演奏で打楽器(特にタブラー)が入ると、シタールの音にコンプレッサーがかかる気がするんです。
ダイナミックスレンジが下がり、シタール特有の音色が強調される感じ・・かなぁ。
しかも奏者によって、コンプレッサーの利き方には、違いがあるように感じるのですね。
これは、演奏のテクニック云々ということはなくその個人個人の音の指向性と言うか、音楽性でしょうか??
とても興味深いものだし、音楽の不思議さなのかも知れません。
考えれば、これは打楽器だけに限りませんが、特に打楽器は、リズムやビートが明瞭ですし、インド楽器だとチューニングがしっかりあるので「コンプ感」が強いのでしょうか?
何と言っても、私はこうした機材のことは、ほとんど知らないのですすけれどね。
ですから、まずは「コンプをかける」前に、自分が奏でる弦だけの音を豊かにしておいたほうが、楽器同士の会話がよく出来て、より合奏が楽しめるかな、と思ったりもします。
こうした「それぞれの個人による音の癖」みたいなものは、AIには難しいでしょうね。
AIは模範的な優等生の音だったり、ちょい悪の魅力ある音を演出したり、まあそうした価値観なら作れるでしょう。
でも、人ひとりひとりの異なったあり方が込められた音、それは紛れもなく、ひとりひとりの生き方をあらわすものです。
それを、ひとそれぞれがもつ「真心」と言えるのかも知れないですね。
それがあるゆえに、人は時に不器用だったり、愚かだったりするけど、それって自然なことですよね。
それがあるゆえに、音に魅力があり、人にも魅力があるのです。
AIは、いくら巧みで博識で完璧なようであっても、それがないのです。
AIはもっと愚かになるべきです。
