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大阪が、東京に次ぐ音楽発信の地として重要な地域であることは今も昔も変わりはありません。
ところが、ROCKの分野に限って言うと、大阪が全くパワーを無くしていた時期がありました。
それが1970年前後です。
60年代後半については、後にグループサウンドブームの火付け役となった沢田研二率いるタイガースはじめ多数のグループサウンズを輩出した地として、活字あるいはネット上でその様子を知ることができます。
また、70年代以降についても情報が豊富に残されています。
ところが、1970年前後については、後にメジャーになるようなミュージシャンも皆無に等しく、大阪のミュージックシーンもほとんど語られることもありません。
そこで、私の知る限りにおいてここで紹介したいと思います。
なぜこの時期が暗黒の時代であるのか。。。
その最大の理由は、元々ROCK系のミュージシャンが活動する場所が少なかったことによります。
ROCK系ミュージシャンが活躍できる今のライブハウスにあたるスポットは、当時、ジャズ喫茶と呼ばれていました。
60年代から70年代にかけて、東京には銀座ACB(アシベと読む)はじめ多数のジャズ喫茶がありました。一方、大阪には「ナンバ一番」1軒しかありませんでしたが、この「ナンバ一番」は、タイガースやオックスなどがメインバンドを勤め、盛況を博していました。
しかし、彼らが活動の場を東京に移し、さらにGSブームが去るとともに、さすがに「ナンバ一番」も勢いを無くし、69年ころ、ついに閉鎖されてしまいました。
「ナンバ一番」を中心に活動していたROCK系のプロやセミプロのミュージシャンは、あるものは引退し、あるいは歌謡曲に転向するなどちりじりに分かれて行きました。
もちろん、「ナンバ一番」以外にもROCK系の演奏ができるスポットはいくつか存在しました。
その話しは次回に。
なお、「ナンバ一番」は後にパチンコ屋として再開し、阪神タイガース優勝時のダイビングで有名な戎橋(通称、ひっかけ橋)の南詰めに、今も存在します。
パチンコ「ナンバ一番」のHPはこちら
但し、ジャズ喫茶「ナンバ一番」があったのはこの場所ではありません。今の店の戎橋筋をはさんだ向かい側、TSUTAYAのある所です。大きなカニの看板で知られる「かに道楽」の向かいと言ったほうが分かりやすいかも知れません。