みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて28年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。保育士養成の場で仕事をしたこともありますが、今は図書館にかかわる仕事をしています。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪

ミッション・コンプリート

2月末の母の骨盤骨折以来、両親の介護に奔走してきましたが、物理的な支援は一段落しました。

07-01-276月上旬の母の退院に備えて、ケアマネさんと相談をしながら、自宅の段差と言う段差に手すりを付けたり、2階8畳和室の畳を耐久性の高いものに交換し、介護ベッドも入れてもらい、準備万端でした。

母も、再び父と一緒に私の家で生活したいと、そのことを願ってリハビリに励んできました。

そして母の退院・・・ケアマネさんが考えてくださったケアプランはとても手厚いものでした。

週3日、父と一緒にデイケアサービスに通う。この時に入浴介助も受ける。(自宅での入浴介助を私がしなくても済むように)

デイサービスに行かない日は、それぞれお昼と夕方にヘルパーさんがきて、それぞれ配食された食事を温めて提供し、服薬指導。
3日のうち、一日は訪問看護、一日は訪問診療医による身体チェック。排便コントロールの必要な父のケア。そしてもう一日は父のために訪問マッサージ、母のための訪問リハビリ。

一日のうち、何人ものケアスタッフさんが入れ替わり立ち替わり家を訪問してくることになりました。フルタイムで仕事をしている私は当然対応できないので、ケアスタッフの方々のためにキーケースを準備し、暗証番号をお伝えして、各自で入室していただくことに・・・ところが、その手厚いケアが、母たちの精神的なストレスになってしまったようです。疲れて眠ろうとすると、誰かか訪問してきて起こされる・・・というように、生活リズムを自分たちで作れないということが、しんどかった模様です。

今回、祖父母の入院の知らせに就活を終えた次女が、就職するまでの期間一時帰国してサポートしてくれていましたが、その次女でさえ毎日違うメニューでの在宅ケアに心身が消耗するのを感じたとのこと。

その上、3か月半、父と離れて個室で入院生活を送ってきた母にとって、狭い8畳間で父との生活リズムの違いにもストレスを感じてしまったようで、それまで聞いたことがないような夫婦喧嘩が頻発していきました。

父の排便コントロールの失敗でトイレを汚すことも続いていましたが、母にとってはそれも耐えられなかった模様。夜中にトイレで大騒ぎすることも何度かありました。

私や長男、次女、一緒に生活するもののリズムも狂っていき、それぞれがしんどい思いを感じていました。それでも夫婦の介護認定レベルがまちまちで、揃ってどこかの施設に入居するには、介護付き有料老人ホームしか選択肢はなく、都内や首都圏では一時金の費用も高額過ぎて持続可能な選択ではなく、諦めていました。

それに2008年春に東京に呼び寄せて、二人を看取ると覚悟を決めていた私にとって、私の手に届かない範囲での施設への入居は、介護を途中放棄するような後ろめたさがありました。

しかし、次女がこのままでは祖父母にとっても、私の家族にとっても不幸じゃないか・・・そもそも母さんの兄弟はどうしてこのことに積極的にかかわらないのかと声を挙げてくれたのです。

私の中には2008年に、夫が半ば強引に「両親の今後は任せてください!」と私の兄弟に伝えて東京に呼び寄せた経緯があり・・・それが夫の優しさではあるのですが、一人っ子だった夫にとって、兄弟の確執ということへは思い至ることはなかったため、容易にSOSを出せなかったのです

次女が叔父である弟に直撃メールをしてくれて、それで事態は急転直下、変化していきました。

もともと母が入院した時に、車椅子生活になるのであれば我が家での生活は困難になるので、施設を探さなきゃいけないけれど予算的に厳しいかもと、兄弟ラインで伝えた時、弟から広島ならば入居一時金もかなり安くすみそうだ、そういう選択肢もありだねという情報は得ていたのです。

アメリカで生活してきた次女にとっては、遠慮することなく現実の問題を客観的に叔父である弟に訴えることは、自然のことでした。そして弟は、最初は戸惑いながらも、広島で両親が人生の最後の日々を送ることを受け入れてくれたのでした。(自宅に引き取るわけではないにしても、やはり弟家族の理解も必要ですから・・・)

そんなSOSを出したのが6月17日のこと、そして翌18日日曜日に弟が自宅から車で10分ほどのケアハウスを訪問して、具体的な交渉を始めてくれました。

なんと、そこはいろいろご縁がある場所でした。キリスト教の団体が設立した福祉法人で、しかもその団体の発祥の地は夫が最後の日々を過ごしたカリフォルニア州パサデナにあるということ、同じ法人に属する子ども園に弟嫁が勤務していることや、その法人が運営する介護福祉専門学校は甥っ子が卒業したところで、前理事長のことを宣教師である兄夫婦がよく知っていること、そしてなによりチャプレン(牧師)が常駐していて毎週水曜日に礼拝が行われているということなど、願ってもない施設でした。

またこのケアハウスは、自治体助成による軽費老人ホームということで、他の施設よりかなり費用が抑えられているということも、経済的に両親のこれまでの貯えや年金収入で賄える範囲だということも決め手となりました。

今なら入居可能な部屋があると聞いて、両親が広島に移動する日を、私の仕事の都合もあって7月4日(火)と決め、手続きに関しては私が動かなきゃと、19日(月)に電話で東京のケアマネさんと広島のケアハウスに連絡し、双方のケアマネさんの連携を依頼し、その週の金曜日23日には午前半休をとって、両親を銀行や区民事務所に連れて行き、入居一時金を振り込んだり、転出に向けて必要な書類を整えてました。

そして25日(日)には、引っ越し業者に見積もりに来てもらい、翌週金曜日30日までに両親の荷物の仕分けし(実際はほとんど次女がやってくれました)、30日夕方には広島への引っ越し荷物を出しました。

その間に書類を作成して郵送したり、両親を広島に連れて行くためにレンタル車椅子の手配や、広島止りの新幹線のチケット手配をテキパキこなしました。
20170704広島大移動
4日(火)は、通勤ラッシュの一段落する朝9時20分にタクシーに来てもらい、最寄りの中央線の駅へ。そこから東京駅へ出て、東京駅構内はあらかじめ位置を調べておいたエレベーターを使って、新幹線ホームへ移動・・・新幹線中央口にはエスカレーターしかなく、エレベーターがないことがわかり、八重洲南口から新幹線ホームへ移動。駅構内はレンタル車椅子が大活躍。

母の車椅子を私が押し、次女が杖をついて歩く父のそばで介助しつつ、大きなトランクを運んでくれました。10時50分発ののぞみ107号は広島駅が終点。足の悪い二人をゆっくりおろすことができます。

車内でのトイレ介助のこともあって、グリーン車を取っていました。この日のグリーン車は空いていて、両親もゆったりと過ごすことができました。

名古屋、岐阜を通過するころには、母が車窓を見ながら大興奮(岐阜生まれ、名古屋育ち)、新神戸を過ぎて岡山県に入ると父が大興奮(岡山生まれ・育ち)・・・東京に呼び寄せた時に、もう二度と西日本に足を踏み入れることはないと覚悟していた二人にとって、車窓からでも懐かしい故郷の様子を見ることが出来たのは喜びだったようです。

広島駅には、午後半休を取って弟が迎えに来てくれて、その足で区役所、福祉事務所と連れて行ってくれて、編入手20170705ケアハウスふれ愛2続きと介護保険の移行手続きまで完了。そしてケアハウスまで連れて行き、ふたりが夕飯に行っている間に、私たち3人がすご〜〜い勢いで、その日の午後に届いていた引っ越し荷物を全部解いて、ある程度片づけを終わらせる!というところまで、やり遂げました。

翌日も午後、訪問して同じ施設内にある診療所での診察に立ち会い、また向こうのケアマネさんと相談をし、必要なケアをお願いするところまでやってきました。

また弟に、両親の経済状況に関する情報を整理して渡し、私がふたりの入院中に預かっていたさまざまな書類等も引き継ぎました。ホッ。
201705ケアハウスふれ愛
翌5日、両親の部屋から出て東京に向かう時、ふたりが笑顔で見送ってくれたことが、なによりの安心材料でした。バリアフリーで、24時間ケアがつき、ふたりが付かず離れずの2部屋で生活できて、親切なスタッフがいてくださって、思い切って両親を介護施設に預けるという決断をして間違ってなかった、と思いました。

6月の子どもの本に関するいろいろ(その4)ちひろ美術館

6月24日(土)

この日は朝からB区にある小学校で地区公開講座の講師を務めました。校長先生からのご依頼でエビデガーデンンスのある話をしてほしいということだったので、「ことばの力は、読書から―第1回 現代人の語彙に関する調査より―」という演題で、約40分…(小学校の授業時間は45分間なので短いのです)にまとめて、ギュギュっとお話をしてきました。

土地柄、とても教育熱心な保護者の方々が多く、読書がどのように語彙力や読解力に結び付くかを、「第1回現代人の語彙に関する調査」(ベネッセ・朝日新聞)の結果だけではなく、「複数の読書量推定指標と語彙力・文章理解力との関係」(猪原敬介、上田紋佳ほか『教育心理学研究第63巻』第3号 2015 教20170624小日向台町小学校育心理学会)や、「平成25年度 全国学力・学習状況調査の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」(平成26年3月 御茶ノ水女子大学)の結果をわかりやすくまとめて伝えた上で、小学校時代に出会う本がどのように子どもたちの心を支えていくのか、文庫にくる子たちの実例を1つだけお話しました。

データだけならば、自分でネットで調べればもっと深く理解できるわけで、じゃあ実際の子どもたちは本を読むことでどのように変化するのか、そこを伝えなければと思いました。いやあ、40分にそれをまとめるのが、ほんとうに大変でした。

それでも保護者のみなさまが、前回(3年前)よりも大勢参加してくださり、熱心に聞いてくださったのが嬉しかったです。

終了後は、その足で上井草のちひろ美術館に直行。(あっ、最寄駅から自宅の前を通り越して自転車で20170624ちひろ美術館ね!)

15時から、図書室で行われた「奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人」(5月19日〜8月20日まで開催中)に合わせての広松由希子さんの講演「茂田井武と夢の旅」に参加しました。
20170624ちひろ美術館2

広松さんは、ちひろ美術館の学芸員をされていた1997年にはじめて茂田井武展を企画されました。私は当時はシンガポール転勤前でその展示を見に行っています。

この展覧会に合わせて『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』を構成、編集されて、出版されました。

茂田井武さんの欧州放浪の旅と、彼の絵については何度か伺ってきているのですが(2016年2月に長野県岡谷にあるイルフ童画館で広松さんのトークイベント「武井武雄と茂田井武」→こちら、2016年3月@日本橋で「ちいさな茂田井武展 日本橋〜Paris」オープニング記念ほろ酔いトークイベント→こちら)、今回は今までにない新しい発見もあり、面白かったです。

大きな旅館の御曹司から一転、放浪の旅人となり、大陸を横断しパリで仕事をしながら絵を描き続けた茂田井武、その人が最後に辿り着いたのが子どもの本の仕事。そしてその絵に出合った若いアーティストに影響を与えていること、たとえば今回のちひろ美術館の企画をした奈良美智さんのように・・・

奈良美智さんは私と同い年。1956年に茂田井武は亡くなっていて、亡くなってから数年経ってから生まれたわけなんだけど、子ども時代に私も茂田井武の絵本には出合っていて、とても懐かしい存在。
奈良さんにとっては17歳で絵の世界に進もうと思った時に、子どもの頃に出合った茂田井武の絵があったと、図録に記されていました。

そう、懐かしい絵。それでいて、力強く、生きるということを伝えてくれる絵なんだなと、今回の広松さんのお話を伺い、また展示を見て感じました。

トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園へ

6月18日(日)
20170618トーベヤンソン2
日曜日は両親の食事を三食作らなきゃいけなかったので、母が退院して以来日曜日はなかなか出かけれなかったのですが・・・次女の一時帰国もあと1か月弱。介護の手伝いばかりさせていて、「母さんと全然お出かけ出来ていない」というので、その前の週は世田谷美術館へエリック・カール展へ。

1週間後のこの日も、両親のお昼の食事を作って食べさせて、彼らが昼寝をするのを見届けてから、車20170618トーベヤンソン3で出かけました。といっても、夕飯の準備もして出たので、家を出たのは14時50分ごろ。ちょうど地元は大雨が降っていましたが、少し車を走らせると雲の切れ間が出て来ました。

この日は北西へ車を走らせて、埼玉県飯能市にあるあけぼの子どもの森公園へドライブです。

久々に高速に乗りました。若い時は車で山口→大阪→山口とか、山口→福岡と20170618トーベヤンソン4か、平気でロングドライブしていたのですが、ここ数年は近場を運転するばかりで、高速運転はもっぱら子どもたちに委ねていましたが・・・次女はアメリカの運転免許しか持っていないので私が運転するしかなく、おっかなびっくり久々に高速を走りました。

家を出て1時間ちょっと、16時少し前に関越自動車道と圏央道経由で飯能あけぼ20170618トーベヤンソン5の子どもの森公園へ到着しました。

私にとっても6年ぶりです。ここが開園したのは1997年の春。大学のゼミの先輩がここの建物の設計事務所に勤務していたこともあり、オープンしてすぐに家族で遊びに行ったのでした。20170618トーベヤンソン6(そのあたりの経緯は、長女とドライブした2011年10月の日記に→こちら

その日記を読んで、当時twitterで繋がっていた絵本友だちも「行きたい!」となり、大人遠足に行ったのが、その年の11月のこと。(日記は→こちら

ところで、飯能市にムーミンのテーマパークが2018年秋にオープンする予定で20170618トーベヤンソン7す。今年の春に工事が始まりました。(テーマパークムーミン公式サイト→こちら

このあけぼの子どもの森公園が、トーベ・ヤンソンさんとのやり取りをしたうえで、ムーミン谷をイメージして作られていたということが、ムーミンパークを誘致する時の切り札となった模様です。(→こちら
20170618トーベヤンソン8
工事の着工に合わせて、あけぼの子どもの森公園はトーベ・ヤンソンと名前の前に付けることになったと、事務室前に掲示してありました。たまたま事務室から出てきた職員の方と話すことが出来て、20年前のオープンの時に来たこと、ここの設計をした事務所に先輩がいたことなどを話すと、とても喜んでくださいました。20170618トーベヤンソン9

さてさて、次女はシンガポールに渡航する前の99年春に来て以来、18年ぶりの20170618トーベヤンソン10訪問。当時は小学1年生でしたから、身軽に天井裏などに仕込まれている隠れ家スペースに登ったことなどを懐かしく思い出していました。

この公園は17時に閉門されます。1時間強しか滞在できなかったのですが、次女はその時間で十分に子どもの頃の思い出が蘇ってきたようでした。20170618トーベヤンソン11


ここの公園は、ムーミン谷をイメージしたいくつかの建物があるだけで、とくにアトラクションがあるわけでもないし、でもそこには豊かな時間が流れていて、想像力をかきたてる・・・

20170618トーベヤンソン13公園のそこここに、たしかに妖精たちがいるような気がする。ここで感じるイメージを追って、いろんな遊びを展開できる・・・それがこの公園の魅力です。

今度、同じ市内に出来るテーマパークがどんな感じになるのかわからないけれど。岡山県倉敷市にあったチボリ公園の二の舞になってほしくないなぁと思うのでした。(チボリ公園のことはこんな研究にまでなっています→こちら


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