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ある意味で、P.F.スローンは非運のアーティストです。
60年代に数々のヒット曲を書き、自身でも多くの曲を演奏したにもかかわらず、本国アメリカではビッグになるチャンスに恵まれませんでした。
彼が作曲した作品のうち、日本でもヒットした曲を何曲か挙げると、
「明日なき世界」バリー・マクガイア
「秘密諜報員」ジョニー・リバース、ベンチャーズ
「あの娘にご用心」ハーマンズ・ハーミッツ
「青春の渚」ジャンとディーン(←この曲も日本でだけヒット)
そんな彼が唯一P.F.スローンの名前でビッグヒットを放ったのが日本であり、その曲が今回紹介する「孤独の世界」です。
この曲は、当時、フォークロックと呼ばれ、メロディーはフォークソング的なシンプルなものながらバックの演奏はロック、と言う60年代後半に流行のスタイルです。
「孤独の世界」が当時の日本のフォークソングに及ぼした影響は大きく、類似のメローディーの曲、あるいは、この曲のアレンジをまねた演奏のレコードが多数見られました。
元々P.F.スローンは60年代前半、サーフィン・ミュージックの分野で活躍していました。
特に、当時この分野でビーチ・ボーイズと人気を2分していたジャンとディーンに気に入られ、バック・ミュージシャンとして多数のセッションに参加しました。
ジャンとディーンの代わりにP.F.スローンが歌った曲もあった程です。
ところが、それまでギター1本のシンプルな伴奏でフォークソングを歌っていたボブ・ディランが、突然ロックバンドをバックに歌い始め、アメリカ中に大きな衝撃を与えました。
P.F.スローンもその一人であったようで、ボブ・ディラン流にメッセージ性の強い曲「明日なき世界」を書き、これを、バリー・マクガイアがリリースしたところ全米1位の大ヒットとなりました。
数々のヒット曲を書いていたP.F.スローンですが、彼はあくまでもルー・アドラーと言うプロデューサーに週給何ドルで雇われていたスタッフにしか過ぎませんでした。
したがって、P.F.スローンにたくさん曲を書かせ、他のアーチストに取り上げてもらえば、ルー・アドラーは丸もうけとなるわけで、そのためのデモテープ代わりに多数の曲をレコーディングさせ、自身の経営するダンヒル・レコードから順次発売していきました。
元々ルー・アドラーはP.F.スローンを歌手として大々的に売り出すつもりはなかったわけですから、ダンヒルから発売された7枚のシングルのうちヒットしたのは「大人は知らない」くらいでした。
当初、日本ではビクターにダンヒル・レコードの配給権があり、数枚シングルがリリースされました。
その中には「孤独の世界」もありましたが、ほとんどヒットしませんでした。
ところが、運命と言うものは分からないもので、1969年に日本での発売権が東芝に変わってチャンスが訪れました。
一般に発売権を新たに獲得した場合、過去のカタログを再点検して日本向けの曲があれば再発売し、強力にプッシュしてヒットすることが多いのですが、東芝は「孤独の世界」に目をつけ、1969年9月10日、ダンヒル獲得第1弾として発表しました。
発売、即ヒット、と言うわけにいきませんでしたが、日本人好みのシンプルで美しいメローディは広く受け入れられ、ロングセラーとして愛されました。
ただ、残念なことに、日本だけのヒットであり、また、ダンヒルの発売権が数回移動した関係で、早く廃盤になり、入手困難になってしまいました。
1993年にアメリカで発売されたP.F.スローンのCD"Anthology"にはこの曲は収録されていません。
現在、日本でこの曲を聴くことができるのはミリオン・ヒッツ・コレクションと言う6枚組CDだけのようです。
「孤独の世界」のmidiはこちらで聴くことができます。
後日談と歌詞の内容については、Part2で。