辰野基康のブログ

音楽会のご報告 日々の雑記などをメモしています。 メインのサイトは http://sitar.holy.jp/ ご連絡は tatsuno123@yahoo.co.jp

 教育

冷たい音楽と、暖かい音楽

音楽を聴くのは好きです。

自分勝手な感じ方なんですが・・
例えば、すごいな、上手いなぁ、かっこいいなぁ、とか思える音楽があったりします。
英語で言えば「Cool」でしょうか?
ところが、その中には、「冷たいなぁ」と感じ、どうもあまり親しみが持てない音楽があったりします。
演奏の内容はすぐれているのに関わらずです。

これは、<自分の感じ方>なので、「何がどう」という理屈はないんです。

演奏は、未熟な演奏よりも成熟した演奏のほうが、安心感があると思います。
時間をかけて未熟な演奏から成熟した演奏へと、情熱を抱いて、演奏者がその曲を成熟させている取り組みは、素晴らしい限りです。

そして、その情熱が「音楽への愛」であったら、それは音を通じて、聴く側にも伝わることでしょう。
そして、心を暖めてくれることでしょう。生きるエネルギーを授けてくれることでしょう・・

それなのに、演奏は上手なのに
心を暖めてくれるのではなく、心を「冷たく」感じさせる音楽もあるような気がします。
そして、その逆もあるでしょう。

だからこそ、
音楽は、とても難しい、あるいは、とても簡単

音楽は、様式や形式があったり
技巧を凝らすことがあったりもしますが、
一番大事なのは
人の「心」のことなのだと思います。

だから、様式や形式を越えて、何千年、何万年と続いてきたものなのでしょう。


あたtかい旅愁pohh2


<In English (Summary)
Some music, I feel very good and cool, but
some of the music that is in its can not warm my heart.
Of course performing technique is important
,but I think more important things is music heart.
Music love or respect of music,is very
difficult,and very easy , I think.
(Raga Sangeet always warm my heart.)
sitar60-9-2



自分ではシタールを教えることがあまりない

お正月の挨拶を書いてから、また、更新していませんでした。

これはいけない・・と
ともあれ、音楽日記を書かないね(笑)
bar450

練習をしていて、ふと、思ったのです。
そういえば、私はあまり教えた経験がないなぁ。
まぁ、教えられるほどのことは、ないのかも。
でも、30年もあいかわらずシタールを弾いて、
楽器を抱えては、電車に乗って、人様の前で演奏してきているのだから
初心者の方に何か参考になるようなものって、きっとあるのでは・・
反面教師みたいなことであってもですが・・


でも、音楽家でも、教えることをあまりしない演奏家もいるでしょうし。

そんなことを考えていたら
カナダのピアニスト、グレン・グールドのことをふと思い出しました。
詳しいことは、あまり知りませんが。(検索してみたら、いろいろ出ています)
ともあれ、音楽家といっても、私ごときと比べることなんかナンセンスですが^^;
とてもすぐれたピアニストなんです。ちょっと変わった方みたいですけれど。

そして、夏目漱石の「草枕」が愛読書だったのですよね。
知に働けば、角が立つ 情に棹差せば、流される 意地を通せば、窮屈だ
とかく人の世は住みにくい
という出だしですね。
こちらも、青空文庫で読めます。


歌いながら弾いちゃったり、テンポなんかも、けっこう大胆にかえちゃったり。
例えば下の動画なんか、モーツァルトの有名な曲ですが
鼻歌みたいに歌いながらピアノを弾いちゃっています。これも有名な彼のスタイルですね。
もう何だかやりたい放題に感じます ^^;
でも、創作的な演奏姿勢、とも見ることも出来ますよね。
「ハリウッド風なら、こう弾ける」「でも、それじゃつまらない」
「だから、自分ならこう弾きたい」という感覚は、いいなぁ、と思ったりします。

 


「どうして、こう演奏するの?」と訊ねられて
「こう演奏しろと教わったから」というのは、何だかなぁ・・
「自分は、こうでありたい」 それが、大事な気がします。
それが高まれば漱石の「則天去私」みたいな境地になるんでしょうか。

こんなことばかり考えているから、教えることができないのかなぁ・・

でも、そういえば毎年、高校でも教えているのだけれど、
「弾き方」とか、あまり教えていないみたい(笑)
「はじめての楽器に触れるときの、心構え」みたいなことを
お伝えしているだけです。

だから、やっぱり教えていないのかな。
「教える」と「伝える」って、どこか違うのですよね。


なんだか、まとまりがなくなりました。


まぁ、ともあれ、書いたから、今日はこれで良しとしておきます。


おまけに、絵を一枚(笑)

こねこの物語・・
「子猫の物語」

日本の学生たち若い世代の生き方


先日、在日印度商工会議所、サイティアサイ教育協会主催の
インド大使館でおこなわれた若い世代との交流の場に出席させていただいたのですが
この時代を、高校生、大学生の若い世代が真摯に懸命に歩んでいこうという姿勢が感じられて、とても感銘しました。

川崎の高校でも、国際理解講座では、生徒たちにシタールのワークショップを通じて
インドやアジアの文化を知っていただき、また生の楽器に触れることで手仕事の意義を感じてもらったりしています。
また、時々、友人のいる北海道の教育大学にお呼びいただき、授業のお手伝いを通じ、
音楽や美術を学ぶ大学生との交流もさせていただいています。

自分で、ものすごく恵まれていると思えることなのですが
近所の障碍者の授産施設の入所者(学生ではないですが)も含めて
訪問する教育の場のどこでもが、生徒や学生、先生方が優秀なんです。
この優秀さとは、「成績が良い」という意味ではなくて、(もちろん皆さん学力も優秀でしょうが)
それと同様、あるいはそれ以上に人としての魅力があるというか、
人と人という交流ができるというのか・・
それは、年齢に関係ないこともあります。あるいは年輪を感じられる魅力というのも人にはありますけれど。
指導なさっていらっしゃる先生方が優秀なのかも知れません。

ともあれ、
私にとって、自分がおこなうシタールを通じた「教育」とは、
こちらから相手へ教えるというような、一方通行ではなく
人と人との交流によって、お互いが学ぶ相互の関係が強いようです。



さて、そうした学生たちの交流を終えて帰宅の途につきました。
土曜日と言うこともあってでしょうか、電車内では、モバイル端末を使っている方が多かったのでした。
そんな今のネットワーク社会を見て、ふと、思ったことなのですが・・

ホームページでもBlogでも、Twitter、SNS・・ともあれ、こうしたネットワークの社会は
記事を書こうが書くまいが「ユーザー」は消費者です。

電力会社、通信機器メーカー、通信会社などなどにお金を払って、
接続環境を持っているので、私は「存在」しているのです。
言い換えれば
<お金を支払うワタシ(あなた)がいて、ワタシ(あなた)はここで存在証明ができるのです>

(よく考えてみれば当然のことですが・・)


「便利なこと」については、気をつけたほうがいいと思うのです。
<便利=人を必要としない 必要となるのはお金だけ>

この連鎖が、日常化していけば
便利な道具さえあれば、誰も必要としない。
いつかあなた自身すらも「必要とされなくなる」?

あるいは労働についても、
地道にコツコツと積み上げ生産すること、が大事なのではなく
要領よくお金を手に入れるノウハウさえあれば・・という考えが蔓延するのは危険ですよね。
口先三寸の、振込み詐欺みたいなものが、流行るのでしょうか。

こうしたことが、<テクノロジーが抱える人間疎外>ではないでしょうか。


私自身も、それほどに、強くないし、賢明でもないのです。
そうしたテクノロジーの流れに、いつも飲み込まれそうになります。

だから、私は、不便なことは、暮らしの中で出来るだけ残しておくようにしています。
それは自分のこころの防衛のためかも知れません。

「ライオン」工藤直子

雲を見ながらライオンが
女房にいった
そろそろ めしにしようか

ライオンと女房は
つれだってでかけ
しみじみと縞馬を食べた
しみじみと良い詩です


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