辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

シタール

練習用シタール


■練習用の楽器
練習用のシタールを、もう50年近く使っています。

演奏用の楽器ではないのかもしれません。
大雑把に言うなら、中学生が練習用に買ってもらった安価な楽器といったところでしょうか。
けれど手入れを重ねながら使い込むうちに、いつしか常用するようになりました。


私なりの考えですが、シタールには手作りの部分が多く、安価なものほど、優秀な工具を使わず手作業で作られた部品が使われているように感じます。

インドの「チャイ用の素焼きのコップ」を思いおこします。
街角のお茶屋さんで、低温で焼いた素朴な素焼きのコップでチャイを出してくれることがあります。
職人さんが丁寧に作った素朴な器で、飲んだあとに足元へ捨てると、やがて土に戻り大地に還っていく——そんな循環をもつ日常の器です。
日本の茶道ではとても高価で貴重な茶器を長年使っていくこともあります。
けれども、永遠への憧憬への気持ちというところでは通じ合う精神性を感じることがあります。
私の楽器も、どこかその素焼きのコップを思い起こさせるような、そんな素朴な作りです。
音色は立派なシタールには及ばないのかもしれませんが、朴訥さが自分らしく、愛用しているのです。
手仕事で作られた日常づかいの雑器に美を見出す、柳宗悦が提案した「民藝」のような美意識の感覚なのかも知れません。

練習用という気楽さもあって、私はこの楽器に自分であれこれ手を入れています。
日本にいるとシタール職人さんに楽器管理をお願いすることができないので、自分で考えてメンテナンスするしかありません。
チャレンジした作業は、失敗することも多いのですが、それでも続けられてきたのは、この楽器を通してたくさんの「失敗する体験」をさせてくれたおかげです。



■教材用楽器メンテナンス

そんな楽器ですが、これまでにずいぶん役立ってもくれました。
芸大では、20台ほどのシタールを、足かけ25年にわたりメンテナンスしてきました。
古いものでは、小泉文夫先生のコレクションのようなものもあります。
作りも個性もまちまちで、「シタール」と言ってもこんなにも違うのかと驚くほどです。
それでも、すべての楽器を学習用として学生が等しく使えるように手入れするのです。
立派な楽器に仕上げる必要はありません。シタール演奏を学ぶなかで、インド音楽の理解の入口となってくれれば十分なのです。

このメンテナンスの仕事で、私の素朴な練習用シタールを使ってきた経験は大いに役立ってくれました。
立派な楽器では問題にならない部分でも、素朴な作りの楽器では丁寧なケアをしないとうまく働かないことがあります。
自分の楽器でそうしたトラブルを経験していたので、むしろ順調に作業が進むことも多かったのです。


手のかかる楽器はメンテナンスに苦労しますが、なぜか愛着も生まれるものです。
するとその楽器の中に、他にはない良さを探してみたくなります。
そして、それを見つけることができたときには、とても誇らしい気持ちになるのです。

楽器のメンテナンスは長年頼まれて続けてきたことですが、正直なところ私は素人だと思っています。技術や知識は至らないことばかりです。それでも何とかやってこられたのは、それぞれ個性の違う楽器たちへの愛情と誇りがあったからでしょうね。それぞれの楽器に込められた楽器職人さんたちの手仕事に対しての感謝と敬意の念が、心の支えになってくれました。


今日もまた、素朴な練習用シタールで、素朴な練習を続けています。


1000000305

神の月、懐かしい音に包まれたひととき

■40年前のカルカッタの音の思い出

シタールの安藤さんが、タブラの逆瀬川さんと、練習に訪ねてきました。
お互いマイペースで続けていられることには感謝ですよね。
お二人のそれぞれの音には、それぞれが昔から育ててこられた音の歴史が息づいていて、それが素晴らしく、また勉強にもなりました。
時間をかけて育ててきた音には人の心がこもり、そこに神様が宿るのだと信じています。
「神の月」に神様の音に包まれたひととき。
懐かしい思い出とともに、楽しい時を過ごしました。
安藤さん、逆瀬川さん、ありがとうございました!

また一年後再会して音を出せればうれしいですよね。
ただ私がその時まで生きていられるかなぁ・・あまり自信はないのですけれど。
でも、ともあれ健康に過ごしていきたいです。


練習2025-10-28


■思い出のDuo

お二人と初めてお会いしたのは、40年以上前、インドのカルカッタ(現コルコタ)の街の中。
それぞれ、音楽を学びに来ていたのです。
今に比べて、インドの音楽を学ぶための情報は、とても少なかった時代です。
わからないことだらけの中で、学んでいく音楽をどのように理解していくか、それぞれが模索していました。
分離独立したときの混乱の傷跡もまだ各所で感じられた当時のカルカッタの街でした。

帰国後の40年ほど前、下北沢の「あしゅん」で安藤さんとシタールのDuoをしたことがありました。
ほとんど習ったことしか弾けなかったのでした。
だから、ちょっと弾いて、はい!と相手に渡し、弾き終わるのを待って、またちょっと弾く・・最後に一緒に盛り上がって終わる、というパターンです。
どちらかというと発表会のような演奏だったのかも知れません。
しかも、ときどきつっかえたり間違ったりしながらです。
それでも楽しかった。
お客さんたちも、一緒に喜んで下さいました。
そこにいる皆それぞれが、音楽を奏でることや音楽を聴く楽しさを、さらに自分なりの生き方を模索する空気感がありました。

■拙い演奏だけれども

思い返せば、長く続けてきたものです。
こんなに長くシタールを弾くとは少しも思いませんでした。
長く続けてきてわかったことは、長くやっているけれども、自分はまだ初心者ということです。
わからないことだらけだし、練習していれば「あ、そうだったんだ!」と初歩的なことへの気づきがたくさんあります。
才能とか技術とか非凡なものはなにも持っていない平凡な人間だから、それは自然なことなんですけれど。

でも、平凡な人間だって、音楽を楽しむことは出来ると思います。
拙い演奏であっても、心込めた音には祈りがあるのでしょう。
だから、自分で楽しめる音を探して、喜んだり、びっくりしたり、がっかりしたりしながら、歩んでいきたいです。
このことは大事にしたいです。


ディワリインヨコハマ2025での演奏

昨年に続きディワリンヨコハマ2025で横浜開港記念館ホールでの演奏。

主催運営の皆様、お手伝いいただいた方々、ステージや講演での出演者の皆様、ご来場いただいた皆様
ありがとうございました。


昨年は無線マイクでの演奏だったので、今年はアタッチメントをつけたイベント仕様の音響にしました。アタッチメントはだいぶ昔から使っています。周囲の音が鳴っているイベントなどでは有効なことも多いです。ただし、ゆっくり音楽を聴く場合には、きめ細かな音色の調整が必要になりますけれど。






■音色の違い

慌ててしまい、丁寧なサウンドチェックの時間を作らなかった結果、上手くPAできず、メロディの低音部が籠ったモコモコの音になってしまいました。いわゆるかまぼこ型の音色。
実は、シタールのキンキンした金属音はあまり好みではないので、自分が弾く楽器はキンキンした音は少し抑えるように調整しています。その理由は長くなるので、また別の機会に。

とてもモコモコの音でしたが、それも意外と面白い効果があったのです。
<ビーナ>あるいは<ルードラビーナ>系というか、そんなニュアンスの音です。
ただ、低音の切れが悪く、それがノイジーになってしまったのが反省点です。

音響がうまくいかない場合、演奏しながら、予定のアレンジを急遽変更して、別のフレーズとか指使いに変更することもあります。
即興演奏ならではの醍醐味あるその場でのチャレンジなので、自分としてはスリリングで、けっこうワクワクするのです。
結果として、応急処置ですので失敗やスムーズにいかない場合も多いです。

ただ、本番の人前での演奏ならではのことですが、普段の練習ではなかった思いがけない素晴らしい発見とかアイデア、ちょっとしたチャーミングな装飾やエスプリの効いた間合いなど、浮かぶ時があります。

センス、技術、才能などないので、基本的にはとるに足りない平凡な演奏です。
それでも、自分なりのささやかさに満足しています。


■表題をつけてみる ラーガ「初恋」

声明コンサートの時から、「表題をつけてみる」ことに関心が出てきました。

声明コンサートではブリンダバニサラングを「夏の木漏れ日」
マルコウンスを「石庭」

そして今回のミシュラピルーには「初恋」とつけてみたのです。
ピルーって愁いを含んだ旋律にもなりますよね。
そしてライトクラシックの雰囲気も出せるので、なかなか重宝するラーガです。
練習している中で、「初恋って、ほんわかして初々しく清々しく振り返れるけれど、
本人の心持は、自分の心を見つめて、憂いや不安もあったりするよなぁ・・このラーガに合うかも」と思ったわけです。
もっとも、今の自分の年齢では、もうすっかり昔の話です。

中低音の甘く切ない調べ、奏法にはアルペジオを入れてみたり、細かい装飾音の動きを取り入れてみたりして、青春の初恋のような清楚な気持ちを表そうとしたのですね。

ところが、ステージで「この曲のイメージは初恋です」なんて、良い年したオヤジが言うのが気恥ずかしくて・・言えませんでした。


■即興演奏の楽しさと難しさ

即興演奏は構築する力、構成力という頭の良さが重要だと考えるのですが、
今回のラーガ「初恋」については、そこらあたりもまだ消化不良の気がしています。

しっかりきっちり構成できました!とならないことは多いです。
でも、手で覚えたパターンや音色のストックはあるので、そちらまかせにして、頭は少し休めて手だけは動かしていて、新たな構成の「気づき」を待ったりします。
そんなおり、前記したような新しいアイデアやメロディが降りてくると、とても嬉しいです。
これは即興演奏ならではの楽しさかも知れませんね。
ただ、自分の技術がついていかないと魅力的な演奏にならず残念なわけです。
少しでも残念な結果にならないためには練習は大事です。

練習が大事なのは、
良い演奏をして、すごい演奏をして褒められるためとか、自分を誇示するためとかではないと思います。
自分の心の中にある音楽を丁寧に育てることではないでしょうか。その喜びを重ねていれば音に乗せて心持ちが聴く方にも届くこともあるでしょう。
音が響いている今この時を、ともに共有できて良き時をともに過ごせる、それはとても根源的な喜びではないでしょうか。

音楽そのものが、人と人が平和に暮らしていくことのメッセージであるのでしょうね。





RSS
Archives