2008年04月

2008年04月29日

「つながり」

いのちやつながりを感じたいようだったので
大事にとっておいた「ぶどうの木」を読む
本当は、読むのが怖かったのかも知れない
冒頭の聖書の言葉

 ―わたしはぶどうの木
  あなたがたはその枝である
  人がわたしに繋がっており
  わたしもその人に繋がっていれば
  その人は豊かに実を結ぶ

支え支えられながらの強い繋がりがここにある
時には、依存共依存の色を帯びることもあったろう
この言葉への反応は、僕の共依存を示すのかも知れない
依存で自分を食い潰されない事
共依存で相手を食い潰さない事
依存共依存は関係状態を示す言葉で
それを関係に固着させてしまうのは
それぞれの意思によるものなら、それを避ける事もできる筈だ
おそらく僕には、今それが課されている

 ―一粒の麦、地に落ちて死なずば
  ただ一つにてあらん
  もし死なば、多くの実を結ぶべし

リベックおじいさんのように、僕は慈悲に満ちて生きたいと
ずっと思ってきた
ここ暫く、精神の食事をしていなかった事に気付いた
祖母亡き後、世情瑣末に拘泥しすぎた
今年は特に、その拘泥に身を捧げようと課しすぎた
自分で自分を枯らす寸前だった
自分に戻るのだ、人間臭さが大好きな自分に
暖かさを宿した親密さが大好きな自分に
(080429)

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「おじいさん&ばあさん、有難う」

トイレを探して困っている僕を祖母は
日本家屋の自宅に導き、がらくた家財をかきわけて中に進む
その奥の部屋には祖父がいた
祖父は押入れのがらくたの中に埋もれた便器を差し
思う存分これを使ってよいと微笑んだ
僕は一瞬思案にくれた後、なぜか「祖父も共依存だったんだ!」と
思い至り、それと同時に体に血流が戻って暖かくなり、呼吸も深くなった
そこから半覚醒の中、昨夜、自我崩壊の窮地にあった僕を
祖父と祖母が力を与えに来てくれたのだと解釈した。
祖父が夢に出て来るのは、生まれて初めてだった。
父は母の息子で、僕は母の弟
幼少時の記憶でまず出て来るいくつかは、
夕暮れの建築現場で寂しさを感じつつ一人で遊んでいる自分。
高圧線が怖くて、母の背中に顔を押し当てていた夜の帰り道
アパートの窓から見えた小学校の火事
熱を出すと決まって見たのが、會祖母と二人で小学校にいる時に
モスラに襲われる夢と、ダムの堤防でショッカーに闘い負けて落ち、
そのまま地球から放り出される夢。
幼少時の記憶を掘り起こしても、父については記憶が無く、
母については記憶はあるものの、それに暖かな感情は伴っていない
小学校低学年のときにあった地震の時、母に抱きすくめられた
記憶があるが、それの時僕は嬉しさを感じていなかった
父と母が結婚し、父が家業に入社してすぐ使い込みをして
家を追われた。サラ金からの取りたての電話のストレスで、後年母は
胃潰瘍になる。
当然、離婚話しになるが、その時母は父をおもんばかり離婚しなかった
父は会社の独身寮に入り、アパートで僕らは母子家庭になり
それが僕の幼稚園入園まで続いた
その間、僕と母は、アパートから母の実家に毎日通った。
僕ら母子の面倒を見ていたのは祖父と祖母だった
祖父は、自分が持ってきた見合いで結婚した娘の離婚寸前の
窮地に、僕と母の面倒を見て、たぶん僕のために、父の借財を
背負いこんで許し、再入社という再生の道を与えたのだろう。
そんな生歴の中、一族の中で僕はどんな役割をとっていたのだろう
幼少時を遡ると、楽かった思い出はひとつも蘇らず、母の記憶にも
暖かなものは帯びていないし、父については記憶自体が無い。
小学校の時、鏡台で見付けた母の日記に、僕へのカンシャクを
詫びる記述を発見し、僕はその記述にすがりつき、自分の拠り所に
感じていた。母は僕を大事にしていると、自分に言い聞かせていた
節があった。母と電車に乗っていた時、僕の顔を見て嘲笑した
若い女性を叱責したときと、小学校入学間もない頃、母との
物理的に離れるのが怖くて泣いていた時、学校のフェンス越しに
みつけた母の姿くらいが、母との近さを確認できた事柄だった。
それらはマイナスを埋める感情であって、ポジティブな感情を持つ記憶ではない
当時の我が家の暮らしを知る人は、もう殆どいないが、
これは僕のマザーレスやファザーレスを反証しているのではなかろうか。
幼少時の複雑な一族関係の中、僕が何等化の役割を演じていたのは
想像に難くない。
小学校の時密かに、部屋の隅に小便をしたり、浴室で洗面器の中に
排便していた自分
中学2年の祖父の葬儀のとき、焼香客への挨拶を進んでこなしている自分
高校受験を控えた時期に、散々万引きを繰り返した自分
未知の人との新たな関係作りのきっかけを見付けられず、仕事という
媒介をみつけて、学校からバイト先に逃げこんだ大学時代
卒業試験の前日にした目のケガを楯に、留年を確信犯した自分
社内旅行の幹事をして、拍手喝采をあびた新社会人時代
それぞれの1対1の関係で構築してきた人間関係が、1対多の場面だと
その玉虫色がバレるのが怖くて、人前恐怖症になり、多人数の前では
自分を全く表現できなくなる
人との親密さや、人からの賞賛を望む方策を、その人を世話する事以外に
見付けれられない自分
素の自分を出せない自分
自分の感情に押しつぶされそうになった昨夜
まだ明確に繋がっていないけど、僕はおそらく依存症
あいつは僕にとって、僕が世話する関係から、逆に僕が
あいつに屈服する関係に変りつつある現状に
僕の共依存アイデンティティが揺さぶられている
僕は教育分析を、グリーフワークを、カウンセリングを
受けねばならない
おじいさん、そしてばあさん、有難う。助けられました。
貴方がたが来てくれなかったら、パニックや不安発作に
なっていた。貴方がたは、僕の「今の父母」。
そして僕は追って、血縁父母との関係を再構築して
いかねばならないのでしょう
相手に合わせて構築した人間関係が多いから、いざ自分を
出そうとしても、自分で自分がわからず、どうしていいか決められない
俺がストレスを感じていない人間関係の相手って、誰だろう?
俺がコンフォートを感じる場面って何だろう?
一人で首都高で歌っている夜、一人で吸う箱根の空気、
治療院のベッド、ロングパットを決めたとき
最近、カタルシスが全く無い、作らねば。
自分に向おう、どうもそういう巡り合せの時のようだ
(080429)

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2008年04月19日

29.「きみの気もち聞いてみたい」 伊藤守/ディスカヴァー21/105円【bookoff】

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 「楽しいね」
 ―「そうだね」
 「さびしいね」
 ―「そう、さびしいのね」
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無事にキャッチボールが始まったとしても、それが必ずしも
自分が思い描いていた理想通りには進まなくて
がっかりすることもあるでしょう
むしろ、「気持ち」を伝え合うことで
相手が全く違うことを思っていたり、
感じていたりすることに戸惑ったり、
相手が自分の意に添わないことを思っていることに
不快になったりする事のほうが多いかもしれない
でも、そこからが、本当のコミュニケーションの始まりです。
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相手をコントロールするのではなく
相手を受け入れるのがコミュニケーション
「受け入れる」とは
自分が思ったように受け取ることではなくて
相手が思ったことを受け取ること
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 ― 相手がボールを受け取ってくれない事もあるでしょう
 ― やさしいボールを投げたのに、蹴り返してくることもあるでしょう
おそらくその相手にはまだ、準備ができていないのです
相手もまた、ミスプリントされたイメージに支配されているのです
これまでのあなたのように
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pontakasan at 23:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書記/2008 

28.「この気もち伝えたい」 伊藤守/ディスカヴァー21/105円【bookoff】

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コミュニケーション"のようなもの"
それは、社交辞令だけ話すこと
役割だけから話すこと
つまり、上司として、先生として、後輩として
夫として、妻としてだけから話すこと
コミュニケーション"のようなもの"を
続けていれば、寂しい思いや
辛い思いをする危険もありません
思いもかけない感情が出てきてしまったり
喧嘩になってしまう危険もありません
でも
思いもかけない喜びや、生きていることの実感を
体験することもないでしょう
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「受け入れ」とは、相手を好きになることとは違います
もし、どうしても好きになれない人がいるとしたら
まず、その人を好きになれない自分を受け入れること
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pontakasan at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書記/2008 

27.「カナリアの歌」 斉藤学/学陽書房/800円【amaセコ/bookoff】

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私って、自分の考えている事とか、素直な感情を人前に晒すのを、とても恥ずかしく醜いことだと思ってしまうんです。
そうすることで、周りの人が自分を軽蔑し、離れていくのではないかと不安なんですね、きっと。
それに、自分が間違ってしまうのが怖いんです。いつも自分が正しくないと、自分を許せないんですよ。
だから、人にはいつも建前の自分しか見せず、さもなければ、ただポーカーフェイスで黙っている事しかできなかったんです。
そうやってどんどん自分の中にフラストレーションがたまっていったんでしょうね。
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「もうお終いだわ。私の必死になってうわべを取り繕ってきた(他者から見ての)曇りのない人生は崩れてしまった」と考えていました。今思うと本当に、ALL or NOTHIG な考え方ですよね。その考え方を少しずつ治していくように言われ、私も、挫折した自分、つまずきのある人生、最高のものではない中途半端な生き方なんかを受け入れられるようになってきました。
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痩せているほうがキレイだという世間一般の物差しで自分を計って落ち込んで、それに合わせようとするあまり、必死になって食べたいという自分の欲求を否定することしかできなくなって、本当に苦しかった。痩せている人やキレイな人を見ると羨ましくてたまらず、自分と比べてしまって、コンプレックスの塊になってしまっていました。
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いつも受身で、クールで、優雅で。自分から人を好きだって言った事もないし、会いたいと思っても、そんな自分の気持ちを押し殺して待っているだけの人でした。
自分が思っているほど相手が自分のことを思っていなかったらシャクだとか、こんなことして相手が自分の事を嫌いになったらイヤだとか考えて、いつも自分の感情と行動をコントロールしていたんです。
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摂食障害をやっている限り、本当の問題には直面せずに済むのだろうな、と思う。摂食障害に苦しむ私は、自分の「自然」が感じられないというけれど、きっと事実はその反対で、「自然に触れるのが怖い」から摂食障害をやっているんでしょうね。この苦しさから逃れたいといいながら、「自然」に直面するのが怖いために。
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共依存者は、パワーによって自己を律し、他者を屈服させ、自然をコントロールするという近代社会的な自我理想から生まれるものです。
自己のパワーへの信仰は、勝者を成功への努力の虜とし、敗者を寂しさと渇望の奴隷にします。寂しさと渇望から、食物、アルコール、クスリ、セックス、ギャンブルなどへの依存症が生まれるのですが、成功する事への囚われもまた、1つの依存症であることに、そろそろ私たちは気付かなくてはなりません。
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この「他人をコントロールしようとするこだわり=支配依存」=という誇大妄想こそが、過食・拒食症やアルコール依存症の温床にほかなりません。あらゆる依存症(嗜癖)の温床なのです。
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メッセージはそれが何であれ、送る相手に一定の反応(行動)を期待して送られます。つまり、メッセージには送り手による受け手のコントロールという側面があります。心の痛みを訴える人は、訴えられる人の援助を求め、そのことによって、訴える相手をコントロールしようとしているのです。
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ある症状によって、このコントロールの欲求が満たされる時、症状は固定化し、回復の見通しが立たなくなります。
ですから、「この症状は、誰に向けられているのか」ということを慎重に検討する必要があるのです。
症状が長引いている場合、そこに必ず「症状の支え手」がいます。
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自分の中の他者との関係は「1.5人関係」と呼ばれる事があります。共依存症は「2人関係」の中に展開すると述べましたが、実はこの「1.5人関係」の中にも繁茂します。そしてこれが摂食障害のほとんど全てを引き起こします。
「自分の中の他人」との関係は、「自分をどう愛するか」がこの問題を解く鍵なのですが、それだからこそ、これが最も困難な部分でもあるのです。
摂食障害者の多くは、自分の中に住む他人の声に怯えています。その声は「バカだ」「ブスだ」「ブタだ」と悪口雑言に満ちていて、彼女らを傷つけます。
それなのに摂食障害者は、決して自分の中の他人を認めようとしません。この最も親しい友人を無視しきって、奴隷あつかいしています。
これに対応して、自分の中の他人は、自分を恐れ、怒り、批判します。
この抜き差しならない状態が「1.5人関係」の中の共依存症です。
接触障害者は、自分の中の他人の声によって傷つき、この声の主である自分を憎み、抹消しようとして自分自身を傷つけるのです。
「死ぬほど痩せる」とか「死ぬまで食べる」といったバカバカしいことは、こうした「1.5人関係」の中から生じますし、一部に見られる盗癖や極端な性的奔放さも、自分を辱めようとする内部からの衝動によって始まるのです。
この関係から抜け出すには、まず「自分の中の他人」を思うままにコントロールしようとする欲求に気付いて、その誤りを認める事です。
注意深く、自分の感覚に問いかけ、心地よいと思うことをして、イヤと思う事はしない。
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心の痛みを訴える人は、訴える「特定の相手」にSOSのメッセージを送っているのです。
問題はこのメッセージが大変読み取り難いところにあります。身体的な痛みには客観的な基盤があるのが普通で、その点わかりやすいのですが、
心の痛みのメッセージは「送り手と受け手」という関係の中でしか理解できないような閉鎖的なところがあってわかりにくいのです。
このわかり難さを理解している人は、決して症状の読み取りを焦りません。そして、症状の発症した状況の検分を怠りません。その上で症状の翻訳を試みます。
要するに精神科医としての私は、症状の訴え手(=患者)と出会うたびに、次のように考えるのです。
 ―この人はなぜ、この時期に、こうした症状を出しているのか?
  この症状は、本来誰に向けられたメッセージなのか?
  そして、その意味を日本語に翻訳するとどんな言葉になるのか?
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先の手紙を書いた女性は、拒食によって両親や職場の人や主治医にコミュニケートしているのですが、パラドクス語がわからない彼らには話しが伝わらないのです。
それではどうしてパラドクス語を使うのかと言えば、この女性は日本語による次の一言がいえないから、というより言いたくないからです。
 ―私、一人じゃ生きていきたくないの。あなたたち、私を抱いて歩いてね
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ビンジパージ(過食・拒食)習慣がどのような状況で終息するかについてある気付きを得ることは、医師としての私のアイデンティティを脅かした。
意外にも彼女らは、私が医師としてもパワーを全開させている時には回復せず、私が治療者としての自分に破産宣告をした時から回復し始める。
そして、私の治療グループから離れ、一人で歩き出すようになってから「真の回復」を達成するのである。しかし考えてみると、このことはアルコホリックについては以前から気がついていたはずのことであった。要するに過食・拒食習慣とは「嗜癖」なのだと一度気付いていたはずの事実に、私はもう一度直面させられたのである。
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私は、そうしたヨレヨレの彼女に対して、自分が何もできない事に改めて思いいたって愕然としていた。それまでも大学病院や国立病院の組織のなかでしか仕事が出来ずにいたことには、漠然ときづいていたのだが、組織を離れてみて、自分の無力さを思い知らされていた。
その時、私は絹子に何もしてあげられない自分がつくずく情けなかったので、自分の無力感をそのまま彼女に伝えた。
 ―「私はあなたに何もしてあげられない。せめてあなたの回復を信じてお付き合いすることにするよ」
この「治療者としての自己破産」としか言いようのない言葉が口をついて出たとき、驚いたことに、それまで呆然としていた絹子が急に生気を取り戻し、私の手を握った。どういうわけかこの日から、彼女は飲まなくなった。多分この日に、絹子と私は同時に「底をついた」のだろう。
嗜癖行動が変化(修正)されるときには、こうした「底つき」が前駆するものである。
多くの場合、嗜癖者の底つきは、周囲の支え手の底つきと同期して生じ、支え手の支えるパワーが失われたときに起こる。支え手が自分のパワーを信じていられるうちは、嗜癖者は、自らの行為の責任を、支え手に預けて済ませることができるからである。
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治療者としての私のスタイルもまるきり変わってしまった。それを一言でいえば、力動論的精神医療からの脱皮ということになろうか。外科医気取りで「心の患部」なるものをまさぐる精神療法家の姿勢に、もともと胡散臭さを感じていた私は、人と人との共感だけを頼りに成立する自助グループのミーティングの潔さが心地よかった。
そこでは、参加者の全てが、元来は健康だが発展途上にある人々という事になっていて、本質的に(誰もが)対等であった。他人を怪しげな心の解剖図に沿って診断し、治療不能と排除したり、外科医的妄想にかられて、患部を切除しようとする危険な人物、精神療法家と呼ばれる人物は存在しなかった。
私はこの1年の間に、反精神医学的とまではいわないけれど、すっかり反精神療法的になった。
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私には、ビンジパージ習慣と家族との関係がようやく見えてきた。
要するに、見えてきたのは、核家族の中で、子供がどんなふうに家というものを支える基本要素として扱われ、夫婦相互の人間関係上の戦略点として扱われ、それによって個として生きる目標を欠落したまま成熟してしまうかという事である。
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(080419)

pontakasan at 23:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書記/2008