みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて28年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。保育士養成の場で仕事をしたこともありますが、今は図書館にかかわる仕事をしています。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪

2017年07月

クレヨンハウスから浅草へ・・・絵本の濃い一日

7月8日(土)16:00〜

クレヨンハウス子どもの本の学校2017の3回目の講師はどいかやさん。テーマは「千葉いなか暮らし、時々絵本」
新刊絵本『ひまなこなべ』(あすなろ書房)が産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞し、話題になっている絵本作家さんですが、私は彼女の「ペットショップに行く前に」という活動に注目していました。

どいかやさん、とても素敵な女性でした。柔らかな物腰、朴訥としたお話の中にしっかりとした芯を感じました。

どいかやさんの絵本に初めて出会ったのは、『チリとチリリ』の絵本。かわいい絵本だな・・・という印象でした。夢見る女の子の絵本だなって、その時は感じただけでした。
チリとチリリ
どい かや
アリス館
2003-05-01



そのどいかやさんが、アイヌの昔話を?と、思ったのですが、お話を伺って納得できました。

どいさんは17年ほど前にお父様を癌で亡くされたそうです。享年55歳。まだお若い・・・(うちの夫が60歳でしたが、やり残したこと、いっぱいありましたから)その悲しみの中で、なぜだという思いがわいて、食の安全などをはじめ生活を取り巻く環境問題に関心を持ったのだそうです。

そして不自然な都会での生活にピリオドを打ち、豊かな自然の中で生活をしたいと転居したのだそうです。たとえば、小さな庭を注意深く眺めてみると、そこにはたくさんの生き物がすでに棲んでいる。小さな虫や動物、地中に棲む生物たちなど、それに気が付いてみると人間が後からお邪魔をさせてもらっているんだと感じたそうです。

何万年もの間、人は自然の中で他の生物と共生しながら、自然の恵みを必要最小限だけいただいて生きてきたはず。それがここ100年、200年という文明の急激な進化(破壊?)で、環境を壊し、欲望のままにたくさん作っては捨てる生活をしてきている。他の生命さえもコントロールして・・・

その象徴的なものが不自然な繁殖行為でのペットたち。ブリーダーと呼ばれる業者が、劣悪な環境の中でお金になる品種の動物を増やし、ペットショップでは高価な値がついて取引がされる。でも、その陰で動物たちの命が、品物として捨てられ、殺され、淘汰されている現実を多くの人は知らない。また、飼いきれずに捨てられ、毎日のように殺処分されていく動物たちがいることも・・・多くの人の目から隠されている・・・と。20170708どいかやさん
だから「ペットショップに行く前に」という冊子を作って、原画展などもして、啓蒙活動もされているのです。

そして辿り着いたのが、日本列島の先住民、つまりアイヌの人々の暮らしだったそうです。自然を大切にし、動物たちと共存していた暮らしを知りたいと思い、北海道でアイヌの方々の生活を学ぶようになっていったとのこと。特に人は他の命を奪って生きていくしかない中で、そのことを感謝する儀礼であるイオマンテという考え方に共鳴していったとのこと。8年かけて丹生谷に通い取材して描き上げたのが『ひまなこなべ』なのです。

アイヌ文化の取材で、人はモノを持ちすぎると粗末に扱ってしまうと気づき、必要なものを最低限にして大事にしようと、10年間は下着以外は服を買わない!と決めて実践したそうです。


その取り組みも、この春エッセイになって出版されました。

古くなったものを、リフォームしたり、直したり、繋ぎ合わせたり、いよいよ着られなくなったものは、他のものに形を変えて、モノの命も使い切る・・・それを実践されたことを話すどいかやさんは表情が生き生きとしていました。

20170708どいかやさん2もちろん10年間、着続けられるためにはサイズが変わらないことも大切で、体型維持のために走っているとのこと。そのランニングウェアもやはり手作りされていたとのこと。そんなことを、ほんとにさらっと自然体で話される様子は、とてもしなやかで素敵に見えました。

どいかやさんのお話は、8月末の茅野・今井書店のイベントでもお聞きできる予定。今から楽しみです

講座終了後は、サイン会には並ばずこの講座を聞いていらした瑞雲舎のIさんと、絵本仲間のH子さんと一緒に、浅草(田原町)に移動しました。20170708ほろ酔い6

浅草パンダカフェで、絵本仲間のくまこちゃん主宰の「ほろ酔い絵本会」が一年ぶりに開催されたのです。
(ほろ酔い絵本会、昨年は5月14日に開催されてます→この記事の真ん中にちょこっとだけ。その前は2014年の記録しかないなぁ。一番大規模だったのは2013年の浜松町の夜だったな)
20170708ほろ酔い
それはそれはオープニングからみんな大笑い。絵本を通して出会った仲間たちと、ほんとうに心の底から楽しめる時間でした。それぞれ普段は違う場所で、子どもたちに、あるいは大人に絵本を手渡しているみなさん。私生活ではお互いに子育てや介護などで大変なこともあっても、あの場ではみんな笑顔で包みあえて心地よいなと感じました。20170708ほろ酔い2

それもこれも主宰者のくまこちゃんのお人柄のなすところ大いにあり
20170708ほろ酔い3
絵本の読み聞かせあり、紙芝居あり。

新しい絵本の紹介あり。芸達者な人たちが、いろいろ紹介してくださって、そ20170708ほろ酔い4れはそれは充実したひと時でした。


20170708ほろ酔い5画像は、画素数落して縮小しています。

でもなんとなく、楽しい雰囲気伝わるでしょう^^

おとな絵本プロジェクトの運営メンバーでフリーアナウンサーのあーちゃんも今回初参加。お互い浴衣で参加してたので、ツーショット取っていただきまし20170718ほろ酔い2た。

20170708ほろ酔い7ほかにも初めて参加の人や、仙台から駆けつけた人^^

たっくさんの出会いがありました。楽しい時間をありがとうございました。

くまこさん、ありがとう〜〜〜〜

『物語の森へ』に込められた思い

7月7日(金) 18:00〜

教文館ナルニア国で、この5月に東京子ども図書館から出版された『物語の森へ―児童図書館基本蔵書目録2』について、東京子ども図書館の理事長張替恵子さんと護得久えみ子さんのお話を伺ってきました。


その内容は、仕事で作成している児童サービス支援サイト「本のこまど」にまとめています。そちらをぜひ読んでください。(→こちら

子どもたちの読む力が落ちていると言われています。そして、それに合わせて子どもたちに手渡す本がだんだん甘くなってきていると感じます。たしかにライトノベルと言われるものがよく読まれていたり、いわゆる名作もコミックス風のイラストがつくと借りられていくという状況がおきています。

そしてコミックス風のイラストでも、内容はしっかりとしているものもあるのは確か。それに「本を読む」という習慣がない子には、「これなら読みたい!」と感じさせるので、ダメだとも思わない。

ハードルを下げて、出来るだけ多くの子どもたちに本を読む楽しみを味合わせたいという、その想いもよ〜〜くわかる。

でも、小さいときからきちんと読書体験を積み上げてきた子どもは、逆にそうしたハードルを下げる必要はないわけで・・・そこをどう埋めるかが大事だなって思うこの頃です。

子どもの本の探偵として活躍されている赤木かん子さんは、何度も何度も「文庫おばさんがすすめる本tulip2は時代遅れ」、「そんな本、今の子どもたちにはありがた迷惑」って講演会などでおっしゃっているし、『子どもに本を買ってあげる前に読む本』にもそんなことを書いていらっしゃいます。

そしてそれは彼女の図書室改造の実践でも貫かれています。そんな改造のあとには、ごっそり岩波少年文庫が廃棄(あるいは閉架へ移動)されたという話を、何人かの学校司書友達からも聞いています。

今回、『物語の森へ』への東京子ども図書館の想いを伺っていると、「子どもたちが読めなくなった」と言って楽な本、簡単な本しか手渡さないという動きは、現代の子どもに対してそれは失礼なことなんじゃないかなぁと思ってしまいました。

40年前の子どもも、20年前の子どもも、そして今の子どもたちも、ひとりひとりの子どもの発達の過程は同じです。違うのは取り巻く環境です。今の子どもたちは読書以外の興味を惹くものがたくさんあり、生活の時間が変わったのです。

だから本を手渡すことを意識していないと、子どもたちは読む力を身につけることができないまま成長してしまうのです。親の意識とか、家庭環境がものをいう・・・ここに大きな格差が出来ているのです。

だからこそ、公立の小中学校の図書館に常勤の司書がいることが大切なのです。山形県鶴岡市の取組を見ると、自分で本を読むようになる時期に入る小学校低学年で司書さんがひとりひとりに丁寧に本を手渡すことをしていると、家庭環境に関わらず本に親しみ、本を読む力も年齢に応じて身につけていくということがわかります。

司書を置くということを抜きにして、「今の子どもたちは読む力が落ちているから」といって、簡単な本、ビジュアルに訴えるだけの本しか手渡さないでいれば、ますます本を読む力は衰えていくのです。(学校司書が法制化されたことはありがたいことだけど、それが完全に実施されるように注目していく必要があると思います)

以前、専門学校で教えていた時にも、本を読んで来た子と、読む習慣の無かった子の理解力の差、語彙力の差は歴然であると感じました。大学で教鞭をとっている友人たちも一様に同じことを言っています。

ということは、「今の子どもたちは本を読まないから」といって簡単なもの、楽なものを手渡すのは、子どもに迎合しているようでいて、その逆。子どもの育つ力を見くびって、ますますその力を貶めているとしか思えないのです。

東京子ども図書館のこの基本蔵書目録は、気の遠くなるような時間と作業を通して選び抜かれたのですが、それは権威ある立場で選んで来たのではなく、東京子ども図書館での子どもたちの姿から、子どもたちが何度も読む、繰り返し読む、そして子どもたちがその本から大きなものを得ているという手ごたえのある本が選ばれているのです。

『物語の庭へ』が出来て来て、手にした時に「あっ、これ、あの子が大好きだった」、「この本、〇〇くんが夢中になって読んでいたな〜」、「これはうちの子達が大好きだったよ」、などなど、本の向こうに子どもたちの姿が目に浮かんできたのでした。

「この目録に載っている本は廃棄するな」という理事長の想いは、痛いほどわかります。こんなに面白い作品たちが、地味に見える装丁だからと、あるいは岩波少年文庫だからといって、それだけで学校図書館の書架から無くなってしまうということは、あってはならないと思うのです。

そんな思いを、もう一度噛みしめたトークイベントでした。

このイベントでは、首都圏の司書友達、絵本友達だけでなく、静岡や仙台、名古屋の友達の姿も!それぞれの地域で子どもの本のボランティア活動や、文庫活動をしている方々です。多くの仲間たちがきっ20170707七夕2と同じ思いで、それぞれの場所で、諦めずに本を手渡す活動を続けていく・・・そこに大きな希望があるなって思いました。
20170707七夕
終了後、代官山蔦屋書店の児童書コンシェルジュの友人Y子さんをお誘いして、芝・増上寺で行われていた七夕キャンドルナイトを見に行ってきました。

境内に天の川が・・・人が多くて大変でしたが^^;
それでも幻想的なキャンドルの灯りに、家族の健康を祈りました。

ミッション・コンプリート

2月末の母の骨盤骨折以来、両親の介護に奔走してきましたが、物理的な支援は一段落しました。

07-01-276月上旬の母の退院に備えて、ケアマネさんと相談をしながら、自宅の段差と言う段差に手すりを付けたり、2階8畳和室の畳を耐久性の高いものに交換し、介護ベッドも入れてもらい、準備万端でした。

母も、再び父と一緒に私の家で生活したいと、そのことを願ってリハビリに励んできました。

そして母の退院・・・ケアマネさんが考えてくださったケアプランはとても手厚いものでした。

週3日、父と一緒にデイケアサービスに通う。この時に入浴介助も受ける。(自宅での入浴介助を私がしなくても済むように)

デイサービスに行かない日は、それぞれお昼と夕方にヘルパーさんがきて、それぞれ配食された食事を温めて提供し、服薬指導。
3日のうち、一日は訪問看護、一日は訪問診療医による身体チェック。排便コントロールの必要な父のケア。そしてもう一日は父のために訪問マッサージ、母のための訪問リハビリ。

一日のうち、何人ものケアスタッフさんが入れ替わり立ち替わり家を訪問してくることになりました。フルタイムで仕事をしている私は当然対応できないので、ケアスタッフの方々のためにキーケースを準備し、暗証番号をお伝えして、各自で入室していただくことに・・・ところが、その手厚いケアが、母たちの精神的なストレスになってしまったようです。疲れて眠ろうとすると、誰かか訪問してきて起こされる・・・というように、生活リズムを自分たちで作れないということが、しんどかった模様です。

今回、祖父母の入院の知らせに就活を終えた次女が、就職するまでの期間一時帰国してサポートしてくれていましたが、その次女でさえ毎日違うメニューでの在宅ケアに心身が消耗するのを感じたとのこと。

その上、3か月半、父と離れて個室で入院生活を送ってきた母にとって、狭い8畳間で父との生活リズムの違いにもストレスを感じてしまったようで、それまで聞いたことがないような夫婦喧嘩が頻発していきました。

父の排便コントロールの失敗でトイレを汚すことも続いていましたが、母にとってはそれも耐えられなかった模様。夜中にトイレで大騒ぎすることも何度かありました。

私や長男、次女、一緒に生活するもののリズムも狂っていき、それぞれがしんどい思いを感じていました。それでも夫婦の介護認定レベルがまちまちで、揃ってどこかの施設に入居するには、介護付き有料老人ホームしか選択肢はなく、都内や首都圏では一時金の費用も高額過ぎて持続可能な選択ではなく、諦めていました。

それに2008年春に東京に呼び寄せて、二人を看取ると覚悟を決めていた私にとって、私の手に届かない範囲での施設への入居は、介護を途中放棄するような後ろめたさがありました。

しかし、次女がこのままでは祖父母にとっても、私の家族にとっても不幸じゃないか・・・そもそも母さんの兄弟はどうしてこのことに積極的にかかわらないのかと声を挙げてくれたのです。

私の中には2008年に、夫が半ば強引に「両親の今後は任せてください!」と私の兄弟に伝えて東京に呼び寄せた経緯があり・・・それが夫の優しさではあるのですが、一人っ子だった夫にとって、兄弟の確執ということへは思い至ることはなかったため、容易にSOSを出せなかったのです

次女が叔父である弟に直撃メールをしてくれて、それで事態は急転直下、変化していきました。

もともと母が入院した時に、車椅子生活になるのであれば我が家での生活は困難になるので、施設を探さなきゃいけないけれど予算的に厳しいかもと、兄弟ラインで伝えた時、弟から広島ならば入居一時金もかなり安くすみそうだ、そういう選択肢もありだねという情報は得ていたのです。

アメリカで生活してきた次女にとっては、遠慮することなく現実の問題を客観的に叔父である弟に訴えることは、自然のことでした。そして弟は、最初は戸惑いながらも、広島で両親が人生の最後の日々を送ることを受け入れてくれたのでした。(自宅に引き取るわけではないにしても、やはり弟家族の理解も必要ですから・・・)

そんなSOSを出したのが6月17日のこと、そして翌18日日曜日に弟が自宅から車で10分ほどのケアハウスを訪問して、具体的な交渉を始めてくれました。

なんと、そこはいろいろご縁がある場所でした。キリスト教の団体が設立した福祉法人で、しかもその団体の発祥の地は夫が最後の日々を過ごしたカリフォルニア州パサデナにあるということ、同じ法人に属する子ども園に弟嫁が勤務していることや、その法人が運営する介護福祉専門学校は甥っ子が卒業したところで、前理事長のことを宣教師である兄夫婦がよく知っていること、そしてなによりチャプレン(牧師)が常駐していて毎週水曜日に礼拝が行われているということなど、願ってもない施設でした。

またこのケアハウスは、自治体助成による軽費老人ホームということで、他の施設よりかなり費用が抑えられているということも、経済的に両親のこれまでの貯えや年金収入で賄える範囲だということも決め手となりました。

今なら入居可能な部屋があると聞いて、両親が広島に移動する日を、私の仕事の都合もあって7月4日(火)と決め、手続きに関しては私が動かなきゃと、19日(月)に電話で東京のケアマネさんと広島のケアハウスに連絡し、双方のケアマネさんの連携を依頼し、その週の金曜日23日には午前半休をとって、両親を銀行や区民事務所に連れて行き、入居一時金を振り込んだり、転出に向けて必要な書類を整えてました。

そして25日(日)には、引っ越し業者に見積もりに来てもらい、翌週金曜日30日までに両親の荷物の仕分けし(実際はほとんど次女がやってくれました)、30日夕方には広島への引っ越し荷物を出しました。

その間に書類を作成して郵送したり、両親を広島に連れて行くためにレンタル車椅子の手配や、広島止りの新幹線のチケット手配をテキパキこなしました。
20170704広島大移動
4日(火)は、通勤ラッシュの一段落する朝9時20分にタクシーに来てもらい、最寄りの中央線の駅へ。そこから東京駅へ出て、東京駅構内はあらかじめ位置を調べておいたエレベーターを使って、新幹線ホームへ移動・・・新幹線中央口にはエスカレーターしかなく、エレベーターがないことがわかり、八重洲南口から新幹線ホームへ移動。駅構内はレンタル車椅子が大活躍。

母の車椅子を私が押し、次女が杖をついて歩く父のそばで介助しつつ、大きなトランクを運んでくれました。10時50分発ののぞみ107号は広島駅が終点。足の悪い二人をゆっくりおろすことができます。

車内でのトイレ介助のこともあって、グリーン車を取っていました。この日のグリーン車は空いていて、両親もゆったりと過ごすことができました。

名古屋、岐阜を通過するころには、母が車窓を見ながら大興奮(岐阜生まれ、名古屋育ち)、新神戸を過ぎて岡山県に入ると父が大興奮(岡山生まれ・育ち)・・・東京に呼び寄せた時に、もう二度と西日本に足を踏み入れることはないと覚悟していた二人にとって、車窓からでも懐かしい故郷の様子を見ることが出来たのは喜びだったようです。

広島駅には、午後半休を取って弟が迎えに来てくれて、その足で区役所、福祉事務所と連れて行ってくれて、編入手20170705ケアハウスふれ愛2続きと介護保険の移行手続きまで完了。そしてケアハウスまで連れて行き、ふたりが夕飯に行っている間に、私たち3人がすご〜〜い勢いで、その日の午後に届いていた引っ越し荷物を全部解いて、ある程度片づけを終わらせる!というところまで、やり遂げました。

翌日も午後、訪問して同じ施設内にある診療所での診察に立ち会い、また向こうのケアマネさんと相談をし、必要なケアをお願いするところまでやってきました。

また弟に、両親の経済状況に関する情報を整理して渡し、私がふたりの入院中に預かっていたさまざまな書類等も引き継ぎました。ホッ。
201705ケアハウスふれ愛
翌5日、両親の部屋から出て東京に向かう時、ふたりが笑顔で見送ってくれたことが、なによりの安心材料でした。バリアフリーで、24時間ケアがつき、ふたりが付かず離れずの2部屋で生活できて、親切なスタッフがいてくださって、思い切って両親を介護施設に預けるという決断をして間違ってなかった、と思いました。

6月の子どもの本に関するいろいろ(その4)ちひろ美術館

6月24日(土)

この日は朝からB区にある小学校で地区公開講座の講師を務めました。校長先生からのご依頼でエビデガーデンンスのある話をしてほしいということだったので、「ことばの力は、読書から―第1回 現代人の語彙に関する調査より―」という演題で、約40分…(小学校の授業時間は45分間なので短いのです)にまとめて、ギュギュっとお話をしてきました。

土地柄、とても教育熱心な保護者の方々が多く、読書がどのように語彙力や読解力に結び付くかを、「第1回現代人の語彙に関する調査」(ベネッセ・朝日新聞)の結果だけではなく、「複数の読書量推定指標と語彙力・文章理解力との関係」(猪原敬介、上田紋佳ほか『教育心理学研究第63巻』第3号 2015 教20170624小日向台町小学校育心理学会)や、「平成25年度 全国学力・学習状況調査の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」(平成26年3月 御茶ノ水女子大学)の結果をわかりやすくまとめて伝えた上で、小学校時代に出会う本がどのように子どもたちの心を支えていくのか、文庫にくる子たちの実例を1つだけお話しました。

データだけならば、自分でネットで調べればもっと深く理解できるわけで、じゃあ実際の子どもたちは本を読むことでどのように変化するのか、そこを伝えなければと思いました。いやあ、40分にそれをまとめるのが、ほんとうに大変でした。

それでも保護者のみなさまが、前回(3年前)よりも大勢参加してくださり、熱心に聞いてくださったのが嬉しかったです。

終了後は、その足で上井草のちひろ美術館に直行。(あっ、最寄駅から自宅の前を通り越して自転車で20170624ちひろ美術館ね!)

15時から、図書室で行われた「奈良美智がつくる 茂田井武展 夢の旅人」(5月19日〜8月20日まで開催中)に合わせての広松由希子さんの講演「茂田井武と夢の旅」に参加しました。
20170624ちひろ美術館2

広松さんは、ちひろ美術館の学芸員をされていた1997年にはじめて茂田井武展を企画されました。私は当時はシンガポール転勤前でその展示を見に行っています。

この展覧会に合わせて『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』を構成、編集されて、出版されました。

茂田井武さんの欧州放浪の旅と、彼の絵については何度か伺ってきているのですが(2016年2月に長野県岡谷にあるイルフ童画館で広松さんのトークイベント「武井武雄と茂田井武」→こちら、2016年3月@日本橋で「ちいさな茂田井武展 日本橋〜Paris」オープニング記念ほろ酔いトークイベント→こちら)、今回は今までにない新しい発見もあり、面白かったです。

大きな旅館の御曹司から一転、放浪の旅人となり、大陸を横断しパリで仕事をしながら絵を描き続けた茂田井武、その人が最後に辿り着いたのが子どもの本の仕事。そしてその絵に出合った若いアーティストに影響を与えていること、たとえば今回のちひろ美術館の企画をした奈良美智さんのように・・・

奈良美智さんは私と同い年。1956年に茂田井武は亡くなっていて、亡くなってから数年経ってから生まれたわけなんだけど、子ども時代に私も茂田井武の絵本には出合っていて、とても懐かしい存在。
奈良さんにとっては17歳で絵の世界に進もうと思った時に、子どもの頃に出合った茂田井武の絵があったと、図録に記されていました。

そう、懐かしい絵。それでいて、力強く、生きるということを伝えてくれる絵なんだなと、今回の広松さんのお話を伺い、また展示を見て感じました。

トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園へ

6月18日(日)
20170618トーベヤンソン2
日曜日は両親の食事を三食作らなきゃいけなかったので、母が退院して以来日曜日はなかなか出かけれなかったのですが・・・次女の一時帰国もあと1か月弱。介護の手伝いばかりさせていて、「母さんと全然お出かけ出来ていない」というので、その前の週は世田谷美術館へエリック・カール展へ。

1週間後のこの日も、両親のお昼の食事を作って食べさせて、彼らが昼寝をするのを見届けてから、車20170618トーベヤンソン3で出かけました。といっても、夕飯の準備もして出たので、家を出たのは14時50分ごろ。ちょうど地元は大雨が降っていましたが、少し車を走らせると雲の切れ間が出て来ました。

この日は北西へ車を走らせて、埼玉県飯能市にあるあけぼの子どもの森公園へドライブです。

久々に高速に乗りました。若い時は車で山口→大阪→山口とか、山口→福岡と20170618トーベヤンソン4か、平気でロングドライブしていたのですが、ここ数年は近場を運転するばかりで、高速運転はもっぱら子どもたちに委ねていましたが・・・次女はアメリカの運転免許しか持っていないので私が運転するしかなく、おっかなびっくり久々に高速を走りました。

家を出て1時間ちょっと、16時少し前に関越自動車道と圏央道経由で飯能あけぼ20170618トーベヤンソン5の子どもの森公園へ到着しました。

私にとっても6年ぶりです。ここが開園したのは1997年の春。大学のゼミの先輩がここの建物の設計事務所に勤務していたこともあり、オープンしてすぐに家族で遊びに行ったのでした。20170618トーベヤンソン6(そのあたりの経緯は、長女とドライブした2011年10月の日記に→こちら

その日記を読んで、当時twitterで繋がっていた絵本友だちも「行きたい!」となり、大人遠足に行ったのが、その年の11月のこと。(日記は→こちら

ところで、飯能市にムーミンのテーマパークが2018年秋にオープンする予定で20170618トーベヤンソン7す。今年の春に工事が始まりました。(テーマパークムーミン公式サイト→こちら

このあけぼの子どもの森公園が、トーベ・ヤンソンさんとのやり取りをしたうえで、ムーミン谷をイメージして作られていたということが、ムーミンパークを誘致する時の切り札となった模様です。(→こちら
20170618トーベヤンソン8
工事の着工に合わせて、あけぼの子どもの森公園はトーベ・ヤンソンと名前の前に付けることになったと、事務室前に掲示してありました。たまたま事務室から出てきた職員の方と話すことが出来て、20年前のオープンの時に来たこと、ここの設計をした事務所に先輩がいたことなどを話すと、とても喜んでくださいました。20170618トーベヤンソン9

さてさて、次女はシンガポールに渡航する前の99年春に来て以来、18年ぶりの20170618トーベヤンソン10訪問。当時は小学1年生でしたから、身軽に天井裏などに仕込まれている隠れ家スペースに登ったことなどを懐かしく思い出していました。

この公園は17時に閉門されます。1時間強しか滞在できなかったのですが、次女はその時間で十分に子どもの頃の思い出が蘇ってきたようでした。20170618トーベヤンソン11


ここの公園は、ムーミン谷をイメージしたいくつかの建物があるだけで、とくにアトラクションがあるわけでもないし、でもそこには豊かな時間が流れていて、想像力をかきたてる・・・

20170618トーベヤンソン13公園のそこここに、たしかに妖精たちがいるような気がする。ここで感じるイメージを追って、いろんな遊びを展開できる・・・それがこの公園の魅力です。

今度、同じ市内に出来るテーマパークがどんな感じになるのかわからないけれど。岡山県倉敷市にあったチボリ公園の二の舞になってほしくないなぁと思うのでした。(チボリ公園のことはこんな研究にまでなっています→こちら


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