みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて28年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。保育士養成の場で仕事をしたこともありますが、今は図書館にかかわる仕事をしています。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪

2013年06月

゛いじめ゛や゛悲劇″を子どもの本でどう扱うか・・・

先日、ある本をブログで話題にしたところ、多くの方からいろいろな意見を聴くことができました。

特に子どもの本で「いじめ」だったり「悲劇」をどう扱うのかということ。そのことについて今回は整理しておこうとおもいます。

子ども達を取り巻く環境の中に突然襲ってくる悲劇、理不尽な出来事というのは、どれだけ周囲の多くの大人が子どもを守ろうとしていても襲ってくる・・・それは3.11の東日本大震災でも私たちが体験したことです。だから、子ども達を大人たちの温かい見守りの中で、どんな悲劇からも守ってあげたいと願いつつも、突如襲ってくる悲劇の前で私たちは無力であることも事実です。

ただ、そういう悲劇、絶望の淵から、私たちは立ち上げる術を学ばなければいけませんし、時間をかけてもその傷は癒されていかなければなりません。

先日、取り上げた絵本がまったくダメだということは言っていません。集団の場での読み聞かせには相応しくないことを、学校でボランティアに関わる大人たちに知ってほしいと思ったのです。いじめだって、今に始まったことではなく、人類の歴史の中で虐げられていった人々は数限りなく存在し、子どもたちにそういう理不尽なことがあるということを伝えることも、必要なことでしょう。

しかし、それをどう伝えるか・・・それが重要なのです。

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ) [ハードカバー]
著者:大塚 勇三
出版:福音館書店
(1967-10-01)

我が家の長男(もう社会人です)が幼稚園年中の時に、何度も何度も幼稚園の図書室から借りてきていた絵本に赤羽末吉さんの絵による『スーホの白い馬』があります。この物語は小学校2年生の国語教科書にも取り入れられており、多くの方がご存知だと思います。

私はこの本は、赤羽さんの絵が力強く、名作だということも知っていましたが、小学生になってから読んであげればいいと判断し、自宅の書架には置いてなかったのです。
しかし、幼稚園児が借りてくるには地味なこの絵本を、長男はほんとうに何度も何度も繰り返し借りてきたのでした。そして毎回、読むたびにスーホが大事にいている白馬を領主が取り上げてしまう場面では、顔を真っ赤にして義憤の表情をし、白馬がスーホの元へ矢を射られながらも帰ってくるシーンで泣き、そして馬頭琴の音が草原を渡っていくシーンでは、その怒りをおさめてほっとした表情になるのでした。

先日、話題にした絵本とどこがどう違うのか、『スーホの白い馬』だって理不尽で、大切なものを奪われ死んでしまうのだから子ども達に読むのに相応しくないのではないか、と思うでしょう。

答えは全く次元が違うということです。
スーホの白い馬は、理不尽に奪われるのですが自分を愛してくれたスーホの元に痛手を負った身で戻ってくるのです。まずそこで子どもたちはスーホと白い馬との間にある強い絆を感じることが出来ます。そして、看病の甲斐なく亡くなってしまうシーンではスーホの心に寄り添いながら喪失の悲しみを理解し、白い馬が夢に現れ「自分の骨を使って馬頭琴を作るように」と伝え、スーホが心を込めて馬頭琴を作る場面で、喪失の悲しみを受容し、そこから再生される新しい生命(ここでは草原を渡る美しい馬頭琴の音色)のあることを、そしてそれを通して喪失の悲しみが癒され、希望を生み出すことを、静かな言葉と絵とで、子どもたちの心の奥底に静かに静かに伝えているからなのです。

だからこそ、40年以上読み継がれ、多くの子ども達に感動を与えてきたのです。

もう1冊、絵本で「いじめ」を扱い、世に問題提起をしてきた名作といわれるものに『はせがわくん、きらいや』があります。
はせがわくんきらいやはせがわくんきらいや [大型本]
著者:長谷川 集平
出版:復刊ドットコム
(2003-07-01)
私はこの絵本を1976年初版のすばる書房のものを絵本を学んでいた学生時代に読みました。
私と同世代の子ども達が被害者となった「森永ヒ素ミルク事件」で、障害を持ってしまった「はせがわくん」を、子どもらしい視点で乱暴でぶっきらぼうなことばで「はせがくん、きらいや」と悪しざまに言うのですが、でも長谷川くんの身の上を知って、長谷川くんをはじき出すことはせず、みんなは長谷川くんに寄り添い、その障害を共に背負おうとしていくのです。

この絵本が先日指摘した絵本と徹底的に違うのは、突き放すことなく、最後まで寄り添うということなのです。ひこ田中さんの書評から引用すると・・・
この絵本がきっぱりと拒否しているものは「同情」である。この世の中に大いに幅をきかせているあの「あわれみ」という人間対応の在り方である。「かわいそうやね」とか「大変ですわね」という言葉にひそむそれとは裏腹な「健常者」の自己満足ないし安心感。他人の不幸に哀悼の意を表しながら、じぶんがそうでなかったことに胸をなでおろす発想。そうしたしらじらしい人間の在り方に、この絵本は痛烈な一撃を加える。大切なのは「おかわいそうに」と同情することではない。たとえ「大きらいや」と率直にじぶんの気持をのべてもいい。その相手をじぶんとおなじ人間として受けとめることである。これは、身分・立場・年齢・経験・貧富・知識の多少、その他一切の「人為的価値観」をこえることである。否定するといってもいい。格差ある発想で人間関係を組むのではなく、人間関係をそうした「優劣の発想」から解きはなつことである。「ぼく」や「ぼくら」はまさにそのことを具現している。それだけではない。「ぼく」のいう「大だいだいだいだあいきらい」という言葉こそ、「はせがわくん」のハンディキャップをじぶんのこととして受けとめている血のかよった言葉なのだ。なぜな ら、この言葉は、「はせがわくん」に関わる「ぼく」の行動を美化することを拒否し、ひとりの当り前の人間として、当然のことをしていることを示しているからだ。相手をじぶんと対等に受け入れた時、「よそいき」の言葉は死ぬ。じぶんの気持をそのまま相手に差し出す。「ぼく」はそれほど「はせがわくん」に関わっているのだ。
 はじめに、この絵本をひとつの衝撃という言葉で規定したが、それは、この絵本の右のような深い配慮に根ざしている。つまり、絵本でこれだけ人間の在り方が表現できるということである。それを長谷川集平がやってのけたということである。
 こうした絵本が日本の絵本の世界にかつてあっただろうか。「やさしさ」を表現したものはそれまでにもあっただろうが、「やさしさ」をこれほど掘りさげて表現したものはなかったのではなかろうか。『はせがわくんきらいや』から一年たって、第二作『とんぼとりの日々』がでた。簡潔な線描のこの絵本もまた、きわめて深い洞察にみちていた。「とんぼとり」という子どもの日常的生活を描きながら、どきりとするほど重い問題をわたしたちに示した。子どもでありながら、すでに大人の生活のきびしさを知ってしまった転校生。そうした人生のきびしさを理解できない「ぼく」のとんぼに対する「感傷」。その「感傷」が時には生命をもうばいとる残酷な加害性をひそめていることを、この絵本はおどろくほどさりげなく表現してみせた。最後の場面を見終った時、思わずもれる溜息は、わたしたち読者の「やさしさ」の虚構性を打ちくだく。生命の重みが、とんぼの姿をして地面に落ちていくのを感じる。
 絵本でどれだけのことができるかといったが、これだけのことができるのである。長谷川集平は、この二冊の絵本で、ひとつの turning point をつくった。この絵本を抜きにして現代の絵本を語ることはモグリに等しい。さりげなく、やさしく、しかも胸深く……というのが、わたしの受けた衝撃の内容である。」
「ひこ田中・児童文学書評」より

そうなのです。この『はせがわくん きらいや」に流れているものは、弱者に寄り添い、受容していく覚悟なのです。だから「いじめ」を扱っているようでして、真逆。真摯な作者の思いを私たちは受け取ることができるのです。

先日、私が問題にした作品は、作者本人が「アイロニーをテーマにした」と述べている通り(絵本ナビで本人の弁を聴くことができます)、読み手は高みの見物者でしかなく、長谷川集平氏の同情やあわれみを徹底的に排した視点とは違っているのです。(アイロニーという哲学用語の使い方も間違っています)

そして「スーホ・・・」のような再生への希望は本の中に描かれていません。家庭で読む場合は、読み手は突き放されたその思いを親子で語り合うことで、補い、親との関係性の中で癒され、尽くして命を落としたかえるの尊い行いを自分の心の中にストンと腑に落とすことができます。

しかし集団での読み聞かせでは、その「ストン」と腑に落ちる作業をすることができない。だから「集団での読み聞かせには向かない」と、危惧し警鐘を鳴らしたのです。

ところが一部の熱狂的なファンの方々の間では「いじめを扱っている絵本なんでいくらでもあるのに」「『うらしまたろう』の亀だっていじめられているのに」・・・と、論点がすり替えられ、私が作者の名誉を棄損しているのではないかという意見もあるようです。決してそうではないのです。親子で読むのであれば、このかえるの行動について話し合い、子どもたちにきちんとその行為の意味を伝えることができる・・・

あくまでも集団の場で、学校といういじめの起きやすい場所で読まないで、と言っているのです。

さて、では昔話の中でのいじめはどうなのかという意見。これは昔話のテーマです。虐げられてきた庶民が、口承によって権力者や力あるものに、知恵や心の素直さを用いて対抗していく・・・いじめられているものは、かならず最後には報われていきます。理不尽に権力をふるうもの、力任せに抑圧をする者たちは最後には敗北していきます。しかしその死の扱いはさらりとしています。子どもたちは昔話を繰り返し聞くことによって、抑圧からの解放というカタルシス(心の中に渦巻くさまざまな負の感情が、昇華し、心が解放されて、癒されいくこと。より高い精神ステージへと変えられていくこと)を経験するのです。だから世界中のあらゆる地域に昔話が存在するのです。
『うらしまたろう』の亀も、たろうによって助けられるのです。
うらしまたろう (日本傑作絵本シリーズ)うらしまたろう (日本傑作絵本シリーズ) [単行本]
著者:時田 史郎
出版:福音館書店
(1974-03-25)

私たちの世界はたしかに善意にばかり満ち溢れてはいません。むしろ理不尽なことが多い。だからこそ、子どもたちが7歳になるくらいまでは、直接的な死ではなく、この世界が希望に満ちていること、生まれてきてよかったんだよ、というメッセージをまずは伝えてほしいと思うのです。

最近、読み返した1冊の本は、V.E.フランクルの『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』
夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録
夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 [単行本]
著者:V.E.フランクル
出版:みすず書房
(1985-01-22)
人類史上、決して私たちが目をそらしてはならないナチス時代のアウシュヴィッツで行われたひどい集団殺人・・・その事実の前に身体が引き裂かれそうな心の痛みを感じるのですが、その中に人間の尊厳、フランクルが最後まで学問への愛を失わなかったこと、精神の高さと人間の善意、そして希望を失わない信仰心について読み取ることができ、それに圧倒され、涙を流しながらも読み終わった時には、癒されているのです。

YA世代に向かう子ども達には、どんな絶望の深き淵にいても、人間は立ち上がることができる存在であるということを、きちんと伝えていきたいと思います。

指宿・・・初鹿児島でした♪

6月16日(日)〜17日(月) 

図書館問題研究会の全国大会が指宿で!FBで親しくさせていただいている図書館関係の方々の情報でそのことを知ったのは4月・・・

指宿かあ〜NPO法人が指定管理者として運営をしている指宿図書館のことは本を読んでいたし、館長のSさんとは図書館関係の方々の集まりなどでお目にかかっていて、行ってみたいな〜とは思っていました。

でも、鹿児島、遠いなぁ・・・しかも土曜日は予定がぎっしり。その上火曜日には会議があるから月曜日の内に戻らなくちゃいけないし・・・どうしようかな、たぶん無理だなと思っていたところへ、指宿館長のSさんから直々メッセージをいただきました。5月の半ばのこと・・・5月に視察した武雄図書館について話し合う分科会もあるしなぁと。

そこから飛行機の予約。空席ないかと思ったら意外にもすぐにクラスJが往復とも取れました。

17日の月曜日だけ有給休暇をいただくことにして、指宿へ・・・福岡で大学生活を送っているのに・・・実は鹿児島へは行ったことがなかったのです。(宮崎へも熊本へも、鹿児島県境近くまでは行っているのですが・・・)

さて、16日は朝から大雨・・・8時15分鹿児島行の飛行機に乗るためには、6時半には阿佐ヶ谷を出ていないと間に合わない・・・(さくらラウンジで一休みする時間も含め^^)

雨でなければ自転車で10分もかからない駅までの道のりも、この雨では・・・しかも日曜日の朝はバスもまだ動いてない・・・早めに着いてラウンジでゆっくりしようと思うのに、5時50分にタクシーコールするも、30分待ち〜
ううう・・・ぎりぎりじゃん!別のタクシー会社に電話すると、そちらは20分で行きます!と。なんとか、6時半前には駅へ到着。総武線→山手線→モノレールで羽田へ・・・

羽田それでも羽田で15分ほど、ラウンジでモーニングコーヒータイム。
JAL
乗り込んだ席は、クラスJなのにファーストクラス。機材の都合なんだそうです・・・すっごく得した気分♪

鹿児島空港までは1時間50分のフライトで10時5分着。
ところが・・・指宿行の空港バスは11時10分までない・・・
1時間近く空港内で時間を潰すことに・・・
鹿児島空港6鹿児島空港2
羽田までは大雨だったのが・・・
鹿児島は雲は厚いものの、降ってはおらず・・・しかも気温がうんと高い。東京は雨でひんやりしていたので、びっくり。



鹿児島空港朝ご飯がラウンジでのトマトジュースと珈琲だけだったので、思わず甘いものに手が出てしまいました。

トロピカルフルーツのパンケーキ。

ゆっくり食べて時間を潰しました・・・いつも分刻みの移動に慣れていると、こののんびり感はなんともいえないなぁ・・・

さて、空港バスに乗って目指す指宿へ・・・1時間35分のバス旅。

九州自動車道で加治木ICへ。もうその辺りから錦江湾に浮かぶ桜島がバス左手に見えて来て・・・それがずっと指宿ずっと指宿まで続くのでした。

まさに桜島は薩摩の人の心の拠り所なんだろうなと思った次第。

我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし 桜島山  平野國臣

薩摩半島を、姶良、鹿児島と湾奥から南下していくのですが、左手に桜島の雄姿と錦江湾の青い海を見ながら、そして高齢化・過疎化を感じる町並が続いていくのでした。指宿2

桜島4←指宿に南下する道すがらずっと桜島が見えていました。

海沿いには、低い家々が・・・漁師の家かなぁ
見かけるのは高齢者が多かったです。

桜島5


指宿市内に入った時には・・・遠くまで来たなぁという印象。町の中心部も人はまばらでベイテラス東京から来ると随分静かな町だという印象でした。


←ベイテラスから、指宿市内を臨む



指宿6指宿5
←指宿駅前  →駅前の目抜き通り
           




ベイテラス3そこからさらに宿のシャトルバスで、指宿ベイテラスへ。市内を抜けていくのですが、すご〜く遠かったです。到着したそこは指宿市内を見下ろせる山の上にあり、反対側は開聞岳が見える絶好のロケーション。巨大な施設はもともとは年金福祉事業団のグリーンピアだったとのこと。広大な敷地にプールやスポーツ施設が散在しているのですが、今はまったく使われていないようでした。
ベイテラス9

ベイテラス6今は、同じ建物の2階部分が「がん粒子線治療研究センター」になっているとのこと。建物は大きな吹き抜けがあり、空間の使い方が贅沢というか無駄というべきか・・・とにかくそのために会場移動や大浴場への移動の動線がすこぶる悪いのでした^^;


お部屋は和室で横浜からいらした横浜市立図書館の司書さんと、新宿区の別会社が受託している図書館の司書さんと同室になりました。たったひとりで乗り込んだ図問研全国大会だったのですが、同室の彼女たちの存在はとても心強かったです。

分科会の様子は、こちらへ書いた通り→喪くしたものは・・・

ibusuki3一日目の懇親会では、指宿市立図書館館長や鹿児島支部の方々のきめ細やかな演出でほんとうに楽しい夜となりました。奄美大島の島歌に合わせて皆踊りだしたり。楽しい時間でした。ibusuki2


←島唄  →みんな踊っています♪



ibusuki4
→指宿図書館長Sさんの手作りケーキ♪美味でした☆

翌日の午後3時10分のシャトルバスが、宿から市内に戻る最終バス。分科会は5時まであるのですが、これに乗らないと夕方7時すぎの飛行機に間に合いません。泣く泣く分科会の最中に会場を去ることになりました。

ベイテラス8

←ベイテラスの吹き抜けの中心には、少し怪しげな?瞑想のコーナーが!




開聞岳2開聞岳1
←部屋から見えた開聞岳
  すぐに雲がかかってしまうので、なかなか姿がすべて見えない^^;




指宿図書館指宿12←指宿図書館!月曜日は閉館してました。
 駅のすぐ西側の広い通りに面しています。

ほんとうに人が通ってなくてびっくりでした。しばらくすると学校帰りの子どもたちが・・・



指宿10
指宿駅へ到着して、鹿児島空港行きへのバスの発車までに50分!鹿児島空港に到着して飛行機が飛び立つまで、また1時間・・・というように、とにかく交通機関の連絡の悪さを改めて感じ、普段一本電車を逃しても2,3分待てば次が来るというような生活に慣れてしまっている自分を振り返りました。
指宿13
←駅でバスを待っている50分の間に指宿図書館へ行って、それから待合室でイッシーマークの紫いもアイス♪指宿14


→ 駅前広場。青空〜♪

指宿15
←駅前広場にある足湯♪


自分自身が生まれ育った山口県でも、指宿とまではいかないまでも電車もバスも20分おきくらい。自動車が生活の中心でした。両親が引退後に住んだ岡山県の牛窓というところも、東京から岡山へは新幹線で3時間半。でもそこからローカル線とバスを乗り継いでいくと、距離は短いのに東京から岡山に行くくらいかかっていました。

桜島4
この旅を通して感じたのは、田舎暮らしをするには忍耐強さがいるということと、時間の流れ方、捉え方が全然違うってことでした。今はすっかり東京の分刻みの生活に慣れてしまっていますが、ほんとうのところそれが人間らしい生活かと思うと、やっぱり不自然なのではないかしら・・・と。

バスや飛行機を待つ間の、無駄と思える時間が実にのんびりとゆったりと流れていて、むしろ心地よかったといってもいいのでした。

道中、見かけた寂れて廃れていく家々を見ながら・・・東京に、あるいは都会に人は集まり過ぎているよな・・・と、もっと人が地方に分散して住むことができれば、都会の狭くて猫の額ほどしかない庭の家や、海外からの旅行客が「ウサギ小屋」と揶揄するような狭いマンションに住むなんてことをしないで、ゆったりと空間を使って生活できるのに・・・と思います。そうすれば、地域の活性化にも繋がるのになぁと思いつつも、私自身が都会の知的刺激を求めてしまっていることとの矛盾を、逡巡したのでした。

それは両親を岡山から呼び寄せるときに感じた逡巡でもあり、なかなか個人では答えがでない問題なのかもしれません。

雄大な鹿児島の風景・・・温泉、そして食べ物。新しい出会い(特に武雄で学習会を続けておられる方々)もあり、思いきって指宿へ行って良かったと思ったのでした。

帰りのフライトもファーストクラスシート。鹿児島弾丸ツアーもお陰であまり疲れることなく帰ってくることができました♪
鹿児島空港4鹿児島空港2
←さくらラウンジで、ビールとかつおせんべい^^


→帰りもファーストクラスシート。クラスJなんですけど〜助かりました☆

小学校で読み聞かせをする人へ・・・

家庭で子どもに絵本を読んであげるのは、どんな本だっていいのです。

なによりその時間、子どもに向き合い、一緒に楽しさを共有できるからなのです。その時間は、子どもたちの思春期を支える力になります。だから、どんな本を読むかではなく、どれだけ一緒に楽しんだかが大事♪

でも、前回ブログに書いたように集団での読み聞かせって、すごく注意が必要なのです。

「じゃあ、何を読めばいいのよ!」という方にぜひお薦めしたい本です。
小学校での読み聞かせガイドブック―朝の15分のために小学校での読み聞かせガイドブック―朝の15分のために [単行本]
著者:湯沢朱実
出版:プランニング遊
(2012-05)
 
杉並区などで子どもと本に関わる活動を長く続けてこられた湯沢先生をはじめ、学校司書経験者の方が執筆しています。またこのグループは杉並の学校図書館ボランティア養成の講座や、学校司書の研修で講師陣を務めています。(こぐま社からの「子どもに読んであげる・・・」シリーズの翻訳者でもあります)

1年生から6年生まで・・・一年間のプログラムが、絵本の書影とともに紹介されています。

コラムで、学校で読み聞かせをすることの意義や、注意すべきことなどがわかりやすく書かれていて、おすすめです。ぜひぜひ、この本を活用して、子どもたちに楽しい時間を提供してあげてほしいと思います。

そしてジャンクフードではなく「よい本」をたくさん読んでもらった子は、きちんと自分で読める力を身につけていきます。ジャンクフード絵本にしか出会ってない子は、自分で読む・・・というところへ繋がりにくいことが24年の文庫活動で見えてきています。ぜひ、集団での読み聞かせには選び抜いた本を・・・とお願いしたいです。子どもたちのために・・・

私の絵本への思いはこちらに→絵本っ

 

ある違和感・・・

ある絵本に対して非常に違和感を感じています・・・

しかもこの絵本が、一部のメディアで評価をされているとのこと。

いつもは「ドッカーン!ドッカーン」とバカ受けすることを狙った絵本を作っているある売れっ子作家の作品で、なんとテーマは「アイロニー」だということ。

アイロニーの意味を辞書で引いてみました。・・・アイロニー(英語:Irony、ドイツ語:Ironie)とも表記されるこの言葉の語源は、ギリシア語のエイローネイアειρωνεία「虚偽、仮面」である[1]。語源から明らかなようにイロニーは表面的な立ち振る舞いによって本質を隠すという事を意味する。


その作品というのは『むらをすくったかえる』
むらをすくったかえる
むらをすくったかえる [単行本]

塚本さんの表紙の絵が素晴らしく、とても力強い意思を感じるかえる。期待をもって手にしました・・・しかし読み終えて、心がざわざわしてしまったのです。これで泣けるって?小学校の読み聞かせに使ってるって?

よくよく読んでください・・・
これっていじめを受けている子が、そのクラスにいたとしたらどんなメッセージを送っていることになるか・・・

いじめられても、とにかく村の人々に報われなくても・・・村の人々の役に立とうと雨乞いの歌を歌い続けるかえる。美談に聞こえるでしょう・・・いじめる側の視点からは。

いじめられる子の立場になってみたら、こんなに救われない絵本はありません。あなたが死んだ後でしか、周囲の人はあなたの良さに気が付かないのよ・・・それでもあなたは人の役に立っているのだから逃げないで、そこで無駄死にになってもいいから尽くしなさい・・・そういうメッセージに聞こえるのです。子どもたち、強者の立場にいるものは、「そうなんだ〜かわいそうに」という気持ちを抱くかもしれません。

でもでも・・・いじめられている立場の子が集団の場でこの絵本を読み聞かせられたら、救いがありません。

絵本は個人的な嗜好のものですから、親が選んで、家で読んであげる分には、親の責任できちんと我が子の心に向き合うことができます。しかし学校などの集団に向けて読むのは、選書に留意する必要があると思います。

この絵本に関して多くの方が手放しで「泣ける絵本」「感動した」と感想を書いているのを見かけます。そしてその浅い読みに、危惧を感じるのです。

子どもに本を読む、選ぶってことは、とても責任が要ると思っています。特に学校などでボランティアで読む場合には・・・

そこへ、作家の言う「アイロニー」ということばを重ねてみると・・・まさに表面的に感動的なはなしであるものの、実は今日的ないじめの問題と、当事者以外はそれを傍観する大多数の者との関係性が見え隠れしてくるのです。これぞまさにアイロニー。

そしてこの絵本は、救いのないまま突き放すのです・・・

『わたしはあかねこ』という絵本が、個性を大切にすること、自分らしく生きていいのよというメッセージを送りつつも、家出をしたまま親との和解のないまま終わってしまうというのと同じような、救いのなさともまた違った意味で・・・

 

豆本ブレンド2へ

6月9日(日) 午後

小岩図書館での万葉集の講演会に参加した後、そのまま総武線で都内を横切り、吉祥寺まで・・・

吉祥寺のギャラリー「ビタミンTee」で開催中の「まめほんchor 第2回 豆本ブレンド2」を見て来ました。

twitter大人絵本会でご一緒している五十嵐彪太さんが豆本展に出しているというので、行ってきました♪

どんなに言葉を尽くしてもわからないので画像をどうぞ♪クリックすると大きくなります

豆本2豆本1比較のために、目薬を一緒に置いています。

どれだけ小さいか、わかるでしょ^^

そしてこの小さな絵本は1冊、1冊丁寧に製本してあるのです・・・そのうえ、物語もきちんと^0^

これらの豆本が、珈琲豆の袋にぎゅっと♪詰め込まれて・・・その丁寧な手仕事に敬意を表して、一袋買ってきました☆
豆本3
 素敵な素敵な豆本に出会えて幸せでした♪


日記の日付が前後してしまっています!武雄図書館のことは、早く伝えたくて先に記事にしました。指宿での図問研全国大会のことも書きたいけれど・・・時間がなかなかとれない〜まず先に抜け落ちていた豆本のことを書きました☆
 
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