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September 2010

語学は人生を豊かにしてくれる

(佐倉市際交流基金・佐倉国際文化大学機関紙に掲載されたものです)
オーストラリア研修講師と
小学校5年の時、町内の住人で進駐軍の通訳をしていた
Nさんが、アメリカ人と楽しそうに会話しているのを見て、自分も将来英語を学んでNさんのように外国との架け橋になりたいと思うようになった。漠然とした夢であったが、夢を追って中学、高校時代には英語ばかりやっていた。 アメリカ文化センターにも日参し、日常会話も出来るようになった。

 

ある日、短波受信機でキャッチした南米エクアドルからの放送でスペイン語の美しさに魅せられ、大学ではスペイン語を専攻することにした。英語圏(言語人口14億)の他、スペインならびに中南米・アフリカのスペイン語圏(言語人口3億3千)の人たちとも交流でき、将来、自分の活躍出来る舞台が広がると考えた。卒業すると4年間、貿易商社でスペイン語圏を担当。毎日スペイン語英語で貿易実務をこなした。この期間、英語力を高めたのはNHKの松本亨先生の英会話講座のグループを地域で組織しテキスト2年間全部暗記したことだった。

努力の甲斐あって、通訳案内業の国家試験と実用英語技能検定1級に合格し、もっと広く語学の使える外資系航空会社に転職した。仕事上フランス語中国語のニーズも高かったので、30歳代に入って、夜学でフランス語(言語人口2億2千)中国語(言語人口10億)を学んだ。フランス語は日本語を介せずいきなりフランス語で教える直説法と呼ばれる教授法だった。中国語は日中友好協会のクラスで、未だ中国との国交が回復していない時期であったし、テキストも「毛沢東」、や「人民公社」の話など政治色が強かったが、楽しく学習できた。

航空会社の研修はほとんど海外で行われた。一番思い出に残っているのはフランスのパリ郊外フォンテンブローの美しい森の中にあるインセアード大学院に管理職研修のため短期留学させてもらったことである。欧米人の管理職と机を並べての研修は厳しかったが、学校の外へ出ると、フランス語スペイン語の人間味あふれた世界があった。週末はフランス・スペイン各地を旅行した。その後もずっと自分で勉強を続け、なんとか英語スペイン語は上級レベル、フランス語は中級レベル、中国語は初級レベル(中国語検定3級)に到達した。

 

58歳の時、航空業界がアジア地域の不況にさらされ、日本地区も多数の希望退職を募った。人事部長としてリストラの指揮を執ったが、その時退職者の再就職支援を依頼した米系の再就職支援会社から外国人のコンサルタントになりませんかという誘いを受けた。航空会社を2年早く退職し、転職、早速オーストラリアで研修(写真は研修講師とメルボルンオフィスで)を受け、キャリアカウンセラーの資格を取得、コンサルタントとして、欧米人でリストラに逢った人たちを支援する仕事に69歳まで従事した。欧米人を中心に相談に乗りながら再就職を支援するのだから外国語のコミュニケーション能力がしっかりしていないと信頼されなくなる。 帰宅するとカウンセリングの勉強と4カ国語のブラシュアップで忙しい毎日だった。

69歳3ヶ月で現役を退いたが、退職前から考えていた佐倉国際交流基金と成田市国際交流協会に登録し、各種の行事に積極参加、成田では片方の親がラテン系の中南米出身者の家族の子供にスペイン語を教えるクラスのお手伝い、さらにインターネットで世界各地の人に日本語を教えるボランティアを始めた。 地域に住んでいる外国人はいろいろ悩みを持っているので、学んできた外国語とカウンセリングの技法を活かして彼らの相談相手になってあげたいと思っている。インターネットを通じた日本語指導の国際交流も興味深い。

70歳になった今、振り返ってみると、貿易商社、航空会社、再就職支援会社いずれも好きな語学を駆使して楽しく、思い切り仕事が出来た。 語学にかけた努力は十分報われた感がある。 私生活でも、家族とともに世界各地で休暇を過ごし、各言語圏の生活文化に触れ、文学や、音楽や芸術に興味の範囲も広くなった。インターネットからの情報収集も各国語で出来る。これからは地域在住の外国人の問題解決支援者として、グロカリゼーションGlocalization (地球規模で考えながら、自分の地域で活動するThink globally, act locallyの一助を担うことが出来ればと、飽きもせず語学力向上に励んでいる今日この頃である。



Phil polyglotkazu  at 10:47コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!