みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて28年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。保育士養成の場で仕事をしたこともありますが、今は図書館にかかわる仕事をしています。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪

2017年03月

夫婦ともに…介護の日々2

3月14日(火)20170311クレヨンハウス

世はホワイトデーの今日。父の病院での診察と、母の病院(急性期の病院から、無事に区内のリハビリ専門病院へ転院できました)へのお見舞いで行ったり来たりの一日でした。

そして父も入院することが決まりました。今はベッドが空いてないということで、空き次第入院することになります。

父を母が入院してからの最初の1週間は千葉の兄のところに預かってもらっていたのですが、うちに戻って来てからの1週間は、私が仕事で出かけている日中は寝ているばかりで、配食サービスのお弁当にも手をつけないことが続いていました。そんな調子なのでかかりつけ医に相談すると、総合病院の受診を勧められ、有給休暇をいただいて病院に付き添いました。

食欲不振からくる体調不良なので、入院して体調を整えましょうとのこと。直接の原因は、運動不足と食欲不振から来る頑固な便秘による腹部膨満感とわき腹の疼痛。

ここ数年、運動量が減って、便秘気味だった父。一昨年夏に、脱水症状で緊急搬送されたころから食欲ががたんと減り、また食べられるものが偏っていることに私の子どもたちも危惧し、いろんな対策を取ってきました。

母が料理をするのが億劫になっていることを考えて、それ以降朝食は私が作って出ることにし、夕食も温めるだけでよい状態のものを作って冷蔵庫に入れていくようにしました。当時はお昼は自分たちで散歩がてら買い物に出かけて好きなお惣菜を買ってくると言っていたのですが、昨年夏にアメリカから一時帰国していた息子から、その内容の偏りを指摘されて(ほとんど毎日コロッケしか食べてなかった〜)、それ以降はお昼は高齢者向け配食サービスをお願いしていました。

またメイバランスという栄養補助食品も1か月分を定期購入し、なんとか 栄養状況の改善に努めてきたのですが、父の頑固な便秘は治らず、夜中になると腹痛を訴えることが続いて心配していました。

腹部レントゲンの結果、宿便が大腸に溜まっていることもわかり、入院して、腸の動きも含めて整えていくことになったのです。

日中の父の様子が心配でしたが、これでひとまずは安心しました。 

実は、先週半ばに父の介護認定区分変更のための調査がありました。調査員の前では元気にふるまい、椅子から立ったり座ったりを張り切ってやるので、要支援から要介護にはならないだろうと言われて、日中の父のために自費でのホームヘルパーさんを雇おうかと検討を始めていたところでした。

今日の午後、父を連れて母のところへ行ったところ 、母が父のことを自分のこと以上に心配していて、父の入院のことを聞いて、逆に喜んでくれました。
母もずっと父が便秘が治らないこと、それが原因で食欲がないことを心配していました。

自分はまだ完全には座ることができないのに、「これで、一番心配していた腸の調子を整えられるね。ちゃんと治して元気になるのよ」と、自分のことよりも父のことを心配する母。 母の手を握って、「入院したらお見舞いに来てやれない。すまんな。」と言い続ける父。

93歳と90歳になってもお互いを思いやり、それを口に出す二人をみていいなあと思いました。

ここにきて、両親が二人とも入院という考えてもみなかった事態になって、なにかと気忙しいのですが、母が「すべて天にお任せしましょう。空の鳥をみよ、野の花をみよって聖書にも書かれてるでしょう。心配しないで。大丈夫。私も頑張って治すから、あなたも元気になるのよ」と、泰然としている様子に、今までの母へのイメージが変わるくらい頼もしく感じています。

今日、母の入院先からの帰りに乗ったタクシーの運転手さんが、私と父との会話から「いいですね〜親孝行できて。自分は両親とも早く亡くしてしまい、親孝行しようと思っても出来ないんですよ。」と声をかけてくださいました。

そうだね、まだまだ二人に笑顔でいてほしいから、出来る限りのことをしようと思います。

 

奇跡のようなタイミング…苗場ユーミンコンサート

2月18日(土)〜19日(日) @苗場プリンスホテル20170218ユーミン3

今、思い返すとよく行って来られたと思います。翌週の日曜日に母が階段転落した時間はちょうど苗場を出発した時間帯。一週間違うだけで、まるで天国と地獄。

現在93歳と90歳の両親を、2008年の3月に岡山から呼び寄せて丸9年。二人が揃って元気だからこそ、いろんなイベントに参加したり、旅行に行ったり出来たんだな…としみじみ感じます。

私は26歳で夫に嫁いで両親の家を出ています。当時父からは、夫が一人っ子だったため「婚家の嫁としてご両親に娘のように可愛がってもらいなさい、普通の人は嫌なことがあったら実家へ帰ってこいというだろうが、儂はそんなことは言わない。帰って来るな。向こうのご両親に仕えなさい」と、かなり古風なことを言われて家を出ており、まさか両親の老後を私が見るなんて思ってもいなかったのです。

でも、父が85歳で運転免許を返上することになり、車がないと生活できない岡山の田舎では生活が難しいとわかったとき、夫が「呼び寄せよう」と判断し動いてくれました。長兄は14年前に早世しているし、東南アジアを拠点に宣教師活動をしている次兄も難しい、広島にいる弟もまだ幼い子どもたちがいて難しい(呼び寄せた当時)となり、義父母の看護と看取りをした私への恩返しとして、夫が言い出してくれたのでした。

この9年は、年齢以上に元気な両親に逆に助けられていました。2年前に夫が亡くなった時も、両親の存在が支えになりました。しかし前回、ブログ記事にしたように、いよいよ介護生活が始まります。

兄弟も、私の子どもたちも、私一人が犠牲にならないように、自分の好きなことをする時間は確保しないとストレスが溜まって私自身が壊れてしまうからと気遣ってくれて、お金で解決できることは外部のサービスを頼むことに同意してくれました。

だから、これからも都合をつけて、コンサートなどのお出かけもするとは思いますが、当然今までよりはうんと制約を受けることになるでしょう。母がけがをする1週間前がユーミンの苗場コンサートだったというのも、今になると奇跡に思えてならないのです。

前回のユーミンの「SURF AND SNOW IN NAEBA」は2013年のこと。(→こちら
20170218ユーミン
今回は長女と一緒に参加しました。前回は、新幹線で越後湯沢を経由して苗場に入りましたが、今回は朝11時に新宿センタービル前を出発するバスツアーにしました。

15時前に到着して15時チェックイン。早速、ゲレンデに出て滑りました。長女はスノーボード、私はスキーでしかも技術に差があるので、17時半に待ち合わ2017-218苗場せをして、それぞれのペースで滑りました。私は4年前、ここ苗場で膝を捻挫しているので、とにかく無理をせず初級者コースを馴らしました。
20170218苗場2
温泉に入って身体をあたためて、夕食をイーストエンドで食べて、飲んでいるうちにゲレンデ花火の時間に!(20時45分)

レストランのガラス越しでは見えにくくて、外へ出たのはいいけれど、氷点下5度の気温にそんなに長くはいられませんでした。でもすごく綺麗でした。

21時過ぎにコンサート会場のブリザーディウムへ。なんと4列目69番。ステージに向かって真ん中から右寄りの席。4列目とはいえ、ステージの左右は少し前にせり出しているため、実際にはこの番号辺りは前から2列目。

ちょうどコーラス隊が目の前に(2,3メートルしか離れていない)、そしてユーミンも右へ寄ってくれば、目の前でその姿が見られるというポジション。前回が18列目だったことを考えると、まさに夢のようでした。20170218ユーミン4

2月18日のセットリスト→こちら

ユーミンが朝日新聞夕刊に連載している「Yumined Yuming 瞬間の切り詩」の6回目にこんなことを書いています。

「人には転機がある。時に、過去と別れ、時に、過去に助けられながらも、もうダメだと思っても、転機が訪れて人生は続く。(中略)今も、転機を迎えているように思う。続けることは変化していくこと。肉体は変化する。アスリートは引退があるけれど、アーティストにはない。最近、大事なミュージシャンや親友が次々に亡くなって、先に進んでいけるのかと思う時もある。変化には不安がつきもの。そして、不安を乗り越えるには、退路を断つしかない。「SURF & SNOW in NAEBA」コンサート中に20170218ユーミン2プレゼントされたロックバンド、U2のライブ映像は刺激的だった。人権や宗教紛争などに関する世界的な運動に身を投じながらも、音の中に生きる彼らを見て、自分がものすごく小さく思えた。精力的なイメージの強い80年代と今の私は違う。あの頃のイメージを相変わらず求められることにプレッシャーを感じることもある。でも、映像を見ていて、これぐらい、請け負えなくてどうするんだって思った。体が利く限り、私は歌う。踊る。お客様を元気にさせて、それぞれが何かに身を投じようと一歩前に進む時の後押しをする。それが私の仕事だ。」

今回のコンサートの終盤は、昨年亡くなったバックバンドのギタリスト中川雅也さんを偲んでの楽曲が続きました。大切な仲間の死を思い、その面影を追う・・・今まで単なる男女の別れの歌だと聞いていた曲が、こういう永遠の別れをも意味しているんだなってユーミンの歌を味わっていて感じました。

長女とふたり、ユーミンの歌を聴きながら号泣。そしてコンサートが終わった後は、ユーミンの新聞記事にあったように、勇気づけられて前に進む後押しをしてもらったように感じました。

前回は、コンサート終了後にカクテルラウン ジシャトレーヌへ行って、深夜のゲレンデを見ながらカクテルを飲んだんだけど、今回は前方の列だったこともあって、会場からなかなか出られず…満席となっててそれは叶わず。残念でしたが、部屋に戻って早めに寝ることに!(といってもコンサートが終わった時には真夜中過ぎていましたが)

20170219苗場翌日は、サプライズがありました。3年前まで一緒に小さい子のためのおはなし会をしていた地元のママ友月夜さん(HN)が、昨夜遅く苗場に到着したというラインをもらい、ゲレンデで合流!彼女はスキーの腕前はうんと上。1回だけ同じ初級者コースを一緒に滑り降りました。20170219苗場2

こんなところで、ばったり会えるなんて!小学生のころの姿が目に焼き付いたままだった息子くんにも再会。身長も伸びてかっこいい好青年になっていました。ママを守るナイトに見えるね。

9時過ぎから14時までたっぷり滑って、着替えてランチ。生ビールが美味しかった♡

温泉に入って荷造りして、16時にバスで苗場を出発。帰りは関越道の渋滞で新宿に到着したのが22時近くになっていました。バス移動は疲れたけれど、ユーミンにパワーをもらって幸せでした。

次、いつ行けるかなぁ・・・行くとしたらやっぱり新幹線のほうがいいや!・・・また、苗場へ行ける日がくると信じて、母の介護に全力を尽くします。今日、急性期の病院から、区内のリハビリ専門病院への転院日も今週土曜日の11日に決まりました。手厚いケアをしてもらえるところです。少し肩の荷がおりそうです。


 

その日は突然に…介護の日々

3月5日、今日は啓蟄。虫たちが大地から顔をのぞかせたくなるような、まさに春がそこまで来ていると感じるような暖かい一日でした。早春の穏やかな陽射しの中、しみじみとこの1週間を振り返っていました。それは突然始まった母の介護の日々です。

img21625659先週の日曜日、2月26日の3時半過ぎに90歳の母が、自宅2階の居室から階下へおやつを取りに降りて来ようとして階段を踏み外して数段転落。階下のダイニングにいた私はすごい物音でびっくりして、廊下に飛び出ると、母が頭から血を流してうずくまっていました。

リビングにいた長男が転落するところを目撃。身体が回転するように落ちて来て、手すりに頭を強打したようだということ。私は4時にエステを予約していて出かけようとしていた矢先で軽くパニックに。(まず予約キャンセルしなきゃと動いてしまって・・・)


長男に「母さん、まず止血!」と言われるまでおろおろしてしまいました。その間、すぐに長男が救急車を呼んでくれました。母は当初は軽い脳震盪を起こしていたのでしょう。少しぼんやりとしていたので、母の生命の危機を感じました。

消防隊の救急車は2,3分で到着。頭の傷は深くないものの、母が立ち上がろうとしても動けず、腰を支えようとすると激しい痛みが走るようで、とにかくすぐに診てもらえる休日診療医へと一次搬送。到着したのが4時半過ぎ。ここで頭部と腰〜足のレントゲン写真とCTスキャン検査をしていただきました。その結果、頭部の傷は浅く、脳挫傷の危険はないが、骨盤が折れているとのこと。しかし整形外科の専門医がいないのでそれ以上の詳しい診断は出来ないので、整形外科の専門医に行くようにと、救急車で二次搬送されました。整形外科に到着した時は6時を回っていました。

整形外科専門医で、一時搬送先で撮った画像を解析していただくと、骨盤骨折は左側の腸骨と座骨がぱっかりと折れ、しかも腸骨の一部が内臓を圧迫、腹腔に出血していて血だまりになっているとのこと。このまま出血が増えるようだと、ショック症状が起きるので、うちでは手術は出来ない。なので高度救命医療の出来るところへ行くようにと言われ、三次搬送されることに・・・この時点で7時を10分ほど過ぎていました。

最初の搬送と、二次搬送の際、母は救急車が道路のちょっとした段差を通過するにも痛がって悲鳴をあげていたのですが、二次搬送先の整形外科医に「固定しなきゃ、そりゃ痛かったでしょう」と、腰と大腿部をバスタオルや三角巾でストレッチャーに固定してくださいました。おかげで三次搬送中は、悲鳴をあげることはありませんでした。

赤十字病院の救急救命センターに到着したのが7時45分過ぎ。最初の段階でなんで救命センターへダイレクトに搬送してくれないんだろう?とも思いましたが、救急隊員に外部から母の状況を見てそれを判断しろと言うのも無理な話。ただやっぱり母が転落して4時間というのは、母もしんどかっただろうなぁ・・・。93歳の父も一緒に救急車に乗って来て、お昼ご飯のあと、何も口にしていない状況で、かなり疲弊していました。

長男が車で迎えに来てくれることになり、私の食料や飲み物、手術が真夜中になった場合、仮眠できるようにとブランケットや切れそうになっていた携帯電話の充電器なども持って来てもらいました。

8時45分過ぎに長男、到着。差し入れを受け取って、父を連れ帰ってもらいました。

その間、母は検査室に入ったまま、なかなか名前が呼ばれない・・・ひとりになった待合室で長男たち16996134_1263872890361645_6791870087568412645_nが差し入れてくれたサンドイッチや飲み物などで空腹を満たし、祈る思いで待っていました。検査結果の説明が行われたのが、9時45分。なんと、母が転落してから5時間後のことでした。→画像は長男からの差し入れとクマのぬいぐるみ型の充電器(長男の彼女のもの^^)そして私の大好物、金柑

腹腔の出血は今のところ、止まっていて、バイタルサインも安定している。骨盤骨折の部位が微妙だが今夜は緊急手術はしない。明日の朝、整形外科医でカンファレンスを行って手術するかどうかを決めるので、手術をするとしても明日以降とのこと。そのままHCUに入院することになり、入院手続きをしたら家族はお引き取りくださいとのこと。

その時点で11時を回っていました。そこから長男が再度迎えに来てくれて、帰り着いたのが午前0時を回ったころ。長い長い一日でした。

翌日2月27日(月)は、長女が休みをとって車で駆けつけてくれ、また千葉にいる兄も93歳の父を1週間預かってくれることになり車で来てくれました。(午前中は父の高血圧の薬をもらいがてら、父をかかりつけ医へ。それから父の1週間分の着替えなどを入れて荷造り)

午後から2台連ねて、母のお見舞いへ。母は点滴の管が繋がって、とてもしんどそう。前日から経口で水分を摂れず喉も乾いている様子ですがHCUなので家族が勝手に水を与えられず。

担当医から母の骨盤骨折の状況を説明してもらい、またカンファレンスの結果、1)90歳という高齢であるということ、2)腹腔出血が止まり、血腫も引いて来ている、の2点で手術はしないことに決まりました。それを聞いた時の母のホッとした表情が忘れられません。

その日の夜から、食事(最初の夜は全粥のみ)も摂れることになり、嬉しそうでした。

この日、病院のソーシャルワーカーと面談。赤十字救命センターHCUは、長期療養の病院ではなく急性期患者のためにあるので、1,2週間のうちに転院してもらうこと、転院先は母が自分で歩けるようになるためのリハビリに専念できる病院にすること、ソーシャルワーカーがあちこち転院先を探すけれど、家族の希望も出来る範囲で聞きますということでした。その時に提示された転院先は、自宅から少し遠いところでした。

翌日の2月28日(火)も私は休みを取り、午前中はまず両親の経済状況を調べて通帳記帳に走り回り、兄弟と入院費用のことや、その後の両親のケア(グループホーム入居するなどのケースも含めて)メッセンジャーで話し合いをしました。その後地域包括支援センターのケアマネと、母の転院先のこと、また退院してからの生活について話し合い、また私が勤務中にひとりで留守番をする父の日中のケアをどうするかについて話し合いました。

母の怪我を知った友人が連絡をくれて、区内にあるリハビリテーション病院がとても良いから、そこに決めてもらうように進言してくれていました。病院到着後、すぐにソーシャルワーカーに第一志望がこの病院であることを伝えました。一応、そこも聞いてくださることに!よかった。

3月1日(水)からは仕事に復帰。仕事帰りに病院へ通う生活が始まりました。
母は、このまま寝たきりになりたくないと強い意志を持っており、食事時にベッドを起こすだけでも骨盤に負担がかかって痛いのを我慢して食事も完食している模様。

逆に毎日通う私の体調を気遣ってくれて、「毎日来なくていいよ。一日置きにしたら」などと言ってくれる。ありがたいことです。

M18600061日は職場に置いていた母の手作りテディベア(父のコーデュロイのジャンバー生地と私が学生時代着ていたジャケットの生地で20年前に作ってくれたもの)を持って行きました。HCUは高度医療をするユニットなので、私物の持ち込みは厳しく禁じられています。とくにぬいぐるみはダニの発生の可能性もあるのですが、母がこのテディベアに話しかけて穏やかな表情になっているので、看護師チームの責任者の方から特別に許可しただきました。体位を変えたり、20170302テディベアオシメの取り換え、食事のためにベッドを起こし上げる度に、骨折した場所に力がかかり痛いそうですが、テディベアに話しかけながら我慢出来ているのです。まさに「ぬいぐるみ療法」ですね。

また3月2日の夜に行った時には、折り紙の折り雛を持って行きました。この折り雛は他の方々や、看護師さんたちに大好評でした。
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母は、とにかく寝たきりにはなりたくないそう・・・自分の足でいずれ歩けるようになると心に決めて、食事も残さず食べているそうです。3月3日の雛祭りの日には特別に三色ゼリーが出たといって、大喜びしていました。さすが食いしん坊の母。(転落した日も階下におやつを取りにくるところでした・・・)
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3月4日(土)には転院先の区内にあるリハビリテーション病院に入院打ち合わせに行ってきました。ここは1対1でケア担当者がついて、生活全般が出来るような支援があります。来週の3月半ばにはそちらへ転院できそうです。

土曜日の午後には、千葉に父を迎えに行って車で病院へ来てくれた長女、そしてたまたま日本を旅行中だったハワイ在住の甥っ子もお見舞いに来てくれました。母にとっては、嬉しいサプライズ。

今日3月5日は父を連れてバスと電車を乗り継いで病院へ。二人が自分たちの愛をたしかめあい、感謝を述べ合っているのを聞いて、この夫婦の間に生まれてよかったと感じました。

さて、明日からは母がいなくて不安な父のケアをしながら、病院へも通う日々が始まります。父の日中のケア、例えばデイサービスにするのか、母の退院までショートステイなどを利用するのかなどは今週水曜日の面談していかなければなりません。母がリハビリテーション病院に移ればケアが手厚くなるので、病院通いは週1~2回に減らして父のケアに時間が割けるかもしれないけれど、できるだけ私ひとりに負担が集中しないようにと遠方の兄弟に言ってもらっているので、外部の手を上手に使いたいと思います。

それでも、土日の予定は全部キャンセルし、夜のお出掛けもしばらくは我慢。ただし、長男、長女から、母さんのストレス発散のためにも文庫活動はしたほうがいいよ、ということでしばらくの間午前中のみの開催で続けたいと思っています。



2008年3月に父が85歳になったのを機に運転免許を返上することになり、二人を岡山から東京に呼び寄せました。車がないと生活できない過疎地では、運転免許返上ということは急激にQOLが悪くなるからです。買い物も病院へ行くのも、大変なことになってしまうからです。義母と義父を2005年、2006年と相次いで私が介護し、看取ったことで、夫が「今度は恩返しに君の両親の介護できるように呼び寄せよう」と動いてくれて実現した呼び寄せ大作戦でした。

その時に二人を看取る覚悟も出来ていると思っていたのですが、いざ、こうして母が入院してみると、まだその覚悟は出来てないなと思う次第。二人がこの冬は風邪一つひかず元気でいたので、5月に絵本作家赤羽末吉が描いた内モンゴルを巡るツアーに申し込みする気満々でいたのです。それも、こうした事態であきらめざるを得ない・・・9年前の覚悟や、いかに・・・という情けない状況です。

いつか人は歳を取る・・・準備をしておくことは大事なんだなと思いました。母の介護が突然始まり、母たちの部屋を片付けていて・・・もっと早めにいろんなことを聞いておけばよかったという反省しきり。仕舞い支度。自分のは早めにしておこうと思います。
 
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