢山あります。でも即興演奏に各自の演奏の特徴が混ざるから、こなれていないと、譲り合いしたりで、演奏的には受け渡しのタイミングが難しいこともありますね。けれど、そのことだって音楽だし、むしろそれがあるからこそ音楽、真っすぐで単調な道の先に、でこぼこ道やくねくねした曲道、時には見晴らしの良い風景があったり。



ちょっと気分を変えて、と器楽用タンブーラに持ち変えて弾いてみたのです。

そうしたら、当たり前のことなのですが、タンブーラとシタールはすごく合うのですよね。


タンブーラといえば、この頃では手軽に、アプリを使い音を出したりするのだけれど。

それでは「音叉」としては良いのですが、実際の演奏に混じると、どうしても機械的な音になってしまいます。


私なりの考えで恐縮ですが、タンブーラ伴奏は機械的な演奏は絶対に良くないです。

タンブーラの演奏は、実は単調に4〜6本の弦を開放弦の状態で弾くだけのことではあります。

まるで音の背景(texture)のようで、難易度が低くて簡単で誰にでも弾ける楽器のように思えてしまうのだけれど、実は違うのですね。

適切な伴奏には、聴こえてくる音楽全体のバランスを感じとるセンスや感性が大切。


あ、これってエフェクターだ。

自分的にはそう感じました。

そう、タンブーラはエフェクターの一種と捉えることもできます。

このエフェクターは完全に手動式で、自らも音を出しながら、音をブレンドします。

リバーブだったりコンプレッサーだったりEQだったり

それが、さりげなく、優雅に、かかるのです。

ちょっと、聴力テストみたいなところがあるけれど。

けれども、リアルタイムの演奏時、演奏されるものだけれど。


タンブーラが音楽的にこんなに面白い楽器だったとは驚きです。

だたし、とても慎重で丁寧なチューニングがされていないと、その効果は表れません。

チューニングメータなんかに頼っていては、ダメですね。

すべての弦がそれぞれ異なる音として聴こえ、同時にひとつの音に聴こえるように耳で確認します。

これは自分ではとても苦労します。でも苦労する甲斐はあるのです。


これも自分なりの考えで恐縮ですが、古典音楽のタンブーラの弾き方は、以下のように考えたりしています。


楽器の状態や正しいチューニングになっているか、確認する。

使われるRagaの特徴を理解して、主音、副主音(Vadi、Samvadi)を意識する。

即興演奏の中で、奏者が一番響かせたいフレーズを理解して、それが美しく響くように音量やテンポを微調整する。ただし、極端な変化はさせない。ほとんど気付かない程度の変化、かつ旋律の響きを美しく引き立てる。

リズムが加わった時は、旋律の美しさと同時にリズムの美しさも、音の背景として支える。


音楽の美しさに対する奉仕と献身の楽器かも知れません。


私が自分で考えられることはこれくらいで、更なるご教示をいただければ嬉しいです。




器楽用タンプーラ



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