令和5年11月25日、今年も第十六回目の動物慰霊祭を無事終えました。
お寒い中をご参列いただきまして誠にありがとうございました。
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今年は特に、日本各地でのクマの被害が多く報道されておりました。
クマを「苦魔」と呼び恐れる人がいますが、元来は古語でクマは神のことを指しました。
山を切り開くことの弊害が昔より明白であっても、更には太陽光パネルの設置のために大規模な森林の伐採が進んでいます。
都内の自然公園各地、また神宮周辺の森林伐採への反対運動も大きくなっています。
ひとつに施設の保全のためとはいえ、SDG'sと騒ぐ割には逆行としか思えません。
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メタバースの実験でも、サルなどの動物実験がますます盛んです。インプラントを施されたサルたちの凄惨な死にざまは報道されません。動物愛護先進国とされている北欧などでも、いまだに毛皮のためだけの家畜農場が多くあり、気候変動?による災害で被害を受けて明るみになるという皮肉さでした。
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「環境」と聞くと、私たちはなんとなく中空を見回します。空気が汚れているとか、草木がないとか、人工光に溢れているとか、そんな漠然としたイメージばかりで、一体何が悪化しているのかの具体的な理由がわかっていません。
それは、つまりは生物がいなくなっていることに他なりません。
特にミクロの生物たちを撲滅させるために必死になっているとも言えるでしょう。
虫や微生物がいなければ、間違いなく生命は途絶えます。食物が育たなくなるからです。
食はイコール人口です。
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日本食ブームも外国人旅行客爆発で極まった感がありますが、では日本食とは一体なんでしょうか。
ラーメン、とんかつ、てんぷら、寿司、と日本人でも答えるでしょう。
西洋四味、中国は苦みを加えて五味、日本は更に旨味を加えて六味といわれています。
旨味とはアミノ酸のことです。味の素のことではありません。
日本人ほど、このアミノ酸を引き出すことに腐心してきた民族はいません。
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肉も魚も米も植物も、常備食を確保するために腐敗をも利用します。それは空気中の菌や微生物を使い、ある程度のところでそれを止めるために塩や加熱処理を利用することを編み出しました。
酒や味噌、醤はそうやってできたものです。
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コロナでどこへ行っても消毒薬の噴霧が推奨され、定着致しましたが、一方で腸活ブームで菌を取り入れようともし、生命体の大半を占める各種細菌を、共存ではなく薬剤で退治しようという、全く矛盾極まりないことをやっています。

自然を征服できると考えるのが西洋で、また人間以外の生物は神が人に与えた奴隷であるとも考えます。更には聖典に従わぬ異教徒は殺して構わないとも明記されています。
彼らが考えるSDG'sとは、その罪悪感から派生していると言っても過言ではありませんが、実は海外ではほとんど盛り上がっておらず、一生懸命従っているのは日本だけです。
そしてそのこころは、経済、経済、経済、カネ、カネ、カネであると言えます。

環境とはつまり、極ミクロの生命体がしっかりと保たれていることを言います。
もっと言えば、人類が本当に持続可能であるためには、ミクロを含めた動植物たちこそ大いに栄えなければならない状態を言います。
決して人間が恩恵を先取りし、トリクルダウンしてそれ以外の生命体を潤すことでも守ることでもないのです。

グルメであるとか、あるいは、実は牛乳はいけないとか、あの食物はいけないとか、享受しておきながら悪く言う私たちには、無の状態から牛を、葉の一枚を、菌のひとつをも生み出すことはできないのです。
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宗教の問題も噴出してきました。それによる戦争も激化しています。
しかし、絶対に言えることは、何ひとつ無から生み出すことができない人の子が、神やら救世主であるわけがないということです。

食糧がなくなれば人類も滅びますが、そうやって恐怖を煽られ続けるわりに、コメの一粒に困ってはいません。貧困と叫ばれているわりに、シャネルやプラダで身を飾ったシャンパンタワーでバカ騒ぎする「貧困女子」が存在します。
バブルの時もそうでしたが、謎の魚卵を青色着色料をつけた「キャビア」と称するものを消費した世代が、イマドキの若い者は・・・とは決して言えませんが。
いずれ水の一滴に困る時が来たら、シャンパンや人工皮革の財布やバッグが食糧となってくれたらいいのですが。
もしくは、脳に電極を埋め込まれたサルたちの犠牲に報いるべく、自分たちが肉体を捨てて、ミクロのチップの中に生きるようになり、環境を失うことのない存在になるべきなのか・・・。

ペットもまた、私たちを支えてくれるありがたい存在です。大切な家族を亡くされた方々とも寄り添える機会でありたいと願っています。
生きた狛犬姉妹、黒ラブの晴礼と和香に代わり、今年も巫女犬の珠来(ミコ)ちゃんがしっかりと見届けてくれました。

自然の余さずひとつひとつが、自分たちを生かしてくれる神そのもの、もしくは神とすら意識することがない、「ありがたきもの」であることを、動物慰霊祭では年に一度、心に刻む日です。
それは何度同じことを繰り返しても、歴史に学ばない私たちの自戒の日でもあります。