305回目はキヤノンフレックスR2000の登場です。

姿ばかりじゃなく、品質もライカに負けないコピーライカを作っていたキヤノンですが、本家ライカのM3を見て「うひゃ~、こんなんが出てくるようじゃあもうダメだっぺ!」と思ったのでしょう。そこで登場してきたのが、キヤノン初の一眼レフカメラ、キヤノンフレックスシリーズです。R2000はその最上級機になります。以前にメーター内蔵(絞りやシャッターには連動しない)の姉妹機、キヤノンフレックスRM(第228回目)を紹介したことがありましたね。本機の2000という数字は、もちろんシャッターのスピードを表しています。知ってる人は知ってると思いますが、ニコンFの登場するちょっと前に登場しています。このタイミングについては、またあとでお話しします。

で、なにが最上級なのか、どこが姉妹機と違うのかと云うとこですが、それはファインダーが外せる(交換できる)というところ。「だからどうした?」と云われても困るんですが、昔のハイエンド機はファインダーが交換できるものが多かったんです。ま、スポーツファインダーとかなら「もしかしたらスポーツ写真を撮るときにすこしは便利なのかも…」ということぐらいは分かるんですが、ウエストレベルファインダーなんか、まったくもって意味不明。6×6のカメラですらピント合わせにルーペを使うのに、あんな小さなスクリーン(35mmフィルム1コマ分とほぼ同じ面積)でどうピント合わせるんでしょう? 極端なローアングルで「構図」を決める際には、すこしは役立ちそうな気もしますが、それだってアングルファインダーがあればいいわけで、でもそんなどうでもいいようなアクセサリーが別売りであったんですね。もう買う方も買う方、出す方も出す方だと思います。またこのカメラ、お値段も当時としては腰が抜けてしょんべんをちびりそうになるくらい高かったんです。ちなみにスーパーキヤノマチックレンズ50mm/F1.8を付けた初代キヤノンフレックスが59500(R20006万1000円!)。当時の大卒初任給が約3万円(税金、社会保険料込み)の時代に6万円突破ですからね! これでは腰も抜けるわけです。同じ頃のニコンFも、たしか50mm/F2を付けて6万円くらいでしたから、キヤノンフレックスやR2000がどういうカメラだったのか、これでよく分かると思います。

んでカッコはというと「う~ん……さてどうしたものか…」というようなかんじで、ニコンFと比べてもさらに武骨な印象。昔のキヤノンのデザインはまるでダメですね。しかしファインダー前面のCANONというロゴ、軽薄なCanonというロゴと違って、全部大文字というのは重厚感があっていいと思います(ただしトップカバーにあるロゴはCanonflex)。また巻き上げはボディ底にあるトリガーで行うので、軍艦部はひじょうにすっきりしてていいかんじです。このトリガー式の巻き上げというのは毀誉褒貶がありますが、三脚に乗せないのであればトリガー式も悪くないと思います。専用のスーパーキヤノマチックレンズはもちろん完全自動絞り。コピーライカの時代に培ってきた光学技術が生かされた高性能なものだそうです。なおこのカメラには、FLレンズもFDレンズも付けるだけなら付けられる(ただし絞りは開放のまま)んですが、逆にスーパーキヤノマチックレンズは、FL/FDマウントのカメラに付きそうで付きません。

キヤノンフレックスシリーズは、つごう4機種出たんですが、どれひとつとしてヒットせず、当然ニコンFにはササラモサラにいてこまされてしまいました。その理由は大きく2つ。ひとつは「自動絞りの連動機構がレンズ任せ」だったこと。そしてもうひとつは「レンズのラインナップがあまりにお粗末」だったこと。ふつうレンズの絞りをコントロールするのはボディ側の仕事ですが、キヤノンはこれをレンズ任せにしてしまったんです。だからスーパーキヤノマチックレンズの「スーパー」は「構造がスーパーめんどくさい」のスーパー。コストアップや拡張性を犠牲にしても「とにかくなんでもかんでもレンズ内に収める!」というキヤノンの心意気は立派ですが、やっぱりコレはまずいよなあ。EOSでもレンズ内にモーターを内蔵したけど、さすがに絞りのコントロールはボディだったもんなあ。ミラーが上がりっぱなしになる持病もあったようですが、これはたぶん旭光学のクイックリターンミラーの特許(日本国内では実用新案)に払うロイヤリティをケチったのが原因ではないかと思います。また初代キヤノンフレックスのために用意されたスーパーキヤノマチックレンズと云うのが、50mm100mmのたった2本だったとかいう話がある(マジか?)。この思い切りはある意味スゴイけど…ううむ。こんな状態でのこのこ出てくれば、そりゃあニコンFにハチの巣にされても仕方がありませんね。キヤノンフレックスの直後にニコンFを出す予定だった日本光学工業は「これでもう勝利は確定~!それもたぶん圧勝~!」と、笑いすぎでしょんべんをちびりそうだったと思います。案の定たったの三月、わずか17000台売ったところでキヤノンフレックスは販売中止に追い込まれてしまいます。まあそれでも韓国のチョ・グック法務部長官よりかは長かったんですから、立派なもんだと思います。高いカメラだったので買った人はお気の毒様でしたが、当時はこうした高級カメラを買えるような人はよほどの金持ちですから、貧乏人日本代表(ボンビージャパン)ponkotsutousanが、今さら心配するようなことでもありません。まあ、ふつうこれだけこっぴどくやられたら「もうやめたい」とか「つらい」というようなことを考えてもよさそうなもんですが、鈍感なのか余裕があるのか、キヤノンはその後もRMとかRPとか後継機のR2000を作っては、しぶとく売り続けていました。そして残念ながらどれもヒットしませんでした。

さあここでクイズです。「問題(ジャカジャンッ!) なぜキヤノンはこれほど残念なシリーズを何代も、また何年も売り続けることができたのでしょうか?」。当時の小学生の50%が正解のこの問題。分かりましたか? もうあまりに簡単な答えですが…分かりませんか? 答えは、そう「キヤノネットがバカみたいに売れていたから(ピンポ~ン)」です。それに高級機の方もキヤノン7とかキヤノンPとかいったL39マウント機もまだまだ快調だったので、こんな道楽みたいなマネもできたというわけです。もうキヤノネット様様ですね。

で、キヤノネットでしこたまためこんだ内部留保を活用して、1964年春、キヤノンフレックスの後継としてCDS外部測光の新鋭機・キヤノンFXを登場させます。東京オリンピック特需を当て込んで華々しくデビューしたFXでしたが、半年もしないうちに「一眼レフ界の長嶋茂雄」「一眼レフ界の大鵬」「一眼レフ界のジャイアント馬場」「一眼レフ界の石原裕次郎」など、さまざまな異名(ponkotsutousanが命名)を持つ黄金ルーキー・アサヒペンタックスSPが満を持して登場してきます。このときの旭光学も、しょんべんをちびりながら笑いをこらえていたと思います。当時最新のTTL測光をウリに全世界で爆発的なヒットをぶちかましたアサヒペンタックスSPを相手に、FXもずいぶん踏ん張ったとは思いますが、たちまち電車道で押し出されてしまったようです。それでもキヤノネットのほうは相変わらず快調で、FXもその後FTFTbと進化を続け、PSマウントからKマウントへの切り替えにもたつくアサヒペンタックスをしり目に、とうとう世界的大ヒットのキヤノンAE-1で見事リベンジを果たします。キヤノンもうれしさのあまり、大のほうまでちびっていたかもしれません。これで「間の悪いキヤノン」という呪縛から解き放たれたのかと思いきや、世紀の大ヒットカメラ・ミノルタα7000の登場直後に、またしてもオウンゴールみたいなカメラ(これはこれでなかなか良いカメラだったので具体名は書きません)を出してきたので、ミノルタもこらえきれずに小のほうをちびっていたと思います。このようにキヤノンは「ときどき訳のわからないふるまいをするメーカー」なんですが、それでもこの時期やっぱりオートボーイシリーズがヒットのつるべ打ち状態だったので、このシリーズとT90で、EOS650の登場まで辛抱できたわけですね。EOS650以降のキャノンは躍進につぐ躍進で、笑いが止まらず…もうここらでやめときますね。期待してた人にはお詫び申し上げます。

話が大幅にずれてしまいましたが、ニコンFの対抗機と考えるからおかしなことになるだけのことで、キヤノンフレックスR2000RM自体はなかなか魅力的なカメラだと思います。高級機としてのたたずまいはニコンのFと同じレベルだし、そのFが軽快なカメラに見えるほどの貫禄があります。下に小さいので有名なOM-1との比較写真を載せておきましたので、ご参照ください。メッキの質もいいし作りも丁寧なので、もっと評価されてもいいカメラと思います。それでもわざわざ使ってみようとまでは思いません。「なんで?」て云われても、実際にFとキヤノンフレックス2000を並べたら、Fの方が全然カッコいいからです。おまけに写真の写りなんか、ニッコールとキヤノンレンズで撮った写真を逆に紹介して、即座に「逆だろう!」と断言できるような人は100人に一人いるかいないかだと思います。ponkotsutousanの眼力では分かるはずもありません。
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なんとも雄大なボディ。OM-1の2倍近く体積がある感じだけど、意外と「重量感」は変わらない。