辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

シタール

等身大の音楽 透明な音 天へ供え物を

週3回、透析治療に通っています。
週1回、血液検査があり、月1回、胸部レントゲンや心電図検査があり、数か月に一度、手術室で血管の拡張処置を受けます。身体障碍者1級です。
現在の日本は保険制度があり血液透析の費用の多くを保険で負担してもらえます。
これがあって生きている状態です。
治療を行わなければ、高カリウム血症からの心停止や尿毒症など、直接的に死につながります。
治療は、回復するためのことではなく、生を維持するためだけの医療です。
臓器が動いていないので、死が当たり前の状態なのです。
医療の進歩によって、透析患者でも仕事をされたり、数十年元気に過ごされている方も多いのも事実です。
けれども、不意に亡くなる方も、あるいは透析を受けるのにも体力負担がありますが、それに耐えきれず透析治療を中止して亡くなる方もいらっしゃいます。


これらのすべてのことが今の自分の音楽の支えになってくれています。

そんなわけです、素晴らしい演奏は出来るわけはないけれど、自分の分相応の、等身大の演奏をする努力は続けていきたいです。

気負いや衒いなく、自分を卑下するのではなく、そのままの自分を認めて演奏をすることです。
等身大の音楽が奏でられれば、そこに<透明な音>が生まれてくるように思うのです。
<透明な音>とは・・自分でも上手く説明が出来ないのですけれどね。
効果音のリバーブなどを利かした音というわけではないですよ。
天へ供え物をする心持ち。
そんな感触が<透明な音>のことです。

ここが難しいところで、技術として難しいことの追及は必要ないのですが、心持ちは自分を大切にすることです。
自分が出来ることの中で誠実に精一杯のことをすることの大切さです。
それを続けていけば、技術的なこともいつか身に付くから、そこに捕らわれるのではなく。
技術的な未熟さは、人としての未熟さではないのだから。
演奏の技術も人格としてもとても未熟な私が言うのも、矛盾していますけれどね。

心の芯がぶれないように注意深く。

本当にそうした音楽が演奏できれば、聴かれる人の心の琴線とどこかで響きあえるのではないかな。
そんなことを願っています。


吾唯知足2

7月5日 声明コンサート

◆TOPPANホール
TOPPANホールは西洋クラシック音楽の専用ホールで木の響きが良いところだそうです。
音響設計されたホールで音を出せるというのは貴重な機会ですので、出来れば生音で演奏したいのですが楽器の音量が十分だろうか気になるところではあります。
自分の中では、横浜の三渓園での観月祭の延長として位置付けです。
観月会、秋の虫の音が聴こえる室町時代の古刹の庭先での音楽でした。
今回は、日本の仏教の声明です。声明はお経の中でも音楽的ですね。
日本の仏教はインドから伝わりましたが、長い時間をかけ人達の暮らしに寄り添い育まれてきました。
インド音楽の響きとどこか共鳴するものがあるのでしょうか。
一応使う楽器の調整などでは半年ほどかけて準備しました。タンプーラの音色もシタールに合うようにして弦の響きを活かせるように工夫しました。
もっとも音色とか奏法は試行錯誤しているものなのですけれど。
日本文化を愛したタゴールの歌も声明と、気持ちの中でつながっているようにも思います。


◆ホールの残響時間

音楽専用ホール、残響時間が設計がされていることはうれしいです。
おおよそ石作りの空間で鳴っている楽器ですから。

自分の弾く楽器の生音について、とても良い音色かどうか、あまり自信はありませんが、まあそこそこの心地よさはあるようには調整しています。

そうしたホールで音を出せるということで、生音への期待感がけっこう高まっています。
以前、音響で有名な神奈川県立音楽堂で音を出したことがありました。
ものすごく期待していましたが、自然な響きはあったけれど、まあこんなものかという感じ。
でもそれは、自分の出す音を追及してきたというよりは、会場の響きに委ねようということ、つまり他人任せの考えがあったのかも知れません。
それと、それまでがイベントとかライブハイスとか音量をしっかり上げての演奏が多く、そうなると音響装置頼みが癖のようになってしまっていたのですよね。
エフェクトに頼って音作りをするようになったりします。
それはそれで、そういった音楽になるのでしょうけれど、室内楽の優雅さ、音の余韻を楽しむこととは少し離れるのでしょう。


そんなことで、今回、古典曲の演奏の時には、「光」をテーマに考えました。
「光」の表現は、印象派の絵、特にモネのイメージが。
あるいは・・例えばゴッホの跳ね橋。
音楽では、ドビッシーの月の光の透明感
西洋美術や音楽ばかりではなく、日本美術なら、円空菩薩のほほえみにも「光」を感じます。
龍安寺の石庭、苔寺の木漏れ日

イメージは広がりますが、それに対してどれだけしっかり弾けるでしょうか。
けれども、少なくともチューニングはちゃんとしておきましょう。

チューニングは演奏中にずれてくることがよくあるし、シタールはそういったものでもあります。
その日の気候、温度湿度の変化、体調などによって、変化することがあります。
チューニングがずれてしまうと、音の透明度が落ちるようです。
ずれないための幾つかの対策を考えます。




□音の饗宴 声明

2025年7月5日(土)
開演16:00

TOPPANホール
2500円(税込) 全席自由 一般
TOPPANホールチケットセンター
https://www.toppanhall.com/

主催
(公財)日本テレビ小鳩文化事業団



チラシ表チラシ裏




4月19日西調布カフェ・デンでのシタールソロと朗読

4月19日西調布のカフェ・デンでのシタールのソロと朗読のこと

時間が過ぎてしまうと、演奏の内容をけっこう忘れてしまうもので、備忘録として書き留めておきます。

13:35〜13:50 Raga Brindabani Srang アラープ
昼のRagaです。出来るだけゆったりとした演奏を心がけました。
Tanpuraの音が時折自然と聞こえてくるように。
イメージとして、流れる薄雲の雲間から差し込む日の光
静かに流れる川の水面にきらきらと反射する日の光
という感じ
印象派風の音楽のようにしてみました。
音を厚くしていくときは重厚な感じも出しました。

13:55〜14:10 タゴール「少年時代」朗読
出版されたものは日本語訳なのですが、ベンガル語の響きを聞きたくて、奥田由香さんに飛び入り参加して詩の一部をベンガル語で朗読していただきました。
これは、とても良い朗読でした。
その後、日本語訳の詩を、節をつけて読みました(歌いました)
特にこだわったのが、日本の音階、それもわらべ歌の雰囲気で。
この「わらべ歌」は、小泉文夫先生の論文「日本伝統音楽の研究」を読み進めている中で触発されたものです。ただ、論文の理解は私の乏しい読解力では、なかなか読み進めることができていないのですけれど。
ともあれ、自分的には、チャレンジのひとつとして。

14:15〜14:25
Raga Bimpalasi のアラープ
人気のある午後のRagaです。
叙情性あるRagaですので、情緒を込めてシタールに歌わせました。
シタールに歌わせるのは楽しいです。
歌は楽しいけれど、頑張り過ぎると息切れしてしまったり、空回りするので、そこのバランスが大事ですね。
適度にリズムを刻んだり、リズムによって転換する、などいろいろ変化をつけてみるもの味わいがありますよね。

14:25〜14:30
短いメロディ
何となく親しみやすいメロディで


コンパクトにまとまったホームコンサートになったと思います。

お聴きにご来場いただいた皆様
ベンガル語の朗読の奥田由香さん
カフェ・デンのご夫婦
そしてタンプラーの伴奏を無理してお願いして弾いてくれた私の妻

皆様ありがとうございました。









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